序章・チームB始動
(序章・チームB始動)
武蔵野の面影を残す丘陵に、白銀に輝く巨大なメロンパンがある。
初めてこの学校を訪れた人は驚くだろう。西埼玉仮想空間高等専門学校前と名付けられた駅の改札を出ると、真っ先に目に入る光景がそれだから。
駅前には駐車場を兼ねた広いバスターミナルと、目の前を横切る二車線の県道、後は丘陵を囲む柵が県道沿いに果てしなく続いているだけで、他には何もない。自然に向けられる視線は小高く広がる丘陵の上、ジュラルミンのように滑らかな金属質の光沢を放つ建物に釘付けにされるはずだ。その大きさはほぼ東京ドームと同じで、形状もそれに近い。確かに周囲を圧倒するだけの質感を持っていた。
それが、西埼玉仮想空間高等専門学校・略してバーチャル高専の心臓部、仮想空間実習棟の威容である。
建物の中心部には、ドーム球場のグラウンドに相当する形と面積を占めるスーパーコンピューター室があり、実習室がグラウンドを囲む観客席のように付属されている。つまり、巨大な円筒形のコンピューターの壁面に、全ての学科の実習室がショッピングモールみたいに集められて接続されている形を想像してもらえばいいだろう。
頂上部は十階建てのビルと同じくらいの高さがあり、そこから周辺部に向かってなだらかな弧を描く傘のような形状の屋根に全体がすっぽりと覆われている。傘の部分に特殊な樹脂製のシートが使われていて、それを押さえるための鋼材が遠くからは網目のように見えるので、全体の形がメロンパンを連想してしまうのは仕方ない。
高専の正門は県道沿いの柵に申し訳のように付けられて、駅から歩いて一分もかからない。だが、校舎までの道程は、そこからトレッキングかジョギングを覚悟する必要があるほど長く、起伏に富んでいる。
先ず、目の前の芝生が敷き詰められた緩やかな丘を気分良く登り、次に、かなり勾配のある雑木林の山をつづら折りの道に沿ってあくせくと登り、最後に東京ドームほどの建物をやけになって半周すれば目指す校舎が見えるという、なかなかに苦難の道程だ。
これで、学校案内には駅前とか徒歩一分以内などと書かれているのだから、詐欺に近い。
実情は徒歩二十分の山歩きと書くべきだろう。
――今、この道を三人の生徒が走っている。
「大ちゃーん、ま、待ってよー。小倉&マーガリンパン、あげるからー」
「だ、大ちゃん、ボクを置いてかないでー。雑木林のなかに、何かいるみたいだよー。ボク、襲われるよー。食べられちゃうよー。生け贄にされるよー」
時刻は確かに遅刻ギリギリだが、目の色を変えて走るほどでもない。予鈴が鳴るのと同時くらいに教室に到着出来るだろう。現に、僕は早歩きくらいのスピードで雑木林の坂を上っているところだ。
――それでも、必死の形相で追いかけてくる二人は完全に駆け足になっていた。
一人は、紺のセーラー服の短いスカートから中が見えてしまうことも気にせず、少しブカブカに見える赤いデイパックを大きく左右に揺らしながら、何故か菓子パンを持った手を思い切り振り回して、かなり大股で跳ねるように走ってくる。
擬音をつければピョン・ピョン・ピョン。
もう一人は、黒の学生服の詰め襟を真面目にきっちりと締め、暑苦しそうに真っ赤な顔をして、水色の同じデイパックを同じように揺らしながら、何故か視線を不安気にきょろきょろと左右に動かし、短い歩幅でリスのように小刻みに足を運んでいた。
こちらはト・ト・トかテ・テ・テ・テ。
同級生の、山本五十三、四十四姉弟だ。
二人揃って栗色のさらさら髪、団栗のような丸い目と鳶色の瞳、小さな鼻と口。二卵性なのに、何故これほどと思うくらい外見がよく似ている双子だ。身長もかなり低く幼児体型であるところもそっくりだった。
性格は対照的で、走る様子を見ても分かる通り五十三は活発&アクティブ、十三は慎重&ネガティブと上手く分かれている。しかし双子の悲しさか、誰も性格の違いに気をとめてくれず一まとめにして見られてしまうのが世の常だ。
その評価で言えば、二人を合わせて山本園児組。違いをよく心得ている僕でさえ二人揃って走ってくる姿を見ると、幼稚園児が甘えながら大好きな兄の下に飛びついてくる図を想像して、つい頬がゆるんでしまう。無駄に微笑ましい二人だった。
僕とは幼い頃からご近所さんで、いわゆる幼馴染みっていうやつ。
保育園から高専まで、クラスが分かれたことはあってもずっと同じ学校に通っている。もっとも、この高専を選んだのは僕ら三人で話し合って決めたことだから、同じ学校にいるのは当たり前かも知れない。
「五十三、四十四、頑張れ! もう少しで頂上だぞ。メロンパンの前まで行ったら一息つけるからな!」
後ろの二人を振り返り、大きく手を伸ばして白銀の巨大メロンパンを指し示した。
もう、つづら折りの道の四分の三くらいまでは走破している。ここで手を差し伸べるより、平坦なところまで行って休ませた方が通行の邪魔にならないだろう。遅刻間際といっても登校中の生徒はそれなりに多く、幼児走行の二人を迷惑そうに避けながら追い越していく者も後を絶たない。
最後のヘアピンカーブと、その先の心臓破りと呼ばれる急勾配を見上げながら、僕は後ろの二人を待つように歩く速度を落としていく。
いつも、そうしているように。
「大佐―、待ってろよー」
つづら折りのはるか下方から、大きなドラ声が除夜の鐘のように響いてきた。
振り返ると、学生服をはだけた大男が勢いよく走っている。
くの字に曲げた両腕を大きく振り、腿上げ走のように膝を高くあげて、必要以上のボディアクションでギャグマンガのような走り方をする男。
擬音で言えばド・ド・ド・ド。
遠くから見てもそれと分かる暑苦しいやつは、僕の親友と周囲から呼ばれている石田佐助という男だ。視力2・0を誇るやつの目は、坂を上りきろうとする僕の姿をわけなく捉えたのだろう。もっとも妙に目立つ幼児走りの双子は誰の目にも入るし、その前に僕がいることは簡単に想像がつくだろうが。
やつの風体は、巨大なチンパンジーを想像して戴ければ事足りる。
とにかく毛深い。小学校から五枚歯のカミソリを愛用し、マイカミソリを持ち歩いて給食後にひげを剃っていたという伝説さえ持っている。顔は無駄に彫りが深く、東南アジアからの観光客に向こうの言葉で声をかけられるという特技がある。とても濃い男だ。
中学からの同級生で、気がついたら連んでいたという関係なので特にエピソードもなく、何が良くて一緒にいるのか、今もってよく分からない。
山本園児組との進路談合にも何故か一枚加わって、一緒に入学したという次第だ。
佐助の声になんとなく振り向いてしまってその姿が目に入ったので、僕は見たくないものを避けるべく慌てて顔を背け、双子の非難の声を背中に受けながら足取りを速めて坂を上って行った。
まあ、これもいつものことだ。
坂を上りきると、そこは今までとは別世界。原生林から現代への帰還だ。
排水の良さそうな煉瓦が、白銀の巨大メロンパンを取り囲むように一面に敷き詰められた、清潔で広々とした空間が広がっている。計画的に植えられた灌木が無機質になりそうな広場に緑の彩りを添え、さらにその下に設置されたベンチに快適な木陰を提供して、学生たちの憩いの場になっていた。
簡潔に例えれば、ドーム球場前の広場というところだろう。
広場の左右には、学科ごとに建てられた専門教育棟や、通常の高校教育のための一般授業棟・体育館・武道館・部室棟などの教育施設から、学食代わりのフードコートや購買部を兼ねたコンビニ・学生寮・教職員アパートに至るまで、各種様々な建物が建ち並び、学校というより近未来の街のような様相を呈していた。
ここまで来れば、全行程のほとんどは踏破したことになる。後はメロンパンの周りを半周して、裏手にある仮想歴史科の授業棟に辿り着けばゴールだ。予想所要時間・約5分。予鈴までの余裕はないが、始業までの時間を考えれば楽勝だろう。
ここで一息入れて、園児組とチンパンの到着を待つのも悪くない。
授業開始が目前なので休息を取っている者は少ないが、心臓破りの坂に慣れない新入生や運動が苦手なタイプの学生が、そこそこベンチを埋めている。空いている場所を探しながら校舎への道を辿っていくと、ほどなく目的のものが見つかった。
ベンチにバッグを置き、ペットボトルを取り出して、ウーロン茶を乾き切った喉に流し込んでいるうちに、やっと広場に到着したのか聞き慣れた声が届いてくる。
「「大ちゃん、どこー!」」
辺りの反応を気にしない純真な双子のハーモニーは、清々しい朝に一層気持ちよく響く。
菓子パンを握りしめ、空いた手で弟の手を引きながら、ピョンピョンと跳ねるようにやってくる姉。そのパンは出がけに店から持ち出したもので、僕を餌付けしようといつも持っているものだ。
姉に手を取られ、半ば引きずられるようにテ・テ・テと足を運ぶ弟。毎度のことながらその光景に自然と頬がゆるみ、僕は立ち上がって笑顔で大きく手を振った。
「オーイ、ここだぞー!」
「「わー、大ちゃーん!」」
目敏く僕を見つけて、満面の笑顔から発せられる歓声のハーモニー。
そのまま僕の胸に飛び込んでくる二人。
何気ない朝の登校が、この二人のおかげで感動に彩られた再会シーンに変わった。
まるで、初めてのおつかいのように。――でも、毎朝だと疲れるぞ。
そこに、
「大佐―、待ったかー!」
辺りが耳を塞ぎそうなダミ声は、せっかくの良い気分を台無しにした。
チンパン男・佐助の登場だ。僕は双子に向けた笑顔を慌てて引っ込めた。こいつとの遭遇には、動物と人間の触れあいのような心温まる感動は全くない。
急坂を一気に駆け上がってきたくせに息も切らさず、しかも何故か両手を腰に当てて僕らの前に偉そうに立ちはだかった。
「……トイレくらい、家で済ませてきた方がいいと思うぞ」
こいつが遅れる原因は分かっている。
「朝は、まだ胃と腸が眠りから覚めてないんだぜ。朝飯を食べた後、電車に揺られて初めて腸が動き出すんだ。駅に到着した頃に丁度程良くこなれてな、出来たてのホヤホヤがお尻を刺激するのが、たまらんのよ」
どうやら消化のための腸の蠕動運動を電車の振動に頼っているらしい。何を食ってるのか知らないが、お下劣な話のネタが消化し切れてない気がするぞ。
「佐助くん、朝からサイテーだよー」
「はっは、自然の摂理ってやつには、逆らえんのよ」
「駅のトイレって、何か出ない? 花子さんとか…」
「おー、会ったことないな。でもこの辺りは墓地とか多いから、そのうち会えるんじゃないか」
「ボク、駅のトイレ、絶対に使わない……」
このまま黙っていると、間違いなく遅刻する。
「さあ、そろそろ行こうぜ。もうすぐ予鈴が鳴るぞ」
そう言って皆を急かせ、歩き出そうとしたところに、まためんどうなやつが姿を現した。
坂の出口から、僕らの方に向かって真っ直ぐに歩いてくる少女。
僕らに気がつくと、形の良い眉をつり上げ、唇の端を歪めて皮肉な笑顔を向けてきた。擬音で言えばニヤリ。
すました顔をすれば美少女で通る外見だが、僕らに向けた表情には目つきの鋭さが強調されて邪悪な感じさえ受ける。
「…おい、1号・2号」
「僕らはロンブーか? パーマンか? 仮面ライダーか?」
「朝から公衆の通行を妨害しているようだが、民に代わって成敗してくれようか」
突っ込みは不発に終わった。
僕らを指差した反動で、ポニーテールにまとめた髪が冗談を拒絶するように大きく揺れている。それを目で追いながら、僕もまともな返答を返すことに決めた。
「委員長。今、心臓破りの坂で疲弊した兵に休息を与えていたところだ。通行の邪魔をしたつもりはないぞ」
「であるか。ならば休養が取れ次第さっさと立ち去るがいい。目障りだ!」
けんもほろろな言葉をありがとう。
何故か敵意丸出しで僕らの前に立ちはだかっているのは、バーチャル高専に入って同級生として知り合ったばかりの少女だ。
彼女の名前は坂元竜子・ニックネームは委員長。
今のやりとりで、白い肌にはやや赤みが差している。視線は相変わらず厳しいが、形良くつんと尖った鼻とたっぷり潤い成分を含んだような唇が上気した肌に映えて、見ている分には綺麗にさえ感じる。
加えて中背ながらスレンダーで腰の位置が高く、モデルも顔負けといった肢体。
これだけ揃えば高専でもトップクラスの美少女だが、さぞやモテるだろうなどと考えてはいけない。――なぜなら誰も、その顔立ちやスタイルには目を向けないから。
セーラー服の腰にぐるりと巻かれた荒縄と、そこに紐で吊された数々のガラクタ。さらに表が黒で裏地が赤という光沢のあるビロードのマントを、その上からコート代わりに羽織っている。
そう、織田信長の生まれ変わりを自称して恰好を真似ている、とても残念な人なのだ。
一目見ただけで、関わり合いになるべきではない!と言う危険信号を身にまとっているようなものだから、全ての学生たちは容姿に気づく前に必ず彼女から顔を背ける。
故に、彼女に美少女の評価が下される日はなかなかやってこないわけだ。
当然、同類に見られることを恐れて誰も近寄らないから友達も出来ないし、本人も全く気にしていない。唯我独尊を地でいくタイプなのだ。
その彼女が、僕と佐助にだけは親の敵のようにいつも突っかかってくる。
――入学式から数日たった頃のこと。
「大ちゃん、明日、クラス委員を選ぶって先生が言ってたよー」
ホームルーム中、慣れない登下校の行軍の疲れですっかり寝込んでいた僕は、後ろの席にいる五十三の声で目を覚ました。隣の席を見ると佐助もイビキをかいて安眠しているようだ。担任の先生も毎年のことで生徒のお疲れの事情が分かっているので、取りたてて注意もしなかったらしい。
そんなことがあった翌日、僕は思いっきり寝坊して初めての遅刻をした。疲れが残っていたのだろうと思うけど、これが全ての始まりだったのだ。
「おはようございまーす。遅刻しましたー」
苦しいときのご挨拶、明るい声は明るい未来を招く。
そんなことを考えながら勢いよく扉を開けると、教室の中央に少女が一人立っていた。教壇に立つ担任の先生が、その少女に何やら指示を与えているところらしい。クラス中がシーンと静まり返っていて皆がそのやりとりを聞いている、そんな様子だった。
そこへ場違いな僕の登場があったので、全員の視線がこちらに集中した。特に、中央に立つ少女の美貌と、やや吊り上がった目のキツい眼差しが僕の心に動揺を誘う。すっかりドギマギしてしまった頭の中に、鮮やかに蘇ったのが昨日の五十三の言葉だ。
(大ちゃん、明日、クラス委員を……)
そうか、この状況で考えられるのはそれだけだ。先生の指示、クラスの反応、その中に一人立っている美少女。その美貌は見ようによっては理知的にも見える。
「やあ、委員長。就任おめでとう!」
そこで明るい未来を呼ぶために、明るい挨拶を敢行したのだが。
しかし、何故か僕の挨拶にクラス中は爆笑の渦。
その渦の中を、顔を赤らめた美少女がクラスメートの視線をかき分けるように歩いてきてドアを塞いでいる僕の前で立ち止まる。ついで顔を上げ、先ほどよりも一層キツい眼差しで睨みつけてきた。それから僕の身体を思い切り肘で押しのけて、振り返りもせずに無言で教室を出て行った。
寝癖の残った髪に手をやって呆然と立ち尽くす僕。
「大ちゃん、あの子はさー、トイレに行きたくって立ってたんだよー」
五十三の無邪気な声がクラスに響く。
そしてまた、爆笑が巻き起こった。
多分、その笑い声は彼女の耳にも届いていたのだろう。
何も言えず黙って背中を見送っていた僕に、彼女は振り向きざまにキッと恨みのこもった眼差しを投げつけて、両手をブルブルと震わせながら、
「貴様の顔は忘れない! あたしの敵・1号に認定しよう」
僕の顔をビシッと指差して、力強く敵認定宣言を下したのだ。
多分、恥ずかしさを堪えて先生からトイレの許可を取り付けていたところに、僕の追い打ちがかかったというわけだろうか。その心情は察して余りあるが、僕にしてみればただの事故だ。軽率ではあっても故意ではないぞ。
――これが、僕が彼女から敵認定一号と呼ばれるようになった顛末だ。
しかしこの話にはまだ先がある。
僕が遅れて教室に到着したときには、まだクラス委員の選出は始まっていなかった。
彼女がトイレから戻って来た後で、改めてその話が先生から持ち出されたのだ。
「それでは、クラス委員の件だが…」
この瞬間、先生のセリフを遮って、チンパン男・佐助が勢いよく立ち上がった。
何事かと息を飲むクラスメートと先生を前にして、
「俺は、さっきの委員長をクラス委員に推薦します!」
と、例の大きなダミ声で推薦の言葉を発しやがった。
やつにしてみれば僕の失態を取り返し、さらに彼女をクラス委員に推薦して恩を売るという一石二鳥を狙ったのだろう。しかし、その異常な迫力とタイミングが悪かった。
大声につられて再び立ち上がる彼女。委員長という僕が与えた呼び名も、すっかり頭の中に擦り込まれていたらしい。
「よ、よろしくお願いします」
と、少し噛みながらも丁寧な挨拶をして、クラス全員に向かって頭を下げる。
この一連のコンボに、息をのまれて押し黙る一同。
そこへ、頭を掻きながら先生が言いづらそうに言葉をかけた。
「す、すまんが、一年のクラス委員は、入試の時の成績で決めることになってるんだ。それでな、えー、俺も気を持たせるような言い方をして悪かったんだが…」
しどろもどろの言い訳めいたセリフ。
先生にしてみれば、誰が入試で一番の成績を取ったのか興味があるだろうからと、気を持たせてのクラス委員の発表だったらしい。しかも、このことは昨日のホームルームで、僕と佐助が爆睡していた時に皆に伝えていたようなのだ。
更に、言い訳のあとで先生の口から出た言葉は、
「えー、クラス委員は……嶋大佐君にお願いする」
思ってもみない人選だった。僕の中学時代の成績といえば良くても中の中。例えこの仮想歴史科の受験レベルが低かったにしても、トップを取れるような成績じゃない。
ただ呆然として自分の名前を聞いていた僕に、
「わー! 大ちゃん、やったね!」
両手を高く挙げ、大歓声で素直に喜びを表現する五十三。隣の席にいる四十四にも手を上げさせて、何度もハイタッチを試みている。
「お、お前! 同志を裏切ったのか?」
立ったまま大袈裟に僕を指差して、奥まった目を無理矢理に大きく見開くという不思議な表情で驚きを表現する佐助。
まあ、これまで四人の間で成績にさほどの違いはなかったから驚くのは無理ないが、その表現は嫌みにしか思えないぞ。それに、一番驚いてるのは間違いなく僕だ。
先生に返事することも忘れて周囲を見回していると、妙な成り行きで今さら座ることも出来ずに立ち尽くしている美少女が目に入った。
それに気づいたのか、クラス中に蔓延するクスクスという忍び笑い。
やがて、青ざめた顔の彼女が、怒りに震える指で佐助と僕を指し示し、
「貴様たち、二人してあたしをからかったのだな! 面白い。そこの猿顔! 貴様をあたしの敵・認定2号に指名しよう。1号共々首を洗って待つがいい!」
少し甲高い美声が、クラス中の忍び笑いと佐助の顔色を完璧に消した。
このときから、美少女・坂元竜子のニックネームは委員長に決定し、ついでに高専史上初めてクラス役員ではない委員長が誕生した。この功績で、僕らは晴れて敵・認定1号2号の栄誉を勝ち取ったのだ。
――そういうわけで、以来、この状態が続いている。
言い訳をさせてもらえれば、先生の持っていた入試の成績というのが何故かコンピューターの誤作動で出されたもので、僕の成績は彼女をからかえるものではなかった。そのまま成り行きでクラス委員にされてしまった上に、後でクラスメートの前で先生が成績を訂正したので、僕の方が被害者だと言っても良いんじゃないかと思う。
また、その時の彼女は今のように残念な恰好はしていなかったし、中身についてもこれほど残念な人であることは知らなかった。そうと知っていたら初めからこのような結果にはならなかっただろう。
君子危うきに近寄らずと言う言葉は、僕でさえ知っていたから。
遅刻の危機にさらされていた僕らは、委員長の「立ち去れ」という言葉に従って教室に向かって歩き出した。当然、同級生で行き先が同じだから委員長も同道することになる。唯我独尊を地でいく彼女は道を変えることはないし、僕らにも意地があるから張り合って歩き続ける。
互いに視線を交わさず、話すこともなく、無言の火花が弾け散る道行き。
その重苦しい雰囲気を、五十三は無邪気な言葉であっけなく突き破った。
「ねー、委員ちょー。実習のチーム、決まったー?」
明日は実習に備えたミーティングがある。
実習ではチームで課題にあたるわけだが、5名以上の構成メンバーが必要とされていた。
僕らは現在この四人でチームを作ることにしていて、一応、実習担当教諭の目安も付けていたのだが、ミーティングまでに最低もう一人の参加者を募らなければならない。
期限は今日いっぱいだ。そこで同級生を片っ端から当たってみようと決めていた。
この事情のために僕の頭にとても嫌な考えが過ぎる。
「おい、五十三! それは……」
「いや、あたしはまだ決めていない」
僕が「止めろ!」と続けようとした言葉に委員長の返事が被った。それでも普通に考えれば言いたいことは伝わったはずだ。
しかし、二通りの言葉から五十三が選んだ選択肢は、
「じゃあさー、あたしたちのチームに入らない?」
最悪の選択だった。
思わず片手を額に当てて天を仰ぐ僕。
隣で頭を抱えるチンパン男。
その二人にチラリと視線を送って、不敵な笑顔を浮かべる委員長。
「ほう、面白い。あたしに、果たし合いの場を提供しようと言うわけだな?」
一号二号としては、悪意はなかったにしても委員長というニックネームを定着させた負い目は感じていた。彼女がいかに残念な人でも、それぞれ抵抗出来ない心情を目一杯抱えていたわけだ。
「「…よろしく」」
予鈴と共に鳴り響く、僕の裏返った甲高い声と佐助のダミ声との悲しいユニゾンが、その返事だった。