不要になった性
性の格差問題。
おそらく根っこにあったのは、所得や社会的地位において性差を無くせ、ということだろう。
平等という幻想を知ったら理論的に誰もが辿り着くユートピア的思想である。
いろいろな技術革新とか社会制度改革が進んで、かつては夢物語だったものが、いつの間にか「あるべき姿の社会要件」にまで格上げしたい人が増えたのである。
なので現実がそうなっていないのは現政権に不公正がある証拠だ、というわけで、どこの国でも野党が与党を攻撃する格好の材料として利用されてきたというバックグラウンドがある。
ただし、人間の性差は所得や社会的地位に結びつけてはいけない、というのは、いわば人間の美的感覚によってもたらされたもので、種としての強さとか戦略とは無縁のものだ。
だから例えば人間を動物、いや多種多様な生命体の群生地の中でひたすら生存競争を繰り広げてきた一種の種だ、みたいな見方を持ち込むと、しょせんは個体のワガママレベルの話にしかならない。
ニーチェの描くところの、死んだ神の死因は自らに似せて作った人間が自我を持ったことに由来して起こった同情による窒息死だ、を裏付ける話だ。
生命体の絶対的な共通ルールは、多種族よりも繁殖力が強く、数を増やせたものがこの世の勝者として認められる、である。
従い食肉生産用として飼われるニワトリや牛、豚だって、確実に種の保存、数の大繁栄を達成しているという意味では、生存競争の勝ち組なのである。
こういう視点からすると、性差論による「より進んだ社会」のあり様というのは、ほぼ「生存競争力が弱体化する姿」と同義になる。
単に数的に繁殖力が弱まるというだけでなく、進化の速度をも落とすことになるからだ。
現代科学は、すでに多くの生物で何故「性」というシステムが採用されたのか、その理由を明らかにしている。
が、皮肉なことにこの研究成果は、世の中に広く知られたものにはなっていない。
おそらく人間の生活信条や、宗教的価値感と相容れないからだろう。
もしかしたら現代の人類種、ホモサピエンスよりも新しい世代の新人類種への進化を誰も望んでいない、ということもあるのかもしれない。
単純な細胞分裂ではなく、わざわざ異体の遺伝子を取り組む異性間交配による繁殖は、進化の速度を劇的に早め、さらには疾病などによるアクシデント的な種の滅亡の危機への効果的な対処策だったのである。
人間の場合の、男と女に分かれた意味は、その雌雄を決める性染色体に凝縮されている。
あの有名なXXなら女、XYなら男というヤツのことである。
以前囁かれていた話では、この23番目のペアで男を決定しているYには人間の生存に必要な器官についての情報は全く無く、逆に女が2つも持っているXの方は、器官情報が満載だということで、これをもって女の方が寿命が長くなる最大の理由などと言われていた。
まあ、そういうこともあるかもしれない。
生殖器官そのものは男女共通のプラットフォームから胎児成長の過程でウォルフ管ミューラー管というそれぞれの性専用器官の原体みたいなものに分かれ、そのどちらか一方から形作られることが知られている。しかしこの分化は言わば、必要な形が男女で違うというだけだから、何故性が2つになったのかの理由とは無関係だ。
問題は、卵巣と睾丸の機能差である。
卵巣は直接男でそれに該当する器官を探せば精巣がそれに当たる。
巣とはよく言ったもので、卵巣も精巣も、それぞれ卵子、精子を貯蔵しておくためのタンクにすぎない。男にある精子を作る器官は睾丸で、これに該当する器官は女には存在しない。精子を作るという意味ではなく、卵子を作る器官というのはどこにもないのである。
卵子は生殖器官で作られるものではない。
つまり胎児として形作られていく中で、その身体の一部として、胎児中の卵子も生まれる前に作られるということである。
女性が生殖能力を持つおよそ30年の間、毎月1~2個ずつ定期的に放出されるだけだから、一生分プラス予備と考えても千個を超えるような数にはならない。
なので最初に全部作って卵巣という保管庫の中で貯蔵しているわけだ。
男の方は全く様相が異なる。
睾丸では男性が生殖能力を持った日からほぼ死ぬまで毎日百万個単位で精子を新造しているのだ。
この差は、要するに卵子の方は身体の部品一式と基本組み立て設計図のパッケージになっていて、一方、精子にはそういうものが無く、単純にソフトウェアだけが集まっているのだと考えると辻褄が合う。そう、人間の身体を動かすソフトウェア、つまり情報だ。
言ってみればこのY染色体に書き込まれた情報は本能の一部それもかなり重要な部分を作るのだ。
卵子には親が経験で獲得した情報をストアする場所は全く無いが、(祖父母世代の情報ならある)逆に精子は、むしろその主体は父親の経験から獲得した情報なのである。
つまりわざわざ男女の性差を設けた意味とは、ソフトウェアのアップデートをやりやすくし、環境により的確に合わせた進化を促すということなのである。
個体の再生産を安全確実に行いつつ、なおかつ最新の環境に適応したソフトウェアを取り込むため、男という存在が必要になったということだろう。
なので、男の若い時の精子と年を取った時の精子の中身は相当異なっているはずである。
一方の卵子は、若い時に排卵された卵子も年を取ってから排卵された卵子でも経年劣化程度の差しか存在しない。親から受け継いだ身体の主要設計図とその部品の継承というのが女の基本だからである。
女が一生涯にわたって作れるこどもの数はどんなに多くても二桁が限界なのに対し、男は軽く三桁に達する(トルコの一人の王様が300人以上王子王女を作った記録がある)のは多様性をできるだけ多く確保できるようにするという本来の目的に合致しているということになる。
男が時間とともに遺伝子改変がより進んだ精子を作っているのだとしたら、死ぬまでその能力を発揮させる方が進化の貢献につながることは間違い無い。
まあ、掛け合わせの種類が多ければ多いほど未来が明るいということに決まっているわけではない。
だからあくまでも確率的にそうなるはず、というだけの話だ。
鉛筆を転がして正解を出すのとそれほど変わらない。
なので科学技術が神の領域に達しつつある現有人類にとってこの進化のメカニズムはなお必要なのだろうか、という疑念は当然生まれる。
進化がいらない社会は女だらけになるのがおそらく自然の理ということになるのだろう。
同様に、一夫一婦制というのは進化のいらない世界に適合したシステムだと言える。
進化を重視するなら一夫多妻であるべきなのだろう。
先進国が軒並み少子高齢化に陥るのは当然なのだ。
ところで神様がもっぱら生物の進化の方ばかりに気を回している間に、人類は神様が想定していなかったような高齢化社会を実現してしまった。
生殖能力の終わりがほぼその生命体の寿命と考えていたはずの神様からみれば、想定外もいいところである。
この結果、性の存在が社会的に邪魔にされることが増えた。
象徴的なのは、「一人暮らし老人」の増加である。
人生が世代交代に同期していたような長さしか無かった頃は問題にはならなかったが、家族のいない年寄りの面倒を誰がみるのかという厄介な問題が生まれてしまったのだ。
従来、他人を自分の家族にする、と言う場合、親子か夫婦の関係を作るしかないものと考えられていたが、その枠組みだけでは一人暮らし老人が激増してしまうのである。
従来の同性愛問題とはまったく別なタイプの、同年代の同性でも家族関係を結べる仕組みが必要になったのである。
言うなれば、性が、完全に邪魔になったということだ。
社会の中で赤の他人が他人の世話をする、システムは論理的に可能ではあっても、誰もが同じようなサービスを受けられるようにするなんてことは絵に描いた餅だ。どこまで行っても人間には相性というものがある。受け入れられない人間は必ず存在するし、そういう主観に基づいた判断に頼らなければならない局面を消すことはできない。
だから家族というのは人間が人間らしくあるための、おそらくシステム化できない最後のパーツということになるのだろう。