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『雑務係』と婚約破棄されたので、全部やめたら公爵家が三日で崩壊しました

掲載日:2026/03/20

 華やかな夜会の中心で、私の人生は劇的に切り離された。

 ――けれど、この家が終わる引き金になるとは、この時の彼らは微塵も思っていなかっただろう。

 婚約者である公爵嫡男、アルベルトが、隣に寄り添う妹のルミエラの腰を抱き寄せながら高らかに宣言する。


「アリアデル、君との婚約を破棄する! 君のような地味で取り柄のない女は、公爵家の嫁には相応しくない。これからは愛らしく才気溢れるルミエラが、私の隣に立つ!」


 周囲からは嘲笑の視線が突き刺さり、私の両親さえも「無能な娘がようやく片付いた」と言わんばかりに満足げに頷いている。私は手にした扇を静かに閉じ、感情を排した声で応えた。


「承知いたしました。では――私が担っていた『すべての雑務』を、本日をもって放棄いたします」

「ふん、雑用ごとき誰でも代わりはいる。とっとと出ていけ!」


 その言葉を聞いた瞬間、私の唇にはわずかな弧が描かれた。

 彼らが「ついで」と呼び、私が勝手にやっていると思い込んでいた仕事。

 ……笑わせないで。これらはすべて、私がこの家を確実に、そして無残に壊すために張り巡らせた「呪いの糸」だったのだ。

 老朽化した屋敷を維持するための魔導具の購入と、私自身の魔力供給。

 それは裏を返せば、私の魔力が途絶えた瞬間にこの屋敷が「瓦礫の山」に戻るよう、本来の強度をわざと削ぎ落としていたということ。

 偏屈な祖母の、昼夜を問わぬ献身的な介護。

 それは、私以外の手を拒絶するように彼女を飼い慣らし、私が去った瞬間に家族全員を「地獄」へ引きずり込む狂犬に仕立て上げるため。

 横領癖のある使用人たちの監視と、厳格な統制。

 私が綱を引いていたからこそ、彼らは辛うじて人間として振る舞っていた。綱を放せば、彼らは飢えた獣となって、この家の財産を食い荒らすだろう。

 そして、三割安で物資を引き入れる私独自の流通経路。

 商人たちは私個人に恩義を感じている者ばかりだ。私の署名がない注文書など、ただのゴミとして扱われる契約を結んでいた。

 これらすべてを、私は「この家を捨てるための準備」として、一手に引き受けてきた。

 鏡を見るたびに、「よく頑張ったわね」と自分に微笑みかけていた。

 虐げられ、無視され、雑務を押し付けられるたびに、私の計画は完成に近づいていった。

 愛など、とうの昔に捨てた。

 私がこの家を裏から「統治」していたのは、今日この日、彼らが絶望のどん底で這い回る姿を見るためだったのだ。

 何度もやめようと思った。何度も期待した。

 けれど、この家は一度も私を見ようとはしなかった。




 翌朝、私が最低限の荷物を持ってリビングへ向かうと、父は新聞を読み、母はルミエラの髪を撫でていた。私はあらかじめ用意していた「白紙の婚姻届」をテーブルに置いた。


「お父様。婚約が破棄された以上、私はこの家の恥晒しでしょう。せめてどこの馬の骨ともしれない男にでも嫁ぎ、二度と敷居を跨がないと誓います。……ですから、この婚姻届に親権者のサインをいただけますか?」


 父は鼻で笑い、ろくに中身も見ずにペンを走らせた。


「ああ、勝手にするがいい。お前のような地味な女を拾う男など、せいぜい借金まみれの男爵か、辺境の老人だろうがな」


 母も「顔も見たくないわ。二度と『実家』なんて言葉を使わないでね」と追い払うように手を振った。

 ――この瞬間、私は合法的にこの家と縁を切る「自由」を手に入れた。

 私はそのまま、あらかじめ手配していた馬車に乗り込んだ。

 向かった先は、同国の重鎮である軍務卿、オルファントス侯爵の邸宅だ。彼は以前から私の管理能力を秘密裏に高く評価し、不遇な私を救い出す機会を狙っていた。


「待っていたよ、アリアデル。……これで、君の籍は正式に我が侯爵家へと移った。今日からは私の妻だ」


 彼が差し出したのは、先ほど父がサインした婚姻届。そこにはあらかじめ、夫となるオルファントス様の名前が堂々と記されていたのだ。




 アリアデルが去ってわずか三日。公爵家という名の砂上の楼閣は、音を立てて崩れ落ちた。

 まず、食卓が戦場と化した。私が個人契約で繋ぎ止めていた一級品の商人たちは、私の署名がない注文書を「ただの紙クズ」として突き返した。代わりに届いたのは、市場で売れ残った泥臭い屑野菜と、異臭を放つ肉。


「なによこれ! 豚の餌じゃないの!」


 ルミエラが金切り声を上げ、皿を叩き割る。しかし、それを作った料理人もまた、私の「監視」という重しが外れたことで、すでにやる気を失い勝手に台所を去っていた。

 追い打ちをかけるように、屋敷そのものが悲鳴を上げる。

 私が毎日欠かさず魔力を注ぎ、綻びを埋めていた維持魔導具は、供給が途絶えた瞬間に暴走を始めた。

 真冬のような寒風が廊下を吹き抜け、突然の熱波がサロンを襲う。ついには限界を迎えた屋根の一部が、轟音と共に崩落した。

 降り注ぐ瓦礫。鳴り響く警報。それはまるで、主を失った家が自ら命を絶とうとしているかのようだった。

そして、決定的な地獄は屋敷の最上階から始まった。


「アリアデル! アリアデルはどこだい! 偽物を連れてくるんじゃないよ!」


 私が「私以外の手を拒絶するよう」に、優しく、そして執拗に飼い慣らした祖母は、私がいなくなった途端に猛獣と化した。食事を投げつけ、介助に入ろうとした使用人の腕を杖で打ち据える。


「お嬢様、もう無理です! 大奥様を抑えられるのはアリアデル様だけでした……! 私たちでは命が持ちません!」


 泣き叫ぶ使用人たちに突き飛ばされるようにして、ルミエラは祖母の部屋へと押し込まれた。


「ちょっと、離しなさいよ! なんで私がこんな薄汚い老人の世話を……ひっ!?」


 狂乱する祖母はルミエラを見るなり、その喉元を掴まんばかりの勢いで飛びかかった。高 価なドレスは祖母がぶちまけたスープで汚れ、自慢の髪は振り回される杖で無惨にかき乱される。社交界の華だったはずのルミエラが、今や汚物にまみれて祖母の怒号に怯え、泣き喚きながらおまるを片付ける羽目になったのだ。

 夜を徹しての祖母の介護、止まらない屋敷の設備トラブル、そして逃げ出した使用人たちの穴埋め……。不眠不休の心労で視界を霞ませた母は、暗い階段で足をもつれさせ、無様に転げ落ちた。


「あ、ああ……っ、足が……足がっ!」


 鈍い音と共に折れた足の痛み。誰も助けに来ない静寂。そのまま複雑骨折を負った母は、自らが「地味な雑用」と切り捨てた私の仕事が、どれほど残酷な献身であったかを、寝たきりの病床で嫌というほど思い知らされることになった。


「えっ? お金はどうするのよ! お母様を呼んで、早く宝石商に連絡して!」


 パニックに陥り、いつものように我儘を叫ぶルミエラに、執事が青ざめた顔で告げる。


「お嬢様……無理です。アリアデル様が自費で補填していた『家の運営費』は、あなたの社交費の三倍を超えていました。今ある全財産、そしてルミエラお嬢様が社交で使う予定だった予算……そのすべてを屋根の修理と母君の治療費に回さねば、この家は明日、破産いたします!」


 ルミエラの手から、新作のドレスカタログが力なく滑り落ちた。




 一週間後、オルファントス侯爵邸の門前に、異様な一団が押し寄せた。

 かつての婚約者・アルベルトだけではない。車椅子に乗ったまま包帯を巻いて泣き喚く母と、白髪が一気に増えて窶れ果てた父までもが、門番に縋り付いていた。


「アリアデル! 頼む、戻ってくれ! 私が悪かった、誤解だったんだ!」


 アルベルトは、かつての高慢さが嘘のように薄汚れた身なりで叫ぶ。


「家の中はめちゃくちゃだ! 屋根は落ち、金は底を突き、ルミエラは祖母上の介護でおかしくなっている。君がいなければ、我が家は今日にも路頭に迷うんだ!」


 車椅子の母が、震える声で追い縋った。


「アリアデル、ああ、私の愛しい娘……! あなたなしでは、私は痛み止めの一錠すら手に入らないのよ。あの地獄のような屋敷から、私を助け出しなさい。それが娘の務めでしょう!?」


 そこへ、軍務卿の正装に身を包んだオルファントス様が、静かに、しかし圧倒的な威圧感を伴って現れた。


「アルベルト君。それに公爵夫妻。……私の妻に、何か用かな?」

「つ、妻……!? 籍を移したのか!?」


 驚愕に目を見開く家族をよそに、オルファントス様は私の肩を優しく、それでいて独占欲を隠さずに抱き寄せた。


「君たちが『雑務』と切り捨てたそれは、もはや国家運営に等しい。彼女が回していた価値を理解できなかった時点で、君たちに公爵家を名乗る資格はない。……アリアデル、彼らが君の時間を奪う権利は、もう一分たりとも存在しないが、何か言い残すことはあるかい?」


 私は、地面に膝をついて泣きじゃくるかつての家族を、氷のような目で見下ろした。


「雑務係は不要だったのでしょう? ――どうぞ、優秀なルミエラ様と共にお幸せに。それが、皆様が望んだ『最高の選択』だったのですから」


「待ってくれ! アリアデル! 捨てないでくれえええっ!」


 門を閉める音と共に、彼らの絶叫は遮断された。




 オルファントス様の隣で受ける光栄は、あまりに眩しかった。

 ここでは、私のなす事すべてに正当な価値と称賛が与えられる。私が一筆書けば物流が動き、私が微笑めば、夫がそれを世界で一番価値のあるものとして受け取ってくれる。


『雑務』と呼ばれていたものは、すべて私の人生だった。――今はもう、誰にも奪わせない。


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― 新着の感想 ―
使用人が介護はしないで給料泥棒どころか横領までして犯罪者ですね。 祖母は実はボケてる様に見えてマダラに正気があってアリアデルの味方だったのでは?とか思ってしまいました。 仕事する長女の価値に気付い…
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