ザンパンマン
飯を食べるとしよう。しかし、いつもいい感じに腹が減っているわけではない。それに、いつもいい感じの量の飯を作れるとは限らない。腹の減りに対して、ちょうどいい量の飯を作れるとは限らない。日によっては、飯を作りすぎて余ってしまうことがあるかもしれない。
そんなとき、あなたはどうする? 余った飯を冷蔵庫に放り込む? ごみ箱に叩き込む? あるいは、隣人におすそ分けでもする?
私の場合は、そのいずれでもない。私はザンパンマンを呼ぶ。すると、彼あるいは彼女(おそらく彼だと思う)は、どこからともなくやってくる。
どこからやってくるのかは重要ではない。彼が新橋からやってこようが、下北沢からやってこようが、町田からやってこようが、そんなことはどうでもいい。重要なのはザンパンマンが残飯を追い求めてやってくる、ということだ。
「私のことを呼びましたか?」
「はい」
私が残飯を差し出すと、彼はそれを食べる。淡々と食べるのだ。そこにいかなる感情もないように見える。残飯を食べるのが自らの職務なのだ、と言わんばかりに。
ザンパンマンにとって残飯処理が仕事なのか、趣味なのか、性癖なのか、はたまたそれ以外の何かなのか、それは知らない。彼は謎に包まれた存在で、ヒーローというのは謎多き存在であるべきなのだ。
残飯を食べ終えると、ザンパンマンは颯爽と去っていく。
ありがとう、ザンパンマン。あなたのおかげで地球上に存在する残飯の量がほんの少し減ったよ。あなたは地球を救うヒーローだ、ザンパンマン。
しかし、世の中にはザンパンマンに対して否定的な人たちも存在する。彼らはザンパンマンのことを、『ただ飯食らいの乞食である』と痛烈に罵る。
なるほど、確かにザンパンマンはただで飯を食う。しかし、彼が食べるのは残飯である。それはつまり、誰とも知らぬ男女が口をつけ、残した飯の残骸ということ。彼を非難する者は、彼のように残飯をストイックに食い続けられるのか。無理だろう。ならば、汚らしい言葉でザンパンマンを非難するのはやめたまえ。
ザンパンマンには労働基準法も有給休暇もボーナスもない。一般的な仕事とは違って、見返りはない。修験者のごとき存在なのだ。非難していいはずがない。
ザンパンマンは二四時間三六五日、残飯を追い求めて世界中をまわる。彼の目標はこの世界から残飯をなくすことなのだ。残飯がなくなれば、ほんの少しだけ世界が綺麗になる。美しくなる。
私はザンパンマンに感謝しつつ、これからは残飯を生み出さないようにしよう、と固く決意する。その三日後、決意はどこかへ消え、私はザンパンマンを呼ぶのだった。