変われる強さ、変わらぬ想い
「はっ!」
気合の声をあげながら、マリーベルは狼の爪を素早くかわす。
四方八方から襲い来る攻撃を確実に避けながらも、周りをぐるりと取り囲んでいた狼達を一纏めにするように立ち回る。
「えいっ、大きくなあれ!」
投げ放たれた小石は、杖から伸びる魔法の光を浴びて一瞬にして巨岩へと姿を変えた。突如として降り注ぐ岩になす術もなく、狼達は潰されていく。被害を免れた数匹も、文字通り尻尾を巻いて逃げ出していった。
「やたっ、レベルアップっ」
途端、レベルアップを示す鐘の音が鳴り響き、マリーベルは小さくガッツポーズしながら飛び跳ねる。
「戦いにも大分慣れてきたな」
「うん。リュートが活動時間を二時間にしてくれたおかげだね」
スーパーヒーロータイムは二時間続くだろ? とリュートが言ってみた結果、真理はあっさりとそれを信じ、実際にマリーベルに変身できる時間が二時間に延びた。
ちなみにスーパーヒーロータイムとは日曜朝7時から9時まで続く、魔法少女マリーベルを含む特撮・アニメを纏めた呼称である。
「さっきのでレベル80になったから、もうすぐリュートに追いつけるねっ」
「いや、俺は99じゃなくて999だぞ」
ニコニコしながら言うマリーベルに、リュートは冷静に告げた。
「えっ」
マリーベルは慌ててパーティウィンドウを開く。
「ほんとだ……」
そして、がっくりと項垂れた。
「ちなみにレベル1から900までよりも、900から999の方が必要経験値は多い」
「それ以上言うと泣くよ!」
「わかったわかった」
ぐっと口元を引き結ぶマリーベルをいなしながら、リュートは地面に円を描く。
「そろそろ飯にするか」
「うんっ」
そう提案すればあっさりと機嫌をなおす彼女に少し呆れながらも、口には出さない。何故なら彼女がへそを曲げれば、この後の食事内容に大きく関わってくるからだ。
テーブルセットの上に並べられた、変わりばえのしないパンと水。
「素敵なお昼ご飯になあれっ」
マリーベルが指を振れば、それはポンと音を立てて豪勢な食事に早変わりした。
粗末なものを豪華なものに変えるのがシンデレラの魔女の真骨頂だ。
同じ『食べ物』にカテゴライズされるものであれば、マリーベルの想像が及ぶ限り何にでも変えられる。
今日のマリーベルは中華な気分だったらしい。
ラーメンに餃子、チャーハン、中華まんといったラインナップが並んだ。
「魔法がとけなきゃいいのになあ。私ばっかり良い物食べるのは何だか可哀想」
小龍包にかぶりつきながら、マリーベルはボヤく。
「こればっかりはなぁ」
シンデレラの魔法は、12時が来れば解けてしまうのがお約束だ。
マリーベルの場合は変身が解けると同時、変えた物も元に戻ってしまう。
つまり、どんなに美味しいものを作り出しても真理は食べられないのだ。
「待てよ。シンデレラか」
ふとある事を思いつき、リュートはパンを更に10個呼び出す。
「これを晩飯にしてくれ」
「別に良いけど……」
怪訝そうな表情をしながらもマリーベルが指を振れば、パンは10皿のカレーになった。ある程度形が似通っているか、同じカテゴリのものでなければならない……などという割に、ただのパンから皿とスプーンまでついているカレーが出来るのだから、彼女の魔法も意外と適当だ。
「おっ、これは良いな」
「カレー好きなの?」
「そうだな。好きだった。食うのは百年ぶりだ」
MoDにはカレーライスはなかった。
そもそもMoD内では食事というのは空腹度を回復するのと、特殊な料理でパラメータを一時的にアップさせるものでしかない。
食事を楽しむという感覚自体、彼にとっては百年ぶりだ。
そんな事を思いながら、リュートは皮袋に無造作にカレーを入れた。
「ちょっと、中でぐちゃぐちゃになっちゃう!」
「ならない、大丈夫だ。これは魔法の袋なんだよ」
召喚師が『ハッピー・バースデー』や武具のセットなど大量の物を召喚するとき、それは皮袋に入って出てくる。これらは全てが重量軽減100%、大きさ軽減100%のバッグだ。
つまり、口に入れることさえ出来ればどんなに重いものでも持ち歩くことが出来、個数の制限はあるがどんなに大きな物を入れても一杯にならない。壊れやすい物や不安定な物を入れても完璧に保持される、魔法の鞄だ。
そういえば後藤にその辺りを説明するのを忘れていたが、大丈夫だろうか。とリュートは一瞬思うが、気にしても仕方ないことは瞬時に忘却の彼方に追いやられた。そんな事より、目の前のカレーだ。
「シンデレラの魔法には、一つだけ例外がある。十二時を過ぎても変わらなかったのは何だ?」
「えっ……えーと……王子様の心?」
マリーベルの口から、やたらとファンシーな答えが飛び出した。
変身はしても元が幼女だからか、それとも今の十七歳はこんな物なのか。
しっかりしているように見えて、妙に子供っぽいところがある。
「違う。ガラスの靴だよ」
「あっ、そっか」
それが正しいかどうか、は関係ない。
「俺が思うに、シンデレラが見てない物は魔法が解けないんじゃないか?」
マリーベルが信じるかどうか。それが重要だ。
「ついでに言えば、この袋は俺の魔法だ。別の魔法使いの魔法の中では、お前の魔法は解けないかもしれない。いや、解けない」
リュートはきっぱりと言い切る。
「そうだね、お皿ごとカレー入れてもぐちゃぐちゃにならないんだもん。大丈夫かも」
そして、マリーベルはそれを素直に信じた。
結論から言って、その目論見は成功した。
袋から取り出したカレーは、マリーベルの変身が解けても変わってなかったのだ。
「かれえだあああ!」
その日の晩の真理の喜びようと言ったら、それはそれはすごい物だった。
小さな子供が、今まで毎日パンと水の日々。ケーキも美味しいが、出せるのがショートケーキ一種類となれば流石に飽きる。そこに来て、大好物のカレーである。
「か・れ・え! か・れ・え!」
スプーンを持って小躍りする彼女を苦労してテーブルにつかせ、リュートは自分もスプーンを手にする。
「頂きます」
「いたーきまう!」
ニコニコしながら真理はぎこちなくスプーンを握り、口に運ぶ。なんてスプーンを使うのが下手な奴なんだ、と思いつつも、リュートはそれを微笑ましく見つめた。
しかしそれをぱくりと口に含んだ瞬間、真理の表情が凍り付く。まさか不味かったのか? そう思ってリュートもカレーを食べてみたが、魔法の袋に保持されたカレーは熱々のまま。やや甘めではあるが、美味しいカレーだった。
なのに真理は瞳一杯に涙を溜め、口をぐっと引き結んで泣くのを我慢している表情だった。
「どうした、どこか痛いのか?」
「……ままに、あいたい」
ぽろりと頬を伝う一滴。それを見て、リュートは気付いた。
マリーベルは想像できないものに変えることは出来ない。ならば、このカレーも彼女が実際にカレーを食べた記憶を元に作られた物なのだ。五歳児にカレーなんて作れるはずもなく。ちょっと甘めに作られたそれが、誰の味かなんて考えるまでもない。
「あいだいよぉ……」
「そうだな。会いたいな」
我慢の限界に達し、ぼろぼろと涙を流す真理を、リュートは抱き締めた。
どこまでもマイペースな彼女の涙を、今までリュートは一度として見たことがなかった。だが、彼女はまだ五歳なのだ。母親と離れて寂しくないはずがない。
「大丈夫だ。絶対会わせてやる。約束だ」
小さな身体を一杯に伸ばし、全身で必死にしがみついてくる真理の背を、リュートはぽんぽんと撫でる。
真理が泣き疲れて寝てしまうまで、リュートはそうしていた。
* * *
「その……昨日は、ごめんね」
変身するなり開口一番、マリーベルは気まずげにそう言った。
「ごめんって、何がだ?」
「思いっきり泣いちゃって……」
目を伏せるマリーベルに、ああ、とリュートは殊更軽い調子で手を振った。
「気にすんな。真理はむしろよく頑張ってる」
「だけど、私リュートに迷惑ばっかりかけて……」
「お前もさ」
マリーベルの言葉を遮り、リュートは彼女の頭にぽんと手を置く。
「そんな大人ぶらずに、もっと甘えて良いんだぞ」
「えっ」
マリーベルは思わずリュートを見上げた。
「前も言ったが十七なんて十分子供なんだから」
「リュート……」
マリーベルは複雑な表情を浮かべながらも、頭に乗ったリュートの手を両手で掴む。
そして、思い切りその指を関節と逆方向に曲げた。
「いででででっ!」
「もう、子供扱いしないでって言ってるでしょ」
頬を膨らませながら、マリーベルは猫のようにリュートの手からすり抜ける。
昨日言った通りだ。
王子様の心は変身しても変わらない。
リュートにとっては、マリーベルも五歳の子供と大差ないのだ。
何故か、それが無性に腹立たしかった。
「お前なあ、人がせっかく……」
「あ、あれじゃない、一本杉って」
ぼやくリュートを無視して、マリーベルは前方を指さす。
その先には、立派な……あまりにも立派な杉の木が立っていた。
「あー。後藤さんが言ってたあれか」
ここから北、半日ほどの距離に、一本杉と呼ばれる巨大な杉の木がある。その横を、右に行けばコミュニティがある。だが左は危険だから絶対に行くな。
後藤が餓鬼退治の報酬として教えてくれた情報だ。
「ちょっとデカすぎないか?」
「異能樹……下手したらパラノイアの樹なのかもね」
空を支えんとでも言うかのように聳え立つ大木に、二人は苦笑する。
信じる力が現実になるのは、何も人の専売特許ではない。
むしろ知性の低い動植物ほど何の疑いもなくその力を発揮した。
その多くは単なる巨大化、凶暴化だが、世界が崩壊して数ヶ月でここまで森が広がっているのも、木々が潜在的に異能者だからだ。
「ま、目印になってるくらいだし、流石に攻撃はしてこないだろ。行くぞ」
「待って待って」
自然に左に足を向けるリュートを、マリーベルは引き留める。
「右でしょ?」
「何だ、マリー。知らないのか」
リュートは呆れたように言った。
「ああいうのは、フリっていうんだ。いくなよ、絶対に行くなよ、って言う方に行くのが正しい」
「そうなんだ」
自信満々に言うリュートに、マリーベルも納得する。
子供扱いしてくるのは腹立たしいが、リュートは精神的にも肉体的にも頼れる人だ。彼がそういうのなら正しいのだろう、という信頼があった。
「ここは通行止めだ、通りたきゃ身包みおいていきなぁー!」
「ほら、楽しいイベントが待ってただろ?」
「全然楽しくないよー!」
銃を構えて居並ぶ男達に、心の底から楽しそうに笑うリュート。
マリーベルの心に芽生え始めていた彼への信頼は、粉々に砕け散った。