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「魔王ってご存じですか」
唐突な言葉にアルフレッドは言葉を失った。
ここは共和国軍東方司令部。
机を挟み、目の前に座る黒髪の美女は敵国帝国軍少将。東洋人に特徴的な黒髪が見目麗しい。金色にも見える薄い茶の瞳もつぶらで可愛らしく、深い緑の軍服がよく似合っている。
名を藤間尋。階級は少将。
それだけ美女は短く己を紹介した。
にこにこと微笑みながらとんでもない事を口にする尋は、可愛かった。
艶やかな黒髪を一つに高く結い上げ、首を傾げる仕草をすると肩に黒髪が落ちる様子は何とも言い難い。顔立ちも幼く、柔らかな笑みはそのままふんわりと蕩けてしまいそう。
「ご存じ無いですか?」
語りかけてくる声は心地良くアルフレッドの耳を揺らした。
おおそよ軍人とは思えない、柔らかな微笑み美人だ。ずっと見ていたい。
「……大佐殿?」
「は、あー……」
怪訝に問われ、アルフレッドは我に返る。
しかしなんと切り返していいか困り、アルフレッドは何も言えなかった。まずい、言葉が何も思いつかない。
無論魔王という単語は知っている。あれだ、この世界の支配を魔界から狙っているという、マンガとかゲームに出てくるラスボス的な。大抵勇者様に倒される。しかしここは作戦会議室。しかも帝国軍からの休戦協定の話し合いの場。マンガやゲームが出てくる場ではない。
黙ったままのアルフレッドを促すように、尋は続けて言った。
「魔界の王様のことですよ。この世界を狙ってるね」
「はぁ……」
ますますもって、なんとも言い難い。
後ろに控える部下達の戸惑ったざわめきが背中越しによく分かった。アルフレッドも同じ気持ちだ。ここは真面目に「あれですよね、マンガとかによく出てくる……」と言った方がいいのか、それとも常識人ぶって「何を馬鹿な事を言っとる!」と怒鳴るべきなのか、迷う所だ。
ああ、可愛いのに。
内心深く息を吐きながら、しかしそんな事はおくびにも顔には出さず、アルフレッドは向こうの出方を窺った。
「どうも馴染みがないみたいですね、まあ魔王なんかあっても嫌ですけど。じゃ、そこから説明しましょう」
のほほんと、ごく普通に尋は『魔王』とやらについて説明し出した。戸惑う共和国側の反応なんてお構いなしに。
「魔界という、もう一つ別の世界があるのはご存じですか? 以前はそんなに交流というか、我々の世界との繋がりは薄かったんですが、あれですよ、三百年前の大戦があったでしょう? あれがどうにもいけない。あれがきっかけで二つの世界にあった溝が少し埋まってしまったんです。おまけこの長い長い第二次世界大戦で積もりに積もった負の感情。やつらにとって、負の感情はご馳走なんですよ、すごいご馳走。だから、呼び寄せられるように復活しちゃうんですね」
ぺらぺらと、淀みなく尋は説明した。
アルフレッドに口を挟む余地はない。ただ尋の説明とやらを聞いていた。
「復活、ですか」
尋の説明が一息ついたところでようやく口を挟めば、それは間抜けな繰り返しの確認だった。
「はい、復活しちゃうんです、魔王」
「はぁ……」
尋は気にした風もなく穏やかに肯いたが、アルフレッドはやはり生返事しか返せなかった。
魔王。
復活。
なんのゲームだと聞きたい。
しかし分かっている、そんな事とても聞けない。繰り返すがここは共和国軍東方司令部。おまけに相手は帝国軍少将様。舐めた口を聞けば後でどうなるか……。
アルフレッド達共和国と尋達帝国は長きに渡って戦争を繰り返していた。それが先程尋が口にした第二次世界大戦。もう百年年以上も続いており、アルフレッドにとって戦争は日常だった。
そしてもう一つ尋が言った世界大戦。
三百年前の世界大戦。
先の文明が滅び大陸の一つが沈んだ要因と言われる、まさしく大戦。残った大陸の六割もこの大戦で汚染され、現存する人の居住可能な地域は極めて少ない。
ここ中華平原も三百年前は大草原が広がっていたと言われているが、現在では荒れ果てた荒野がただ続いている。汚染濃度は低いものの荒野では人は住めない。
ここに両国の軍が駐留しているのは単純に領土問題がある。しかし両国にとってこの地域は辺境であり、膠着状態が長く続いていた。
「ここからが本題なのですが、休戦しませんか? この地域限定で構いません。魔王が復活するという緊急事態に人間同士でごちゃごちゃやってる場合じゃないでしょう。よろしくお願いしますよ」
「……あー……」
アルフレッドは唸った。
とんでもなく馬鹿げた話だが、もしそれが本当ならば確かに一大事だ。
一大事ではあるが……。
「何を馬鹿な事を!」
鋭く甲高い声が、微妙な空気の流れる作戦会議室を切り裂いた。
アルフレッドの後ろに控える部下の一人、タチアナ・ホーヴァ―少尉だ。
金髪碧眼の、まだ少女と言ってもいいようなあどけなさが残る、小柄な女性だ。
貴族制が廃止された共和国にも、華家という貴族のような位置にある特別な階級がある。法的にはなんら一般庶民と変わらないが、彼らの社会的地位は非常に高い。
タチアナはその名家の出で、ホーヴァ―一族は優秀な軍人を多く輩出している。
家が代々軍人の所為か可愛い顔して彼女の気性は荒く、また華家特有のエリート意識が強い。
そんなタチアナだったから他国とはいえ、自分の階級よりもはるかに高い階級の人間に対して全く物怖じしなかった。
「そんな魔王復活などと言う世迷い言で休戦など、馬鹿も休み休みに言え!!!」
ああ言っちゃった。
アルフレッドは室内の空気が急降下するのが分かった。
軍にとって、上下関係は絶対である。
上官が命令すればどんな無謀な命令でも従わねばならない。そこに例外はあってはならない。でなければ軍という組織は意味を成さない。国の為に誰もやりたくない事をするのが軍という組織だと、アルフレッドは叩き込まれた。
だから、いくら敵国とはいえ、仮にも少将殿にたかが少尉の小娘がこんな暴言を吐けばただでは済まない。それこそ戦争が起こる。
だが、タチアナの暴言は共和国軍側の心理の的を得ていた。
「ほ、ホーヴァー少尉、」
宥めようとしたアルフレッドだったが、宥める言葉が上手い事思いつかない。むしろその暴言は自分が吐くべきだったか? なんて反省してしまう。
「ああ、構いませんよ。それが普通の反応ですよね」
慣れた反応なのか、尋は笑ってタチアナの暴言を肯定した。
ひとまずアルフレッドは安堵した。己の常識が間違っていなかった事に。
しかし、その柔らかな微笑みのままで紡がれた言葉は辛辣だった。
「でもね、馬鹿にしてるのは貴方の方ですよ。この私がわざわざ貴重な時間を費やして、馬鹿話をする為にここに来たとでも? それこそ馬鹿にしてますよねー。ね、そうは思いません?」
「っ!」
言葉を失うタチアナ。
それはその通りだった。
少将と言えば指揮官クラスの軍人だ。こんな辺境に飛ばされる階級ではないし、単独で敵国の司令部にのこのこ、お土産まで持参して来るような階級の人間ではない。
「部下の非礼は詫びよう」
アルフレッドはすぐに謝罪の言葉を口にした。
「しかし、その魔王復活などという話を突然されてもすぐに信じる事はできない。突飛な話であることは貴方も重々承知しているだろう?」
「確かに。でも時間がないんですよ、間が悪い事にね。ゆっくり話し合う時間はないんです。ご理解して貰いたい所なんですが、我々の望みはただ一つ、魔王復活まで我々のやる事に手を出さないで欲しいんです。それだけ。簡単な話でしょう? ここはそんなに激しい戦場ではないですし」
「それはそうだが、しかし……」
アルフレッドは所詮、大佐である。作戦を独断で決める権限はもっていない。
休戦の提案を受け入れるには一度本国に報告して、本国の決定を待たなくてはならない。
だがしかし。
……まあ、見ない振りぐらいならできるかな。
アルフレッドは考えた。
尋の言うようにここは戦闘の激しい激戦区ではない。確約はできかねるが、そういう振りもできなくはない、と。
「如何ですか?」
尋が返事を迫った時、
ぐぎゃぁぁぁぉおおんっ!!
獣の咆吼がつんざいた。
そして、
ぶおーんぶおーんぶおーん……
警報アラームが鳴り響く!
どうも、まだ小説終わってないのに書き溜まったので、投稿しちゃった作者です。ストックがある内は一週間アップを狙っていきます。書きかけのも、頑張って月一更新を目指して頑張ります。
どうかよろしくお付き合い下さい。