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彼女との日常

 全ての授業が終わった。放課後になる。

「なんだか昨日よりもよくわかるよ」

「明日も、明後日も真面目にやれば、さらによくわかるようになるよ。予習も復習もね」

「は~毎日か」

「いやなの?」

 勉強が好きになったのが恥ずかしくて嫌がったふりをしたが、もうそんなことはなかった。

 布瀬のいう選別のためではない、自分が知らないことを知るための勉強がこれほど楽しいとは思わなかった。

「本当はいやじゃないよ」

「え?」

「布瀬と勉強するのは楽しいよ」

「そ、そう」

 布瀬はいつもの無表情を崩しながら椅子に座りながら背を向けてしまった。窓の外を眺めている振りをしていた。

 回り込んで横顔を見ると頬が少し紅い。夏の陽が赤くなる時間にはまだ早い。

「なに?」

「い、いや別に」

 睨まれてしまった。布瀬はゆっくりと立ち上がって振り返る。

「鈴木くんの家に帰ろうか?」

「え? ああ」

 布瀬は今日も僕の家に来るらしい。無表情が楽しそうに見える。

「予習、復習もしないとね」

 これがなければなあと思う。


◆◆◆


 昨日と同じように、布瀬と買い物をして帰ってきた。事件の調査はしなかった。

「鈴木くんは独りでできるところを復習でもしていてよ」

 布瀬が当たり前のように台所に立つ。

「なんか手伝ったほうが……」

「いいから、いいから。私は泊まらせてもらっているわけだし」

「そうか?」

「うん。それより鈴木くんは英単語もっと覚えたほうがいいよ。今日の授業でわからなかった単語が一杯あったでしょ」

 布瀬は楽しそうに料理を作りはじめた。

 わからなかった英単語を調べると、欠けたピースが埋まって英文がわかるようになってくる。それが面白くて集中できてしまう。

「できたよ~」

 布瀬の声にはっと気がついたときには美味しそうな匂いが漂っていた。

「麻婆豆腐と餃子にサラダか。凄くいい匂いだよ」

 布瀬の作ったものはいつも美味しい。気持ちが高揚する。

「お豆腐は漬けてある水を変えて保たせているし、真空パックのひき肉もあったけどそろそろね」

「あ、そうなのか」

 スーパーの冷蔵室の冷凍室にある食材自体が保冷剤になっているけど、それでも段々と使える食材は少なくなってくるだろう。

 この生活は楽しいけれども、やはり普通の世界とは違う不便は発生してくる。僕か布瀬が難しい病気にでもなればさらに困るだろう。

「やっぱり、できるならだけど元の世界に戻さないとな」

 この生活に慣れようとする自分に抗うために言葉に出すと布瀬が言った。

「やっぱり戻りたい?」

「え?」

僕は布瀬の言葉の意味が急にはよくわからなかった。

「元の人がたくさんいる世界に戻りたい?」

「戻せるのか!?」

「そうじゃないけど……鈴木くんは戻りたいのかなって」

 すぐには答えられなかった。

 本心を言うべきか、常識を言うべきか。僕が考え込んでしまうと、布瀬は別のことを促した。

「鈴木くん。冷めちゃうし、夕ご飯、食べようか?」

「あ、ああ。うん。いただきます」

「いただきます」

 麻婆豆腐は本格的なものなんだろう。山椒が効いていてかなり辛い。でも味はとても美味しい。

「麻婆豆腐。凄く美味しいよ。辛いけど」

「ありがと」

 布瀬が僕を見る。それでなんとなく察した。

「普通に考えたらもとに戻さないといけないんだろうな。でも本当は……」

「うん」

 布瀬はいつもの無表情だが、真剣に聞いてくれた。やはり彼女はさきほどの問いの答えを求めていた。

「本当は……この生活が楽しいよ」

「ホント?」

 布瀬の口角が僅かに上がった気がする。僕がそれをふと見ると、隠したいのかいつも以上に無表情になる。彼女のことが少しだけ分かってきた気がする。きっと僕も少し照れ笑いをしたはずだ。

「本当だって。布瀬もいるしさ」

ついに布瀬は隠さずに笑った。

「ふふふ。どうして? 嫌いな勉強をさせられるよ」

「ははは。もうそんなに嫌いじゃないかもしれない」

 二人で笑う。僕の家に小さく笑い声がこだまし続ける。でもふと気がつくと布瀬は笑いを消していた。いつもの無表情になっている。

「もし私がいなくなっても予習復習をしてね」

「なんだって?」

「なんでもない」

「なんでもなくないだろ!」

 自分の声が怒っていることが自分でもわかる。布瀬がビクッとする。驚かせてしまったかもしれないが、それでも謝る気にはならなかった。

「予習復習してねって」

「いやその前だよ」

「鈴木くん、怖いよ」

「え?」

 気がつくと布瀬は泣きそうな顔をしている。そんなに僕は怒っていただろうか。布瀬の泣き顔を見てやっと悪いことをしたかなという気持ちになってきたが、それでも謝りはしなかった。

「縁起でもないことを言うからだろ」

 布瀬は顔を上げてはいなかった。ポツリポツリと話しはじめる。

「でも私達以外の人が消えたんなら、私や鈴木くんが消えたっておかしくないかなって」

「そういうことか」

 確かにそうだ。あまりに平和で静かだから忘れていたけど、70億の人が消えている。 布瀬が消えても僕が消えてもおかしくない。

 この状況で女の子が心細くなってもおかしくないじゃないか。

 それで私が消えても勉強しろか。自分がいなくなっても僕に勉強させようなんて。やはり布瀬は少し変わっている。だけど変わっていることは悪いことではない。

「ごめんね」

 言おうとしたことを布瀬に先に言われてしまった。

「僕の方こそごめん」

「鈴木くん……」

 布瀬が顔を上げる。目尻が光っていた。

「私が変なことを言っちゃったのに」

 布瀬は指で目を拭っていた。

 彼女の見た目は冷たげにも見えるから誤解していたけど、良くいえば純粋、悪くいえば子供のようなところがあると感じている。

「泣くなよ。そんなに怖かったか?」

 人がいなくなる前の布瀬とはほとんど話した記憶もないけれど、事務的、もっといえば高圧的なイメージもあった。

「怖い! ひどい!」

 謝られていたのが、今度は責められている。でもその怒り様は子供のようだった。

「そ、そんなに怒ったつもりはないんだけどな」

 そっぽを向かれてしまった。

 本当にそんなに怒ったつもりはなかったんだけどな。

 せっかく美味しいご飯を作ってくれているのに気まずくて仕方ない。二人しかいない世界で僕らが話さなければ静けさに押し殺されそうになる。

 美味しいからといって麻婆豆腐ばかり食べていたことに気がついて餃子も口に入れてみた。

「餃子も凄く美味しいよ」

「そ、そう?」

「うん。もう一個。やっぱり美味しい」

「ふふふ。野菜を多めに使った野菜餃子なんだけどね」

 やっぱり少し子供みたいだ。

 食後は予習復習をたっぷりさせられた。

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