廃品少女と回収おじさん
〈こちらは廃品回収車です〉
朝の八時過ぎ、閑静な住宅街に、軽トラの車外スピーカーが響く。出勤する人間は家を出て、見送った側は家に居る、そんな時間だ。
開けた窓に肘を掛けて、軽トラを徐行で走らせる。栗の花が香る五月の終わり、朝の空気は冷たくて、乾いていて、心地良い。
〈何でも無料で回収します。壊れていても構いません〉
ふと、狭い道路の右側を、女子高生が歩いてくる。白いブラウスに大きなリボン、近所の高校の制服だ。そう認識している一秒で、彼女と目が合った。
「ねえ、おじさん」
「何だい、嬢ちゃん」
話し掛けられた驚きよりも、「おじさん」と呼ばれた反発で、年長者として振る舞った。これが五年前ならば、「お兄さんだ」と言ったろう。だが、身にする上下の作業着は、仕事を差し引いても馴染んでいた。痩身中背だったはずの体は、最近は下腹部が緩んでいる。その油断は、中途半端に伸びた髪と、剃っていない髭にも現れている。哀しいかな、五年の歳月は、自分を確実に「おじさん」にした。
「ほんとに何でも回収してくれるの?」
「まあ、大概のもんはな。何かあるかい?」
女子高生が、運転席に寄って来る。標準的な茶色の髪に、白い太腿が覗くスカート、白のスニーカーソックスに大きな態度という標準装備の出で立ちだった。清潔で、嫌味の無い甘い匂いが、五月の風に運ばれる。
「私」
「は?」
「私の回収、よろしくね」
そう言って、彼女は助手席側へと回り込んだ。
◇ ◇ ◇
「これ、背中、倒れないの?」
「倒れねえよ」
「せっま」
「文句あんなら降りてくれ」
身軽に助手席に乗り込むと、狭いの汚いのと文句を垂れる。それでも助手席に慣れているのか、シートベルトだけは行儀が良い。何が入っているのか、「女子高生の鞄」を膝に抱く。
諦めて軽トラを発進させる。女子高生は嫌いじゃないが、天然物はリスクが高い。
「やだよ、回収してよ」
「回収ってなあ、何かあったのか」
「エアコン無いの?」
事情次第では、とも思ったが、彼女は無視して話を逸らす。今日は朝こそ涼しいが、注ぐ日射しは強かった。予報では、真夏日になるらしい。車内の温度は上がっているし、乗員が二倍になれば尚更だ。
「エアコン入れると走んなくなる。窓を開けろ、窓を」
「ボタン無いじゃん」
「くるくるがあるだろ」
「は?」
これは、女子高生が威嚇するときに出す鳴き声だ。自分の無知を他人に転嫁するという効果がある。実際、年長者らしく居ようと思っても、女子高生に睨まれると、ちょっと怯んでしまう。
「それ、その取手、そう、それを、回すの、いや逆、そう、そっち」
「何これ」
「窓だよ」
不思議そうに取手を回す彼女を横目で見守る。
ちょっと可愛いかもしれない。そう思ったとき、脇の家から主婦が顔を出して手を振った。会釈して車を寄せる。はい、ただいま、お伺いします。
◇ ◇ ◇
予想できたことではあるが、彼女に手伝う気は無いらしい。確かに回収した「廃品」が手伝ってくれたことは無いが、それを言えば「人間」を回収したことも無い。ただ、「廃品」を自称するだけあって、作業中の彼女は静かだった。スマートフォンを握って、偶に眺めはするものの、操作している様子は無い。女子高生の生態としては、明らかに異質だった。
そうして、ブラウン管のテレビを荷台に置いて、運転席に乗り込んだ。彼女が口を開く。
「ぼんぼん鳴ってんの、これ何」
「ボンジョビのカセットだよ」
こんな軽トラにもオーディオがある。車外スピーカーの音量に負けて、ぼそぼそ聞こえるのは否めないが、無いよりマシだ。
「カセットは分かる、じいちゃんが使ってた」
「偉いじいちゃんだ、大事にしろよ」
「もう死んだよ。でもボンジョビって何? ビートルズみたいなもん?」
「まあ、みたいの意味にもよるが」
サイドブレーキを戻す。ギアをローに入れて、クラッチペダルを少しずつ離す。アクセルを少しだけ踏み込んで、慣性が乗ったら再びクラッチ、ギアをセカンドへ。操作をしながら、答えを探す。
「ボンジョビがビートルズみたいなら、お前も俺みたいってくらいの近さかな」
「ふうん。でも、この音、何か変じゃない?」
我ながら気持ち悪い喩えだと思ったが、彼女はそれを聞き流した。興味の無いことを聞き入れないのは、女子高生の基本スキルだ。
「おっ、お目が高いね。いや、耳か」
「いや、そういうのいいから」
「つれねえな。まあ、ステレオの左側だけを右から流してんだわ」
「え、きもいね。ボンジョビが泣くよ」
「泣かねえよ。左側だけが無事なステレオを回収したんだけどな、生憎このクルマはモノラル仕様の構造で、スピーカー穴は運転手側にある、そういうことだ」
「いや、絶対泣くでしょ」
今度は、こちらが聞き流す番だった。
ちょうど良く、老人が庭から手を挙げる。はいはい、ただいま。
◇ ◇ ◇
それから数件の仕事を片付けて、時計は一一時を回る。昼には早いが、一服つけても良い頃だ。
「コンビニ寄るけど、何か飲むか? タピオカ?」
「タピオカ、もう古いよ」
「そんなもんかね。まあ、ブームも二周目だったしな」
韻を踏んだつもりが、相変わらず聞き流される。悔しくなって、年長者らしいマウントを取りに行く。このこと自体が大人げないが、自分自身では気付かない。幸いなのは、彼女には、会話する意思があることだった。
「二周目?」
「俺がガキの頃に流行ったんだよ。ナタデココと一緒にな」
「ナタデココすき」
「わかる」
にへら、と笑う彼女に釣られて、頬が緩む。幾多の困難を乗り越えて、初めて意見の一致を見た。人類は総て兄弟姉妹、ボンジョビとビートルズだって兄弟だ。
感動に包まれた軽トラが、コンビニの駐車場へ滑り込む。足取りも軽く降り立ってから、大事なことを思い出す。
「じゃなくて、何か飲むかって訊いてんの」
「いちごオレがいい」
「鉄板ですねえ」
◇ ◇ ◇
コンビニを出て、大通りを走る。そのとき、それを対向車線に発見したのは、彼女が先だった。いちごオレのストローから口を離す。
「あっ、パトカー」
「まじか、やべえ」
幸い、まだ距離はある。窓から手を伸ばし、スピーカーを外す。
スピーカーは助手席の足元に転がしておく。そこに座っている人が、邪魔だと言いたそうに、足でスピーカーを突いて遊ぶ。
「何か悪いことしたの?」
「だって無許可だし」
「無許可なの? 犯罪者じゃん、ウケる」
犯罪者呼ばわりは心外だった。少し法律に触れてはいるが、それは法律が寄せて来たから、と言うのが主観だった。尤も、主観客観を抜きにしても、触法行為に変わりはない。それを知っていればこそ、パトカーからは隠れるし、彼女の意見には話を逸らす。
「それに援助交際だとでも思われちゃ困るしよ」
「おじさん金無さそうだから大丈夫っしょ」
「何にも大丈夫じゃねえよ。第一、目ぇ付けられたらお前だって面倒だろう」
「確かに。ウケるね」
「ウケねえよ」
そうして、パトカーと擦れ違う。自然と二人して息を止める。パトカーが通り過ぎたのを見送って、文字通り息を吐く。何が楽しいのか、彼女は笑っていた。
◇ ◇ ◇
マンションにはチラシを入れることもあるから、回収依頼の電話が鳴ることもある。ただ、今日は間が悪かった。時計は一三時を回っている。昼を食べ損ねた格好だが、お呼びとあらば仕方ない。それが不思議なのか、単に自分も空腹なのか、助手席の女子高生が口を開いた。
「おじさん、何でこんな仕事してんの? 儲かる?」
「わけねえだろ、こんな仕事」
「じゃあ何でさ」
「何だっていいだろ」
無遠慮な質問に苛立って、返事の口調も無遠慮になる。そして、そんな自分の狭量さが、余計に心を逆撫でる。
態度の変化を察したのか、彼女は、話題のハンドルを巧みに切った。
「何か適当に作ってよ」
「うーん」
気を遣われて、少し頭も冷める。バックミラー越しに、荷台の廃品が揺れている。
「じゃあ、こういうのはどうだ」
「聞きましょう」
身を乗り出すように彼女が言った。車内の空気は、いつの間にか変わっている。
「俺が回収してるのは、ゴミだけどゴミじゃないよな」
「あー、まあ? ぱっと捨てられない的な? 処分に困る風味の?」
「そう、処分に困る風味のやつを回収する。重荷から解放された笑顔が見たいわけですよ」
これは会心の出来だった。全国の小中学生に聞かせてやりたいレベルだ。廃品回収業者が、なりたい職業にランクインする日も近い。
だが、現実と審査員は厳しかった。
「気障すぎでは?」
「うるせえな」
そうこう話しているうちに、マンションに到着する。駐車場は狭いので、ゴミの集積スペースに軽トラを入れた。
「でも、ちょっといいかも」
視線を落として、彼女が言った。
◇ ◇ ◇
更に何件かの回収をして、そろそろ陽が傾いている。そのときに寄った一軒が、結果的に今日の閉店を決めさせた。
「やったぞ」
「どしたの」
「おばあちゃんが、お菓子とコーヒーくれた」
「でかした!」
女子高生はお菓子が好きと言う習性があり、醤油煎餅と寒天ゼリーの袋に飛びついて来る。よっこらしょ、と、旧い掃除機とトースターを荷台に載せる。運転席に乗ったときには、既に袋は開いていた。
「お菓子はともかく、コーヒーも二本?」
「車にもう一人いるって言ったら二本くれた」
「催促したの?」
「馬鹿言え、訊かれたから答えただけよ」
それに納得したのか、彼女は煎餅を取り出した。
「食べる?」
「食べる。けど」
「けど?」
「ちょっと移動する」
そう言って、軽トラを川の方へと走らせる。堤防道路の路肩に止めた。広い河川敷は、まばらに散歩する人が居る。視界の奥では、架かった橋を電車が渡って行く。夕陽と言うには少し早いが、世界の色は変わりつつある。お気に入りの休憩スポットだった。
シートベルトを外して、コーヒーのタブを引く。何の気も無しに飲もうとすると、助手席に座る女子高生が、缶を掲げて、お疲れ様、などと笑う。お疲れ、と返事して、金属同士が触れ合った。何もしてないだろう、とは言わないでおく。
「回収したものは、どうするの?」
「色々だ。売れるもんは売るし、使えるもんは使う、直せるもんは直す、部品が取れるなら部品を取る」
排気ガスと、水と、草と、栗の花の匂い。風が通り過ぎたあとは、清潔で甘い香りが残る。
「じゃあ、私は?」
「そろそろ放り出す」
「ひっど。私、おじさんになら使われてもいいのに」
狭い軽トラに、肘置きなどあるはずも無く、手持ち無沙汰の左手はシフトノブに掛けていた。それが災いした。女子高生はその左手を取り、自らの胸に押し当てたのだ。その状況で感じ取れたのは、ポリエステルの感触だけだった。
そして、対向車線でサイレンが鳴る。
〈前の軽トラ、そのまま動かないでください〉
「あ」
まるで銃でも向けられたように、彼女は両手を小さく挙げた。
缶をホルダーに置き、決意する。
「ぜってー放り出す」
◇ ◇ ◇
「今後は注意するように」
「はい、すみません」
「君もね、次は補導するよ」
「はい、すみません」
「じゃあ、気を付けて」
「「はい、すみません」」
閉店を決めていたこともあり、スピーカーを外してあったのは幸いだった。パトカーの後部座席で、苦しい言い訳を披露した。つまり、これは親戚の家の片付けで、彼女は姪だと言うことだ。我ながら苦しいことは承知だったが、それでも軽トラに残った彼女に逃げる素振りが無かったことで、警官も幾らか疑いを弱めたようだった。
「ごめん」
「疲れた」
去り行くパトカーを見送って、彼女は素直に謝った。
そんな彼女を見ると、怒る気も失せてしまう。だから独り言のような返事をして、キーを回す。駅まで行って彼女を下ろす。あとは一人で帰れるだろう。
軽トラが動き出す。少し早いがライトも点ける。無灯火で取り締まられるのは御免だからだ。
車内はオーディオと、外からの騒音が支配した。自分に何が起ころうと、世界と社会は動いている、それを思い知らされる。
そして、こういうときに口を開くのは、決まって彼女の方だった。
「おじさんって一人なの?」
「まあな」
「捨てたの? 捨てられたの?」
「後者かな」
空気を変えるような話題では無かった。だが、これまでの空気とも違う。それを肌で感じていたから、次の言葉を待っていた。
「私、の、」
「の?」
「友達の友達の、従姉妹の知り合いのハナシなんだけど」
「おう」
「先生のこと好きになっちゃってさ、それだけならよくあるハナシなんだけど、セックスまでしちゃってさ」
「おう」
軽トラは、堤防道路を走って行く。線路沿いの国道に合流し、そのまま走れば駅に着く。
「まー、その先生、奥さん居るしさ、別れるかったら別れないしさ」
「おう」
「友達には散々止められたのにさ、最終的に捨てられちゃってさ、そんなんで学校は行きにくいしさ、親には合わす顔無いしさ」
「おう」
「死のうかなって思ったけど、痛いの嫌だし、死ぬのは怖いし、勇気も無いし、まあ、そういうことよ」
そこまで話して、彼女は苦しそうに笑った。夕陽に染まる彼女の笑顔を見て、怒りが満ちるのを感じた。気の無いような相槌を打っていたのも、聞けば聞くほど怒りが募っていたからだ。こんな理不尽があっていいのか。許せない。その自問自答が、怒りの堤防を決壊させた。口からは、別の相槌が転げ出る。
「超許せないな」
「ま、まあ、私のことじゃないんだけどね。友達の妹の同級生のお姉ちゃんのハナシね」
「いや、ぜってー許せない」
「そんなに?」
彼女の視線に、横目で合わせる。そこにあるのは困惑だった。彼女は自分が悪いと信じているようだった。彼女にも落ち度があるのは事実だが、諸悪の根源は別に居る。絶対に許されない。
「うん」
「何で?」
「そいつのせいで、しこたま叱られたんだぞ?」
軽トラがウインカーを出して左折した。駅は遠ざかり、街は夕陽の余韻に暮れる。
◇ ◇ ◇
そこは倉庫、兼、自宅だった。正確には倉庫の一部に、六畳ほどの居住空間を作ったものだ。居住空間などとは言うが、電気、ガス、水道が一箇所に集中するから、食事や睡眠の場所は無い。だが、そこはそれ、廃品の倉庫なのでテーブルやソファには困らないと言うわけだ。
軽トラをバックで着けて、荷物を下ろす。今日の回収品も上々だ。と言うか、そもそも状態が良さそうなものしか引き取らない。なので大体が動作するものばかりだし、最低でもジャンク品として買い手が付くようなものだ。サービスで不燃ゴミなどを回収することもあるが、実態としてはゴミ出し代行に近い。違法行為が横行する廃品回収業者の中で、不法投棄に手を染めないことが、最後の無花果の葉でもある。
何も言わなかったが、彼女も荷下ろしを手伝った。身体を動かしていれば、何も考えずに済むからか。それとも罪悪感の表れか。いずれにせよ、片付けはスムーズだった。
そこで、軽トラの荷台にブルーシートを敷く。廃品の卓袱台と廃品のランタンを置いて、蚊取線香を焚く。よいしょ、と、廃品のクーラーボックスを積む。準備完了だ。荷台に乗り込む。
「じゃーん」
「何これ」
「呑もう」
クーラーボックスを開けると、押し込まれた酎ハイやらカクテルやらの缶が顔を見せた。傍らには、甘いと辛いの菓子の山がある。
「え? でも私、未成年だし」
「何を今さら」
教師と寝たやつが気にすることか? とまでは言わなかった。言わなかったが、通じたらしい。諦めたように、「確かに」と笑う。両手を掛けて、彼女が荷台に登ってくる。
缶のタブが引かれて、炭酸の圧力が外へと逃げる。零れた泡は、きっと二人そのものだった。ゆえに、二人は自由だった。
「「かんぱーい!」」
◇ ◇ ◇
朝から一仕事やっつけて、帰宅したのは既に一〇時を回っていた。
「ただいま」
「頭いた」
「やっと起きたか」
「おかえり」
ソファの彼女が半身を起こして、ぼさぼさの髪を掻き毟る。シャワーを浴びる間も無く酔い潰れたのだ。当然、化粧も落としていない。そんな彼女をソファまで運ぶのは苦労した。無抵抗の女子高生を前に我慢することは、無限の胆力を要求された。だが、成し遂げた。
「手は出してない、安心しろ」
「おじさんならいいって言ったじゃん」
寝惚け眼のまま、そんなことを言う。冷えた水のボトルを受け取って、漸く両眼が開いたらしい。
「って、何その格好? 何してきたの?」
彼女の言う通り、今日は髪も整えたし、髭も剃っている。銀縁の伊達眼鏡もしている。何より服はイタリア製のスーツだった。これも言うまでも無く廃品で、引き取った箪笥に残っていたものだ。
「惚れるなよ。復讐だぞ」
「え」
復讐の意味を考えて、彼女がボトルから口を離す。
上着とシャツを脱ぎながら、そんな彼女に報告をする。
「めっちゃ慌ててた」
「まじ? めっちゃ見たいじゃん」
「見る?」
手頃なディスプレイに電源と、眼鏡に仕込んだウェアラブルカメラを繋ぐ。最初に映ったのは、彼女の高校の下駄箱だった。
「これ何してんの、女子高生の靴が好きなの? きもいね」
「そうじゃねえ。いや、嫌いなわけではないけど、そうじゃねえ」
「大丈夫? 私の嗅ぐ?」
「また今度な。じゃなくて、こいつを配ってきた」
如何にもビジネスバッグで御座い、という黒い鞄から一枚の紙を取り出した。
「チラシ?」
「ポスティングは廃品回収の必須スキルだ」
そこには、教師某氏が複数の生徒と関係を持っていることや、複数の生徒からの法的措置が検討されていることなどが書かれていた。
「複数の生徒? 私だけじゃないの?」
「まあ、言ったもん勝ちよ」
などと嘯いてはみたが、根拠が無いわけでもなかった。彼女は、この期に及んで「先生のこと好きになっちゃって」と言っていた。彼女の気持ちに嘘が無いだけに、これは性質が悪かった。つまり、彼女が教師を好きになるように、教師の方から誘導したのだ。そうでなければ、生徒と寝た上で捨てはしないし、だとすれば、被害者が彼女だけとは思えない。
だからこそ、復讐を決意した。絶対に許せなかった。彼女に酒を入れ、教師の名前を聞き出した。案の定、写真も残っていたので開かせて、転送させた。ゆえに、ご本人との接触も容易だった。
ディスプレイには、線の細い男が映る。自分より五つほど歳下だろうか。黒縁眼鏡に、スーツを綺麗に着崩している。こういう男に「大人」を感じてしまうのは、一概に彼女を責められない。
「うわ、これ、あいつじゃん」
「見てろよ」
「めっちゃ慌ててんじゃん。ウケる」
「ウケるよな」
めっちゃ慌てている淫行教師は、チラシを回収しようとして、下駄箱の蓋に頭をぶつけてしまう。その弾みで黒縁眼鏡が宙を舞う。彼女はその様を気に入って、何度も何度も巻き戻していた。
◇ ◇ ◇
彼女がシャワーを浴びている間に、普段の作業着に着替えを済ます。整髪料で固めた髪は、櫛で崩して、雑に後ろへ撫で付けた。
シャワーの音が止まる。シャワーはあるが更衣室は無いので、居住スペースの扉を閉めて外に出る。
「私さ」
「おう」
彼女は身支度を整えながら、声を掛けてきた。所詮は間仕切り一枚なので、会話には不便しない。
「帰ってみようかなって思ったり」
「おう」
素っ気なく返事したせいか、彼女が顔を出す。胸から下はバスタオルだけだが、服を着ている方が好きなので、特に喜ぶこともない。
「引き留めないの? こんないい女なのに?」
「言っただろ、直せるもんは直す、って」
「気障すぎでは?」
「うるせえな」
くすくすと笑いながら、彼女が顔を引っ込めた。
だが、聞き間違いで無ければ、間仕切りの向こうで声がした。
「でも、ちょっといいかも」
◇ ◇ ◇
軽トラが動き出すと、彼女は取手を回して窓を開ける。乾いた風に、彼女の髪が踊る。生臭い栗の花の香りに、嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いが混じる。
狭い軽トラの助手席で、彼女は化粧に勤しんでいた。なるほど、「女子高生の鞄」の中身だ。
「おじさんって、ずっとこのへんでやってんの?」
「ああ、まあ、そうね」
こまごました道具をかちゃかちゃ言わせ、器用に化けていく。こんな狭いところで、とも思ったが、世間では電車での化粧も珍しくない。パーソナルスペースが確保できるぶん、軽トラのほうが贅沢なのか。
「私もずっとこのへん通ってたのに、昨日まで気付かなかったんだよね。変なの」
「変でもねえでしょ」
「そう?」
小さな道具を小さなポーチに片付けて、最終的に鞄へ入れる。
駅のロータリーは、タクシーが一台あるだけだった。時刻は既に昼前だ。人の姿は少ない。
「廃品回収に気付くのは、処分したいものがある人だけよ」
「なるほどね」
「だから二度と会わない、オーケー?」
助手席の扉が開いて、後ろ手で強く閉められる。古いクルマで、閉まりが悪いとは言え、ちょっと恐い。
「オーケーじゃねえよ。うちら、もう友達じゃん?」
彼女に睨まれて、ついつい視線が泳いでしまう。恐る恐る左を見ると、助手席の窓に両肘を乗せて、もたれている。彼女は笑っていた。
「そう?」
「そう」
「そうか」
「そう」
二人で笑った。
◇ ◇ ◇
〈こちらは廃品回収車です〉
朝の八時過ぎ、閑静な住宅街に、軽トラの車外スピーカーが響く。出勤する人間は家を出て、見送った側は家に居る、そんな時間だ。
開けた窓に肘を掛けて、軽トラを徐行で走らせる。季節は変わり、梅雨も終わりが近そうだ。今日は朝から晴れていて、注ぐ日射しは暴力的だった。予報では、猛暑日になるらしい。
例の教師は、いわゆる「停職処分となり依願退職」したらしい。あのチラシは予想外の効果があったようで、SNSを中心に「被害者の会」が自然発生し、そこから彼女らの友達や姉妹や従姉妹や知り合いへ波及していった。その流れの中で、法学部の在籍者や法律関係者、警察関係者の耳に入り、保護者会から教育委員会へ飛び火した。それをマスコミが嗅ぎ付けて、総て燃やし尽くしてしまう。
皮肉にも、と言うべきか、彼は奥さんに捨てられなかった。奥さんの地元で、やり直すことに決めたらしい。と言うのは回収先で、それとなく探った情報だ。
七月に入り、一週間が経つ。そろそろマスコミも飽きたと見えて、慌ただしかった街も落ち着いてきた。こちとら無許可の廃品回収業者なもので、人の目が多いのは嬉しくない。
〈何でも無料で回収します。壊れていても構いません〉
ふと、左のサイドミラーに何かが映る。それを確認する前に扉が開き、大きな音で閉められる。
「回収完了!」
「勝手に乗んなよ」
「あっ、またボンジョビじゃん」
「今度は何があったんだ」
「遅刻しそうなんだよね、急いでくれる?」
「だったらエアコン入れんじゃねえ!」
廃品少女と回収おじさん
―了―