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魔法使いと魔女  作者: 東耕市朗
那由他様
16/57

魔との邂逅②

声を上げることもできない。

俺は自転車のペダルを目いっぱい踏んだ。ぐん、と加速するのが分かる。

ペダルを目いっぱいの力で踏むのは無呼吸運動に近い。声など出るはずもない。

体感としては、俺の自転車は飛ぶように走った。実際、段差があるごとに宙に浮いた感覚があった。だが、俺のすぐ背後にはがさがさという、無数の何かが地面とこすれる音がついてきていた。

人間の全力などそう長く続くものではないが、俺はこの時かなり長時間の間、最大速度で走り続けたはずだ。鼓動の音が頭痛とともに脳内に響き、足が鈍く重くなっていく苦痛の時間がそれを長いものと思わせただけかもしれない。


どちらにしても、限界は訪れた。

何度目かの段差を飛び越えようとしたときに、回転する車輪は地面を捕まえそこなった。横転した俺の体はアスファルト上に放り出され、肩と背中に強い痛みが走る。倒れると同時に自転車を放り出してしまっていたため、自分の自転車に巻き込まれて余計な怪我をすることは避けられた。

痛みにうう、と唸ったところで女のことを思い出し、飛び起きる。


目の前に、そいつはいた。

何を見ているのか分からない顔を、今は俺の方に向けていた。さかさまになり地面に髪を垂らしたその顔は、真顔でさえなければふざけているようだ。

背中の無数の足はわさわさと動いている。その細かな動きで、女の体の部分もゆらゆらとゆれる。全く冗談じみている。

女の顔をじっと見る。当然なのかもしれないが、喋ろうとはしない。この状況でこいつがフレンドリーに話しかけてくるのもそれはそれで違った怖さがあるが、意志の疎通の取れない相手が目の前にいるというのもやはり恐怖だ。

女はぴたりと動きを止めた。

それから、口を開ける。

口の中は人のそれではなかった。白い歯の代わりに黒いとげ状のものが幾重にも、幾重にも、のどの奥の暗闇のなかまで無数のらせんを描くようにして連なっていた。

口を開けて友好の挨拶をしようというわけではないことは分かる。多分、間違いなく。

食事をしようというのだ。

俺は痛む体を無視して立ち上がる。きしむ体はそれでも俺の命令をどうにか聞いてくれるようだ。――と思ったのだが、想像以上にダメージがあったらしく、ふらりと体が左に傾いだ。

その空間を風切り音が貫く。そしてぎゃりっという耳障りな金属音。

一瞬何が起こったのか分からなかった。

俺の傍らにあった道路標識に、女が食らいついていた。さっきまで俺の頭があったのと同じくらいの高さのあたりだ。

女が口を離した横断歩道の標識は半ばから折れて曲がっていた。どんな咀嚼をすればそうなるのか分からないが、折れたところは互い違いに金属がめくれ上がっている。

もしそのままで食いつかれていたらどうなっていたか。

俺は結論に至る前に、女に背中を向けて走り出した。

逃げられるかどうかではない。何はともあれ、逃げなければ!

しかし当然のことながら、それで振り切れるほど甘くはなかった。

突然、足元に衝撃が走る。


「あうっ!?」


太い角材か何かで思い切り足を払われた感覚だった。ただでさえおぼつかなかった足は簡単にすくわれて、天地がぐるりと回った。後頭部を打たないように反射的に体を丸めるが、そのぶん強かに背中を打ち付ける。

肺の中の空気が押し出され、盛大に咳き込む。

仰向けになって目を開ければ、至近距離に女の顔があった。目の前で口が開いていく。そこにあるのは、夜の闇より深い闇だ。

なんでこんな時だっていうのに、頭ははっきりしていて、自分が今から何をされるのかも分かってしまうのだろう。

ああ、短い人生だった。

痛みから生理的にあふれた涙でぼんやりとした視界いっぱいに女の顔が迫る。自殺するときに銃を口にくわえるやり方があると聞いたことがあるが、俺にはとてもできそうにない。今目の前にある死の象徴をずっと注視し続けることすらできないからだ。

そして異形の歯が触れて―――――は来なかった。

……………?

目を開ければ、女の顔がそこで止まり、ぴくりとも動かなくなっていた。


「大丈夫?」


頭の上のだいぶ高いところから声がする。この数日間で聞きなれた声だ。

声の主へ視線を持っていくと、須藤がそこにいた。いつもは小さくみえた須藤が、今日は地面に寝転がっているせいか、かなり大きく見えた。



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