浩人(ひろと)と初世(はつよ)の確率理論
高橋家は普通の一軒家で、隣近所の家の形と同じだった。
ウチと同じ建売住宅というやつだろうか。
「綺麗なお家ね」
「うん」
築年は新しいとは思うけど、無個性でこじんまりとしている。
どこにでもいそうな女子高生という意味でどこか高橋美緒に似ていた。
けれど僕にとって高橋は大切な女の子だ。
竹原も赤井も友達ではある。
でも煩わしい世界を僕に忘れさせてくれたのは高橋しかいなかった。
「やっぱり、あがるの?」
僕は布瀬の問いに無言で頷いた。
鍵はかかっていなかった。
「お邪魔します」
「お邪魔します」
誰もいないだろう家に僕と布瀬は挨拶した。
「やっぱり誰もいないね。高橋さんも……」
「……」
「誰かいませんか~」
布瀬がいつもの綺麗な声で呼びかける。
玄関で耳をそばだてる。家の奥からもなにも聞こえなかった。人の気配はしない。
やはり高橋は消えていた。
「どうする?」
十分に予想していたことなのに、、高橋がいなくなったことはやはり大きなショックで、布瀬の言葉の意味を理解するのに何秒もかかってしまう。
「え?」
「高橋さんの家に来てなにか調べる?」
「……あぁ」
誰もいなくなった世界をむしろ楽しんでいた僕は自分を打ちのめしたくなった。
やはりできるなら世界を元に戻さなければならない。
だからそのための手がかりを探しに来たのだ。
自分にそう言い聞かせても玄関の薄暗さに沈み込んでしまいそうだった。
「鈴木くん、大丈夫?」
背中に暖かいものが触れる。
どうやら布瀬が手を置いてくれたらしい。
彼女は僕の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「ありがとう。大丈夫だよ」
僕が少し笑うと布瀬も笑い返してくれた。
「うん。よかった」
布瀬の笑顔を見ると少し元気が戻ってきた。
「で、どうするの?」
「うん。とりあえず『僕とお前の確率理論』から考えれば、人が消えたことや学校やクラスに関係することになる。高橋……美緒の部屋を調べよう」
「美緒。高橋さんの下の名前ね」
「高橋家で高橋っていうもの変だろ?高橋のお父さんも高橋のお母さんもいるんだし。いやいないんだけどさ」
「はいはい、そうね。で、高橋美緒さんの部屋はどこかわかっているの?」
「ああ、一度、部屋にもあげてもらったことはある。いってっ!」
僕の背中に優しく置かれていたはずの手が僕の背中の肉をつねった。
「なにすんだよっ!」
「ニヤけ面してるからよ」
「えええ? 大丈夫だって伝えるために一生懸命に笑顔を作ったのに」
「笑顔~? ただのエロいニヤけ顔にしか見えませんでしたけど」
エロいニヤけ顔……ひどい。
不機嫌になった布瀬はさらに追い打ちをかけてきた。
「それにね。僕とオ マ エの確率理論ってなに!? 私、鈴木くんにお前なんて言われる仲じゃないよ!」
なんだかよくわからないけど、そんなに怒らなくていいのに。
「ご、ごめん。これから手がかり探すのに、この仮説に名前もあったほうがいいだろうと思ってさ。『僕とお前の確率理論』じゃなくて『鈴木と布瀬の確率理論』にするか」
世界中の人が消えて残った二人が無作為に僕と布瀬になるのは確率的にとてつもなく低い。そこになんらかの理由や作為が存在しているのではないかという仮説を『鈴木と布瀬の確率理論』と、僕は命名した。
布瀬は何故か無表情を少し崩して嬉しそうにしたが、細かいことに突っ込んできた。
「それも変じゃない。鈴木なんか珍しくない名字だし。私達の家族も居なくなってるんだし」
「そりゃそうだけど、一緒に手がかりを捜索するための共通認識となる名前があったほうがいいだろ? 毎回、ありえないほど低い確率だから理由や作為が考えられる理論とか面倒だよ」
「略すのは賛成だけど名字を使うのが反対だってことよ」
つまり下の名前を使えということだろうか。
それには一つ問題があった。
「あっあ~。じゃあ、浩人と、えっと……」
僕は布瀬の下の名前を思い出せなかった。
「初世。初めての初に世の中の世で初世」
布瀬初世。そうだ。そんな名前だったような気がする。
「じゃあ『浩人と初世の確率理論』でいいのか?」
「うん! そうしよう!」
先ほどまで不機嫌だった布瀬は弾んだ声を出した。
お前って言われたくないって言ったり、下の名前を使ったら機嫌が良くなったり。
女の子っていうのは本当によくわからない。




