アスターリオン公爵家の忌み子〜ごめんなさいお姉様と言われる度にそのわざとらしさが大嫌いだった。どうして産んだんですか?夫婦なんですから生まれて来なければと後悔するなら自分達の行動の結果では?〜
ディリス、と誰もがそう呼ぶけれど、響きにはいつも嘲りが含まれているように感じていた。
アスターリオン公爵家の長女でありながら、日陰に咲く雑草のような存在。
父である公爵は目を向けず、母は冷ややかに見つめるばかり。
なぜか?
それは、生まれながらに持っていた性根のせいだと、彼らは口を揃えて言う。
一人の義妹がいて、名をコフィンという。
金色の髪は太陽のように輝き、空色の瞳は澄んだ湖のよう。
美しいのだ。
彼女はまさに愛されるために生まれてきたような存在。
思い出す。
家に引き取られたのは、彼女が生まれる数年後のこと。
実家は没落貴族で、公爵家の庇護を受けなければ生きていけない状況だったとか。
幼い頃から、コフィンの姉として扱われた。
笑う。
姉という言葉には、彼女の引き立て役という意味しか含まれていない。
誰からも愛された。
違和感を覚えるほどに。
乳母は彼女の愛らしさに頬を緩め、教育係は彼女の聡明さに目を細める。
おかしいと誰も言わない。
父と母は、これでもかと溺愛した。
誕生日は盛大に祝われ、彼女のささやかな願いはすぐに叶えられた一方、誕生日は誰も覚えていない。
誰も。
一人も。
願いは、誰も耳を傾けてくれない。
「ディリス、あなたは何て意地悪な子なの」
幼い頃、コフィンが姉のお気に入りの人形を壊してしまった時、母はそう告げた。
コフィンは涙ぐみながら「ごめんなさい、お姉様」と謝ったが、瞳には悪意の塊が宿っていたのを見逃さなかったが。
それでも、母はこちらを咎めるばかりで。
「コフィンはわざとじゃないの。あなたがもっと優しくしていれば、こんなことにはならなかったのよ」
は?
と思っても、何も言えなかった。
言っても無駄だと知っていたから。
何かが冷たく凝り固まっていくのを感じ、愛されないという事実が、歪ませていく。
感情を表に出さなくなり、心を閉ざした。
笑顔は作れても笑顔の裏には、いつも冷めた視線と、誰にも理解されない孤独が隠されている
十五歳になった年、アスターリオン公爵家に、貴族の若様が訪れた。
彼の名は、セスイッグ・エルシュタイナー。
相手は、若くして領地を治める優秀な貴族で、容姿も申し分ない。
社交界では、一人を巡って多くの令嬢たちが噂しあっていたが、セスイッグは誰も選ばなかった。
皆がヤキモキして。
ある日、舞踏会が開かれる。
公爵家主催の、盛大なものを。
地味なドレスを身につけ、壁の花になっていた。
いつものこと。
コフィンは、きらびやかなドレスをまとい、多くの貴公子たちに囲まれていた。
セスイッグもまた、コフィンの隣に。
彼らは楽しそうに談笑し、胸に刺さるような笑い声が聞こえてくる。
夜に庭に出ていくと冷たい夜風が、頬を撫でる。
満月が、雲間から顔を覗かせていた。
寂しい。
光は、さらに孤独に感じさせた。
「ディリス様」
不意に声をかけられ、振り返ったそこに立っていたのは、セスイッグ。
「こんなところで何をされているのですか?」
彼の声は、他の貴族たちのようにわざとらしい甘さを含んでいなかった。
ただ、静かに、問いかけてくる。
「……月が綺麗で」
そっけなく答えた。
一人でいるのならば、一人で立っている以外にないだろうと、言いたくて。
話しかけてくること自体が珍しいことだった。
興味を持つはずがない。
そう決めつける。
「確かに、今宵の月は美しい」
セスイッグは隣に立ち、同じように月を見上げた。
沈黙が流れる。
沈黙は決して不快なものではなかった。
久々に、誰かとまともな会話をした気がする。
「ディリス様は、あまり舞踏会でお見かけしませんね」
静かに言う。
「ええ、こういう場は得意ではないので」
自分でダメージを受ける。
「そう、ですか」
視線が向けられているのを感じた。彼から意図的に視線をそらす。
「コフィン様とは、姉妹仲良くされていると伺いました」
ピシリと心臓が凍りついた。
やはり、そうくるか。
誰もがコフィンを褒め称え、陰にいるこちらを憐れむか、あるいは蔑むか。
彼も?
「……ええ、まぁ、そうですね」
精一杯、平然を装って答えた。
しかし、心の中では、嘲笑が響く。
仲良く?
ふざけるなと言いたくなる。
その日から、セスイッグは時折、話しかけてくるようになった。
とても奇妙な体験。
今まで誰も興味を持たなかったのに彼は、何を考えているのか、何を好きなのか、静かに尋ねてきた。
変な男。
素っ気なく答えても、根気強く接した。
違う日には、図書館で古い魔術書を読んで、密かに魔術に興味を持っていたが、家では誰も興味を気にかけることなどない。
こちらも向こうの好むものに興味がないから、お互い様だ。
「ディリス様は、魔術がお好きなのですか?」
後ろから、セスイッグの声がした。驚いて本を閉じる。
「……少しだけ、です」
「そうですか。魔術には少しばかりの心得があります」
今読んでいた魔術書に、目をやった。
「古き時代の禁忌術。これは実践するには危険な書物ですが、理論は非常に興味深い」
魔術書のページをめくった。
書かれている難しい術式を、淀みなく解説し始めるので、驚きを隠せない。
密かに抱いていた興味を、看破したかのように知っている。
セスイッグは、抱えていた孤独を、少しずつ溶かしていく。
ちょっとだけ心が癒される。
会話は、今まで感じたことのない安らぎを与えた。
彼になら、少しだけ心を開いてもいいのかもしれない。
だが、ささやかな幸福は、長くは続かなかった。
許されないことだったのだろう。
ある日、父が呼び出したので話を聞く。
「ディリス、お前に縁談が来た」
父の言葉に、驚きを隠せなかった。
今?
縁談?
「相手は、辺境の男爵だ。年は少々老いているが、領地はそれなりに豊かなようだ」
父は、顔も見ずに言った。
まるで、売り払うかのようにである。
「なぜ、私に」
「コフィンは、もう少し良い縁談を探す。お前は、家にとって必要のないものなのだから、早いところ出て行ってもらった方が助かる」
心臓が凍りついた。
必要のないもの。
心に深く突き刺さった。
その夜、セスイッグに会う。
彼に、父から言われたことを話して、話を聞き終えると静かに言った。
「私はあなたを手放すつもりはありません」
目を見開いた。
期待していなかったというのに。
「私は、あなたを愛しています、ディリス」
ここまで思われていたなんて。
告白に、心は激しく揺さぶられた。愛?
この嫌われ者を?
誰も愛さないと思っていたのに。
「しかし、私は……」
「あなたがどんな過去を背負っていようと、 あなたを愛しています。だから、一緒に来てほしい」
真剣な眼差しに初めて、愛される喜びを感じた。
彼と共にこの家を出ることを決意した。
それでも、それさえ。
決意は、すぐに砕け散ることになる。
セスイッグと共に父に会いに行って、結婚を申し出た。
しかし、父は一瞬も迷わず申し出を拒絶。
「セスイッグ殿。それはできません。ディリスは、辺境の男爵に嫁ぐことが決まっている」
「公爵、なぜです?私はディリス様を愛しています。エルシュタイナー家はアスターリオン公爵家と肩を並べるほどの家柄です」
「それは理解している。だが、これはアスターリオン公爵家の決定だ。貴殿に口出しされる筋合いはない」冷たく言い放たれる。
「お父様!」
思わず声を上げると、父は睨みつけた。
「お前は黙っていろ、ディリス。お前の意見など、この場では何の価値もない」
セスイッグの表情が険しくなった。
「公爵、このままでは、アスターリオン公爵家とエルシュタイナー家の間に亀裂が生じますよ」
有無を言わせぬ声で反論。
その時、部屋の扉が開き、コフィンが入ってきた。
「お父様、セスイッグ様!」
コフィンは、セスイッグに駆け寄り、腕に抱きつく。
抱きつく必要性はないのに。
「セスイッグ様、私、あなたがいなくて寂しかったわ」
コフィンは、上目遣いでセスイッグを見つめた瞳には、涙が浮かんでいた。
セスイッグは、一瞬たじろいだように見えたが、すぐにコフィンから腕を離す。
「コフィン様、今は大事な話をしている」
「でも、私、セスイッグ様と結婚したいの!お父様、お願いよ!」
コフィンは、父にすがりつき、泣き始めた。
父は、コフィンの頭を撫でながら、セスイッグを見る。
「セスイッグ殿。見ての通りだ。コフィンは貴殿に夢中でなぁ。ディリスなどよりも、コフィンの方が貴殿にふさわしい」
血の気が引いた。
まさか、最初から仕組まれていた?
コフィンとセスイッグを結婚させるために、姉を邪魔者として辺境に追いやろうとしていたのか?
実子なのに。
もう一人の娘なのに?
セスイッグはこっちを見た。
瞳には、迷いの色が宿り、絶望で満たされる。
「公爵、それは……でき」
拒絶が中途半端に止まる。
「セスイッグ様、捨てないで、私と結婚してっ」
コフィンは、セスイッグの袖を掴み、さらに涙を流した姿は、あまりにも可憐で、守ってあげたくなるような存在。
ああ。
セスイッグは、深く息を吐いた。
そして、背を向けた。
「……申し訳ありません、ディリス様」
苦しそうだった。
関係ない、そんなの。
その場で立ち尽くし、心臓が、まるで砕け散ったかのように痛む。
「嬉しい!セスイッグ様!」
コフィンは、歓喜の声を上げて、セスイッグに抱きついた。
父と母は、満足そうに笑う。
コフィンと母は共にいたらしい。
自分だけがそこにいる意味を失ったかのように、茫然と立ち尽くしていた。
その日の夜に、屋敷を抜け出した。
他者から見たら幽霊かと見間違えられるほど、ふらついていたと思う。
どこへ行けばいいのか、どこにも行く宛などなかったけれど、どうでもいい。
この場所から、醜い世界から、逃げ出したかっただけなのだから。
命さえ、どうなっても構わない。
向かったのは、昔、母から「近づくな」と言われていた森。
その森は魔女の森と呼ばれており、迷い込んだ者は二度と戻れないという言い伝えがあったけどね。
笑う。
死んでも構わないと思ったし、こんな世界で生きていても、何の価値もないと突き進む。
森の奥へ進むと、あたりは深い闇に包まれた。
元々気持ちも暗いから、心地よさもある。
木々のざわめきが、嘲笑っているかのよう。
全てに拒絶されているのだ。
どれくらいわ歩いただろうか。
足が疲弊し、もう一歩も動けなくなった時、視界の隅に奇妙な光が見えた。
暗闇の中で妖しく輝く、紫色の光。
光に誘われるように、足を踏み出した。
もっともっとと誘われて、フラフラとなる。
光の先には、朽ちかけた祭壇。
祭壇の中央には、美しい女性が立っていた。
首を傾げて近寄る。
彼女の髪は夜のように黒く、瞳は血のように赤い。
身に纏うドレスは、闇そのものの色。
「あの……あなたは?」
震える声で尋ねると、女性はゆっくりと顔を向けた。
「ここは、魂が安らぎを求める場所。復讐を誓う者たちが集う場所」
どこか懐かしい響きを持っていた。
聞き心地がよい。
「私を、誰かと間違えていませんか?」
「いいえ、間違えてなどいないわ、ディリス。あなたは、愛されぬまま、孤独に打ちひしがれてこの場所へ来たのでしょう?違う?」
息をのんだ。
なぜ、彼女が知っているの。
「あなたは、この世界で愛されず、蔑ろにされ、裏切られた。憎しみ、絶望を捧げなさい」
相手は手を差し伸べた。
手は、冷たい氷のよう。
白くて、今にも凍りそう。
「憎しみを捧げれば、あなたは、世界を変える力を手に入れることができる、と言ったら?」
心に、一つの感情が沸き上がった。当たり前だが、憎しみである。
父への憎しみ、母への憎しみ、コフィンへの憎しみ。
今日はセスイッグへの憎しみが生まれたばかり。
裏切った全ての人への、深い憎しみ。
差し伸べられたその手を掴んだ。
「全てを憎みます。世界を、全てを」
女性は満足そうに微笑んだ。
体の中に、冷たい力が流れ込んでくる、闇の魔力。
「ようこそ、我が眷属。あなたの名は、これより別のものとなるわ。今までの響きは捨ててね」
女性の声が響き渡り、意識は闇に包まれた。
目が覚めると、見慣れない場所にいて、地下深くに広がる、広大な空間。
祭壇の女性は隣に立っていた。
「ここは、あなたの力が目覚める場所。復讐が始まる場所」
師、と呼ぶように言った。
彼女は、闇の魔術を教え始めたて心に宿る憎しみが、魔術の源となるそうだ。
頷く。
師の下で修行を重ねた。
何度も試行錯誤を重ねる。
魔術の力は、予想をはるかに超え、空間を歪め、時間を操り、命を奪うことさえ可能。
ひたすら力を求めた。
たくさん、毎日を繰り返す。
強くなれば、もう誰も蔑ろにすることなどできない。
強くなれば、裏切った者たちに、報復することができると。
数年の月日が流れた。
弱々しいディリスではなかった。
瞳には冷たい光が浮かび、表情には一切の感情が読み取れない。
魔女ディリスとして、生まれ変わったのだ。
ある夜、師が言った。
「時が来たわ、魔女ディリス。あなたの復讐を始める時が。用意はいい?」
「完全に把握してます」
頷き、ターゲットを見据えると久しい我が屋敷、アスターリオン公爵家へと戻った。
屋敷の門をくぐると、警備の兵士たちが止めようとしたが、放った一瞥だけで恐怖に怯え、崩れ落ちる。
たわいもない。
やはり鍛えた分、強くなれた。
迷うことなく、公爵の執務室へと向かう。
今行くわ、と。
扉を開けると、そこにいたのは、父と母、コフィン。
彼らは生きて戻ってきたことに、驚きを隠せないようだった。
ふふ、笑える。
その驚き顔。
「ディリス……お前、どうして」
父が震える声で、なにか言っている。
「どうして、ですか?貴方たちは、辺境に追いやろうとしたのでしょう?邪魔者として、排除しようとしたのでしょう?別に生きているかどうかなんて、気にしたことなんてないくせに」
声は、どこまでも冷たかった。
「ディリス、一体何を言っているの?あなたは、もうこの家の者ではないのよ」
母が睨みつけた。
「この家?愛さず、利用するだけ利用したこの家が、何だというのです?」
コフィンは変化に怯えている。
「私を冷遇したのは厳しかったあなた方の両親、つまりお祖父様とお祖母様の顔に似ているから、私を代わりにしてその時の憂さ晴らしをしたと、知ってるんですよ?さぞ、スッとしたでしょうね」
彼女は、セスイッグの後ろに隠れるようにしていた。
ああ、この男もいたのか。
「私の性格や態度が問題じゃなく、顔ですよね?いい加減な嘘で実の娘を寄ってたかって、皆でいじめ抜くなんて。私によくあなたが悪いなんて、言えましたよね」
家族団欒でも、していたらしい。
セスイッグもまた、魔女の放つ異様な気配に警戒している。
「ディリス様、一体何を企んでいるのですか?」
セスイッグは、剣に手をかけながら言った。
「企んでいる?私は、ただ、報復をしに来ただけです。それに、私にその口の聞き方は、なに?」
手から闇の魔力が放出された。
力は、部屋の中の家具を粉々に砕き、壁をえぐり取る。
父と母は、恐怖に顔を歪ませた。
コフィンは、セスイッグの腕にしがみつき、震える。
「お前、まさか……魔女になったのか!?」
父が叫んだ。
「ええ、そうです。貴方たちが追い詰めた結果、魔女になりました。反省してくださいね」
瞳は冷たく輝く。
楽しい。
「貴方たちには、苦しみを、絶望を、身をもって味わってもらいましょう。じゃないと、割に合わないですし」
再び魔力を放とうとしたその時、セスイッグが前に出た。
「ディリス様、やめてください!あなたはあの、優しいディリス様ではないのですか?」
優しいディリス?
そんなもの、最初からいなかった。優しさを奪い去ったのだ。
全て、全部。
「名前を呼ぶ資格はないでしょう、セスイッグ。貴方は、私を裏切った。コフィンの、稚拙な芝居に騙され、私を捨てた。なのに、名前をまだ呼べるなんて、あなたも所詮クズでした」
セスイッグの顔色が変わった。
クズ、という言葉が余程、きつかったらしい。
「私は……あの時、公爵に脅されて……コフィン様の頼みもあって……だから」
「言い訳など、聞きたくありません。あなたは、自分の意思で私を裏切った。それだけです。違うとの言葉も、今ではなんの意味もない」
コフィンは果敢にも、睨みつけてきた。
「お姉様!セスイッグ様を愛しているのは本当よ!あなただって、セスイッグ様のことを諦めて祝福してくれたら、こんなことにはならなかったのに!」
コフィンの言葉に、怒りが頂点に達した。
祝福?
あなたは、一体何を言っている。
「蔑ろにし、裏切り、祝福を求めるというの?図々しいにも程がある。さすが、クズね?この家の中で一番タチが悪い」
コフィンに手を向けた。
手のひらから、闇の魔力が奔流のように放たれる。
魔女に言い放つなんて、どういう教育をしているのか。
両親の顔を見てみたい。
「きゃあああああ!いやあああああ!やめて!」
向けただけでやたら、煩い。
コフィンは悲鳴を上げ、セスイッグが彼女を庇うように前に立つ。
今更、前にたっても。
「やめっ」
魔力はセスイッグを吹き飛ばし、コフィンの体を直撃した。
「ガッ!」
着弾がうまくいくと、気分がいい。
コフィンは、そのまま床に倒れ伏した。
悲鳴をあげて、転がる。
彼女の美しい顔は、苦痛に歪んでいた。
「うぐ!」
「コフィン!」
父と母は、コフィンに駆け寄り、その体を抱きしめた。
「お前など、いなければよかった!」
母がこちらへ向かって叫んだ。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、お母様。貴方たちこそ、私を愛さず、なのに産み落とした。罪は、決して許されない。どうして産んだんですか?あなた達は夫婦なんですから、生まれて来なければと後悔するなら自分の行動の結果では?」
さらに魔力を高めた。
「責任転嫁しないでください」
部屋の中は、闇のオーラに包まれ、息苦しいほどの圧力が満ちる。
「アスターリオン公爵家は、今日で終わりです。あなたたちが私にした仕打ち、全て返してあげましょう。恩返し、というものです」
周りに、無数の闇の剣が現れた。
それらは、一つ一つが憎しみの塊。
美しい剣。
「お父様、お母様、私をこんな目に遭わせたこと、後悔させてあげますから。分かりやすく、あの日の悲しみを物質として、現してみました」
言葉と共に、闇の剣が、父と母、そしてセスイッグとコフィンに襲いかかった。
「ぎゃあ!ぐふっ」
悲鳴が響き渡る。
「ひゃあ!あっ」
光景を冷たい目で見つめていた。
「助けて!お願い!」
心は、何一つ揺れることはなかった。
彼らの体が、闇の剣によって傷つけられていく。
「許して!」
特に、彼らを殺すつもりはなかった。
「親を殺すなんて!」
殺してしまっては、すぐに楽になってしまうから。
「殺しはしませんよ?」
同じ苦しみを、絶望を味わわせてやりたかった。
「ううっ」
彼らは、血を流しながらも、かろうじて生きていた。
「ふふ、よい顔になりました」
顔は、ちゃんと恐怖と苦痛に歪んでいた。
「お、おね、さま」
倒れ伏す皆の前に、ゆっくりと歩み寄った。
「これで、少しは、私の気持ちが分かったでしょう?愛されない孤独、蔑ろにされる絶望、裏切られる痛み。まぁ、こんなことで分かられても困るのですけれど」
声音は、どこまでも響き渡る。
「あなたたちがした仕打ちは、これで終わりではありません。これから、貴方たちの全てを奪い去ります。名誉、財産、愛しいもの全て。これは終わりじゃなくて、始まりです。サプライズって、いうのですが」
そのままアスターリオン公爵家を去った。
居座って、恐怖で支配するのも一興ではあるけど。
屋敷を出ると空には、真っ赤な満月が浮かんでいた。
心に燃え盛る、復讐の炎を映し出している。
綺麗。
ゆったり歩く。
鼻歌も歌う。
「なんて、いい気分」
その後、国で魔女として恐れられる存在となった。
目的は、ただ一つ。
傷つけた者たちへの復讐。
じわじわと何年もかけた。
アスターリオン公爵家の勢力を削ぎ、財産を奪い、築き上げてきた全てを破壊。
父と母は、公爵の座を追われ、貧しい生活を送ることになった。
「やめてよ!もうやめて!」
こちらをお門違いにも、憎み。
呪いのごとく、言葉を続けるばかりだったが、もう、彼らの言葉など届かない。
周りも、魔女に狙われたもの達に関わり合いになどなりたくない。
だから、あっという間にあの人達の周りは干上がることに。
ざああ、と。
コフィンは襲われた傷が原因で、以前のように自由に動けなくなった。
眩いばかりの輝きを失い、見る影もない。
愛されなくなってしまう。
誰からも。
過去の己のように。
愚かな男、セスイッグはコフィンを献身的に支えていたが、顔には疲労と絶望の色が濃く表れていた。
ただでさえ、疲れているのにコフィンは責めてばかりだから。
あなたのせいよと、責任転嫁。
止めを刺したのは、男だと家族達は責める。
彼らは、貴族として、人として何の価値もない存在に堕ちたのだ。
復讐は、全て成功。
傷つけた者たちに、相応の報復を与えられた。
困ったこともある。
魔女の心には、何の感情も残っていなかった。
復讐を成し遂げた喜びも、苦しめた優越感も、何もなく。
そこには、深い虚無感だけしかない。
夜の闇に紛れて、逃げ込んだ魔女の森へと戻った。
祭壇には、師の姿。
待っていたらしい。
「復讐は、終わったようね」
師は、静かに唱える。
「ええ、全て終わりました」
「それで、あなたの心は満たされたの?」
師の問いに何も答えられなかった。
満たされたのか?
分からない。
満たされてない。
「孤独に抗い、憎しみを力に変え、復讐を成し遂げた。その先に、何を見つけた?見つけられた?」
静かに首を横に振った。
何も、見つからなかったとわかっている。
師は、ゆっくりと前に歩み寄った。
むくりと顔を上げる。
「人間は、愛されることで喜びを感じ、愛することで幸福を感じる。あなたはね、その全てを奪われ、憎しみの中で生きてきた。だから、あなたの心には、虚無しか残らなかったの。人の心は複雑なのよ」
師の言葉は、心を深く抉った。
「では、私は、どうすれば……わかりません」
「あなたにはまだ、生きる意味がある。力は、まだ、世界の役に立つことができる。憎しみではない、別の感情のために使ってみるのも良いでしょう。まぁ、無理強いはしないわ」
師は背を向けた。
「これからは自分で道を探す番よ、可愛い子、ディリス」
暫くぼんやりしていたが、気を取り直して見繕う。
そうっと、魔女の森を出た。
「いいことをしろと言うの?冗談でしょ」
空には、再び満月が浮かんでいた。光は、以前のように冷たくこの心を凍らせるものではない。
これからどうすればいいのか、まだ分からない。
師の言葉が、かすかな希望の光を灯す。
憎しみではない、別の感情のために、力を使う?
それは、一体どんな感情で?
冷たい月の光の下を、一人歩き出した。
旅はこの先の道で、何を見つけ、何を感じるのか。
自分の答えを見つけられるだろうか。
与えられた、最後の試練。
「私は一人だけ。でも、昔と違って、どうとでもなる」
独り立ちは、寂しさも寒さもなく。
「にゃあ」
「え、あ、猫……ちゃん」
子猫だろうか。
可愛い。
すりすりと靴へ擦り寄る子猫。
薄汚れていて、気配を探るが親猫はいない。
布を取り出し、こちらの匂いをつけないように気をつけて声をかける。
「お母さんを、探してあげる」
撫でたいが、我慢。
試練はもう訪れていたが、可愛い試練に口元は緩んでいた。
⭐︎の評価をしていただければ幸いです。