ガンプラにまつわる発作について
すこし前の話だが、僕は小学生ぶりにガンプラを作ってみた。技術の進歩はすごいもので、例えばリアルグレードなるシリーズは小さいスケールながら精密であり、組み上がった完成品は素組みにもかかわらず惚れ惚れする出来映えであった。機体名を出すのが適切かわからないのであえてぼかすが、それは見た目には「悪魔騎士」的美学があり、巨大なビームの剣はまさにその美学の極地といって過言ではないのである。だからそれを組み上げたあとで、僕のなかでにわかにガンプラ熱が燃え上がったのも不思議ではない。
ところが昨今の情勢ではガンプラがどこにも売っていないようである。より正確に言うならば、成人済みの初心者がその熱情から軽率に求めがちな高額なキット、いわゆる「パーフェクトグレード」なるシリーズの最先端などは、どこにも見当たらない。僕は元来出不精なほうなので、たまに出かけてみては、ちょいちょいそれらしきところを覗いてみたのだが、やはりない。どうやらブームと買い占め、転売などが影響しているようで実に腹立たしいことではあるが、ぽっと出が文句を言ったところで仕方ない。それで途方に暮れていたところに、例のものが売っていたのである。
あとで調べてみてわかったのだが、そのキットは全体の最新とは言えないまでも、やはりパーフェクトグレードのなかでは最先端に近いキットであり、しかもファンからの評価も上々であった。おまけに僕が好きな機体でもあったので、これ幸いと思い、早速そのキットを購入し、作成に必要なピンセットやらニッパーやらを怒濤の勢いで買い揃え、パーフェクトを冠するキットに向かうにあたってふさわしい環境を整えた。
ガンプラを作るのは小学生ぶりだったと冒頭で述べたが、パーフェクトグレードに初めて取り組んだのも、やはり小学生の頃だった。どこかの店で埃をかぶっているキットを見つけ、いつか入手してやろうとじりじりしつつ、しかるべき記念日にようやく買って貰えたのはそれから随分あとのことだった。僕は狂喜乱舞したが、しかしなにぶん古いキットであり、ダイキャストやらネジやらスプリングやら、小学生時代の未熟が取り組むにはいささか難易度が高かったようである。それでも懸命に取り組んだ甲斐あって、誤りや細部の完成度はともかく、なんとか説明書の最終ページにまで行き着き、それによって完成系を拝むことができた。喜びもひとしおである。とりあえず完成すればよいと考えていた当時の僕であるから、まさに正しく努力が結実した瞬間であった。
そのような経験もあって、今や成人となった僕の意気込みは並み大抵のものではなかった。ガンプラへの再挑戦としてリアルグレードで段階を踏み、それからパーフェクトグレードへ取り組むのだから、気持ちとしては、向かうところ敵無しだったのである。
組み始めてまず感じたことは、説明書の見やすさ、それと工程の簡潔さだった。出来上がっていくブロックはクオリティが抜群であるのに、それに比して作業は至って簡単だった。小学生時代に取り組んだパーフェクトグレードとは雲泥の差である。必然的に僕は調子に乗っていき、徐々に形になっていく内部フレームを見たり動かしたりしてみては、自分のガンプラに対する才能に内心おののいていたのだが、どうもこれがまずかったらしい。
最初の違和感はシールだった。ピンセットなど使ったこともないのに、大事な初戦でいきなり実戦投入したのが仇となって、まったく上手く貼れないのである。そもそも僕は不器用な質なので、ピンセットなどは力みによって先端が震えるし、台紙からシールを剥がすにも必ず一度は失敗する。このあたりで不吉な前兆を感じとってはいたものの、一度はじめたことを今更やめるわけもなく、なにより未完成の内部フレームが僕を待っていた。僕はやめるわけにはいかなかったのである。
組み立てそのものではなくシールに苦戦するのは予想外の事態だったが、それでも表面に貼り付けるタイプのシールならばどうにかこうにか誤魔化せる自信があった。リアルグレードのキットで経験済みだったからだ。ところが、僕の取り組んでいたキットはクリアパーツの内側にシール貼りを要求するもので、これはどうにもならなかった。そこで「発作」が爆発したのである。
そのキットのクリアパーツは機体の要であり、それが駄目だと全体が駄目になるという、まさしく核の部分を担っている。僕はあろうことか、その内側にシールを貼り付ける際、埃を混入させてしまった。ここでまず発作の前兆が生起するが、この程度なら慣れたもので、一度シールを剥がして再度張り直せばよいのである。僕は丁寧に埃を除去し、粘着力の低下に一抹の不安を感じながら、再度貼り付けを試みた。ところが、今度はズレてしまった。位置調整のためにピンセットでシールをつまむと、つまんだ部分に痕が残ってしまった。強くつまみすぎたせいである。僕はじりじりしながら三度シールを剥がし、発作を押さえ込みながら、チャレンジを決行した……
季節は冬であった。こたつがあり、絨毯が敷いてあり、部屋は暖かかった。シールは、つまみの弱さと粘着力の低下からピンセットの保持を滑り落ち、粘着面を下にして絨毯に落下した。僕は「発作」に見舞われた。押さえ込んできた末の爆発であった。急いでシールを取り上げると、粘着面は駄目であった。予備はなかった。最後のあがきとして「元シール」の貼り付けを断行したが、気が動転しているので、ピンセットの先端でクリアパーツ内部に傷をつけてしまった。僕は「大発作」に見舞われ、すべてを投げ出して布団に駆け込んだが、しかし眠れなかった。発作が止まらないのである。脳裏にゴミ捨て場の風景が鮮明に浮かび、その風景が、置き去りにしたキットの残骸とこれ以上ないほど強固に結びついていた。
僕はむくりと起き上がり、ゴミ袋を一枚取り出すと、一切合切を無言でその中にぶち込んだ。そのままゴミ捨て場へ行き、先ほどの脳裏の風景を現実に一致させると、呆然と家に帰って発作の余韻を歯ぎしりしながら噛みしめていた……
……と、もし話がここで終わるならば、馬鹿な野郎が一人で狂乱し、台無しにしたと言うだけで済む。しかし僕は大発作に見舞われていたので、そこでは止まることができなかったのである。結局寝られずに2時間ばかし横になったあと、またもむっくりと起き上がり、今度は車に乗り込んで一直線に目的地へ飛ばしはじめた。ついさっきゴミ袋にぶち込んだキットをもう一度買おうというのである。それが必要であり、それが当然なのであった。
人気があるのか、ないのか知らないが、そのキットは確かに置いてあった。僕は買うことができたのである。仮に売り切れていて、再入手が叶わなかった場合、これはもう「極大発作」に発展していたに違いない。しかし僕はニンマリしながらキットを手に取り、追加でいくつかのキットの購入をやらかし、店員さんに「楽しみですね」と言われ、それで照れて家に帰ってきた。
店員さん、あなたはご存じないでしょうが、あなたが親切に接客したのは発作のあとの静けさに過ぎないのですよ。あなたがそんなに親切にするのは割に合わない。むしろ罵倒されたほうがスッキリします。無論、あなたには知る由もないことですが、しかし、僕はどうも気が重いのです……。
これで、ガンプラにまつわる発作の話は終わりである。こう考えていくと、僕は、発作をアイデンティティにしているような感じがする。発作によってアイデンティティが生じ、発作的アイデンティティがまた発作を誘発し、その発作がまたアイデンティティを強化する……。こういう発作の連鎖がつまり僕という人間なのではないか。発作を嫌がりながら、発作によって自己を定義するのは、ようするに怠慢である。発作が嫌なら蹴り飛ばしてしまえばいいので、いつまでも発作に甘んじることは、発作を受容しているのとなにも変わらない。これでは人間的発作……いや、発作的人間だ。なむなむ。
しかし、僕は同時にこう言うこともできる。別に発作でもいいじゃないか。この世界全体が発作の産物だと、言ってしまえば言えるではないか。確かに僕は発作を起こす、だが、ビッグバンとはなんだろう? 聞くところによると、ビッグバンが宇宙の起源だという。ではそのビッグバンがどこから生じたか、それは誰にもわからないらしい。僕の考えでは、ビッグバンというのは「宇宙的発作」だ。現宇宙以前のなにかしらの要素が極大発作を引き起こし、それが宇宙規模にまで拡大して、すべてのものが発作的に立ち現れたのだ。だから、この世界それ自体が発作的なのも当然である。そこら中に発作があり、地球も発作であり、太陽も発作である。起源が発作なのだから、以降のすべてが発作の気質を持っているのに疑いはない。なぜなら、発作遺伝子とでもいうべきものがあらかじめ組み込まれているので、そのせいで、発作の輪廻を断ち切ることが不可能なのだ。
ただ一つ違うのは、宇宙的発作は世界を生み出すが、僕の大発作はせいぜいガンプラ一つぶち壊しにする程度にしか至らないということである。




