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第一章、桶狭間への道1

 第一章、桶狭間への道1


 バーチャル高専のシンボル・巨大メロンパン。

 そこに設置されたスーパーコンピューターは異空間を作り出す。

 元は、環境に影響を与えることなく各種の研究を行うために、実験用の仮想空間を構築する基本プログラムを持ったコンピューターだったのだが、膨大な情報を入力した結果、生み出された空間はほとんど異次元と呼べるスペックを持った。

 例えば、遺伝子操作された種子をその空間に持ち込み育成して次代の種子を得ることも出来たし、汚染の心配もなく放射性物質を取り扱うことも可能だった。都市を建設して交通網の整備実験に供することも、災害時の具体的な避難経路を策定することも、それらを総合して計画に沿った理想的な未来都市を作り出すことも簡単に出来た。

 この異空間で研究された技術のほとんどは現実の壁に遮られて具体化することは難しかったが、技術を学び次世代の人材を養成する目的ならば充分にその役目を果たし得る。

 このために各分野からの要請を受け、明日を担う技術者を育成する目的で創設されたのが、このバーチャル高専だった。

 一般に、技術を学ぶためには早くからその環境に置かれることが大事である。

 この学校も普通の授業と平行して実習に力を注ぐため五年制の高専として誕生した。もちろん技術の習得に応じて飛び級というシステムもある。それだけ実践的な人材育成を重要視していると言えよう。

 その中にあって、仮想歴史科は異色の存在だった。

 この異空間に注目し、そこに歴史を再現する。

 研究しているのは日本史の実地検証。

 行われる授業は歴史ドラマのように作られた映像を外側から眺めるものではなく、異空間に再現された歴史イベントの中に入って、自分が何を見て、何を話して、何を考えたのかを実際に体験するシミュレーションであり、歴史の裏側で何が起こっていたのかを検証する実習なのだ。


 その日の昼休み。

 僕らは机を寄せ合って昼食を取っていた。

「これ、大ちゃんの餌だよー」

 五十三は登校時から握りしめていた菓子パンを僕によこした。真ん中の辺りに指の後がしっかり付いているがそれは仕方ないだろう。

 山本園児組の家はコンビニなので、僕のためにロスになったパンを毎日持ってきてくれる。ロスのコンビニ弁当は昼食までに悪くなってたら困るということで、お母さんから持ち出しを止められているらしい。二人の弁当は、当然ロスではないコンビニ弁当だ。

 ちなみに僕の家は青果店で、朝早くから両親が市場に仕入れに行くので手間を考えてお弁当は断っている。だから餌付けと言われようが五十三の菓子パンは大変有難いのだ。

「いつも済まないな」

 などと言いながらパンをかじり、買ってきたパック牛乳にストローを挿して飲み始めた。

「お前は、それだけで足りるのか?」

 隣から佐助が自分の大きな弁当箱を僕に見せつける。菓子パン一つと牛乳だけで昼食が足りているとは言い難いが、お小遣いも少ないので節約するに越したことはない。サラリーマン家庭の佐助のところとは違い、地元商店街がシャッター通りになりつつある今、個人商店は経営が苦しいんだぞ。

「委員ちょーはさー、いつも立ったままで食べるのー」

 今日はチームメートになった委員長も近くで昼食を取っている。例の荒縄から笹の葉でくるんだおにぎりを外してかじりながら、飲み物の入った瓢箪をラッパ飲みにしていた。

「立ったままの方が食べ物も喉を通りやすい。それに、この体勢ならばいつ襲われても避けることが出来る。平和ボケした貴様たちとは違うのだ」

 教室で敵に襲われることを想定する方がおかしいぞ。しかも食道の蠕動運動に重力の助けを期待するところは、佐助の電車と同じレベルだ。

 そうこうしているところに、

「お代官さま、これが我らのチーム表でございます」

 と、クラスメートの女子が用紙を片手にやってきた。

「うむ、苦しゅうないぞ。…そちたちは六人構成のチームじゃな」

 トップの成績は間違いだったがクラス委員の指名はそのままだったので、僕がクラス中のチーム表を集めて報告しなければならない。期限は今日いっぱいだったが、早くメンバーが決まったところは、さっさと表を提出に来る。

 今度は男子だ。

「お代官さま、拙者のところはこれでござる」

「ん? 七人とは、ちと多すぎはしないか? まとめるのも大変でござろう」

「いや、元々四人と三人のチームが数合わせのために合併したのでござるよ。減らすことも出来ないから、このまま出陣させて欲しいでござる」

 クラス委員の呼び方は、すでに委員長というニックネームが使用済みなので『お代官さま』と呼ぶことに決まった。仮想歴史科というところは歴史シミュレーションゲームおたくや歴女などが集まっているために、こんな呼び名が採用されてしまったのだ。

 その上、『お代官さま』と呼ばれて普通に受け答えすると却って恥ずかしかったので口調を改めている内に、クラス中に時代掛かった話し方が定着していた。

 一クラスは三十人。ここまで僕らのチーム五人と合わせて十八人が決まったから、残るは十二人だ。あと二チーム決まれば報告の表が埋まって僕の仕事は終わりだ。

「お代官さま、大変だ! あっちで抗争が勃発してますぜ!」

 一生懸命に指を折って計算していたところに、岡っ引きから注進が入った。

 ……正直言ってこの会話、結構めんどうくさい。

 呼ばれて行ってみると、教室の隅で四人づつの三チームが睨み合っていた。それぞれメンバーを後ろ手に囲い込んで、リーダーらしき三人が顔をつきあわせている。

「どうしたのじゃ。訳を聞こうぞ」

 めんどくさいけど、実は少し気に入っていた。

「「「お、お代官さま……」」」

 三人は口々に理由を言い立てた。どうやら、チーム編成の駆け引きをしている内に丁度四人ずつに分かれてしまい、お互い引くに引けない状態になったらしい。一チーム五人以上という括りがあるから、このままではどうしようもない。

「ふむ。では、こうしたらどうじゃ?」

 名案が閃いた。僕の言葉に三人から期待の目が向けられている。

「我がチームは五人。その中から佐助を外せば、皆と同じく四人になる。そこでじゃ…」

 僕は素早く委員長に目配せをした。瞬時に意味が伝わったようで委員長は無言で佐助の鳩尾にアッパーを入れた。ウッ!と息を詰まらせて、その場に崩れ落ちる佐助。

「こいつの両手両足を四人で引っ張るのじゃ。こいつがチームに入れば五人になって表を提出出来る。自分のチームに思い入れが強ければ手を離すことはあるまい。手が離れればチーム作りを諦めたも同じこと。先に手を離したところは解散して他のチームに入るのじゃ」

「「「おう! それは名案でござる!」」」

 僕の提案にすぐに全員が賛同した。

 佐助の周りに僕たち四人が集まって、それぞれが手足を一本づつ抱え込む。

「それー!」

 僕のかけ声と共に、皆本気になって引っ張った。

「痛ァ――――――!」

 あまりの痛さに佐助が息を吹き返して叫び声を上げた。その声に驚いたらしく手を引っ張っていた者が慌てて手を離す。両手を引っ張ったときに宙に浮いていた佐助の頭は、重力の法則に従って下に落ちた。更に、足を掴んでいた僕ともう一人は手を離さなかったから、当然真っ逆さまに脳天を強打。

 コ―――ンと、中身のない軽い音が教室中に響き渡った。

 ふう、また大人しくなったぞ。白目を剥きだして口から泡を吹いているが気にすることもあるまい。丁度良いから気絶している内に話を進めよう。

「今、手を離したのは二人だな? ふむ、これでは解散するチームが決まらないぞ。もう一度やるか?」

 全員、何故か鬼を見るような目つきでこちらを見ている。でも皆のためだぞ。

「大ちゃん、大岡裁きなら結論が違うよー」

 この程度のことには慣れている五十三が、のんびりとした口調で話しかけてきた。そうか南町奉行・大岡越前なら……。やはり幼馴染みは頼りになる。

「なるほど、分かったぞ。つまりだな、リーダーには強い思い入れと共にメンバーに対する情が必要ということだ。だから手を離した二人は合格。いつまでも足を離さなかった奴が失格になる訳だ。……これで解散チームが決まったな」

「ま、待った! 足を離さなかったのは、お代官さまも同じでござろう!」

 なんと往生際の悪い奴! こういう奴に同情は無用だ。

「馬鹿を言っては困る。佐助は元々拙者の家臣。どの様に扱おうとも貴殿に口出しされる覚えはない! 人のものに手を出した上、いつまでも離さないというその厚かましさが気に入らんわ。四の五の言わずに、とっとと解散いたせ!」

「それは、お代官さまが言い出したこと……。もう一度、チャンスを!」

「ならん! これにて一件落着。皆のもの、こやつを引き立てーい!」

「「へへ―――!」」

 手を離した二チームの全員が頭を下げて、最後まで抵抗していたやつを引きずっていく。あとは解散させられたチームが他のところに吸収されれば、昼休み中にチーム表を提出出来そうだ。

「……貴様、思った以上に鬼畜だな」

 委員長がジロリと僕を睨みつけた。

「何のことだ? 一人の犠牲もなく抗争を収めたのだぞ。その上、適切な結論を導き出してチーム分けの問題まで解決した。…名裁きではないか?」

 まだ言葉に少し時代劇の影響が残っている。

「……おい。その言葉は、どういう意味だ?」

 佐助が復活してきた。頭をさすっているが見なかったことにしよう。

「文字通り、一人も犠牲が出ていないと言うことだ。しかも三方丸く収まって、何処からも文句の付けようもない。名裁きではないか」

「俺は犠牲者ではないと?」

「もちろんだ。僕も犠牲と生け贄の言葉を間違えるほど馬鹿ではない」

「おい!」

「……そこまでだな。1号、報告に行く時間がなくなるぞ。それに、あたしもそういう手段は嫌いじゃない」

 大きく頷いて肯定する委員長。その後ろには、たった今メンバーが確定した二チームの代表が用紙を手に僕らの無駄話が終わるのを待っていた。

「…では、お代官さま。これを…」

「うむ、待たせたようじゃの。ご苦労であった」

 これで一年三組の実習チームは全て確定した。僕らのチームが最初だったのだが女性の代表がいたのでチームAとして、後は報告を受けた順にB・C…とチーム分けしていく。この結果、僕らは実習チームBとして正式に登録されたのだ。


「じゃあ、取り敢えずこの5人が大佐のチームなのね?」

「うん、乙子(おとこ)(ねえ)。一年三組チームBだ。よろしく頼むぞ」

 ここは仮想歴史科の専門教育棟にあるミーティングルーム。

 バーチャル高専は実習を主要教科にしているため、仮想歴史科でも仮想歴史シミュレーション実習の担当教諭が多く、専門教育棟にそれぞれ専用の部屋が与えられている。

 担当教諭は1・2年生の中から6チームを受け持つだけでなく、それ以外にも5年生チームの卒業論文の指導、3・4年生のクラス実習担当とそれなりに多くの仕事があり、各々のデータ整理や指導内容の検討などの雑務をここでこなさなければならない。

 その雑務の中でも重要なのが担当チームとのミーティングで、専門教育塔の一階には細かく仕切られたミーティングルームが多数用意されている。

 その一角で、僕らチームBは担当教諭との初顔合わせの最中だった。

「それにしても君たち、わざわざあたしを指名しなくてもいいんじゃない?」

「だって、あたしたち、乙子ねえに教えてもらうために仮想歴史科に入ったんだよー」

「そうだぞ、乙子姉。仕事がなくて解雇されたら困るだろう」

「何で大佐に心配して貰わなくっちゃならないのよ。君たち絶対に何か企んでるでしょう? さあ、吐きなさい。今、すぐに。ほら、早く!」

 この担当教諭の名は(さい)(たに)乙子(おとこ)、僕の義理の姉だ。

 僕の母と彼女の父が再婚して姉弟になったが、今はまた別れたので別姓に戻っている。

 七歳違いの義姉だが小さい子どもの面倒見が良く、近所の山本園児組と共に幼い頃から世話になっていた。と言うより僕らの上に君臨していたという表現の方が実情に近いだろうか。僕と園児組が相談して仮想歴史科に進路を決めた理由の一つは、乙子姉が教諭としてここに就職を決めたのを知ったからで、勉強にあまり興味を持たない僕らにとっては当然の成り行きと言えよう。

 正式に入学が決まるまでそれを内緒にしていたので、『何の嫌がらせよ!』と、へそを曲げていた。でも、少し嬉しそうな顔をしたのも僕は知っている。今回、担任の先生を通して担当教諭にお願いしたのは、この笑顔を見たせいかも知れない。


「ところで、大佐と園児組とチンパン男はよく知ってるけど、そっちの娘は誰?」

 挨拶代わりの簡単なジャブの応酬が終わり本題に入ろうとしたところで、乙子姉はたった今気づいたというようなわざとらしい仕草を見せて、おもむろに委員長を指差した。

「近寄りがたい雰囲気だし、君たちとは縁がなさそうなタイプよね?」

 今、僕たちはミーティング用にコの字形に組まれた長机の前に座っていて、乙子姉には委員長の腰に巻かれた荒縄とガラクタは見えない。例のマントも外しているので、確かに目に入る部分だけを見ればまともな印象を与えるのだろう。しかも、この部屋に入ってから一言も発していないのだから慎ましやかにさえ見える。

「ふむふむ、チンパンの彼女!と言うわけはないか。君も悪いやつじゃないけど、良さが分かるまでに相当の時間がかかるタイプだし、入学してすぐに彼女が出来るはずはないよね?」

「おい、少し聞きたいんだが、俺の良さが分かる時間ってのはどのくらいだ?」

「進化の歴史くらいかな」

「…つまり、生きている間には、俺に彼女は出来ないと?」

「そうね。いい人だった(お葬式会場編)の主役が張れそうよ。……園児組の四十四はモテるんだけどね、守備範囲が違うし……」

 ちょっと待て!と言う佐助の叫びはスルーして、乙子姉は更に推理を進めている。

 彼女もまた委員長とはタイプは違うが、自分を世界の中心におきたがる性格だ。

 ちなみに四十四は、僕らの家の近くにある幼稚園の園児と、その隣の女子大の学生に異常な人気がある。登下校の際には、駅の近くに出待ちのファンが待ちかまえていることがあって通行に困るほどだ。

「…やっぱり、残るのは大佐だけど」

 今度は、何か言いたげな様子の四十四もスルー。

 そこで一度言葉を止めて、佐助、四十四,僕の順で送っていた視線を委員長に向けた。

「ねえ、君。騙されちゃ駄目よ。こいつは調子がいいんだから!」

 乙子姉の指がピシリと僕を指す。

 慌てて僕は、その指を腕ごとまとめて真剣白刃取り。

「待て! 僕がいつ、何をした? その場のノリだけでものを言うのは止めろ!」

 黙ってこいつに言わせておいたら、僕には幸せは一生訪れないだろう。

 ここは一つガツンと言ってやろうと腰を浮かしかけたその瞬間。

 ガタッと大きく椅子を引く音を立てて、委員長が荒々しく立ち上がった。

 その勢いに、今まで戯れ言を言い合っていた僕らは息を飲む。ついでに彼女の腰に巻かれた荒縄に吊されたガラクタがゴトゴトと音を立てて、静まり返った部屋に響いた。

 いったい何をぶら下げてるんだろう?

 今まで大人しげ(上半身は)だった彼女の思わぬ恰好に、乙子姉も目を見開いている。

「ここはミーティングの場だと聞いたが、いつまでそのチープな漫才を続けるのだ?」

 一刀両断の切れ味。誰かのゴクリとつばを飲み込む音が聞こえた。

「それに、その男はあたしの敵だ。仮に敵・認定1号と名付けた。騙されるわけがない」

 それはもう出来れば勘弁して欲しい。


 一人立ち上がったまま辺りを睥睨している委員長と、他の全員と(特に乙子姉)の間に緊張した空気が流れている。ここは僕が間に入って。

「あー、乙子姉。不本意ながら、僕が彼女の敵・認定1号で佐助が2号だぞ。言い訳もあるんだけど、聞くか?」

「…どうせ、しょうもない話でしょう? まあ、いいわ。そろそろ本題に入らなくちゃね。でも、その前に自己紹介してくれないかな」

「じゃあ、僕から…」

「君たちはいいわ。知らないのは彼女だけだから、立ったついでに話してくれない?」

 うっ、乙子姉、敵意をむき出したぞ。眼鏡を取って委員長を睨んでる。擬音をつければジロリ。この二人、気が強いところは同じだから荒れるんじゃないか。

 指名を受けた委員長の方も射すような眼差しを向けている。

「立ったのは、くだらない話を断ち切るためだ。それに人に名前を聞く前に、自分が名乗るのが礼儀だろう。あたしには目の前にいるチンクシャが誰なのか分からない」

 やっぱり受けて立っちゃった。しかも言ってはいけない言葉が混ざってるぞ。

「ほ、ほう、面白いわね。担当教師とのミーティングに来て相手が誰かも分からないんじゃ、礼儀を語る資格なんてないんじゃない? それに目の前のチンクシャが誰なのかは、君も充分知ってるんじゃないの?」

 僕? 乙子姉、僕を指差してる? 

 チンクシャって言葉が、自分に向けられていると認めないつもりだな。

「そいつは、今言った通り敵・認定1号だ。あたしがチンクシャと言ったのは…」

「そう、こいつが敵1号で、なおかつチンクシャなのね。分かったわ」

 強引に言葉をかぶせて、僕にチンクシャを押しつけやがった。

「君も教師の名前くらい事前に聞いておきなさい。あたしは実習担当教諭の才谷乙子。ついでに言っておくけど、このチンクシャの義姉よ」

 駄目押しだ。駄目を押して僕=チンクシャを完成させた。そのためになら、自分が先に名乗るという屈辱もあえて簡単に受け入れたぞ。

「であるか。名乗ってもらえはそれでいい。あたしは坂元竜子。織田信長公の生まれ変わりだ」

 そこはもう一押しつっこむところだろう。僕のチンクシャ疑惑が完成型のままだ。

 もっとも委員長が僕の疑惑を晴らすはずはない。今や偉そうにふんぞり返って腕組みまでしているし、乙子姉に先に名乗らせたので充分に満足してる顔だ。こいつらは本能的に自分が傷つかない方法を互いに選び取ってるに違いない。きっと二人が歩いたあとには、他人の犠牲が山のように出来ているぞ。

 ――ただ、乙子姉がこれほど譲歩してまでチンクシャと言う言葉を避けるのは、本人にも思い当たるところがあるからだ。

 柔らかそうな童顔に大きな銀縁の丸眼鏡、緑に染めた長い髪をツインテールにまとめているところなどは何を意識しているのか分からないが、それなりに可愛くもある。五十三ほどではないが、未だに成長途上にあって完成はフルマラソンの距離より遠そうな体型は、いつも中学生(一年限定)に間違われ、普通に駅前を歩いていただけで一日に三回補導されたという経歴を持つ。それもまあ、ありと言えばありで、特に特殊な愛好家にはお勧めの逸品に違いない。

 だが、その幼さを隠そうとして女教師風の(女教師だが)コスチュームを愛用しているのが痛々しい。今日も紺のタイトスカートのスリーピースをぴったりと身につけ、網タイツにハイヒールと一分の隙もなく決めているが、童顔&ツインテールとの相性がさっぱりで、大人のランジェリー売り場で下着を探している子どものように似合わない。

 どうしてこのような恰好を好むのか、僕には良く分かっているから余計に痛々しく感じるのだ。

 委員長の場合、腰に着けたガラクタ類は別にして、容姿・スタイル共に大人びているので比較されたくないのはよく理解出来る。

 この勝負、微妙に委員長の優勢と言うところだろうか。

「君が坂元さんなのね。そのみょうちくりんな恰好を先に見たらすぐ分かったんだろうけど、猫を被ってたから気づかなかったわ。……報告は受けてるわよ」

 まだ言葉に刺がある。

「……みょうちくりんな恰好?」

 拙い。この勝負、放っておいたらキリがないぞ。

「まあ、その辺にしておいた方がいいぞ。時間には限りがあるし、ミーティングはまだ始まってもいないんじゃないか?」

「む、1号にしてはまともな提案だ。だが今後のためにも、この教師とは決着をつけておきたい」

「ほう、望むところだわ。…先ずその恰好、信長の真似なんだろうけど独創性がないわね。彼の良さは先例に囚われず、独自の考えで時代を動かしたことにあるんじゃないかしら? ただの真似なら、チンパンでも出来るわ」

 乙子姉の先制攻撃。腰の荒縄とガラクタをはっきりと指差してる。

「信長公は、真似であっても良いものは取り入れる合理的な考えの持ち主だ。この(荒縄くん)は、手近なところに必要なものを常に吊しておける合理的な装備。真似ではなく、信長公から受け継いだ知恵の結晶だ」

 先ず信長の思想から対決に入った。根元的な争いだから両者一歩も引かない。

 それにしても委員長の荒縄には名前が付いてたのか。…少し安直なネーミングだぞ。

「甘いわね。時代は進んでいるのよ。信長の時代ならそうかも知れないけど、今ならウエストポーチがあるじゃない」

「ふん、ウエストポーチは容量が少ない。(荒縄くん)には弁当、飲み水の入った瓢箪、筆箱から護身用の警棒やスタンガンに至るまで、各種取り揃えて吊しておける。これだけのものを入れるバッグはないし、すぐに手に取れるから使用に手間取らないという利点もあるのだ。これだけ便利で合理的な装備は、現代にはない」

 思想から一転して具体的な言い争いに移った。それにしても、さっきガラクタから重い音がしたと思ったが、そんな物騒なものまで吊してたのか。

「君、改良って言葉、知ってる? ポーチのバッグを大きくしたり、沢山付ければいいだけじゃないの。スタンガンをむき出しにしてるなんて危ないわ。護身棒はベルトから直接吊せばいいでしょう? それに荒縄は擦れて切れたりする危険があるから、重いものを吊すのはお勧め出来ないわね」

 言いたいことは伝わってくるが、簡単にスタンガンの所持を認めちゃっていいの?

「荒縄くんは何度でもより直して使えるし、原材料も天然素材だから自然に優しくエコだ」

 微妙に論点を変えた。と言うことは乙子姉のウエストポーチ説に圧されているのか? でもその話題は駄目だと思う。打ち頃のホームランボールだぞ。

「今の若い子はすぐにそんなことを言うけど、ものを大切にする気持ちが必要なのよ。良いものを手に入れて大事に使えば結果的にその方が無駄も少ないし、長い目で見ればエコにつながるわ。天然素材だって沢山使おうとすれば、自然環境を破壊することになるのよ」

「…そ、それは、荒縄くんの1本くらいで、そこまで大袈裟になるとは思えないが」

「何を言ってるの! 割り箸1本をみんなが求めるから森林が消えていくのよ。君のエコという考えも底が浅いわね」

 やっぱり徹底的に追及されちゃってる。しかも、乙子姉は自分が年上で経験を積んでるんだってことを巧みに匂わせて、いつの間にか見下してるぞ。

「し、森林破壊は荒縄くんのせいじゃない」

「その考え方が危険なの。コンビニ弁当が期限切れで処分される量を知ってる? 世界中に飢えて苦しんでる人がいっぱいいるのに、一方ではまだ食べられる食料を簡単に捨てているわ。トイレットペーパーだって再生紙で充分なのに、まだまだ天然のパルプを使ってる。自分のせいじゃないと思っている人が、自然を破壊し他人を犠牲にするのよ」

 おお、乙子姉。今や完全に調子に乗って委員長をビシッと指差した。

 でも話が完全にすり替えられている。…信長さんはどうしたんですか? 

「く、くぅ。しかし、あたしは荒縄くんが便利だと……」

「黙りなさい! 地球環境を考えないものに、便利などと言う資格はないわ!」

 決まった。強引ながぶり寄りで押し出した。

 ここは行司が出て勝ち名乗りを上げるところだろう。

「乙子姉、そのくらいにしてミーティングに入った方がいいと思うぞ。地球環境の前に僕らの教育環境が危機に瀕してる」

「む、大佐。上手いことを言ったと思ってるんじゃないでしょうね?」

「い、いや。そんなことはないぞ」

「だから君は調子がいいって言ってるのよ。坂元君、騙されちゃ駄目よ」

「だから、そいつは1号だと…」

 これ、いつまで続くんだろう。


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