誕生日の魔術 ep1
魔術、それは種があるものを、そう呼ぶ。
誕生日の魔術
出題
「珪沙君。こんな問題を知っているかい? ここに種類が違う果物が五つ。種類が違う野菜が三つある。計八つの食べ物があるね。それを君は一つずつ食べていくんだけど、いったいその食べ方には何種類のパターンがあるのかな?」
そう彼、難波崇司は聞いた。
もう社会科準備室のカーテンの外からは、オレンジ色の光が差し込んできた頃だったと思う。目を開けると、いつの間にか時間は経っていて、下校の音楽がスピーカーから流れていた。
その声に気づいて、私は机に伏していた体を起こし、その声の主を見る。
彼は、カーテンのそばにある、古びた大きな机、なぜかそれにそぐわない上等な椅子に座り、優雅に安いお茶を飲んでいた。艶やかな短い黒髪に、ピシっとした紺色のスーツ姿。それと彼から淡いラベンダーの香りがした。彼は、自分の髪をかきあげ、お茶をすすっている。そのところどころには枝毛があり、可愛いと思うが、実際彼はそんなことはどうでもいいと言うだろう。
「なんて言いましたか?」
眠ってしまっていたので、さっき彼が言った言葉がよく聞こえなかった。
机の上にはたぶん長時間寝ていたのであろう、私の唾液の海が広がっていた。それに気づいた私は急いで、近くにあったティッシュでふく。
「君の知恵の泉は、部活中に寝ている時に湧き出てくるのかい」
「先生・・・何て言いました? 私、が涎を出すのがそんなに珍しいですか?」
その皮肉に拭く手をとめて、あのスカした野郎をにらむ。
難波崇司はカーテンを見つめたままだ。
「ふむ、おもしろいね。木頼君。君の思考回路を解明してみたいよ」
また、ずずっとお茶をすすった。
何がおもしろいのか全く分からないが、気持ち悪さはない。
難波崇司はいかれた理科系のオタクではない。むしろ、それとは逆の存在。この高校で社会科を教えている教師なのだ。生徒の関心を引こうと、授業中よく笑わせようとするが、誰も笑わないのは有名だ。曰く、彼のギャグを聞くなら南極にいた方がいいというほどである。しかもその授業の初めには必ず授業中で理科系の小ネタを入れてくるのだ。社会科の科目にも関わらず、それをやりテストにその小ネタを出すことでも有名だった。生徒からは点を取れる問題のため、授業中よりもこの小ネタを真剣に聞くという、可笑しな状況になっていた。
こちらも見もせずに、オレンジ色に染まったカーテンを見ている。カーテンは閉まっているので外の夕暮れは見えるわけもない。
「綺麗だね、まるで絵画みたいだ」
このキザ野郎。夕暮れがカーテンに透過して、絵画みたく見えるというのか。
あえて、私はそれに答えず、自分の涎を拭いた。
「先生、今日はいらっしゃらないと思っていたんですけど」
「ふむ、私に何か重要な用事があるのでは? 授業が終わったあと、私に声をかけようとしていたではないか?」
確かに私は今日の日本史の授業が終わった後に、彼に聞きたいことがあって、声をかけようとした。しかし、それは単に他愛もないことを聞こうと思っていたのかもしれない。
「なぜ、私が重要な用事があると分かったんですか? もしかしたら今後の部活のことを聞こうと思ったのかもしれないじゃないですか」
部活。通称、社分会。正式名称は社会構造比較制度分析同好会という自分でもよく覚えられない部活名。主な活動は社会構造の比較や社会問題の研究、ボランティア等となっているが、実態は部員1人の完全同好会扱いとなっている。その由来は、昔にある成績の悪い学生が内申点を上げようと小難しい同好会を設立したのが始まりだという。
そして、その部活の顧問が、社会科教師、難波崇司ということになっている。
難波崇司はカップを古机の上におき、手の甲を口に近づけて笑った。
「なにが可笑しいんです?」
クソ野郎、と内緒で心の中に付け加える。
「いやなに、君は重要なこと、特にあのこと(・・・・)についてになると、目が水晶の如く煌くじゃないか。知らなかったのかね?」
目が水晶の如く煌く。何というキザな台詞。お笑い芸人も恥ずかしくて逃げてしまいそうな台詞だ。
涎を拭いたティッシュを彼に投げつけるのを我慢しながら、彼の言った重要な核心は確かにあっている。涎の件もあるのに、さらに顔が赤くなっているのが自分でも分かった。
「……先生、聞いてくれますか?」
くるり、とイスを回転させ、難波崇司がこちらを向く。
「さて、魔術なんだろう? 君の重要な話というのは。一体、どんな魔術を見たのかね、木頼君」
難波崇司の目が鋭く変わったのが、ここにいても分かった。睨まれているわけでもないのに、見つめられると体が動かなくなるような竦んだ状態になってしまう。いつものことだが、この目は慣れない。
「あ、あの。私、昨日帰り道に友達と一緒にお茶をしようってことになったんですけど、その時たまたま入った喫茶店で私の友達、志岐和美の友達と出会ったんです」
「ふむ、木頼君。学校の校則を知っているかね? 第十一章の四十四条だ。「帰宅途中の寄り道禁止」についてだ。あれによると……」
黙れ、急須に入っているお茶を投げつけたくなる。
「先生、茶化さないでください。そのことについて話していたら、日が暮れてしまいます。今はそれよりももっと重要なことを話したいんです。校則については、後でどうとでもしてください」
じっと、難波崇司を睨む。彼は微動だにせず、見つめ返している。相変わらず鋭い眼光は変わらない。
「続けていいですか」
「ふむ、続けたまえ」
ふー、と短い溜息を吐いた。やっと落ち着いて話が出来る。
「要点を言いますけど、しっかり聞いていてください。私も疑問なんです。なんであんなことが出来るのか、どう考えても分かりませんでした。和美の友達が行ったあの魔術には必ず何かあります」
「………」
「その人は自分のことを〈魔術師〉と語ったんです。〈誕生日の魔術師〉と……」
そうして、私は和美と一緒に見た、その不思議な出来事を語った。