猫になりたい五日目
【五日目】
「浩人! 浩人! 起きて!」
「ん。あぁ、布瀬。おはよう」
残念ながら布瀬は、もうベッドから出ていて、しかも着替えていた。
「遅刻ギリギリだよ」
「遅刻ギリギリって……どうせ、誰もいないんだし、ゆっくり行ってもいいじゃないか」
「ダーメ」
「会長」
「なにか言った?」
「なんでもないです」
もう少し早く起きればよかった。ベッドの中で布瀬の感触を味わいたかったという衝動を強く感じる。
なぜだか寝る前より強くそう思う。布瀬に会いたかったのに、なぜか会えなくて……。そんなもどかしい感覚。
「早く朝ごはん食べよう?」
「ああ」
立ち上がって窓の外を見る。やっぱり誰もいない世界だった。テーブルを挟んでコーヒーを飲む布瀬の顔を見る。
「どうしたの?」
「別に」
「あ、コーヒー飲みたかった? 浩人はコーヒー飲まないと思っていた。用意するから待ってね」
誤解されてしまった。
「あ、いや。水でいいよ」
「?」
布瀬が首をかしげる。僕はコーヒーが苦いから飲めない。誤解させてしまった。なぜかわからないけど布瀬の顔を見るとほっとするのだ。
この誰もいない世界と布瀬の笑顔があることに。
どうしてだろう?
「布瀬がいてよかったって思って」
「え? なに言っているの! もう!」
布瀬は立ち上がってキッチンの奥に行ってしまった。
「布瀬……」
「学校に持っていくお弁当作っているの!」
からかうつもりじゃなかったけれど、とても楽しい。布瀬は随分コロコロと表情を変えるようになった気がする。
正直、最初の頃は人形のように思えた。布瀬は人見知りなのかもしれない。
今の僕の楽しみに布瀬のことを少しづつ知っていくことが追加された。
「そういえば、布瀬ってどこに住んでいるの?」
布瀬のソフト面、つまり性格はわかりはじめている。
冷静で真面目で合理的だけど、純粋で子供っぽいところもある。そして、ちょっと頑固。
けれど布瀬のハード面は、まるで知らない。
どんなところに住んでいるのかとか、家族はどうなっているのかとか。
そういうことは同じ学校の同級生で優等生というぐらいしかわからなかった。
「え、え~……」
布瀬が言葉を詰まらせた? ひょっとして答えたくないのか。なにか理由が……。
「答えたくないなら言わなくても」
「駅前にタワーマンションがあるでしょ」
「ひょっとしてレジデンス●●?」
「うん。そこの最上階……」
なにか特別な理由があるのかと思ったら、あのタワーマンションに住んでいるということを言いにくかったらしい。
あのタワーのしかも最上階のペントハウスに住んでいるのは、確かに自分がお嬢様だということを言っているようなものだから、言いにくかったのかもしれない。
今日も二人で学校に向かう。どうして学校で勉強をするのかという疑問はもう捨てた。
「あ、この間の猫」
以前、逃げられた猫だ。
布瀬がふらふらと猫に寄っていく。猫はビクッとしてからいかにも身体を反転させ、顔だけをこちらに向けている。
「布瀬、声をかけながら近づくといいよ。後、笑顔笑顔」
「え? う、うん。やってみる」
布瀬はぎこちない笑顔を作って猫に声をかけた。
「おいで。おいで」
ダ、ダメか。また逃げてしまいそうだ。動物は心が穢れているものは警戒するとか聞いたことあるけど、布瀬の心はむしろ高校生とは思えないほどにピッカピカな気がする。
動物の話は嘘なのだろうか?
「大丈夫、大丈夫、おいで」
やっぱり動物の話は本当だったのかもしれない。
布瀬が一生懸命話しかけると猫は警戒するのをやめて彼女のほうによっていった。布瀬は優しく猫を抱き上げる。
「きゃーかわいい」
「やったな」
「うん。浩人のアドバイスのおかげ」
「そんな。大したアドバイスじゃないよ」
それにしても猫は心地よさそうに布瀬の胸に抱かれていた。オス猫かもしれない。




