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彼女の儀式

 布瀬のことをよく知らなくても、彼女が今どこにいるかはなんとなしに気がついた。

 1年3組がある一階の廊下から二階の廊下に駆け上がった。

 脇目も振らずに2年3組を目指す。

 布瀬はやはり教室にポツンと一人で座っていた。

 僕の席の隣の席に。

「布瀬」

 布瀬は真っ直ぐに黒板を向いていた。

 こちらも見もしないで応えた。

「なに? 鈴木くん」

 とりあえず反省したことを謝ろうと思う。

「さっきはごめん。別に世界がこんなに成っていたって勉強するのは悪いことじゃないよな」

 布瀬はピクリと反応したが、黒板を向いたままだった。

「ちょっと変わっていたってそれが悪いことじゃない。それなのにイライラして八つ当たりしちゃったよ」

 斜め後ろから話しかけた僕に座ったままクルリと振り向いて言った。

 目尻には少し雫があるような気がする。

「鈴木くんってひどいんだね。私のことが迷惑そう」

「そんなことないよ。布瀬がいてくれて凄く助かっている」

 本心からそう思っている。誰もいない世界で生活する上でのパートナーということだけではない。精神的にも助かっている。

 高橋とだってきっとこんなに上手く生活できなかっただろう。

 ちょうどそれを言われた。

 口をとがらせて拗ねた素振りができるぐらいには回復したようだ。

「でも高橋さんのほうがよかったでしょう?」

「こうやって事件の後でもほとんど普通の生活が出来て美味しいご飯も食べられるのは布瀬のおかげだよ。感謝している」

 本心だった。

「え?」

「高橋だったら無理だったと思う」

「そんなことないでしょ……」

「いや、そうだと思う。少なくとも決まった時間に美味しい食事ができて、ちゃんと朝起きて夜寝て、なんていう生活はしてなかったよ」

 突然、布瀬が机に顔を突っ伏した。

 慌てて顔色を見ようとするが長く艶の良い黒髪で隠れている。

「お、おい! 布瀬どうした! 大丈夫なのか!? どこか痛いのか!?」

 布瀬は微動だにせずに言った。

「大丈夫。痛くない」

「本当か?」

「本当」

 声も少し変だ。

 けれども、特に何処かが痛そうとか苦しそうということは無さそうだった。

「な、ならいいけど。どうしたんだよ?」

 さらに心配になるぐらいの時間が流れてから布瀬がとんでもないことを言った。

「え、えーと……儀式? ただの儀式」

「は、はあ? 儀式?」

 この状況で儀式って言ったら世界から誰もいなくなった状況に関わる、それしかないだろう。

 布瀬は顔を伏せたまま手探りでペンケースから筆記用具を取り出し、隠した顔の周りにペンを立てて起きはじめた。

「そ、それが儀式なのか?」

「そ、そうだよ」

 確かに少し儀式っぽいけどどうも変だ。

「本当にそんな儀式で元の世界に戻るのか?」

「えっ? ちがっ!」

 布瀬が勢いよく顔をあげる。

 その目からは涙が零れていた。

「布瀬、泣いているのか?」

「え?」

 布瀬はポカンと驚いた顔をする。

「やっぱどこか痛いんじゃないか? 苦しいとか?」

「……大丈夫、ホント大丈夫だから」

 彼女は不自然な笑顔を作って体調の不良を否定した。

「本当に大丈夫なんだな」

「うん……大丈夫……心配しないで……」

 とりあえず本当に大丈夫みたいだ。

「驚いたよ。儀式ってなんの儀式だったんだったのさ? こんな状況で儀式なんて言われたら世界を元に戻すものかと思うじゃないか」

「ふふふ。内緒」

 やっぱり布瀬は変わっている。


 笑顔を見て安心した僕は隣の席に座った。そこが自分の席なのに少しだけ躊躇してしまう。

 彼女の行動は今回も突拍子のなかったが、僕は段々と布瀬という女の子のことがわかってきた気がする。

 世界から誰もいなくなったのに、教室で授業をするという倒錯的に行為について、僕が想像した理由について告げてみる。

「こんな大変な時こそ、いつもの様にしていたほうがいいってことだよな。布瀬が学校で授業をするのもそういう理由なんだろう?」

「え? う、うん……まあね」

 やはり、そういうことか。予想が当たってほっとする。

「段々、布瀬のことがわかってきたよ」

「私のことがわかる?」

 じっと見つめられる。

「いや布瀬って変わっているって思ってさ」

「悪かったわね。変わっていて」

 僕を見る目が、半目で凄むように変わる。整った顔と相まってかなり怖い。

「悪い意味に取らないでくれよ。その……布瀬の変わっているところもさ……」

「なによ?」

 また怒り出しそうだ。

 伝えたいことを早く伝えるべきだ。

「なんというか。結構好きだよ……」

「え?」

 恥ずかしくて布瀬の顔がよく見れない。

「もう一度、言って」

「え? その……もういいだろ」

 恥ずかしさに耐えていったのに。

「いいから。もう一度言って」

「もう一回しか言わないからな。変わっている布瀬も……結構好きって言ったんだよ」

 布瀬が黙り込む。

 やばい。変なこと言ってしまったかもしれない。布瀬の顔も赤い。

 考えてみれば、世界に二人きりなのにこんなことを言ったら警戒させてしまうかもしれない。

「い、いや、そんなに黙りこむなよ。僕は高橋みたいにおっとりしたおとなしい子のほうが好みだしさ」

「っ!」

 布瀬が机の上に散らばっていたペンをかき集める。

「いてっ!」

 彼女から急にペンを投げつけらた。手で顔を防ぐ。

 なにをするんだよとこちらが言う前に、布瀬は

「馬鹿ッ!」

 と一言叫んで教室のドアを叩きつけるように開けて走り去った。

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