三日目
【三日目】
「おはよ」
「あ、おはよ」
僕の意識は未だにまどろんでいたが、世界から人がいなくなったことと、布瀬がいつも起こしに来ることは、すぐに認識できるようになった。
視界には見慣れた天井と僕をのぞき込む少女の顔がある。
僕は少女の肩を押して視界を広げる。
「どうして押すの」
布瀬は文句を言っているが、そうしなければ僕が起き上がった時に、二人で顔を押さえながら痛みに耐えなくてはならないだろう。
「7時30分か。寝坊したかな」
「昨日は夜遅くまで予習復習したからいいじゃない」
「事件を調べる時間がなくなっちゃったじゃないか」
「うーん。そうね」
やはり布瀬にはあまり積極的に事件の解決をする意志が感じられない。
「そういえば布瀬は何時に起きたのさ。普段は5時ごろ起きているって言っていたけど」
「え? あ、うん。今日も5時だよ」
「朝ごはん作ったり、お弁当作ったり、朝の準備もあるかもしれないけど……それでも5時に起きたらかなり時間あるだろ。なにしていたの?」
布瀬のことだから勉強でもしていたのだろうと思いながら聞いた。
「6時ぐらいからはここでずっと鈴木くんの寝顔を見ていたよ」
え? 冗談だよな? それとも、これはひょっとして告白かなにかなのだろうか。そうだとしてもちょっと異常ではないか。
仮に好いている相手だとしても1時間半も声もかけず、寝ている相手の寝顔を音もたてずにずっと見続けるものなのだろうか。
僕は布瀬の顔を見返す。人によっては冷たく見えてしまうだろういつも通りの無表情だ。
つまり布瀬のいつもの表情。あっけらかんとしていると言っていいのかもしれない。
僕が好きだったとしても、そうじゃなくても少し異常だぞ。
「布瀬、嘘だよな?」
「え? 嘘? なにが?」
布瀬はやはり表情を変えない。
「なにがって僕の寝顔を1時間半も見続けていたって。そんなこと好きな相手にしかしないだろ?」
好きな相手にしても、少し異常な気がすることは伏せた。
布瀬は急に驚いた顔をしてから声を出して笑いはじめた。
「ははははは。鈴木くんの顔おかしい。からかったんだよ」
「ええっ?」
やっぱり冗談だったのか? 笑われてしまった。
「鈴木くんの寝顔なんて1時間半も見ているわけないじゃん。30分も見れば十分だよ」
「30分って……またからかう」
「ははは……バレた? 部屋に入ってきてすぐに起こしたよ」
「ったく」
「でも5分ぐらいは見たかな。ははは。本当におかしくなってきちゃった。ははははは」
布瀬はお腹を押さえてベッドを叩いていた。大笑いされてしまった。でも彼女が口を開けて大笑いしたのを見るのは初めてだ。
僕はそれを嬉しく感じる。
布瀬と朝ごはんを食べて家を出た。
「鈴木くん。忘れ物ない?」
「ないよ。布瀬のお弁当も持ったし」
「じゃあ、学校に行きましょうか」
「わざわざ学校に行く必要なんてあるんだろうか。家で勉強してもいいと思うんだけどなあ」
布瀬に睨まれる。これはいつもの無表情ではないだろう。
「怒るなよ」
「だって学生は学校に行くものよ」
なんだか布瀬はずいぶんと表情が豊かになった気がする。最初会った時、いや以前から教室で時折目に入っていた記憶はあるけれども、世界が普通だった時やその後に教室でであった頃よりも随分色々な表情を見せてくれるようになった。
人がいなくなった世界で布瀬と学校に行き、教室で授業をする。
学校の時間が終わったらスーパーやホームセンターで必要なものを僕の家に持って帰る。
僕はもう人がいなくなった原因をまったく探らなくなってしまった。
会長と言われた美少女が、黒髪を束ねエプロン姿で、僕のために夕食を作っている。
そんなことを考えながら夕飯を作る布瀬を眺めていた。
この生活が当たり前になりつつある。不思議な生活だった。けれど心地よい。
「鈴木くん!」
「な、なに?」
「今、私を見てなかった?」
「え、いや……」
図星だ。顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
「そんなことをしてないで英単語を覚えなきゃ! 文法を理解しても単語の覚えないと意味ないよ」
布瀬はやっぱり布瀬だった。
「あ、そうだ」
「今度はなに?」
「ちょっと料理していてよ」
「え? どこにいくの?」
懐中電灯を持って二階にある自分の部屋にかけあがる。
おお、あった、あった。
「戻ったよ」
「どこ行っていたの?」
「自分の部屋からお金取ってきたんだ。はい」
僕は財布を持って出なかったから今までスーパーでの買い物のお金を布瀬に全て出させてしまった。
少なくとも半額は出さないとならない。
「なにそれ?」
「スーパーで色々買っているだろ」
「私も使うんだしいいよ」
「そういうわけにはいかないよ」
「そこまで言うなら……」
布瀬は包丁を置いて一旦は受け取ろうとしたが、また手を引っ込めた。
「やっぱりいいよ」
「どうして? そういうわけにもいかないだろ」
「今は……家計も一緒みたいなもんでしょ……一緒に暮らしているんだし……」
「え? どういう意味?」
最初意味がよくわからなかったが、なんとなく彼女の言いたいことがわかった。
布瀬は顔を赤くしながら野菜を切っている。
顔の熱さからして自分の顔の色も同じかもしれない。
「そ、そう?」
「うん」
ついお金を引っ込めてしまった。
強引にでも渡したほうがよかったかもしれない。




