理想の暮らし
「え?」
「そろそろお腹へったでしょ。ご飯作らないといけないから」
初世が僕から離れてソファーからぴょこんと立つ。
意味深長なことを言われたような気がしたが、ただ夕食を作ってくれるということのようだ。
「手伝うよ」
「いいよ」
「手伝うって」
初世が笑う。
「今日は浩人の家じゃないし、一泊だからレトルト系ばっかりなんだけど」
「そうなの? 初世にしてはめずらしいね」
買い物袋を確認するとお菓子と飲料が中心で食事は夕食らしきものはお米とハンバーグのパックとインスタントのお味噌汁ぐらいだった。それといつものカセットコンロだ。
パックのレトルト食材も美味しいし、別に不満があるわけではないけど、手間がかからないものを作らないのは初世にしてはめずらしい。
「今日はデートだから、時間が勿体無いかなと思って。ごめんね」
「ははは。いいよいいよ。レトルトも大好きだし、いつも作ってもらってるんだしさ」
そういえば初世がご飯を作ってくれているのは僕の家に泊めてくれたからという建前だった。
僕が手伝えることはすぐ無くなってしまった。
初世が料理を作っている間に、教室で使ったメモとペンを借りて、書き物をすることにした。
布瀬家の大きなダイニングテーブルに座る。
勉強をするわけではない。理想の暮らしを考えて、それを実現するための簡単なロードマップを作る。
理想の暮らしか……。
ふと気がつくと初世、子供と書いて、それをマルで囲んでいた。
恥ずかしくて二重斜線を引いてしまう。
理想から考えるのはやめた。
車の運転をできるようになる。ガソリンより軽油が持つと聞いた記憶あり。そうだ、軽油のキャンピングカーあるのかな、と。
発電機を使えるようになる。災害用のものもあるだろうし、ソーラーパネルを利用できないだろうか、とも書いておこう。
お風呂。これについては考えていた。日本には源泉でお湯がでているところはいくらでもある、と。
「なに書いてるの?」
「うわっ」
初世が目の前に座っていた。
「もう夕飯できたの?」
「ご飯を炊けるのを待ってるところ」
カセットコンロの上ではお鍋がコトコト音を立てていた。
「で、なにを書いてるの?」
「これからの計画を箇条書きにしてたんだ」
「見せて」
「はい」
紙を渡す。
初世が文字を読み上げた。
「車、ガソリンより軽油。ソーラー……温泉!」
「初世も温泉入りたいでしょ」
「うん! ん?」
笑顔だった初世が固まる。顔も赤い。
「どうしたの?」
僕が聞くと初世は紙をテーブルにおいた。
二重斜線が引いた文字を指差す。
「何人なの?」
塗りつぶしておけばよかった。
◆◆◆
ご飯を食べて初世はお風呂に入っている。
「うーん。気持ちいい。浩人も一緒に入ればいいのに」
「いや、いいよ。恥ずかしいし」
「いいじゃない。もうお互い見てるんだし」
僕はいつものように脱衣所で待たされている。
このマンションは給水タンクが屋上にあるためか、人が消えてからそろそろ一週間が経つ今でも水が供給されていた。
ひょっとしたら停電が長く続いてもライフラインが断たれないように設計されているのかもしれない。
もちろん、お湯はでない。初夏の季候なので水でいいと初世は冷たいシャワーを浴びていた。
気持ちはわかる。いつもは買い物袋に穴を開けて、そこに沸かしたお湯に水を混ぜて適当な温度になったお湯のチビチビシャワーを浴びている。
多少、冷たくても水量が多いシャワーを浴びたくなるだろう。
それにしても布瀬家は浴室も凄かった。
僕の部屋ぐらいあったんじゃないだろうか。
一体、初世のご両親はどんな仕事をしてるのだろうか。
「ねえ」
「ちょ、ちょっと待って。心の準備が」
どうやら彼女は僕がお風呂に一緒に入ろうとしていると勘違いしたらしい。
「いや、そうじゃなくて。ウチはしがないサラリーマンなんだけど、初世のご両親はどんなお仕事してるのかなって」
「あ~教育関係かな」
教育関係? 先生だろうか。
「先生って儲かるんだね」
「えっと父は大手の塾の社長やってるの」
「ああ、なるほど」
初世の勉強マニアもお父さんの仕事が関係してるのかも知れない。
しばらくして、初世が出てくるという。僕は後ろを向くのが常だ。
背中越しに会話する。
「寒くなかった?」
「気持ちよかったけど、やっぱり、ちょっと寒いかも」
「風邪ひいたら大変だからよく拭いてね」
「うん。温泉楽しみだね」
初世はそういった後に裸のまま後ろから抱きついてきた。
「濡れるって」
「ちゃんと拭いたもから温めてよ」
「はいはい」
初世に後ろから抱きつかれたまま、僕はしばらく、脱衣所で立っていた。




