12.今日は諦めた
標的が動き出した。
先にオープンテラスカフェを出て、件のイタリアンレストラン近くの自販機前で誰かを待ち合わせをしている風を装っていた刃兵衛は、手にしたライトノベルをベルトポーチに押し込んで伊達眼鏡をかけ直した。
「ねー、まだやんの?」
黒いスポーツキャップを目深に被った梨衣南が、若干呆れた様子で訊いてきた。
刃兵衛は勿論ですと、微妙に鼻息を荒くして頷き返す。
梨衣南は仕方が無いなぁとばかりに小さく溜息を漏らしつつ、それでも何だかんだと刃兵衛の後について一緒に歩き出した。
一方、イタリアンレストランを出た瑠斗と咲楽は、肩を並べて次なるデートスポット――この駅近では最大級のゲーセンへと移動を開始した。
それにしてもあのふたり、まだぎこちない。手すら繋いでいない。
「まだまだウブっぽさが抜けませんねぇ」
「いやだから、あんたどこのおっさんよ?」
によによと笑う刃兵衛を、隣から梨衣南が不気味なものを見る様な目つきで覗き込んできた。
刃兵衛としては後方支援に全力を尽くすつもりだったが、瑠斗と咲楽がまだ付き合い始めのカップルの様な仕草を見せていると、ただのラブコメ鑑賞的な気分に浸りそうになってしまう。
流石にそれでは拙いということで、刃兵衛は己の頬を両掌で軽く叩いた。
「てかさ、うちらって今、どんな風に見えてんだろ?」
何故か梨衣南が、妙に周囲の視線を気にする素振りを見せた。
別に他者からどう見られても全く気にしない刃兵衛だったが、瑠斗と咲楽を尾行する上で変に怪しまれぬ様にと一応、シチュエーションは決めておいた。
即ち、姉と弟だった。
当初梨衣南は、
「まぁ確かに、あんた中坊っぽいし」
と納得の表情を見せていたものの、いざこうして並んで歩くと、彼女の方はどうにも落ち着かない様子を見せ始めていた。
矢張り、もう少し自然な形で行動すべきではないのかというのが、梨衣南の主張らしい。
(成程、自然な形ね)
ここで刃兵衛は何の前触れも無く、梨衣南の手を取った。
「じゃあお姉ちゃん、僕が迷子にならない様に手ぇ繋ぎましょ」
「え、や、ちょっと、あんた……そんな、急に……」
どういう訳か顔を真っ赤にして狼狽える梨衣南。姉役がそんなに嬉しかったのだろうか。
しかし刃兵衛はお構いなしに、梨衣南の手を掴んだままどんどん歩を進めてゆく。
「ほらほら行きますよ、お姉ちゃん。あのふたりを見失ったら大変ですから」
「何だよ、そのいい方……まるでうちが、お祖母ちゃんみたいじゃん……」
尚も顔を真っ赤にしたまま、ぶつぶつ文句を並べている梨衣南。
それでもふたりは何だかんだと偽装カップルを追って、件の大型ゲーセン内へと足を踏み入れていった。
一般的な恋人ふたりがゲーセンで遊ぶとなれば、クレーンゲームかプリクラといった辺りだろう。
そしてそんな刃兵衛の予測通り、瑠斗と咲楽は何かのぬいぐるみが展示されているショーケース前の一角で足を止めていた。
「おー、ベタっすねぇ。でも、あれこそ王道」
「あんた、何でそんなに気合入ってんのさ」
刃兵衛と梨衣南はクレーンゲームコーナーの柱の陰で、偽装カップルをちらちらと眺めている。
どうやらここまでは順調にデートプランのメニューをこなしている様だが、果たして瑠斗と咲楽の間に、何か心理的な前進はあったのだろうか。
ここから見る限りでは、まだ普通のお友達レベルを越えていない様にも見えるのだが。
それに、あのふたりがどんな会話を交わしているのかも少し気になる。
「ちょっと盗み聞きしてきます」
「はいはい。もう好きにしなよ……」
小さく肩を竦める梨衣南を置いて、刃兵衛は瑠斗と咲楽に気付かれぬ様にと死角を選びながら、それとなく距離を詰めてゆく。
そうしてふたりの声が聞こえる距離にまで歩を進めてしばらく耳を傾けていたが、ここで驚くべき事実が判明した。
(えっ、うっそ、マジっすか……九里原さん、普通にアニメとか特撮の話してる?)
始業式当日のファミレスお茶会では、刃兵衛がメディアトピアでゲットしてきたものを披露しても、よく分からないといった風に微妙な笑みを返していた咲楽。
それがどういう訳か、日曜朝に放映されているアニメや特撮の話題を笑顔で口にしていた。
もしかして、彼女の非ヲタ偽装に騙されたのか。
刃兵衛はちょっとした敗北感に苛まれながら梨衣南が待つ柱の陰へと引き返し始めた。
ところが、そこで思わぬ事態に遭遇した。梨衣南が、同年代か或いは少し上の世代の若者ふたりに絡まれていたのである。
「ねー、オネエサン、一緒に遊ぼうよー。めっちゃ可愛いし、ガチでオレの好み、どストライクなんだけど」
「オレらと居たらマジで楽しいって。保証するぜー」
左右から囲み、今にも梨衣南の肩に手を触れようとしているチャラ男ナンパ勢。
梨衣南はツレが居るから他を当たれと頑なに拒否しているが、チャラ男共はまるで彼女の言葉に耳を貸そうとしない。
ああいう連中は、口でいっても聞き訳が無い。こんな時は実力行使のみだ。
刃兵衛は音も無く片方の男の背後に忍び寄り、その脇腹に一撃を打ち込むと同時に柱の裏へと廻った。
鋭い拳による奇襲を浴びた方のチャラ男は呻きながら、その場に崩れ落ちてしまった。
「お、おい、オマエ、どうした?」
もうひとりのチャラ男が慌てた様子で、蹲る相棒の傍らに位置を移した。
この隙に刃兵衛は柱の裏の別角度から現れ、梨衣南の手を引いた。
「リー姉さん、行きますよ」
チャラ男共には気付かれぬ様に小声で囁く。
梨衣南は驚いてはいるものの、すぐに状況を察したらしく、幾分頬を上気させながら嬉しそうに頷いた。
その時の彼女の瞳が妙に情熱的で、その美貌はどこか照れている様にも見えたのだが、兎に角今はあの連中の前から離脱することだけを考えなければならない。
それにしても、まさかゲーセンに居る時まで暗殺拳を行使することになろうとは、思いもしなかった。
「せやけどリー姉さん、ホンマにモテモテっすね……こら確かにフェイクカレシ要りますわ」
「じゃあさ、今日はジンベーがうちのフェイクカレシってことでイんじゃない?」
やたら照れ臭そうに顔を真っ赤にしている梨衣南。
今日のところは仕方が無いか――刃兵衛は諦めることにした。




