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家畜の僕の頭の中

作者: げん0303

 30歳をすぎた僕は自分の人生に対して大きな期待はしなくなっていた。

ただ漫然とその日をやりすごす。

小さな選択から大きな選択まで、すべてより楽な方を選んできた。その結果、手に入ったのは自分だけの安アパートの生活。

上を見なければそれなりに満足な生活。同年代と比べさえしなければ、いごこちの良い身分。実家にさえもどらなければ、だれにもなにも言われない日々。

しあわせなしあわせな家畜のような男、それが僕。

勘違いしないでほしいのが、これは自分を強く卑下しているわけではないということだ。

家畜、結構ではないか。

なにも悪くない。

誰にも迷惑をかけていない(いまのところは)。

 さて、そんな僕でもふと思うことがある。家畜のままでいいのかと。いや、いけない。このままではいいはずがない。では、どうするか。そして考える。考えるけど妙案が浮かばない。いや、浮かんだ。そして実行する。でもしばらくしてうんざりする。やめる。停滞期に入る。そしてまた思う。家畜のままでいいのかと。ぐるぐる考える。

 20代のすこしだけ達観してきた僕は思ったのだ。これは家畜の義務であると。家畜の僕は家畜のままではいけないと考えている。普通の家畜とは違う。考える家畜なのであると。ましな家畜で、ともすればいつかなにかをなす家畜なのだと。

 30代のの多少あきらめてきた僕は思うのだ。これは家畜の(サガ)であると。僕は死ぬまでこの性にとらわれて、同じところをぐるぐる回るのだと。周りからしたら滑稽な、しかしものの数分で見飽きてしまう哀れなピエロなのだと。

 ここまで自分を豚のように扱う僕だが、卑下しているつもりはあまりない。ぬるま湯のような日々に自分なりに納得して、なにより満足しているからだ。

 けど。そんな僕でもなにも残せないで死んでいくだけだと考えると、胸の奥がきゅっとうずく。

 そうなのだ。こんなことをぐるぐると考えている僕でもなにか人生に対して多少残したいと考えることはある。なにも生産することなく、消費するだけの家畜。そんな家畜が残せるものはこの頭の中身しかないように思う。

 いやもう少し踏み込もう。恐れながら僕は僕の頭の中身をみんなに見てほしいのだ。僕の頭の中の一片でもいいからこの世界の片隅においてほしい。

誰かに覚えていてほしい。

誰かこの家畜の願いを聞いてくれないだろうか。



ちゃんとした小説かける人は尊敬します。

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