思いを綴る__月と太陽
みなさんは、月と太陽のどちらが美しいと思いますか?
こう聞かれたとき、多くの人は「月」と答えるでしょう。私もそうです。
古くから、日本人にとって月は美しいものでした。日を重ねるごとにその姿を変化させ、私たちに少しの楽しみをくれました。
「今日は三日月だよ。」
「満月が綺麗だよ。」
「今日はお月様が大きく見えるよ。」
といった具合に。
では、太陽はどうでしょう?
太陽、と聞くと、エネルギッシュでパワフルなイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。「美しい」というと、何か少し違和感のある表現だ、と感じてしまいます。
自ら輝きを放っているのは、彼女なのに_____
月は自ら光り輝いているというわけではない。これは小学生の頃には習うことでしょう。
しかしながら、我々は自ら輝いているものよりも、ただ他人に照らされて光り輝いているだけのものの方が「美しい」と感じてしまうのです。そしてこれは人間の場合でも同じではないでしょうか。
美しいものの裏には、それを輝かせるために自らが輝いている、つまり、努力している人がいます。もちろん、その美しいもの自体が努力をしていないというわけではありません。ただ、その努力が他人に認知されるかされないかという大きな差があります。
例えば、アイドルなんかはわかりやすい例でしょう。
彼らは「美しい」ものです。その美しさを表に出すために、彼らはダンスや歌を練習し、美容等にも気を使うことでしょう。これらは多大な努力といえます。しかし、その美しいものを輝かせるためのメイク、衣装、照明、映像、広告など、表には出ない努力もまた大きいのです。
ですが、最終的にはアイドルの努力のみ表に見えるようになり、それを輝かせているその他の努力など表には到底見えない。
今回、わかりやすい例としてアイドルをあげただけで、これは私たちにも当てはまります。
学生時代の輝かしい行事の思い出の裏には、その運営のために先生方や一部生徒の努力があります。修学旅行なんて特にそうです。私たちは楽しんだだけですが、先生方は旅行会社の方々とやり取りを行い、多くの試行錯誤を重ね、夜中まで学校に残り、作業してくださっています。でもその努力は私たちの目には見えません。
私たちが当たり前のように生活できるのは、あるいはできていたのは両親のおかげです。でも、両親が必死に仕事をしているところなんて、多くの人は見たことがないでしょう。
このように、私たちの生涯には多くの「美しいもの」が存在しますが、その裏には数えきれないほどの努力があり、表には出ないそれこそが真の美しいものではないでしょうか。
しかし、太陽の努力が目に見えてしまっては、月は真の意味では輝けません。それらの努力や苦労が表に出ないからこそ、世の中の「美しいもの」が輝けるのもまた事実です。
私たちは「月」の存在ばかりに目をやっていますが、その裏には必ず、月以外の存在の努力が隠れています。そして、その「太陽」の存在が隠れているからこそ、月は美しさを保てるのです。太陽と月とが同時に空に出ていては、月の存在は薄れてしまいますから。
ですが、私は思うのです。どんなに他のものが太陽の存在に気づけなくても、月だけは太陽のありがたみを忘れず、大切にせねばならない、と。
月は太陽なしには輝けないのだから。