第8話 好奇心
科学の進歩はちょっとした好奇心から始まるもの。
11月下旬の昼下がり、通りに焼き芋の良い香りが漂い始める。
世界的大不況のおかげで人通りは少なくなったものの、焼き芋の匂いに抵抗するのは難しいようで、近所の住宅からちらほらと女性が出てきた。
「いい匂い~♪」
近所の主婦が『レストラン洗濯船』の店頭で販売されている焼き芋目掛けてやって来たのだ。
「すみません。これは全部予約分なのですぅ。」
エーコが申し訳なさそうに客に謝る。
「えー、一本も無いの?」
不満げな主婦の皆さん。
「はいー、うちのオーブンでは30分ごとに5本ずつしか焼けないのですぅ。」
「じゃあ5本予約ね!」
すかさず緑色のセーターを着た主婦が予約を入れる。
「私も5本!1時間後ね?」
次々と競うように焼き芋の予約が入る。
結局最後の人は18時の受け取りに納得していった。
「レストランなのに売れるモノと言えばほとんど焼き芋とかアレルギー対応の弁当とかばっかですね。」
エーコは寂しそうに呟く。
「仕方がないさ。求められるものを売らなければこっちも食ってけ無ぇしな。そのうち不況も収まるさ。」
田子作は気にもしてない様子で答える。
「だといいのですが。」
「『誠の心』を広めてると思えばいいじゃねえか。心を広く持とうぜ。」
「そうですね。愚痴を言っては『誠の心 第一の教え 言葉を大切に使う』に反しますしね!」
エーコの新入社員入社テストの時に考案された『誠の心』だったが、二人とも気に入って今でも基本理念としているのだった。
「それはそうと、この前磐座の中に入った時、確かにピー太郎が居たよな?」
不意に先日の不思議な光景を思い出してエーコに尋ねる。
「どうやらあそこは自分の頭の中で明確にイメージしたものを瞬時に作ってくれる装置のような物だと思うんです。私はいつもピー太郎のことを頭のどこかで考えてるから作られたのだと思います。」
「で、その後どこへ行った?」
「近所までは一緒だったのですが一本向こうの大通りで消滅しました。消える瞬間は幻のようでしたよ。」
平然と言ってのけるエーコに若干の驚きを露わにする田子作。
「消えるのか?痛がったりしないのか?」
「別に苦痛とかも無く、ある所まで来たらスーッと映像が消えていくと言う感じでしたね。本物じゃないと自覚してるからその時はあんまり何も考えませんでしたけど。」
エーコも今更になって不思議そうに応える。
「でも俺たちを磐座の外へ放り出した機械は本物だったよな?でなけりゃこうして外には出られていないはずだし。」
「また今週末にでも行って確認しましょう!」
屈託なく笑顔で答えるエーコに田子作はギョッとする。
「じょ、冗談じゃねえぞ!得体のしれない機械なんだぞ!しかも意味不明な技術力。政府や何かの連中に嗅ぎつけられたら俺たちは邪魔ものとして消されちまうかもしれんだろうが!もう2度と行くなよな!」
大慌てでエーコの考えを打ち消そうとする田子作に冷ややかな視線を向けるエーコ。
「大丈夫ですよ。今まで誰も磐座を開けられた人なんかいませんよ。きっと私だから開いたはずですよ。」
まるで臆しないエーコにいらだちを隠せない田子作。
「それでもダメだ!!危険すぎる!」
つい力が入って怒鳴る田子作に閉口しながらもエーコは従うことにした。
『本当に憶病垂れなんですから田子作さんは。』
エーコは心で不満を募らせるのだった。
「ぎょわわーーっ!!」
朝早く大学の研究室へ登校した田ノ浦は窓辺の水槽を見て驚きの声を上げた。
「く、く、クラゲが2匹になってるーーーー!!」
誰も居ない研究室に田ノ浦の声が響く。
水槽には昨日まで1匹だった検体のクラゲが、全く同じサイズのものが一体増えて2匹が並んでプカプカと浮いている。
それまでは切り取った小さな破片が細胞分裂することは確認できていたがクラゲ本体がいきなり2匹になることはなかった。
「た、た、大変だ教授に知らせないと!!」
午前6時を少し過ぎたこの時間には前夜の接待で浴びるほどアルコールを飲んだ瘤教授はまだ熟睡中であった。
「駄目だ、出ない。そうだ!!」
何を閃いたのか研究室の倉庫から使っていない少し小さめの水槽を田ノ浦は引っ張り出してきた。
「初めから1匹しかいなかったんだし増えたのを知ってるのは僕一人だし、一匹は家で飼って観察しよう!」
喜々として作業に取り掛かる田ノ浦はものの数分でクラゲの一匹を掬い上げ別の水槽に移す。
駐車場の車を校舎の玄関先まで移動させると誰にも見られていないか確認しながらクラゲ入りの水槽を荷台に乗せ、そのまま帰宅した。
市内にある築60年以上は経ったオンボロアパートの2階角部屋の自室へ水で重くなった水槽を何とか運び終えることに成功した田ノ浦。
「でもどうして突然分裂したんだ?・・・待てよ、もしかしたら・・・」
何か思い当たる節がある様子の田ノ浦は部屋に鍵を掛けるとこれまた古い軽自動車に乗り込みどこかへ行ってしまった。
ギシシ・・・ギシシ・・・
エーコの部屋の天井が軋んでいる。
相変わらず金ぴかドームに住んでいるエーコは布団の中から天井を見つめている。
「確か上の人ってどっかの大学の学生さんって大家さんが言ってたけど、まさか彼女とか連れ込んでないよね?」
少し下品な想像を膨らませたが眠気が勝ってまた眠りに落ちていった。
部屋の隅の方にはガラス製の円柱状の『異世界転送ポット』が未だにそこに設置されていた。
このポッドはドアの中に入るとドライアイスの煙を自動発生させ、足元に隠された小さなペダルを踏むとスポッと底板が下へ開く仕掛けになっている。
その下はと言えば1m程の穴になっていて斜め上に続くトンネルで庭のマンホールに繋がっている。
いわゆる『隠し通路』なのだ。
その構造から部屋の中で位置を変えられないのだ。
エーコの正社員テストの際にはこの通路を使って田子作は『あっちの世界とこっちの世界』を行ったり来たりの芝居をうっていたのだった。
エーコも仕掛けを知った時は驚いたがこのままこの部屋に住む分には家賃は会社負担だったので引っ越す気は起こさなかったのだ。
田ノ浦は近くの24時間営業のコンビニに着くと期限切れで半額になっているパンを掴むとレジに並ぶ。
「細切れ細胞は小麦粉を与えたら分裂速度が倍になったから本体も同じかもしれないぞ。確か一昨日のエサにカップ麺の残りを混ぜてたんだし間違いないさ。」
お釣りを掴むと大急ぎで自分のアパートへ車を走らせる田ノ浦だった。
お馴染みの場所、お馴染みの面子。何かが起こらない訳が無い。