悪役令嬢の送辞 - わたくしから最後にこれを贈りましょう
転載はお断りします。
ここは、とある世界のとある国。
穏やかな風が、丁寧に調えられた庭園を渡ってゆきます。
ここは王都にあるアクィラ侯爵家のタウンハウス、その庭園の東屋に置かれた白い小さなテーブルセット。いつもはのんびりとお茶を楽しむ場所なのですが、今日は張りつめた空気です。
わたくしアレッサンドラの目の前ではこの国の王太子である第一王子殿下が優雅にお茶を召し上がっておいでです。殿下の護衛騎士は少し後ろに下がって控えており、声の範囲から離れてわたくしの侍女と護衛も近くにいます。
通常なら王宮へわたくしが招集されるというのに、大切なお話があるとのことで、殿下のご来訪を賜りました。
「急に時間をもらってすまない。王宮では人の耳があるからね」
「わざわざお運びいただき畏れ多いことでございます」
これからされるお話の内容を予測しながら殿下のお声を待ちます。
おそらく、わたくしと第四王子アヴァロ殿下との婚約解消に関するお話なのでしょう。
「話というのは愚弟のことだよ。あれは今度の夜会の場で貴女との婚約を破棄する。この動きではもう確定だ」
「‥‥‥ やはり、そうなりますか」
今度の夜会とは一週間後の王立学院の卒業パーティーのことです。
在校生が実行委員を編成し、卒業生を送る恒例行事で、卒業生とその父兄、在校生の実行委員、来賓の方々とかなり大人数の催しなのですが、そのような席で女性の尊厳を貶めようと画策するとは、わたくしに向けられた悪意の大きさに慄然としてしまいます。
どうしてそこまで拗れてしまったのか、もう、わたくしには理解できません。
「愚弟の有責であることは両陛下も理解しておられる。これまで妃教育に費やした貴女の時間や働きについての補償と慰謝は侯爵殿と話すことになるが不誠実なことはしない」
「‥‥‥‥‥‥ なぜ今? もっと早く解消していただきたかった」
わたくしを見る王太子殿下の視線は揺るぎなく、温かく優しいものでしたが、続いた言葉で気持ちが冷えてしまいました。
「こちらの準備に時間が掛かってしまったことは申し訳ない。で、さらに心苦しいのだが、貴女には当日、夜会を欠席せずに愚弟からの破棄宣言をその場で了承してもらいたい」
「衆目の下、わたくしに恥をかけと」
「あの愚物を担ぎ上げて都合よく使われては困るからね。取り巻きもまとめて止めを刺す」
「‥‥‥‥‥‥」
「貴女の貢献に報いることは約束しよう。こちらはこの依頼の契約書だ」
驚きました。
あの王子をこれまで放置してきた王家には絶望していたのです。
王子の醜聞はわたくしが全ての責任を負わされ、王家に使い潰されて処分されると思っていたのです。
「そんな顔をさせてしまったことも本当に申し訳なく思う。当日は両陛下の名代として私たちが夜会に出る。悪い流れにはさせないから任せてほしい」
書面に目を通しますと、夜会でのことの運びが書かれており、これならばと希望の持てる内容でした。
「あの、一つお願いがございます」
「ん、何? 遠慮せずに言ってみて」
「アヴァロ殿下の破棄宣言を了承したあと、わたくしからお別れの言葉を贈らせていただきたく存じます。あの方とお会いすることは、もうないでしょうから」
「そうだね、いいよ。キツい文句でも言ってやってくれ」
王太子殿下のご快諾をいただけたのでわたくしは契約を承諾しました。
「貴女が義妹になってくれるのをリーシャと楽しみにしていたんだがなぁ」
「そこだけはわたくしも残念に存じます。妃殿下によろしくお伝えくださいませ」
「では我々は失礼するよ。見送りは結構だ」
温かいお言葉をいただき、ずっと沈んで張り詰めていた気持ちが少し緩んでしまったようで、潤んでくる目を隠すように礼で顔を伏せ、王太子殿下をお送りしました。
「お嬢様、お茶をお取替えいたします」
「ありがとう。‥‥‥ ねぇ、ベラ。夜会はわたくしに付いてもらえるかしら」
「はい、もちろんです。嫌がられても参ります」
「うふふ。事が済んだらまた一緒に街に遊びに行きたいわね」
「そうですとも。お嬢様に萎れた様は似合いません。背筋を伸ばして、元気をお出しくださいませ」
ベラがハンカチを渡してくれます。学院での四年間に涙がこぼれます。
そうよね。王太子殿下のお話でこれから起きることと、王家は味方なのだと知れたのです。わたくしは救われました。
そうとなれば、くよくよしていられません。しっかりとあの婚約者たちに言ってやらねばなりません。
***
今から七年前、わたくしが一〇歳の時です。
第四王子アヴァロ殿下の婚約者候補を選ぶためのパーティーがありました。そこには初めて見るお菓子が並んできらきらと輝いていました。同じ年頃のご令嬢も何人かいらしたようです。
お母様と行儀作法の家庭教師から合格をいただいていたわたくしは特に萎縮することもなく殿下にご挨拶したのです。
「親愛なる第四王子殿下、アクィラ侯爵家が長女、アレッサンドラがご挨拶申し上げます。どうぞ見知り置きくださいませ」
ところが、それに対して、
「ふんっ」
ふん? そのご返事は習っていませんね、作法が違うのでしょうか、知らない言葉です。
「おほほほほほ、ではこれにて」
お母様が急いでわたくしを連れて会場を出ました。あ、まだお菓子を。
「あの、お母様?」
「あの小僧め、許さん!」
お母様がこれまで見たことのないお顔をしていらっしゃいました。
ひぃっ、これ話しかけてはいけないやつです。さようならお菓子。
屋敷に戻り、ドレスから部屋着に着替えて侍女のベラに蜂蜜入りの温かいミルクを作ってもらいました。ふぅ、温かくて甘くて慰められます。
「お母様は?」
「旦那様とお話しされています」
わたくしはいつもの優しいお母様に早く戻ってほしいと思いました。
はやくお菓子が食べられますように。
***
その五日後、お父様が仕事を終えて王宮から戻られました。
何か執務室のほうから騒がしい気配がします。
ベラがわたくしの部屋に来て扉に鍵を掛けました。
「どうしたの? 見に行って「いけませんっ! ここで嵐が過ぎるのを待つのです」」
嵐? お外はきれいな夕陽なのに? 不思議なことがあるのですね。
「断ってこんかいこのヘタレが! 何考えてる! あの子がどうなってもいいの? ぁあん?」
「や、ま、待って、事情、王命、ちょっ、投げなぶへぇっ」
「離縁して子供連れてこんな国出てっちゃるぁ!」
嵐こわいです。ピシャーン、ドムドムドム、グフ、ぎゃんと音がすごいです。
大きな声と物音が静かになり、夕食の時にお父様は頬が赤く腫れてお腹を押さえていました。お兄様が見ちゃダメと目で伝えてくるのでこくこく頷きます。
お母様はお部屋で召し上がるそうです。
わたくしも自分の状況は分かっているのです。
パーティーで王子殿下が礼を欠く態度であったこと、お母様がお怒りになったこと、お父様が婚約者候補になることを受けてこられたこと、お母様がお怒りになったこと、お兄様はわたくしに同情してくださっていること、侍女のベラは味方であること。
ベッドに入るとこれまで学んだ貴族についての知識が思い出されました。
「望まない縁組も強制されることがある、か。はぁ~、これが政略による縁組というものなのね」
仕来りのあれこれが、表面だけでなく中身がぎっちり詰まった物事の実感としてわたくしに押し寄せます。面倒過ぎて、眠くて気絶してしまいました。
翌朝、目を覚ますとベラが花瓶の花を替えていました。
「お嬢様、おはようございます。よく眠れましたか」
「ありがとう、ベラ。何も憶えていないわ。おやすみなさい」
「あははははは、そりゃあー」
「ちょっ! お布団返して、起きたくない寝ていたいのぉ」
「お嬢様、もう朝食なのでお着換えいたしましょ、さ」
ダイニングで朝食を食べ始めましたらお父様が昨日の話をされました。
わたくしは貴族の娘。あんな王子は嫌ですが王命とあらば致し方ありません、お家のためなら。あんな王子は嫌なのですホントにホント心底あんな
? おや、皆こっち見て、お母様? 抱きし、苦し、なにゅ?
「アリー、声に出してはいけないよ」
はぅあ! お兄様、もっと早く教えてくださいまし!
「アリーの気持ちはよぉく分かった。候補を降りられるよう慎重に対応していこう。もし婚約者になってしまっても解消できるようにがんばろう。皆も力を貸してほしい」
この日、第四王子殿下に関して我が家は一丸となったのです。
こちらに瑕疵を作らないよう、淑女教育も勉学もがんばりました。
***
十二歳の時でした。
見分を広めたいと下町見学をお父様に頼み込んだのです。
我が家の護衛は下町の事情にも明るいので指示に従う約束でやっと許可してもらいました。わたくしと侍女のベラが姉妹、護衛のジャンはベラの恋人の役です。
下町の服に着替えて、明るい昼間に行きました。活気のある市場で商品を値切るおばさま方、どんな場面も知らないことばかりで新鮮でした。
少し喉が渇いたのでなにか飲み物を買おうといくつか屋台が出ている広場にいったのですが、そこにはまだ昼間だというのに屋台でお酒を呑んでいる男たちがいました。皆、鼻が赤くってなんだか楽しそうです、ふふ。
「ここの払い、頼むな」
「ヤだよ馬鹿言ってんじゃねぇ。この前もその前も出しただろうが。今日はお前が払え。大体、お前なんでいつも来んだよ」
「なんだよ、グチグチ細けぇなぁ、お前みたいのをケツの穴の小せぇ奴ってんだ」
ベラが慌ててわたくしの耳を塞いだのですが聞いてしまいました。ジャンも顔をしかめています。
「ねぇベラ、あの人すごいこと言ったわ。どうやって知ったのかしら」
「そっち気になっちゃった? さ、行きますよ。まったく」
「え? まだなにも飲んでないわ」
「いいから! 他所に参りましょう。ほら、あそこなら座って召し上がれますよ」
その場しのぎの役づくりは無理と学びました。
憩いの地に向かうわたくしたちの後ろから男たちの大声が聞こえます。
「ぅるっせぇよ、てめぇの嫁がいっつも愚痴ってくんだよ俺に。酒呑ますなって。今頃家で泣いてんぞ」
「はぁああ? お前、俺の嫁泣かせたんか? 許さん!」
「なんでだよ、話を正しく聞けぇ!」
屋台の前で殴り合う男たち、賭けを始める野次馬さん。でも我が家の嵐に比べたら怖くもありません。
「下町って面白いところなのね」
「いやいやいや、あれは特殊というか違います。あぁ、来ましたね。こちらが流行の甘味ですよ」
「! なにこれ、冷たくて甘い! スゥッとなくなるのね、食べたことのない舌触りだわ」
ベラとジャンから下町見学の報告を聞いたお父様とお兄様は安易に外出許可を出したことを後悔し、お母様は「わたくしの血かしら」とこぼしたそうです。
下町は活気が溢れていて、乱暴だったりお馬鹿な人もいるけれど、皆、前向きで楽しそうでした。この国は住みよいところなのでしょう。王宮でお仕事をされているお父様のように大勢の方が国を支えている。わたくしも将来はそんな力の一つになれたらと思ったのです。
わたくしの将来。
あの王子を思い出して一気に気持が沈みました。
また楽しいことを探しに行きましょ、そうしましょう。
***
一三歳の時でした。
婚約者候補との交流とのことで、殿下から初めて外出のお誘いをいただいたのです。
初めてのことに張り切る侍女たちをお母様が宥めて、派手にならず可愛らしく着飾ってもらいました。そうして迎えの馬車が来て、扉が開いて第一声。
「ふんっ、地味だな、つまらん」
侍女たちに囲まれてお母様が屋敷の中へ連れていかれました。
当然ですが移動中の馬車の中で会話はありません。
その後、貴族街の有名なお菓子店に行ってお茶と甘味をいただいたのですが、
「じゃあ、お前出しておけ」
「お前?」
「殿下それはなりません、殿下が出しましょう」
侍従の人も支払いのことは諫めるのですがお前と呼んだのは素通しです。
「なんでだ? 嫌だ。はぁ~わかったよ、自分の分は出す。お前もそうしろ」
婚約者候補の、女の子に、お前? そんなことある?
わたくしはここで何をしているのでしょう。とても嫌な気持ちになりました。これは何? これが理不尽? 嫌です、この我慢は無用です!
「殿下、ここからはお一人でどうぞ。わたくしは、わたくしをお前と呼ぶ方とご一緒したくありません。御前失礼いたします。ベラ、帰りますよ」
「なんだお前? 僕は王子・・・・」
遠ざかる後ろでなんか言ってるけど知りません。
ベラとさっさと衛兵の詰め所に行き、侯爵家へ遣いを出してもらって迎えの馬車を寄越してもらいました。
これがいけなかった。
他の候補の子たちは馬車で迎えに来た時の暴言で泣くか、お店で泣くか、その後泣くかだったらしく、殿下に毅然と対したわたくしなら手綱を取れるだろうと婚約者に指名されてしまったのです。
他のご令嬢にもやったの? わざとか? 王家のやり方が嫌過ぎる。
野生動物はきちんと調教を終えてから人前に出せと思うのです。
家族で話し合ってあの殿下の気になる点を論い、お父様に改善必須として書面に認めてもらいました。こちらです。
婚約者候補との交流はない
手紙を出してもご返事はない
誕生日の贈り物にお礼を言われたことはない
誕生日の贈り物をいただいたことはない
相手を見下す、尊大な態度と言動
エスコートをしない(ご存じない?)
相手の話に耳を傾けない、無視する
相手の話を遮って自分の話をする
自分は偉いと自慢する
根拠は王子であることだけ
自分が誘ったデートでお金を払わない
相手の歩く速度に配慮がない
進む先を示さず自分勝手に行ってしまう
食べている最中にくちゃくちゃ音を立てる
口を開ける、しゃべる、口からこぼす
飲むときにずずずと音を立てる
食器を乱暴に扱い、大きな音をたてる
カトラリーを振り回して落とす
話していると徐々に声が大きく攻撃的になる
唾を飛ばす、口の端に涎が垂れている
掴みかかってくる(女の子に暴力的)
座っていると足をがたがた小刻みにゆする
鼻をほじる、出た塊りを人に向けて飛ばす
鼻の呼吸音が大きい(鼻の疾患では?)
爪に汚れが溜まっている(鼻をほじるから?)
指先がなにか臭う(手、洗ってます?)
お口が臭う(虫歯の疑い、歯磨きしてます?)
猫背、首が前に出ている
お母様が怖くて後がないお父様は、これが一年後の学院入学までに治らなければ婚約の白紙撤回という合意を陛下からもぎ取ったのです。
また、これがいけなかった。なぜ裏目にばかり。
国王・王妃両陛下、重臣方はこの指摘に驚愕し実態調査を断行。
その結果、殿下の実母である側妃殿下は遠い離宮に移られ、側妃殿下の付けた教師陣、使用人が総入れ替えとなり、それまでの我侭し放題の放置状態から厳格な教育に変わったことで学院入学に間に合ってしまったのです。
本人の努力もあったのでしょうが、教育の質の違いとは恐るべきものなのですね。
そのままの殿下でいてくださればよかったのに。
余計なことをと、恨めしく思わずにはいられませんでした。
***
十四歳で王立学院に入学しました。
入学試験の成績が上位だったわたくしは生徒会の役員に選ばれました。
最上級生の生徒会長は指導力に優れ、厳しさと優しさをバランスよく備えられた第一王子、卒業後に立太子されました。公爵家ご令嬢のリーシャ様は庶務、お兄様は書記、他には副会長、会計がおられました。それぞれの補佐に学年代表が入ることで運営が継承されていました。
生徒会の皆様は右も左も分からない庶務見習いのわたくしを導いてくださいました。
アヴァロ殿下は入学試験の成績が振るわず、同じクラスにならずに済んだとわたくしは喜んでいたのですが、殿下のクラスには高位貴族と繋がりを持つことに執念を燃やす狩人がいたのです。
狩人さんは、入学三か月後にはアヴァロ殿下を筆頭に同じクラスの数人の男子には人気者になっていました。わたくしは生徒会長と一緒にこの状況を確認し、陛下に婚約解消を願い出たのです。
しかし、入学前の一年で劇的な成長を見せたため様子を見たいと言われ婚約は解消されませんでした。この時ほど過去の自分を悔やんだことはありません。迎えの馬車からの初手:暴言に泣けばよかった。
それからずっと塞ぎ込んだ気持ちでほぼ一年過ごしていたのですが、生徒会長が卒業間近となった時、生徒会室でリーシャ様とお兄様、わたくしに婚約を解消しなかった理由を話してくださったのです。
「あの時、婚約を解消していたら貴女を隣国に取られていた。隣国の王子が相手を探していたのだ。私はこの後、王太子に、そして国王になる。その治世に貴女たち兄弟の力がほしい。だからあの時、私が、陛下に無理を言ったのだ。貴女の輝かしい時間を奪ってしまった、取り返しのつかない酷いことをした。誠に申し訳ない。しかし、どうか、この国で、私に力を貸してほしい。伏して願う」
「‥‥‥ どうか向き合ってお話しさせてください。わたくしはこの国が好きです。この国で力を尽くすのは望むところです。でも、できるだけ早くこの婚約を解消させてください」
しかし、その後、婚約は一向に解消されずに卒業の日を迎えたのです。
その間、アヴァロ殿下と狩人さんたちは頻繁にわたくしを誹謗中傷し、覚えのない非行の噂を流し、殿下を苦しめる悪役令嬢と貶めてきたのでした。
それもやっと終わるのです。
***
「アレッサンドラ・アクィラ侯爵令嬢、貴様との婚約を本日この時を以って破棄する。そしてこのコンラッテ・スプドゥラート男爵令嬢と新たに婚約する」
ようやく始まりましたか、色んな意味で。
「皆に聞いてもらおう。この女は酷い人間なんだ。僕がここに入学する一年前のことだ。僕の生活態度にあれこれ難癖付けてきて? 入学までに修正できなければ恥をかくって脅したんだ。王子の、この僕にだぞ?」
「殿下、脅しておりません。わたくしが何をせずとも、生活態度がダメな者は恥をかく、当然ですよね?」
「アーヴァ様がお可哀想。アレッサンドラ様、酷い、やっぱり悪役令嬢ですぅ。あたしだけじゃなくアーヴァ様も苛めていたなんてぇ」
「スプドゥラート男爵令嬢、わたくしへの誹謗中傷は許しません。それと気安くわたくしの名を呼ぶのは止めなさい、無礼ですよ」
「ほらぁ、そういうところですよぉ。身分で人を見下してぇ」
「まったく、貴様は細かいことをいつまでもネチネチと。いいか? この学院はな、平等を理念としているんだ、知らなかったか、ぇえ?」
「まぁ。王子であることを常に振りかざす殿下がおっしゃいますと破壊力が違いますわね。笑いを堪えて腹筋が鍛えられますわ」
「なんだと? ふざけるな! この僕が、わざわざこうして? 時間をとって、貴様の至らぬ点を? 教えてやっているんじゃないか、そのことにまず、礼を言うべきだろう、感謝もないのか? 呆れるな、これだから・・・・・」
はぁ、コルセットしなくて正解でした、小刻みな疑問形は何なのでしょう。
もう相手したくないですね。王太子殿下はいずこへ行かれたのでしょう。
ぁああずっるぅい、あのお肉食べてる! リーシャ様も!
わたくし一人働かせてからに。おのれ許すまじ。
「ベラ!」「テイクアウトを手配済みです」
よろしい、では参りましょう。
「アヴァロ殿下、婚約の破棄、承知しました」
あ、王太子殿下、戻ってきたわね。ちゃんと咀嚼なさいませ、もう。
「んんっ。‥‥‥ 傾聴せよ。陛下の名代として伝える。この時を以って第四王子アヴァロとアクィラ侯爵ご令嬢アレッサンドラ殿との婚約破棄を認める。そして次、これは王命である。アヴァロとそこな男爵令嬢?は婚姻し、二人は生涯、離婚は許さぬものとする」
「あ、兄上、え、婚姻?」
「きゃーっ、やったわ、あたしたちずっと一緒よ」
急な風向きの変化に戸惑うアヴァロ様にお胸ぐいぐい擦りつけますねあの女。悔しくありません、あんなの飾りです坊やな殿方には分からないのですわ。
「アヴァロ殿下、ご結婚をお祝いいたします」
「ふんっ。最初からそうしていれば余計な時間を掛けずに済んだものを。大体、貴様はいつもそうだ、昔、街に行った時も代金を自分の分しか払わずに途中で帰ったり、どれほど我侭なんだ、ぁあ? 返事の一言目は否定から始まって・・・」
観衆のアヴァロ殿下の今の印象は、
まだ続くの? 頭は大丈夫か? もしや重篤な精神疾患なのでは? と、いったところかしら。
皆の視線が痛ましげなものに変わりましたわね。覚悟なさいませ。
「アヴァロ殿下、詳しい自己紹介ありがとう存じます。殿方のお誘いで行った有名店での飲食代を全部払っておけと言われたのは殿下だけです。
そんな関係も今宵で終わりました、やっと。
このような公の場で婚約破棄と婚姻を成し遂げられた殿下へ、長らく婚約者を勤めさせていただいた悪役令嬢のわたくしから最後にこれを贈りましょう。
殿下にぴったりの二つ名、
ケツの穴の小さい男 ですわ」
会場が静まってしまいました。あ、これハズした?
いや、まだです。堪えるように鼻の奥でくぐもった音があちこちでします。
「!っ、ぐふぅっ、ぶふぁーっ、もダメだわははははは、堪え切れない」
「ふふふ、あっはははは、笑っては、うふふ無理ぃ」
一番に爆笑したのは陛下の名代、王太子殿下夫妻です。仕事したわね。
「よかったですわね、今宵、貴方は伝説となったのです。皆、貴方を忘れませんわ。貴方を見かけたとき、名前を聞いたとき、その度に思い出すのです。
あぁ ケツの穴の小さい男 か、と」
「貴方がなにか仰るたびに皆は思うのですわ。
おや ケツの穴の小さい男 が何か言ってるぞ、と」
「そしてご夫人となられたコンラッテ様。皆あなたをこう思うのです。
あの ケツの穴の小さい男 の、と」
「いやぁあ!」
「わ、笑うな! なにが可笑しい、僕は王子だぞ、僕を馬鹿にするなぁ!」
この際ですわ、鬱憤晴らしさせてもらいましょう。
「ほらぁ、そういうところでしてよぉ? 身分で人を見下してぇ。成人してこの喋り方は大変なんですぅ、わかってくださいませ」
「ひどぉい!」
「貴様ぁ! ぃ許さんぞぉ!」
「まぁ、威勢のよろしいこと。どうぞ周りをご覧くださいな、皆様、笑顔でしてよ? 愛されていらっしゃいますのねぇ」
「衛兵っ! この無礼な、‥‥ この無礼な、この」
「はぃい? この無礼な、なんですぅ? あら、お顔真っ赤」
そこへ大きく手を叩いて場を鎮めたのは王太子殿下です。
「はいはいはい、皆、静粛に。ぐふふふふ痛っ」
わき腹を妃殿下に小突かれつつお言葉は続きます。
「あーはいはい、二人ともその辺で落ち着いて。アヴァロ、君たち二人には陛下から直々にお言葉があるからこれから王宮へ移動してもらう。近衛の案内に従ってくれたまえ」
近衛騎士に包囲されてパーティー会場を出ていく二人にご挨拶をいたしましょう。
「では、コンラッテ様、ケツの穴の小さい旦那様とお幸せに。ごきげんよう!」
「なによそれぇ、やめてぇえええ‥‥‥」
爆笑と喝采に送られて出口へ消えてゆく姿はまさに今夜の主役でしたわね。
見送った王太子殿下は、先ほどとは違う真剣なお顔で会場の皆をぐるりと見渡します。
「さて、先ほどの婚約破棄について説明しておこう。よく聞いてほしい」
「この度の破棄については完全に第四王子アヴァロの有責である。アクィラ侯爵ご令嬢に瑕疵のないことは陛下の名代として宣言する」
王太子殿下は約束通り、わたくしと侯爵家の名誉を守ってくださいました。
「婚約はアヴァロの為として王命で侯爵家に折れてもらい結ばれたものであった。しかしながら、あの者は婚約の意図を理解せず、長年に渡って献身的に支えてくれた婚約者を蔑ろにし、貶めてきた」
「さらに、学院に入学してからは皆も知る通り、あの男爵令嬢に籠絡され、婚約者に謂れなき罪を着せ、身勝手にも今宵、婚約の一方的な破棄宣言に及んだ。これは王命への叛逆である。王家からあのような痴れ者が出てしまったことは誠に遺憾である」
「アヴァロは他にも罪を犯している。男爵令嬢に贈り物をするために歳費の横領、非公開情報の漏洩、侯爵家への非礼、婚約者ご令嬢への侮辱、などなど、など。男爵令嬢も教唆や実行で同じく大罪人である。二人はこの後、王宮で罪状を宣告され処断される。彼らを支援した者たちも相応の罰を受ける。この場に彼らの関係者が少ないのはここに来られない状況だからだ」
え? 処断て ‥‥‥、これは思った以上の大事になってしまいました、せいぜいどこぞに二人で放り出されて恥をかく程度の罰だろうと。
ベラ、どうしましょう、でも、出来ることなんてもうありません、よね?
「お嬢様、もう済んだことです。落ち着いて諦めなさいませ」
あなた、なんでそんな強いの?
「学生諸君、また、そのご父兄に伝えたい。学院が出会いの場という考え方も一つの側面として否定はしないが、学院が謳っている平等とは学習の機会が与えられることにある。身分や能力を度外視して、学院にいるから対等だと考えるのは本当に致命的な誤りなのだ」
「高位の貴族に縁付くことを意図して、正当な手続きに拠らずに他家の婚約婚姻関係に横やりを入れることは、この国では重大な反社会行為である。非常に厳しい制裁を受けることになるだろう」
「今回のような思わぬ事態とならぬよう、学生諸君は心して学び、学友と交流し、励んでくれたまえ。重たい話は以上だ。在校生の皆がせっかく用意してくれた場だ。卒業生の前途を祝おうじゃないか」
会場はほっとした空気に変わり、和やかさを取り戻しました。
ですが、わたくしはどうにも雰囲気に馴染めず、壁際にいってひっそりします。
王太子殿下のお言葉をいただいたとはいえ、皆の前で恥を晒したのです、婚約破棄と悪意の二つ名を贈ることで。
ん? 二つ名 ‥‥‥、贈った、わたくし。
あれ? ちょっと待ってください。
わたくしは ‥‥‥、あれは両刃の剣だったのではないでしょうか。
「うふふふふふお嬢様、今更過ぎます。ホント可愛らしい方ですねぇ、あははははは」
「ちょ、ベラ! 分かってたの? なんで教えてくれないの」
「何事も学び、実践あれ、ですから。奥様からも口止めされておりましたし」
お母様めぇ! あなたの娘ですと叫んでやりたい!
言ってやったことに後悔はない。けど、恥ずかしさが。
ぅう、お布団にくるまって悶えたい。
一人で赤面して悶々としていると、王太子殿下へ騎士が向かうのが見えました。
騎士から受け取った書面に殿下は爆笑されました。
「ぐふふふふふ、いや、すまない。あー、皆、聞いてほしい」
今度は何事かと会場は静まります。
「先ほど、二名の大罪人の沙汰について伝えたが、王宮で変更があったので周知する。ここでの出来事が伝えられたところ、陛下、ならびに重臣方は大変愉快と大笑されたそうだ。斬首ではなく『ケツの穴の小さい男とその妻』として生かされることとなった、ぶふっ。王家から除籍し一代限りの男爵位を授け、家名を『デルクーロ』とするとのことだ。皆、アヴァロ・ピコロ・ブッコ・デルクーロ新男爵夫妻を見かけたら気軽に声を掛けてやってほしい。
呼び名は、分かるな? ふふふはははは痛ぁっ」
妃殿下に扇で小突かれた王太子殿下に皆、堪え切れずに会場が笑いに包まれました。
なんと、斬首は免れたと。あの二つ名のおかげで。ふふっ。
寝覚めが悪くなりそうでしたから、よかったと思っておきましょう。生きていくのも茨の道でしょうが、今宵、わたくしも背負ったのです
「アレを名付けた女」という二つ名を。
***
わたくしは学院の卒業後、文官登用の特別試験に備えて社交の場は遠慮していたのですが、ご婦人方が我が家にわたくしを訪ねてこられるようになりました。態度の悪い御夫君や子息に二つ名を授けてほしいと。普段のご様子やお悩みを伺いながら一緒に悪口を考えるのは、少し楽しくもあるのです。
「ねぇ、ベラ、ジャンとはどうなの?」
「んなぁ! どうして? いつバレて?」
「うふふふふふ、お幸せにね」
「これからもずぅっとお側におりますからねっ。ジャンもです」
「頼りにしてるわ。これからも、ずっと」
本作、これにて終幕です。
読んでいただきありがとうございました。
2025/11/27 追記:
大勢の方が読んで下さったことに感謝しております。励みにさせていただきます。
誤字のご指摘をいただきましたがわたくしの選択でしたので修正はしておりません。お時間を費やしていただきまして恐縮至極です。どうぞあしからず。
拙作の誤字報告機能はオフにいたしましたのでお知らせまで。
198964-5




