第一章、桶狭間への道2
第一章、桶狭間への道2
「コホン、みんなが打ち解けたところで、今度こそミーティングに入るわ」
おい、打ち解けたって? チンパン佐助と園児組は完全に引いてるし、和やかどころか不穏な空気しか流れてないぞ。
「今日は、今度の金曜日の実習テーマと役割分担を決めるわけだけど、その前に、君たちが実習で使うプログラムの説明をするわね。本番で混乱しないように良く聞いておきなさい」
おっ、まともにミーティングが始まりそうだ。もうつっこむのは止めておこう。
「仮想歴史科の実習ソフトは、通称『ヒミコ』と呼ばれる前世記憶集積管理システムを持つ仮想歴史再現プログラムで、歴史イベントをそこに登場する人物の視線で再現するという機能を持っています。まあ、簡単に言うとね、君たちがタイムスリップして、直接、目的の歴史イベントの中に置かれるという感じかな? 説明は難しいけど、実際に『ヒミコ』を使ってみれば、そんな風に感じるはずよ」
ふむ、タイムスリップみたいな感じね、憶えておこう。
「ここで問題なのは前世記憶ってやつよ。これは仮想歴史科の実習で一番重要なことだから、すでに君たちも授業で習っているわね? 大佐、習ったことを言ってみなさい」
急に話を振ってきた。先生みたいだぞ。
「む、確か、催眠術だぞ。退行催眠とかで生まれる前の記憶を辿っていくと、前世の記憶に辿り着くって聞いたような気がする。そんで、誰でも前世記憶をいっぱい持っているって話だった」
ほっ、乙子姉、頷いてくれた。
「六十点。かろうじて合格点をあげるわ。退行催眠というのは、トラウマなどの精神的な疾患の治療に用いられる催眠療法の一つだけど。……そうね、火が怖いっていう人の過去を調べたら、前世で火事に遭っていたとか、水が怖いという人が前世で洪水にあって亡くなったとか、トラウマの原因を調べて治療するために使われていた催眠術よ。かなり特殊な療法だけどね。それでこの退行催眠を研究していたら、全ての人に前世記憶があるということが分かったの。…チンパン君、前世記憶の三つの法則を陳べよ」
「簡単だぜ。記憶を持たない、作らない、持ち込ませない、という三原則だ。元総理大臣の佐藤C作が……」
「考えボケね。つまらないわ。十五点! ……坂元君、君は分かるわね?」
乙子姉、以前から佐助には冷たかった。一生懸命に考えてボケたのに一刀両断だ。
委員長、次は頼むぞ。
「ふん、記憶を殺したら死刑、盗んだら死刑、傷つけたら全て死刑だ」
「劉邦の法三章のパロディーかな? あまりコアなものを持ち出しても誰もついてこれないわよ。二十点。……四十四君、君なら大丈夫ね。答えてちょうだい」
言葉は穏やかだけど、唇とこめかみの青筋がピクピクしてる。
「はい、き、記憶は分裂し、錯乱し、喪失します」
「惜しい、わね……。君はボケるような子じゃないと思うけど、悪い病気が進まないように気をつけなさい。三十三点」
視線が五十三に移った。でも微妙に揺れている。
「君は、……もういいわ」
あっ、やっぱり指名を諦めた。まともな答えが帰ってこないことは僕でも分かるぞ。
「えー! あたしも点数欲しいよー。遊びたいよー。ボケたいよー」
「八点! 三つ並べれりゃいいってもんじゃないよ。……君たち、ミーティングも授業だって知ってた? 今は君たちが授業で習ったことをどのくらい憶えているか、テストしてるわけ。大喜利の時間じゃないの!」
今度は乙子姉の全身が震えだした。
「全員、椅子の上に正座だ! 大佐、みんなに代わって答えろ。 さあ、早く! 今、すぐに!」
あーあ、キレちゃった。乙子姉は机を両手で思い切り叩き、立ち上がりざま僕をビシッと指差した。明らかに興奮してるぞ。
五十三は喜んで椅子に飛び乗って正座したけど、他のみんなはノロノロと立ち上がりながら、僕を見てる。――責任重大?
「う、うん。確か、前世記憶は分裂し、結合し、増殖する、だと思うぞ」
「正解! さっきのにプラス五点」
納得顔で大きく頷いた。何とか興奮も収まったみたい。
義弟の立場はつらいんだぞ。…みんな、正解者に拍手は?
「君たち、こんな簡単な問題でよくボケられるものね。感心するわ。…まあ、大佐が答えてくれたから続けるけど」
少し間をおいて仕切り直しだ。その間に全員元通りに着席。
「(前世診断ゲーム)って知ってる? 以前に大流行した無料のモバイルソフト」
「うむ、良く知っている。子どもの頃、あたしの前世が信長公であることをそのゲームで確かめたのだ」
「あたしもやったよー。お姫様、お姫様って三回願うとお姫様になれるって聞いたけど、やってみたらそば屋の娘だったから少しがっかりした」
あのゲーム、無料のコンテンツだったし、誰にでも前世が具体的に示されたから学校中でみんなが話題にしてたぞ。直ぐに禁止になったけど大流行したのは間違いない。
「そのゲームに使われていたのが退行催眠誘導ソフトよ。前世を調べる目的で開発された特殊なプログラムね。この研究が進んだから退行催眠で大量の前世記憶が集まったの。『ヒミコ』の集積回路には何億もの前世記憶が蓄積されているわ」
「研究が進んだのは分かったけど、どうやって前世記憶を集めたんだ? 何億も集めるのって、とても時間がかかると思うぞ」
「良い質問ね。だけどそれは禁則事項だと思うわ。ちょっと拙い問題があるの」
禁則事項って便利な言葉だ。生み出した人を褒めてやりたい。
「ヒントは、今話したソフトよ。データを勝手にフィードバックして……、あ、禁則事項にかかった。この辺りに未来人がいるのかな?」
わざとらしい。その言葉を使ってみたかっただけだろう。それに無料モバイルを使って違法に前世記憶を集めたってことが、すぐ分かったぞ。
「話を元に戻すわよ。この違法……大量に集めた前世記憶を解析したら、いろいろなことが分かってきたの」
今、違法だってことを認めそうになった。
「例えばね、江戸時代に深川に住んでいた小料理屋の娘がいたとしましょう。集まった前世記憶の中に、その娘の記憶らしいものが複数存在していたの。それもリテールがバラバラで、そば屋だったり、寿司屋だったり、住所が深川じゃなくて品川だったりと、その娘自身の記憶らしいんだけど、それに何種類ものパターンがあったのよ。……どういうことだか分かる?」
「勘違いだぞ。きっと」
「多分、錯乱してたんじゃ…」
四十四、そこに持っていくか?
「君たちには難しかったかな。何人かの前世が混同してたのよ。そしてその混同された記憶が、何人もの人に前世として伝わったと考えられるの。つまり一つの記憶が分裂して他の記憶と結合し、何人もの人に増えて伝わったと言うこと。…これが三つの法則ね」
「じゃあ、委員ちょーの、信長さんの記憶も、何かとコンドーされてるの?」
五十三の質問。僕も少し興味があるぞ。
「いいえ、それは特殊事例だと思うわね。前世記憶には色々な伝わり方があるのよ。今言ったみたいに、沢山の人の記憶を混同して前世として持っているのが普通だけど、特殊な人物の場合、その記憶は分裂せずに受け継がれることがあるの」
と言うことは、委員長は特殊なんだ。性格が影響してるのか?
「歴史上の有名人などはね、その人の生活や生涯などが分かっていることが多いから、分裂したり結合したりしにくいのよ。まあ、増殖して数人に受け継がれるってことはあるみたいだけどね。……このような場合は特に、特別前世記憶として『ヒミコ』に登録されるわ。その記憶を持った人も、歴史上の重要度に従ってランク分けして登録することになってるの。だから坂元君が信長の前世所有者だと確認されれば、多分、特Aクラスに指定されるでしょうね」
ほう、特Aクラス! 魅力的な響きだぞ。
「すっごーい。委員ちょー、やったねー」
「あとで話すけど、調査結果を見てもその可能性は高いわ。期待してるわよ」
乙子姉も認めてる。僕らも期待して良いのかな?
「期待されても困るが、最善を尽くそう」
「うん、それでいいわ。じゃあ、話を先に進めるわよ」
ふう、少し疲れてきた。急に色々な知識を詰め込みすぎたみたいだぞ。ここは一旦、休憩を提案してみようか…。
「あの、乙子姉さん、ちょっと待って。佐助くんの様子がおかしいよ。何だか顔も赤くって…」
「あっ、ホントーだ。真っ赤っかだー」
「それば2号の地なのでは…」
みんなが騒ぎ立てようとする中で、佐助の呻きが聞こえた。
「……お、俺は、もう、駄目かも知れない。……みんな、俺を見捨てて、先に行ってくれ。顔が、熱い。視界が、回る。頭が真っ白で…」
休憩の提案が遅すぎたらしい。この症状は……。
「「「「知恵熱だ」だぞ」だよ」だねー」
「捨ててこい。すぐに廃棄しろ! 今、すぐ! さあ、早―く!」
自動的に休息になった。
「それじゃ、もう一度気を引き締めなさい。続けるわよ」
佐助の活躍で一息つけたものの、時間が圧していたためにすぐに説明が続けられた。お馬鹿な自己紹介?がなければもう少しは休めたはずなんだが、今さらながら恨めしいぞ。
ちなみにチンパン男はドアの前に放り出してある。気がついたら戻ってくるだろう。
「前世記憶のことを話したのは、『ヒミコ』のシステムにとって一番重要なことだからよ。言った通り、『ヒミコ』には何億もの記憶が集積されてるわけ。しかも記憶の混同は集積回路の中で修正され一人一人の前世記憶として登録されている、つまり『ヒミコ』の中には、何億もの歴史上の人物がいるというわけね。だから、ほとんどの歴史イベントは前世記憶で再現出来るのよ。ここまでは良いかしら?」
「うん。記憶がいっぱいあるから何でも再現出来るというわけだな」
こういうことは大雑把に掴んでおけばいい。とにかく相づちを打つのが義弟の勤めだ。
「簡単に言えばそういうことね。一つの歴史イベントを再現する場合、一〇%くらいの登場人物が前世記憶を持っていると試算されているわ。一〇〇人参加するイベントなら一〇人くらいは当時の記憶で動いているってわけね」
「なら、参加人数の少ないイベントは再現が難しいと言うことか?」
おっ、委員長! 話を理解している。
「勿論そう言うこともあるわ。基本的には『ヒミコ』で再現される歴史イベントは、文献を基にしながら、そのイベントにつながる記憶があれば補正するという形になっているの。記憶者がいなければ文献だけで再現するわけだから、文献が曖昧なら再現が難しいイベントもあるでしょうね。でも前世記憶は今も集められているから、将来は全てのイベントを記憶で再現することになると思うわ。君たちも自分の前世記憶を提供して、それに協力するのよ」
「分かった。出来ることなら協力しよう」
何だか、ずいぶん積極的だぞ。委員長を見る目を改めなくちゃな。
「君たちのように初めて『ヒミコ』を使うチームは、なるべく大勢が参加する歴史イベントを選びなさい。合戦みたいに軍隊同士がぶつかり合うイベントなんかが、お勧めよ」
「うむ、敵をうち倒すチャンスだからな」
そこで僕を睨むな。やっぱり認識は変わらないかも…。
「少し話がずれたわね。…・歴史イベント参加記憶数は、アカウントで示されるから憶えておきなさい。その数が多いほど、記憶者にアクセス出来る確率が高いってわけよ」
「乙子姉、アクセスという話は授業でも聞いたが、何で確率が関係あるんだ。イベントの登場する人物の誰の記憶でも見られるんじゃないのか?」
歴史イベントの再現を体験するなら、なるべく中心人物にアクセスした方は良いはずだろう。前世記憶が『ヒミコ』の中にあるんだから、検証するのに都合が良さそうな記憶を選んでアクセスすれば、イベントで行われていたことが全て分かるんじゃないか?
「それがキーポイント。『ヒミコ』の中にある人物の前世記憶は、記号のような形のものなのよ。何億もの前世が集積されているんだから、その人が何時、何処で、何をしてなどと、数億人分の人生を全て集積するなんて不可能だと思わない? 『ヒミコ』が持ってるのは歴史イベントの中に存在していた人物を特定する情報。実際にイベントを再現するのは、君たち自身が持っている前世記憶なのよ」
「どういうことだ? 僕の前世記憶なんて、あの診断ゲームでも一つか二つだったぞ」
「それはゲームソフトだったからだわ。ここまで長々と話していたのは、それを説明するためなのよ」
乙子姉、にっこりと微笑んだ。生徒の成長を見る先生(先生だけど)のようだぞ。
「前世記憶は全ての人が持っている。それも信じられないくらい大量にね。記憶の三法則を思い出しなさい。細切れになった記憶、それが組み合わさって一つの前世。つまり一つの前世記憶の中にも数十数百の記憶が紛れ込んでいるのよ。だから二十通りの前世記憶があればその数百倍、二千から一万近い記憶があると言うことだわ。実際に統計を取ったところ、一人あたりの前世に関わる記憶は一万から十万という数字が出たの。アバウトだけど、かなり細分化されて欠片のようになってるものも含めればそのくらいになるということね。『ヒミコ』はね、その君たち自身の記憶の中から、歴史イベントに参加している人の記憶の断片を探して、きちんと思い出させるプログラムなのよ」
「乙子ネエ、あたし、もう無理かもー」
五十三が悲鳴を上げたぞ。
「あたしも、そろそろ棄権したい」
委員長でさえ弱音を吐いた。
「……自分を、喪失しそうだ」
四十四もコンボを続けた。
「まあ、このくらいにしとこうか。ただ最後の部分だけは憶えておきなさい」
「思い出させるプログラムってやつだな」
「そう。だから君たちは、自分の記憶を再現出来る登場人物を選んでアクセスするの。その人物に君たちの記憶の断片を重ねて、思い出すためにね。……そろそろ、チンパンを連れてきなさい。本題に移るわよ」
「じゃあ、金曜日の実習で検証する歴史イベントを決めるために、以前に行った君たちの前世記憶調査の結果を簡単に発表するわ」
この前世記憶調査というのは実習に欠かせない作業で、僕ら仮想歴史科の学生は三ヶ月に一度、調査のために退行催眠プログラムにアクセスさせられる。その結果がシステムに登録されることで、初めて歴史シミュレーションを体験出来る重要な調査らしい。もちろん個人のプライバシーに関わることなので、調査結果は厳重に管理され、ほとんどの場合担当教諭とチームメートにだけ知らされることになっているようだ。
ここからは実習の打ち合わせになるので、佐助のやつも叩き起こしてミーティングルームに連れてきた。
…説明が長かったせいで、全員揃ったのは何だか久しぶりのような気もするぞ。
「先ずは坂元君。君の前世は織田信長で間違いないようね。特Aクラスの指定も、実習の結果によっては取れそうよ。特定は出来ないけど、他の武将の記憶もあるわ。戦国時代なら良い検証が出来そうね」
おー、というどよめきが上がった。一人でもチームに特Aクラスがいれば、実習も心強いぞ。
「次は五十三ね」
「あたし、お姫様がいい!」
元気に手を挙げて答えてる。でも、リクエストは効かないと思うぞ。
「君は農民の娘とか、商家の娘とかが多いわね。残念ながら、今のところお姫様の記憶は見あたらない。……でも、がっかりしちゃ駄目よ。何度も実習を受けていると、記憶が刺激されて新しく前世を思い出すこともあるから。乞うご期待ってとこね」
えー、と口を尖らせる五十三。お姫様の道は険しそうだ。
「四十四は、面白いわ。下級武士とか足軽なんかが多いんだけど、早世してる人が結構目立つわね。殿様の小姓だったけど、失敗をやらかして、その、斬られたり、とか…」
乙子姉、話しながら四十四の様子を伺ってる。
「……ボクは、どうせ、長生き出来ないし、…世の中のためにも、ならないから…」
何か呪いの言葉を呟いてるみたい。怖いぞ。これじゃあ、乙子姉もはっきりとは言えないだろう。それ以上触らないように、そっとスルーした。
「チンパン君は、猿ね」
「おい、動物も前世になるのか? 前世記憶として伝わるのは人間だけのはずだ」
ボケに対する反応も、動物並みに早いぞ。
「そうね。動物を調査したのが間違いだったかしら」
おーお、冷たいお言葉。
「……リタイアしたのは悪かった。謝る。だから、きちんと発表してくれ」
「しょうがないわね。……君は足軽、雑兵、野猿、夜盗、野犬、浪人、そんなとこよ。今世では、心を入れ替えて頑張りなさい」
「待て、変なのが混ざってないか? 人間だと言ったろう」
「聞き間違いよ。…最後は大佐ね」
アイスのように冷たいスルーだ。乙子姉も、結構根に持つタイプだからな。
「大佐は、足軽、雑兵、下級武士、商人…。調子がいいのは商人の前世が影響してるのね。全体的にはチンパン君と似たようなもの。君たち、前世から仲が良かったのかしら。早いとこ手を切った方が良さそうだけど」
まあ、こんなとこだろう。僕も前世に期待はしてなかったし、今が良ければいいと思うから気にしないぞ。でも、調子がいいって言うのは確定事項なのか?
「以上、発表終わり。ただ、これは第一回目の結果だから、さっきも言った通り実習を続ければ違った前世も思い出すでしょう。注意しとくけど、個人情報の流出は厳罰だからね。この前世調査結果は他で話さないように。……では今までの説明を参考に、みんなで話し合って実習の歴史イベントを選択してちょうだい」
ふう、これで乙子姉の出番は終わりだ。あとは僕がまとめなければならないだろう。
「では、イベントを決めるぞ。誰か意見はないか?」
「ハーイ!」
間髪を入れずに五十三の手が上がったぞ。指先でおいでおいでの手招きまでしてる。
「あたしは、平安時代の歴史イベントがいいー」
「おい、乙子姉の話を聞いてたか? みんなの前世記憶を参考にしてだな、合戦みたいに登場人物が多いイベントを選んだ方がいいみたいだぞ」
「でも乙子ネエ、実習で記憶が刺激されるって、言ってたよー。だから、あたしのお姫様記憶を呼び起こすために、平安時代がいいーと思うよ」
「じゃあ、具体的には、どのイベントがいいんだ? 安倍晴明あたりか?」
「違うー。あたしがお姫様でね、大ちゃんとか、佐助くんや四十四とかが、あたしに贈り物を持ってきて求婚するの。でね、あたしが無理難題を言って……」
「……最後は、月に帰るんだな?」
「当たりー。凄―い、超のーりょく? あたしの記憶にアクセスした?」
「誰でも分かるぞ。それ、どんな前世だ? ただの物語だし、歴史イベントでも何でもねえし…」
「じゃあ、却下?」
「当然だ!」
おい、五十三。今どき、ガーンなんて擬音を発するな。そんなにくたくたと身体をくねらせて、おまえのショック表現は、いつの時代の前世記憶だ?
初めから思い切りつまずいたな。
「次は誰だ?」
「おう、俺の番だな。俺はもっと古い時代のイベントを希望する」
こいつは駄目だ。無視、無視。
「次は誰だ? 四十四か?」
「こら、会話というのは、人の話を聞くところから始まるんじゃないのか? 俺の提案を聞け。話し合いに参加させろ」
「無駄だと思うぞ。五十三のかぐや姫より古い話と言うところで、お前はすでに死んでいる」
「俺のはおとぎ話じゃねえ。大スペクタクル巨編だ。いいか? 俺は師匠と共に有り難いお経を取りに行くところだ。そこをお前や委員長などの妖怪どもが邪魔するが、俺は如意棒を振り回し、バッタバッタとなぎ倒してだな……」
「……それも物語だ。しかも、日本すら飛び越えたぞ! 自分が猿であることを自覚するのは良いが、そこまでして受けを狙って、悲しくならないか?」
「つまり、却下か?」
「当たり前だ、馬鹿野郎!」
だから、お前もガーンなんて声を出すなよ。気持ち悪いから五十三の真似するな!
縁起が悪いぞ。塩でもまくか。
あと残っているやつは……。
「順番だと、四十四だが?」
「ボク? ボクに聞いてくれるんだね? 大ちゃん。……嬉しい!」
「順番を変えても良いか?」
「置いていかないでよ。…ボクも希望があるんだから」
「四十四。信じてるぞ。お前なら、ちゃんとした意見を出してくれるはずだな」
「うん。ボクの希望はね、首都が破壊されたあとの日本で、何度も襲ってくる大ちゃんたちの使徒に敢然と立ち向かって、それで……一緒に遊んで貰うんだよ。」
「もう、それ歴史じゃねえ! 物語でさえねえ! 新世紀設定のアニメが、どうやったら前世記憶になるんだ! お前のシンジ君症候群も、そこまで進んじゃったのか?」
「……却下なの?」
「寂しそうな顔をしないでくれ、四十四。お前は一人じゃないぞ。ここはお前のチームだ!」
「そう? じゃあ、ボクはここにいてもいいんだね?」
ああ、拍手しそうになるから止めてくれ。病原菌をまき散らすなよ。
……ということで、次は、どう考えても一人だ。
目を合わせたら襲われそうだが、……うっ、こっちを睨んでる。
「あたしは今、このチームに入ったことを少し後悔してる」
おお、委員長。初めて意見が合った。幼馴染みと腐れ縁というだけで、何の考えもなくチームを作ったことを、僕も今、猛烈に後悔してるぞ。
「歴史イベントなら誰が見ても織田信長公だろう。日本史上に燦然と輝く希有な存在。世界にまで視野を広げた先見性。戦国の世を一つにまとめた偉大な功績。そして、その波乱の生涯を彩る数々の逸話。これほど魅力に満ちたターゲットが他に考えられるか! ……それが、あたしの前世でもあるわけだがな。ふっ、ふっ」
委員長は激しく机を叩いて立ち上がると、周りを見渡してふんぞり返っている。
「何だかずいぶん自己陶酔の境地が入ってるみたいだが、基本的に賛成だ。委員長が信長の前世記憶を持ってるんだから最高の条件だと思うぞ」
「ならば、信長公に決定していいな」
同意を求めて周囲を見ると、全員がこくこく頷いている。多分ボケ疲れだ。この辺で結論を出さないと学校帰りは夜道になってしまう、などと考えてるんだろう。あの原生林の急坂を、明かりもなしで歩くのはきっと怖いぞ。
そんなわけで信長をターゲットにするのは全員一致だが。
「じゃあ、どのイベントにするんだ? 信長には有名な合戦も多いぞ」
僕は具体的な意見を求めて委員長に水を向けた。
「無論、本能寺の変だ。生まれ変わりとして、憎き裏切り者の光秀を誅殺せねば気が収まらぬ!」
「ちょっと待て! お前はいきなり歴史を変えるつもりか? あくまで僕らは歴史イベントの検証が目的だぞ。手を出そうとするな!」
実習の目的が復讐に変わっちまった。手を出そうにも仮想空間のことじゃないか? その歴史を変えたらバグっちゃうぞ。多分、修正が働いて何も出来ないと思うけど…。
しかし委員長は、尚もいきり立って。
「1号! 貴様、やはり光秀の手先か! 語るに落ちるとはこのこと、正体を現したな。いきなりあたしに辱めを与え、クラス役員でもないのに委員長なる呼び名を流布せしめたのも全て光秀一派の謀。貴様を敵1号と見定めたこのあたしの慧眼でも、ここまでは見通せなかった!」
……突っ込みようがないぞ。
他に振ろうにも、みんな目を逸らして視線を合わせないようにしてる。
ならば、ここは僕の口先だけで何とかしなければ…。
「まあ、落ち着け。実習の歴史イベントでそんなことが出来るわけないだろう? やりたければゲームでやれ。ゲームなら幾らでも復讐出来るぞ」
「そんなもの、やり尽くした。全てのシミュレーションゲームで信長公を選び、本能寺の変イベントを起こさせ、尚且つ光秀にとどめを刺して日本統一を完成させたぞ。そのあとに世界進出の隠しストーリーがある場合は、それも全てクリアした」
「ほう、本能寺の変イベントは初期設定されているもの以外は出現難度が低いぞ。ちゃんと最初から攻略したのか?」
「……ゲームの難度によっては、な」
「甘い! お前の復讐心は、ゲーム難度に左右されるほど軟弱なものなのか? 前世に顔向け出来るのか? 笑われるぞ。尾張一国でさえ治めきっていなかった信長が、強大な今川軍を桶狭間で奇襲したときの状況は、ゲーム難度で言えば最大のレベルだ。それでも彼は敢然と立ち向かった。お前のような軟弱な気持ちで、そんな彼の復讐が出来るか!」
「むう、……き、貴様如きに、裏切られた悔しさが、分かるものか!」
「笑止千万! 僕はいつも佐助や乙子姉に裏切られ続けてるんだぞ。裏切られのプロと呼んでも良い。だからアマチュアの甘さが分かるんだ」
「… … … …」
「お前の最大の欠点は、感情だけで動くことだ。復讐を完結させるには、その激情の裏に冷たい計算が必要なんだ。ゲームを一からやり直し、まずその計算を身につけることだな!」
「ぐっ、……何も、…言い返せない」
勝った。
いつも乙子姉のおもちゃにされてるのは、ダテじゃない。話をすり替えて、自分の土俵に上げてしまえばこっちのもんだ。この辺りのテクニックはかなり鍛えられてるぞ。
「…それで、イベントはどうする?」
「ふん、復讐ということでは貴様に勝ちを譲ったが、本能寺の変は譲れない。信長公の最後を看取ることは、生まれ変わりたるあたしの勤め。このイベントでなければ協力出来ない」
声のトーンは落ちたが、まだこだわりがあるようだ。
「委員ちょー、意地になってる?」
「ほんの意地ってか?」
五十三の合いの手に、佐助が喜んで茶々を入れた。
しかし、委員長にギロリと睨まれて、慌てて首をすくめている。馬鹿丸出しだぞ。
「この際、馬鹿は放っといてだな。委員長の言うことも分かるが、いきなりメインターゲットの信長の最後を見るってのもどうかと思うぞ。順番にイベントを体験した方がいいんじゃないか?」
本能寺の変については虐げられた光秀の裏切りというだけじゃなく将軍や家康の陰謀などと色々な説があって、それはそれで興味深い。この辺は、もっぱらゲームで仕入れた知識だが、それを実際に体験するのも良いだろう。
しかし、初めての信長イベントが非業の最期というのも味気ないと思うぞ。
「……大佐の言うことはもっともね」
今まで黙って聞いていた乙子姉が、唐突に口を挟んだ。
「『ヒミコ』がただの歴史シミュレーションではなくて、君たちの前世記憶を思い出させて再現するプログラムだってことを考えてみなさい。若い頃の記憶から順を追って思い出すことで、後のシミュレーションもより確かなものになるでしょうね」
ふん、ふん。記憶が刺激されて新たに思い出すこともあるって、前に言ってたな。
「と、言うことだぞ、委員長。お前にしても中途半端な記憶でいきなり本能寺を選ぶより、しっかり記憶を蘇らせてから最期を見取った方がいいんじゃないか?」
「む、確かに一理ある。1号、貴様如きの意見に従うのもしゃくだが、信長公の無念を思えば、より正確な再現状態で衣鉢を継ぐべきだろう。ただ、いずれ必ず本能寺の変はこの目でしっかりと確かめる、それを約束しろ」
ここは彼女の意見を尊重すべきだろう。
「分かった。本能寺を僕らのチームの最終目的にしよう。それで良いな」
「よし、ならば協力する」
ほっ、何とか無事にまとまってきたか。
「じゃあ、信長の若い頃の歴史イベントの中から選ぶことにするぞ。何か提案はあるか?」
「信長公の若かりし頃のエピソードと言えば……」
「委員長、エピソードと言えば?」
「相撲合戦だな」
「相撲?」
「うむ。近所の娘たちを集めて相撲を取らせた、有名なエピソードだ」
「……それをシミュレーションで再現しようと?」
「良いではないか。信長公は、女性でも強いものが好みだった。勝ったものには褒美として握り飯や餅を与え、負けたものは容赦なくうち捨てたから、皆必死で相撲を取ったという。なかなかに見物の合戦じゃないか」
「俺、その提案に乗った!」
今まで死んだように黙ってた佐助が、息を吹き返しやがった。
「……それで、何の検証をするんだ?」
「大佐! ここは、ほれ、女体の進歩の歴史をだな、じっくりと鑑賞して…」
こいつのカンフル剤はそんなもんだ。分かってたけどな。
「……残念ながら、却下だ」
「残念ながらって、お前も興味はあるんだろう? どうして却下だ?」
「それは、チームで見るもんじゃない。乙子姉もいるんだぞ」
この一言で佐助は沈黙した。さすがに義姉の名前は効くらしい。
「委員長。このイベントは風紀上問題がありそうだぞ。野生を取り戻したやつもいるしな。それにローカル過ぎて検証の意味がないだろう。…他にはないか?」
「そういうことなら、幼少の折に手下を集めて合戦ごっこをやったという話もあるが?」
「……相撲合戦とか合戦ごっことかじゃなくてだな、歴史に残ってるようなイベントが良いと思うんだがな」
「桶狭間の合戦で良いんじゃないの?」
おお、四十四。久々に口を開いたと思ったら良いことを言ったぞ。
「桶狭間の合戦なら信長が戦国時代に名乗りを上げた有名な戦だ。僕もそれでいいと思う」
「あたしも異存はないが、もう少し幼少時のエピソードを掘り下げても…」
委員長の発言の途中で、乙子姉が割り込んだ。
「いいえ、さっきも言ったけど、参加人数の多い合戦の方がアクセス出来るチャンスが多いから、初めての実習はそれにしましょう」
「じゃあ、桶狭間に決定! だねー」
「ボクも甲冑を着けるの?」
「俺、パジャマにしよう!」
まあ、こいつらは好きにして欲しい。
ここまで延々とミーティングは一時間を過ぎている。今日の予定では、この授業が終わり次第に帰っても良いことになってるから、早いチームはもう帰り支度を始めている頃だろう。
あとは、それぞれの担当を決めてさっさと終わりにしよう。
「最後に担当を決めるぞ。委員長は信長の予定だから良いとして、あとは…」
「1号、2号。貴様らはあたしの敵だ。今川軍にしろ!」
ここは従っておくしかないだろう。
「分かった。僕と佐助は、今川だな」
「大ちゃん! あたしも大ちゃんと同じ組がいいー」
「よし、五十三も今川軍っと…」
「…ボクは、戦いのないところで、そっと、密やかに暮らしたい……」
「四十四、お前は委員長と組んで織田軍だぞ」
「えー! せめて、今川軍で、大ちゃんに守って貰いたいんだけど…」
「織田軍は桶狭間で勝った方だ。今川より生き延びる確率が高いぞ」
「……じゃあ、ボク、それにする」
と、簡単に決まってしまった。
さっきの佐助の切れ味の悪い駄洒落といい、もうボケる気力も使い果たしたようだ。
「やっと決まったようね。あとの細かい作業上の注意は実習の時にしましょう。じゃあ、今日のミーティングはこれで終わり。お疲れさま!」
「「ありがとうございました!」」
何はなくとも明るい挨拶。終わり良ければ全て良しだぞ。
ミーティングルームのある専門教育棟を出ると、日はすでに西に傾いていた。
近くにそびえる巨大メロンパンの銀傘が、夕日に赤く輝いている。
辺りを見ると同じ教育棟から出てきた学生たちが、長いミーティングの疲れか大きく背を伸ばしながら、幾つかのグループを作って佇んでいた。帰りの相談なのか、ミーティングを通してそれなりに仲良くなった者同士が話をしているところだろう。
各学科とも、専門教育棟はスーパーコンピューターを利用することが多いせいかメロンパンの近くに建てられていて、高専の中央付近を占めている。ここから広場を通って原生林の坂を下れば駅前の正門に辿り着くが…、
「委員長。お前も、けもの道派か?」
僕らの通うルートは、俗にけもの道と呼ばれている。
高専への道は、駅前一分&登山以外に駅から専用バスで通うルートもあり、裕福な学生や教職員などはそっちを利用することが多い。丘陵を大きく迂回する県道が駅から高専の裏口に続いているのだが、フードコートやコンビ二などの業者や関係者のための広い駐車場とバスターミナルが用意されていて、そちらが正門のような体裁になっている。
このルートは、専用バスの発車時間も電車の発着に合わせてあり、しかも所要時間十分以内という便利さで、あくせくと汗を流すこともないので、セレブ道と呼ばれていた。
委員長のイメージからしてセレブ道派かとも思ったのだが、
「1号。昨日の朝、坂道の出口で会ったことを貴様は忘れたのか?」
そういえば、五十三が委員長をチームに勧誘した運命的な出会いの場所はこの先だった。
「そうか。なら一緒に帰るか?」
「うむ、別に高専に残る用事もないし、同道しよう」
今日一日のことで、少しは彼女とも打ち解けてきたようだ。
ミーティングの一番の成果は、そんなところかも知れない。
さっきまでの会話を思い出しながら歩いているうちに、メロンパン前の広場を過ぎて坂道にさしかかっていた。幼児は坂道になると妙にテンションが上がるものらしい。
わーと声を上げて走り出し、急坂に足を取られて倒れそうになる五十三。
「おい、危ないぞ、気をつけろよ」
腕を取って助け起こすと、ニコニコしながらしがみついてきた。
急坂は登りより下りの方が危ない。佐助を先頭に出し、僕は五十三と手をつないでそれに続く。
四十四はと、振り返ってみれば、
「おい、あたしが手をつないでやろう」
委員長が気を利かせて手を差し出している。
おずおずと不安げな仕草でその手を握ろうとする四十四に、
「貴様はあたしの部下だからな…」
と、言い訳のように呟いた。
「ありがとう」
そう言いながらにっこりと笑顔を向ける四十四を、委員長は優しげに見返している。
その顔は夕日に照らされたせいばかりではなく、赤く染まっていた。
良いやつかも知れない。
チームメートになったことを、初めて嬉しく思った。
水曜午後のミーティング。チームBの始動だ。初めての実習である桶狭間への道は、雨のち曇り、最後にやっと晴れ、か?
(一年三組チームBの記録より)