5.人気者なんかじゃない!
『…となるので、この場合yの変域の最小値は9となります。最大値は…』
頬杖をつき、ボケーッと黒板を見つめる亮太。
(…。)
昨日のことを思い出すが、まるで夢でも見ていたかのようだった。怖い思いをしたのも、秋絵が霊と戦ったのも、今は夢としか受け入れられなかった。
…
『秋月!私に触れて!』
『触れてって、どこに!?』
『どこでもいいわ!早く!』
…
「…月、秋月!」
「え、あっ!?」
教師が睨みつけながら呼んでいるのに気づき、慌てて姿勢を正す。
「秋月、この数式のyの変域はどこまでだ?」
「え、えっと…」
訊かれても、どこの数式かがまずわからない。
「秋月…わからないならちゃんと聞いてろ。」
「は、はい…。」
クスクスという笑い声。見る先に困った亮太は窓の外を見た。
「一体、何ボケーッとしてるのよ。まるでジジイだわ。」
昼休み、以前と同じように紙片で呼び出された亮太。
「お前には関係ないだろ。…それで、用事はなんだよ。」
「次の予定を伝えるわ。来週の月曜日、正確には火曜日の午前0時ね。」
「?」
「持ち物は前回と同じ。ただ今回はちょっと特殊で…」
「ちょっと待ってくれよ。約束は一回だけのはずじゃなかったか?」
約束が違うと訴える亮太。
「アンタ、何もやってないじゃない。あんなの一回に入らないわ。」
「どういうことだよ。俺は言われたとおりに音楽室の前を歩いて、演奏が聞こえたから糸を引っ張ったぞ?どこがやってないんだよ。」
「そ、その後は私の横にいただけでしょ!案内人の仕事は、あそこからが本番なんだから!」
「俺は案内人てヤツじゃない、ただの一般人だ。一般人に、あんなことできるわけないだろ。」
「うっさいわね!今度は女子トイレに入ったこと、言いふらしてやるんだから!」
「おう、いいよ。覚悟は出来てるさ。」
人の噂も七十五日というから、卒業する頃には笑い話程度になってるだろ。あの体験をしなくて済むなら安いもんだ。
「ぜ、絶対に言いふらしてやるんだから!見てなさいよ!」
ダッと近くの階段を下りていく秋絵。
『な、なんで…なんでよ…!』
「…ふぅ。」
終わったか。同じ方向からはよくないなと、接続通路側から教室に帰る亮太。
あくる日、登校しても亮太に妙な視線が飛んでくることはなかった。
(柴原、まだ言っていないのか…)
公開処刑みたいになるんじゃないかとビクビクして過ごした。
“キーンコーンカーンコーン…”
ところが、5時限目の体育が始まろうとする時間まできてしまった。ついに柴原は言わなかったらしい。
『先生遅いな…』
『誰か、先生呼んできて。』
今日は武道場を使って何かやるらしく、クラスメートたちは体操着姿で武道場前のロビースペースに集まっていた。
「おい、秋月。」
妙に低い声で呼ばれた。
「…何?」
クラスのリーダー的存在のヤツだった。もっとも、クラス内における権力的なという意味でだが。
「オマエ、昨日柴原さんと帰ってたろ。」
「昨日?」
面倒なことになりそうなのは予想できたが、言うべきか言わざるべきか。
「ああ…、そうだな。」
違うと答えると追求される感じがしたため、正直に答えた。後は質問に淡々と答えておけばいいだろう。
「なんで一緒に帰ってたんだ?」
「たまたま帰り道が一緒だっただけだ。」
「じゃあ付き合ってるんだぁ…。」
怪しい口調になってきた。目の前にあるニヤニヤ顔が気持ち悪くて仕方ない。
「なんでそうなる…」
「おーい、秋月君は柴原さんと付き合ってるってさー!」
ヒューヒュー、と口笛が吹かれる。他の男子がクスクス笑っているのがわかった。
「クラスのぼっち君が、一人前に彼女持ちですかぁ…。」
「だから、そもそも付き合ってるなん…」
“ドスッ!”
重い拳が腹に入った。
「むぐっ!?」
鈍い痛みに倒れこむ亮太。
「強くないと、彼女を守れないよぉ?」
“ガンッガンッ”
今度は足蹴り。
「こ…のっ!」
蹴ってくる足を掴むと、思いっきり引きずり倒す。
“ゴン”
頭をぶつける音がした。
「痛ってーな!ああ!?」
ついにキレたのか、思いっきり蹴りを入れてきた。必死に腕でガードする亮太。
“ドグッ!”
「ぐあっ!」
また腹に拳を入れられた。いや、
(こ、こいつら…!)
男子たちが自分に向かって蹴りを入れているのが嫌でもわかった。複数の足が亮太を襲う。
「弱いなぁ!ザコじゃんこいつ。」
「愛しの彼女はどうしたんだぁ?見捨てられたとか悲惨だね~。」
クスクスはゲラゲラに変わっていた。もはや誰が見ても、それは集団リンチと化していた。
(し、柴原と一緒に帰ったばっかりに…)
『コラッ!何やってる!』
もうどうにでもなれと諦めかけた瞬間、教師の声がした。
『ああ、秋月君が調子が悪いって言うんで励ましていたんですよ。』
サラリと嘘をつく男子の一人。他の男子生徒も口々に賛同する。
「秋月、大丈夫か?」
女子が声を上げない以上、教師もイジメと決め付けられないらしい。腹への一発がきいたせいか立ち上がれなかった。
「先生、秋月君を保健室へ連れて行ってもいいですか?」
突然だったが声でわかった、秋絵だ。もちろん保健委員などではない。
「そうか、じゃあ他の生徒はすぐに並べ。剣道場のホワイトボードの前だ。」
秋絵は秋月の左肩を背負うと、体育館の出口へと向かった。
「…ここで寝てるのよ。」
保健室には誰もいなかった。ベッドの一つに横たわる亮太。
「後で先生に言うのよ。」
「おい、ちょっと待てよ。謝罪もナシか?」
立ち去ろうとする秋絵に、いまさら湧き上がってきた怒りをぶつける亮太。
「何よ、謝罪って。」
「とぼけるなよ、お前だって聞いてたろ?お前が俺に構ってきたからこうなったんだ。」
強めの口調をとる亮太。
「私のせいですって?アンタが弱いだけでしょ?他人のせいにしないでくれる?」
「ああそうだよ、俺は弱いさ。だがこうなる原因を作ったのはお前じゃないのかよ。」
「じゃあ私にどうしろって言うのよ!?」
「俺はお前の彼氏と間違われてるみたいだからな。他に彼氏でも作って、俺は違うことをみんなに証明してくれよ。」
「なんでアンタが私のこと決めるのよ!?なに偉そうに“彼氏でも作れよ”ですって?なんで彼氏を作らなきゃならないのよ!?」
「いません、って言ったら俺が口止めしていると思われるじゃねーか。…それとも、気が強すぎて彼氏ができませんてか?」
「なっ、彼氏の一人や二人くらい、すぐにでもできるわよ!アンタみたいに一生一人じゃないんだから!」
「じゃあとっとと作れよ。クラスで人気者なんだか…」
「何が人気者よ!何が彼氏よ!」
亮太の声を遮って叫ぶ秋絵。
「人気者人気者って…、私は人気者なんかじゃない!」
「人気者じゃねーか。毎日男子も女子も周りにいるしよ。」
「あいつらは私が転校生だから珍しいのと一人暮らしだから変なこと考えて寄ってるだけよ!誰も私自身を見てなんかいないんだから!」
秋絵は今年の4月に転校生として三国中学に転校してきた。が、一人暮らしをしているのは初めて聞いた…。
「誰も…私なんて…」
鼻をすする音と、泣声で亮太はたじろく。
「お、おい、何も泣くことないだろ泣くこと…」
「そうよ…えぐっ…家にだって…帰る場所なんか…えぐっ…ないのに…」
ベッド脇で泣き出す秋絵。
(…。)
普段からは想像出来ない秋絵の弱々しさに、亮太は呆然とするしかなかった。