光が闇を包むとき。
光が闇を包むとき。
そのとき、世界は動くと思うんだ。
誰のこころにも、闇は巣食う。
隙間があればあるほど、そこに巣食う。
こころが広ければ広い程、
多くのことを光で照らすことは、きっと難しい。
狭いこころですら、制御することは難しいのだから。
ひとは、ひとを救うことで、満たされる。
ひとは、ひとを殺すことで、自分を殺す。
ひとは、誰を殺すことも、認めてはいけない。
他者には他者の権利がある。
自分には自分の権利がある。
その権利とは「生きる」という権利。
ひとは死ぬために生きている。
ひとは死ぬための経験値を積む必要がある。
多くの命を捕食して、生きるひとは、自分を殺めてはいけない。
他者を殺めることは、さらにしてはいけない。
命は平等に尽きる。
早かれ遅かれ、尽きる。
急がなくていい。
いずれ、死ぬ。
急がなくていい。
いずれ、分かる。
永遠に「闇」だというものは、嘘つきだ。
「闇」を知るには「光」の存在がなければならない。
「光」を見たから「闇」が分かる。
永遠に「闇」だということは、あり得ない。
過去、現在、未来。
どこかで必ず「光」はある。
きっと。
接点。
人生は「点」だ。
点を連ねて「道」となる。
「道」の中には散らばっている。
「闇」「光」「希望」「病」
選ぶのは、あなた。
はじめまして、こんばんは。小田虹里と申します。
普段は、「COMRADE」シリーズのファンタジー小説を書きながら、たまに、「いつの日か。」というほのぼの中学生物語をつづったりしています。
小田は、心底病んでます。それでも、あきらめたくないものがあるし、夢がある。たくさんの方に、迷惑をかけ、心配をかけてしまっています。まったくもって、情けないことこの上ありません。
でも、そんな小田でも生きることが許される。許してくださる存在がいる。だから、小田は今日もこうして言葉を紡いでいます。
小田に出来ることって、きっと、そんなにないと思うんです。だけど、だからこそ、その小さなことや、限られたことを一生懸命やらなければならないと思うし、賭けたいって思うのかもしれないですね。
リストカットとか、ODとか、自傷行為も多々してきました。正直いって、綺麗な身体じゃあ、ないですね。
でも、これも生きて来た証だから。これがなければ、きっと「私」とは呼べないのでしょう。
病んでる方や、傷ついている方は、この不景気な世の中たくさんいると思います。世界は、病んでいるとすら、思えるんです。
だからこそ、「希望」を訴える作品を残したいし、「闇」に呑まれている方にとっての「バイブル」みたいな作品も、残せたらいいなって思います。
小田には、そんな大層なことは出来ないかもしれないし、そんな資格はないのかもしれません。だけど、せっかく今のこの「病」と「闇」の中、もがいているのだから、「私」にしか訴えられないことを、伝えていけたらいいな、と。
小田は、ひとりじゃない。いろんな意味で、ひとりじゃない。それを、ぷらすに捉えて生きていきたい。価値を見出したいのです。
ここまでありがとうございます。また、別の作品でもご縁がありますように。