変わる日常⑥
学校での須藤を観察してみる。
昨日俺のうちで風呂に入ったせいか、いつもうねっている髪はまだましになっていたが、おそらく櫛もほとんど通していないんじゃないだろうか。もうちょっと絡まれば鳥が住めるに違いない。
授業は真面目に受けているようだが、休み時間は大概一人で謎の本を読んでいる。近くに寄った時に少し中を覗いてみると、日本の書物ではなかった。はっきりとは確認しなかったが、アルファベットのような文字がずらりと並んでいたので、洋書であることは間違いないだろう。そんな謎の文字しか書いていない、辞書みたいに分厚い本を黙々と読んでいる。
交友関係はほぼ皆無だ。須藤に誰かが話しかけにくることはないし、須藤が他の人に話しかけにいくこともない。俺のところに来た時に目立ったわけだ。
昼休みに食事をとりに行く様子もない。
うちの学校の場合、弁当・購買部のパン派と学生食堂派に分かれるが須藤は無所属で、読書か寝ているかどちらかだ。
たまに休み時間に教室の外に出ていくこともあるが、それは詮索するのは悪いエチケットの時間だろう。
見れば見るほど、ただの痛いぼっちの女子だ。これで自分のことを霊感があるだとか前世がどうだとか言い始めればある意味完璧なのだが。いや、魔女と名乗っているのだからその性能もすでに備えているのか?
「かーずーきっ!」
そんなことを考えていると、やたらと明るい声で俺にのしっと体重をかけてくる男が一人。
「なんだよ、成人。おまえは別のクラスだろ」
「つれないなぁ、親友にむかって」
「調子にのるとつけあがる奴が相手だからだよ」
顔を上げるといつも通りの細い目に人懐っこい笑みをのせた、薄い金髪の男がそこにいた。もちろん、校則としてこんな髪の色が許されるわけはない。成人の場合は半分父親譲りのものだそうだ。しかし、その髪に隠れて見えにくいところにあるピアスの穴は、当然父親譲りでもなければ校則の許可もない。教師たちとしては、髪の毛のほうがよっぽど目立つが、そちらは致し方ないものと許可し、ピアスの方は目立たない限り黙認ということらしい。
実際、女子だっておおっぴらにピアスをつけてはいないものの、髪の下ではシリコンのピアスをつけたままっていうのは多いし。
「んで、どうしたんだ。なんか熱い視線を誰かに向けてたみたいだけど?」
「ばーか。そんなわけないだろ」
「こないだの話、俺も聞いてるぞ?」
にやりと笑う。
げ。
こないだの、というのはもちろん須藤の告白まがいの話のことだろう。
「あれは誤解だっつの。俺がそう言ってるってことまでは聞いてないのか?」
「聞いてるよ。でも一樹はそういうとこ友達甲斐がないんだよな。そんなことが
あったなら、まずは親友に一言あってしかるべきじゃないのか?」
こいつ、萩原成人は一方的に俺の親友を標榜している男だ。もともとはバスケ部のエースだったのだが、何を思ったのか突然の退部。複雑な事情があったらしいということになっている。その時のいざこざのことでやたらこいつは俺に懐いているのだ。
誰に対してもあっという間に親密になって打ち解けていく稀有なコミュニケーション能力の持ち主で、どちらかといえば人見知りな部類の俺からすれば、一種の才能なのだろうなと感心してしまう。
「それに、誤解だとしても気になってんじゃないの?今見てたのだって…」
「やかましい。それ以上しゃべるな」
俺が本気でにらむのに、なぜか成人は満面の笑みで返してくる。構われるのがうれしいのだろうか。まるで犬だ。まぁ、もともと俺がすごんでみせても迫力がないのは百も承知だが。
「でもま、実際須藤さんって変わってるよな。
前にあの子が変質者を見つけたことがあっただろ?先生達が取り押さえたやつ」
初耳だ。
ちょっと聞いてみるとこんな話だった。
しばらく前に、校内から物品が時々なくなることがあった。金目のものではなく、女子生徒の持ち物ばかりが。しかし、外部からの侵入にしてはそれらしい目撃情報もなく、また生徒が体育などで出払ったあとの更衣室などが狙われていることから、内部犯それも授業などに詳しい人物が疑われた。
早くいえばその他の男子生徒だ。
実はこの時期、失礼な話だが、教師陣は授業中にトイレに行く、保健室に行く、授業に遅れて参加する生徒などの動向には目を光らせていたらしい。
しかし犯人は、時折校内清掃のために入ってきていた清掃業者の青年だった。今年がうちの学校の二年目の勤務ということで、学内の間取りや授業時間などにも精通していた。なにより、授業中に校内を闊歩していても疑われる可能性が低かったために分からなかったようだ。
それが捕まったのは、須藤の一言だった。
水泳の授業中。須藤が突然自由形の協議練習をやめ、教室に戻りたいと言い出した。
体育教師の矢島が理由を尋ねると、
「あたしの荷物に触れている人がいるからです」
と言う。
プールはもちろん校舎外で、須藤に教室内が見えるはずもない。
しかし教師が一笑に伏そうとするところを、振り切ってでも行こうとする須藤に押され、一時授業を中断。そして矢島先生と用心棒として体育科兼生活指導のジャニ山とバスタオルをはおった須藤の三人で教室に戻った。
するとそこに作業着服の男が一人、ちょうど女子生徒のカバンを開けているところだった。
「何をしてる!」
応援団の顧問もしているジャニ山の怒声が響くと、男は3人が入ってきたドアとは反対側から廊下へと飛び出した。
ジャニ山の怒号はその階だけでなく校舎内に響き渡っていたらしく、すぐさま援軍が道をふさぎ、男はあえなく御用となったそうだ。ちなみにジャニ山とはジャージの鬼山先生を縮めてジャニ山である。顔はどちらかといえば人間の祖先系でアイドル系とは似ても似つかない。
「それで、どうやって須藤さんには分かったんだって話になったんだけど」
そこは語ろうとはしなかった。
ただ、なんとなく、という話だったらしい。
そこから須藤には霊感だとか第六感だとかがあるのではないか?なんていう噂がまことしやかに流れ始める。須藤自身も否定も肯定もしなかったし、おまけにあの独特のキャラクターだ。話だけが独り歩きを続けた結果、須藤には何かあるから近寄るなという空気が出来上がったらしい。
だが、俺にはわかった。おそらく、須藤は自分の目で見ていたのではないのだろう。昨日の黒猫とかそういったものを通して目撃していたのだ。
「それに、結構可愛いしね」
「え。眼科行くか?成人」
「あらら。一樹は反対派?女の子はみんな可愛いもんだよ」
「はいはい」
このチャラさ。
成人の気安さは男相手だけではなく、女子にも大人気だ。こんなことを照れもせず言えるのと、それが結構似合っているからということもあるだろう。
そこでチャイムがなった。
早く自分のクラスに戻れ、と成人を追い払うと、微妙なしなを作りながら一樹のいけずぅと言いながら去って行った。