喜べない告白
正直、最初の印象は汚い女だな、だった。
髪の毛はなんだかごわごわだし、制服もいつ洗濯したのだか謎のよれ具合だ。その制服の袖から伸びる手も肌ががさがさで、女子高生とは思えない手だし、体全体からも新手の香水なのか、はたまた失敗したアロマなのか、緑色の濃い草をすりつぶして三日間その中に付け込まれたような青臭いにおいが漂っている。
そいつの名前は須藤杏奈。
一応クラスメートとして同じ教室の中で学生生活を送っているものの、今日まで関わりのない相手だった。というか、クラス内でこいつと関わっているやつがほとんどいない。
先の容貌だけで、周囲の、特に人目を気にする十代を遠ざけるには十分だろう。本人が積極的に他人に近づくところも見たことがない。
かといって問題児ではない。毎日欠かさず出席しているし、提出物も教師への返答もきっちりこなすが、それだけなのだ。学校生活は率なく送れてはいてもその雰囲気は明らかに異端だ。それだけで周囲の注目を集め、排斥の対象となるには十分なのだが、誰もがまるで不文律でもあるかのように須藤に声をかけようとはしなかった。
俺が初めて須藤を知ったのは、授業でむりやり出席番号順の班を組まされたときのことだ。その時は日本史の飛鳥時代の出来事の年表の作成だったと思うが、須藤はせいぜい年表の枠線を引いたくらいで発言もほとんどなかったように思う。
記憶に残っていることと言えば、10年もののタコの酢の物のような酸っぱい匂いが漂っていたのが印象的だった。
その女が今、俺の目の前に仁王立ちになっている。
これが歩いているときであれば、何事もなかったかのように避けて通る。さわらぬ神にたたりなし、だ。だが、学校ではなぜかそれぞれに個人の席というものが存在し、俺はそこに座っているところだった。さすがにこの場でいきなり席を立ってどこかに行くわけにもいかないだろう。あまりにも不自然だ。
それにあまり関わり合いになりたくない相手であることに違いはないが、ただの連絡事項か何かかもしれない。教師から伝言を頼まれたとか。なんとなく生理的にダメな相手だからと言って、その用件も聞かずに忌避するのも失礼だろう。
しかし、俺はそすぐにその考えを大いに後悔した。
「阿蘇品君。今日、あなたの家に行ってもいい?」
須藤は遠慮なく周囲にも聞こえる声でそんな爆弾発言をかましやがった。
神聖な学び舎において日々勉学に励む清廉な学生にとって、そんな不で純な交友を疑われる台詞がどれだけの重大事か、きっとこいつは全く分かっていないのだ。
とはいうものの、俺も一瞬目の前のキタナイ女が一体何を言っているの分からず、そのまま頷きそうになった。そして慌ててぶんぶんと首を振る。
「おいおい!何しにだよ!なんの用だよ!?」
「あなたに興味があるの。だから、あなたのことをよく知りたい」
それまで何事かと沈黙を守っていたクラスの連中も、そこに至っておおーっと歓声を上げた。
まてまてまて!歓声ってなんだよ!誰か俺の苦境を察して間に入ってくれよ!
「いやいや、興味って言われても……それに、俺たちまだお互いなんも知らない同士だろ?」
「それなら、これから知ればいいと思うの」
今度はさっきよりさらに大きい声が上がる。
何だこれは!?これが美少女からの告白であれば、羨望のまなざしを受けるとともに頭でもかきながら、いやぁモテる男はつらいなぁなんぞと、バラ色の学生生活を送る第一歩を踏み出すにやぶさかではないところだ。
しかし、これでは好奇の目にさらされた上で、公開処刑にいたる13階段の第一歩を歩かせられているようなものだ。
気が付くと周囲は野次馬の垣根ができあがっている。学校というところはなかなか刺激がなく、こんなイベントであれば大歓迎。もちろん俺だって、クラスでの大胆な告白の現場に遭遇したなら、興味のないふりをしながらもしっかり観客になっていただろう。しかしその中心にいるのがこんなにもいたたまれないものだとは想像したこともなかった。
垣根の向こう側に俺の憧れ、学校のマドンナ鳴神さんの顔が見える。清楚で優雅な美人で売っている彼女はさすがに野次馬の垣根にまざることはしないようだが、視線はしっかりこちらに向けていて、俺と目が合った。
まずい!ひじょーにまずい!
このままでは色々なことが既成事実として認定されてしまう!
しかし、ここでずばっと須藤が好みじゃないなどとフッてしまうのもあまりよろしくないだろう。何故だか女子と言う生き物は、自分以外の人間であっても邪険に扱われたりするのを嫌うものだからだ。それまで特に仲のよくなかった相手でも、あっという間に徒党を組んでバッシングを始めたりする。その習性を鑑みるに、ここであまりに冷たい態度をとるのも有効な選択肢ではない。たとえそれが妥当なものであっても、だ。
「いや……ごめん。今日はバイトがあって」
ようやく俺の頭が絞り出した回答はそれだった。実際にバイトもいくつかやっている。もっともそれは今日ではなく明日の話だが。
その面白くもなんともない返答に、野次馬連中は一様に脱力してため息をついた。
お前らの期待なんか知るか!俺は自分の身を守るので精いっぱいなんだ!
「じゃあ、アルバイトがない日にお願いするね」
それだけ言って、須藤は踵を返して自分の席に戻って行った。人垣も十戒のようにするりと割れて、須藤に道を開ける。
残された俺のいたたまれない感は半端なかった。周囲の連中も俺にいろいろと聞きたいことがあるようだったが、英語教師のミスターハワイが入ってきて
「ハーイ!イングリッスのクラスのタイムですよー!ほらほら、シッダンシッダン!」
と、今からエクササイズでも始まりそうな調子で声をかけるので、あっという間に散り散りになった。
全く一体全体なんなんだ……
元々勉学に対する気概の足りない俺ではあったが、今日はより気もそぞろな状態で授業に臨んだ。ミスターハワイのあだ名の元になった、能天気なハワーイユー?の声が俺の耳を通り抜けて行った。