17.眼鏡美少女に接近戦を仕掛けてみた
ゴールデンウィークを間近に控えた昼下がり、刃兵衛は屋上で昼飯を食おうと階段を上った。
既に何組かの先客が居たが、彼はお構いなしに適当な場所で腰を下ろし、レジ袋からコンビニで購入した握り飯を取り出した。
(あー、失敗した……ここの鮭握り、めっちゃ微妙やんか)
内心でぶつぶつとぼやきながら手早く平らげ、のっそり立ち上がる。口直しにクリームパンでも食おうかと考えてみた。
その時、たまたまふと目線を反対側のフェンスに向けた時に、ひとりの女子生徒と目が合った。
眼鏡と三つ編みのおさげ髪の為か随分と地味な印象を与える容姿だが、しかし顔立ちは悪くない。寧ろ美人だといって良いだろう。
しかしその余りに地味過ぎる印象が、彼女の美しさを数段目立たなくしている様にも思えた。
ところが刃兵衛が気になったのは彼女の美貌ではなく、手にしている一冊の文庫本だった。
(お……あれは、例のシリーズとちゃうんか)
刃兵衛は今、或る女性作家のファンタジー小説を追いかけているのだが、彼女は別の恋愛小説シリーズも手掛けている。
そのシリーズも同時並行で追ってみようと思ったのだが、ネット通販の評価を見ると、賛否両論で極端に二分されており、正直買って良いものかどうかかなり迷っていた。
その恋愛小説シリーズを、先程うっかり目が合ってしまった地味な美少女が手にしていたのである。
刃兵衛はもう気になって気になって仕方が無く、ついふらふらと彼女の目の前にまで歩を寄せてしまった。
おさげ髪の眼鏡美少女は、一体何事かと驚いた様子で呆然と刃兵衛の面を見上げていた。
そして刃兵衛も漸く、我に返った。気が付くといつの間にか、名も知らぬ眼鏡美少女の真正面にまで位置を変えてしまっていたのである。
「あの……何か、御用ですか?」
「あー……いやぁ、すんません。つい、その本が気になってしもて……」
誤魔化しても意味が無いだろうからと、刃兵衛は素直に己の興味対象を告げた。
すると眼鏡美少女は何故か顔を真っ赤にして、じぃっと刃兵衛の童顔を見つめ返してきた。
「えっと……これラノベで、それも恋愛系なんですけど……」
「はぁ、それは知ってます」
そこいちいち気にするとこかと内心で小首を傾げながら、刃兵衛は漠然と頷いた。目の前の眼鏡美少女が一体何を気にしているのかが、さっぱり分からなかった。
「いやぁ、実は僕その作家さんの有名なファンタジー小説のシリーズ読んでまして、エラいオモロイもんですから、ほんなら別のシリーズはどうなんやろうと思てまして」
「え……貴方も、このひとのファンなんですか?」
眼鏡美少女は急に嬉しそうな笑顔を向けてきた。
が、その直後に彼女は再び顔を真っ赤にして俯き、御免なさいと意味不明な謝罪を口走ってから急に立ち上がって、そそくさと屋上から去っていってしまった。
(あれ……僕何か、失礼なことしてしもたやろか……?)
ただ単に、彼女が読んでいた本の感想を聞きたかっただけなのだが、自分でも気づかないうちに粗相をやらかしてしまったのだろうか。
そんなことを思いながらふと屋上床面に視線を下ろすと、何かが落ちているのが目に付いた。
生徒手帳だった。
何気に手に取って中を開いてみると、浅葱逸華という名前が最初に目に付いた。
ついで、貼り付けられている顔写真に視線を流す。矢張りこの生徒手帳は、先程刃兵衛の前から逃げていった眼鏡美少女のものだった。
一瞬、職員室まで届けようかとも思った刃兵衛だが、やめた。矢張り、直接本人に渡そうと考え直した。
そしてついでに、例の恋愛小説シリーズの感想を改めて聞き出そうと腹を固めた。
どうして彼女が逃げていったのかは分からないが、生徒手帳を拾ってやったのだから、感想を聞かせて貰うぐらいの融通は要望しても良さそうだろう。
そんな訳で刃兵衛は逸華の生徒手帳を手にして、二年A組の教室へと直行した。
実は刃兵衛、このK高校に転校してきてから他クラスの教室に足を踏み入れるのは、今回が初めてだった。
当然ながら他クラスには知り合いなど居ない。自クラスですら瑠斗や美少女三人組以外のクラスメイトとはほとんど交流が無い刃兵衛である。
他クラスともなれば完全に部外者に近しく、誰が誰やらさっぱり分からない。
それでも、あの眼鏡美少女の姿はすぐに見つけた。窓際の後ろから二番目という、中々羨ましいロケーションだった。
(あの席やったら、内職し放題やな)
そんなことを考えながら刃兵衛は遠慮会釈無しに2-Aの教室内へと踏み込んでいった。
この時、どういう訳か周囲からひそひそ話が聞こえてくる。
「おい……あれってF組の格闘王じゃねーの?」
「わー……中坊っぽいって聞いてたけど、割りと可愛い顔してるね……結構タイプかもー」
ここで意外だったのは、何故か刃兵衛の噂が他クラスに微妙に広まっている点だった。
耳に届く声はいずれも驚嘆や意外性、或いは容姿について好意的な見方をしている様なものばかりで、刃兵衛のぼっち加減やガキっぽい顔立ちを悪くいう声はまるで皆無だった。
しかし刃兵衛はそれらの声と、ちらちらと投げかけられてくる好奇の視線を片っ端から無視して、逸華の席へとどんどん近づいていった。
一方の逸華、何故ここに刃兵衛が現れたのかと完全にパニくっているらしく、心底驚いた様子で全身を強張らせていた。
そして刃兵衛が逸華席を目指して一気に歩を寄せていったことで、A組の教室内には困惑の空気が広がり始めた。
「え、嘘……あの地味子ちゃん、格闘王と知り合い?」
「うわー、えー、マジでー? 浅葱なんかと友達? チョー意外ー」
などなど、実に無責任な声がそこかしこで囁かれている。
しかし刃兵衛はそれらの声も一切無視して、逸華の前へとひと息に辿り着いた。
逸華、すっかり硬直してしまって声を出すことも出来ない様子だったが、しかしその美貌は奇妙な程に上気して赤くなっていた。
「浅葱さん、これ、落ちてましたよ」
刃兵衛が生徒手帳を差し出すと、逸華はあっと驚いた様子で慌てて立ち上がった。
「あ、ありが、とう……」
「どういたしまして……それよか浅葱さん、さっき読んではったあの本、どないです? オモロイです?」
刃兵衛が生徒手帳を渡すところまでは単なるひそひそ声で済んでいたのだが、刃兵衛がそれだけでは終わらせず、別の話題を振ったことで、二年A組の教室内は一斉にざわめき始めた。
(ん? 僕がこのひとに声かけたの、そないに騒ぐ程のモンなんか?)
よく分からない。
しかし刃兵衛がひとつ確信したこととしては、この逸華という眼鏡美少女、相当なアガリ症らしいという点であった。
(ちゃんと、まともに話してくれるやろか)
刃兵衛としては本の感想を聞きたいだけだったのだが、どういう訳か変な方向に心配を抱かざるを得なくなってきていた。
本当にただ、感想を聞きたいだけなのに。
刃兵衛は逸華の余りに挙動不審な反応に、すっかり困り果ててしまった。




