世界が死んで、僕が生まれた
茶色いつぶらな瞳が、じっとリュートを見上げている。
身長はリュートの腰より少し高い程度だろうか?
僅かに茶色がかった黒い髪を頭の左右で二つ結びにして、なにやらアニメキャラのプリントされた女児服を着込んでいる。
どこからどう見ても、ただの幼女だった。
「お前は……?」
「あしや まり、ごさいです!」
まりと名乗った幼女は、片手を開いて元気いっぱいにそう答えた。
「おにいちゃんは?」
「リュートだ」
リュートが短く答えると、まりは首を可愛らしく傾げる。。
「なに、りゅーと?」
「ええと……工藤。そう、工藤 琉斗」
リュートは自分のフルネームを思い出すのに一瞬引っかかる。ずっと仮想世界で暮らしていたので、現実での名前など久しく名乗っていなかった。
「お前、マリーベル、なのか?」
「うん! ……あっ」
リュートが尋ねると、まりは勢い良く頷いた後、はっとして口に手を当てた。
「りゅーと、ないしょ! いまのないしょだからね?」
「あ、ああ。それはいいけど……」
舌足らずな少女の口調は完全に見た目相応の物で、先ほどまでそこにいた金髪の少女の面影はない。
「つまりマリーベルが変身してお前に……いや、逆か。お前がマリーベルに変身できるってことか?」
だが、リュートには二者が同一人物だとわかった。
何故なら、先ほどマリーベルにかけたファンタズム・アーマーがまりにかかったままだからだ。
「うん。これでね、しゅわーってすると、しゃららーってへんしんするの」
そういって得意げにまりが取り出したのは、小さな杖だった。
身の丈ほどもあるリュートの杖とは違い、三十センチほどの短い杖。
いわゆるワンドに分類されるものだ。
手に取ってみると、そのきらびやかな装飾に反して触り心地は実に安っぽい。ややあって、リュートはそれがプラスチック製のおもちゃだと気付いた。
「魔法少女になれる新課金アイテム……なんて、そんな訳ないか」
呟くリュートに、まりは不思議そうに首を傾けた。
薄々、気付いていたことだ。
MoDはダンジョンに特化した硬派なMMOで、今更地上フィールドを作るとは考えにくい。ましてや、アニメプリントの服だのプラスチック製のおもちゃだのを出すはずなど無かった。つまりここは、MoDの中ではないのだ。
だが、ならば現実なのかと言えばそれも怪しい。MoDの中と全く同じ魔法を現実で使えるはずもないが、事実として使えている。あるいは夢なのかもしれないが、それにしてはやたらと現実感があった。
「ま、いいか」
この世界が何なのか。それに対する思考を、リュートはあっさりと放棄した。
考えても仕方ないことに思い悩む性質ではない。むしろそれより重要なのは、自分に何ができるか。そして、
「まり、お前ママを探してるんだろ?」
「うん」
何をすべきか、だ。
「俺が探すの手伝ってやる」
「ほんと!?」
ゲーマーとして最も重要なのは、背景となる世界観を理解する事でもなく、ストーリーを追う事でもなく――用意されたクエストをこなすこと、これが最重要。
それが、リュートのプレイスタイルだった。
「ああ」
「ありがとう!」
リュートが頷いてやると、まりは跳ね上がって喜ぶ。
【クエスト:『まりのママ探し』を受託しました】
聞き慣れた効果音とともに、そんなメッセージが流れた。
* * *
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【クエスト】
NPCから依頼される、大小様々な頼みごと。
特定のアイテムを取ってきてほしい、特定のモンスターを規定数倒してほしい、といった単純なものから、NPCを特定の場所に護衛して連れて行く、指定された方法でモンスターを倒すなど複雑なものまで多岐に渡る。
複数のクエストが繋がって長大な物語を為す事もあり、これはエピックと呼ばれる。神話級、伝説級、英雄級のアイテムは全てエピックをこなさなければ手に入らないものばかりである。
* * *
「りゅぅーとぉ」
舌足らずな、甘えた声が足下から聞こえてくる。
「つかれたぁー、だっこぉー」
「駄目だ」
まりの歩調にあわせてゆっくり歩いてやりながらも、リュートははっきりとそう答えた。
「つかれたー!」
「休憩ならとってやる。でも、抱っこはなしだ。危ないからな」
まりを抱っこすれば、両手がふさがる。
それはいざ敵が出たとき非常に危険だった。
リュートの魔法は指なり杖なりで敵を指定してやらねば使えないのだ。
「うー。おなかすいたぁー……」
「わかったわかった、休憩にしよう」
適当に開けた場所を見繕い、リュートは地面に杖で円を描く。
「テーブルセット」
そして杖を一振りすれば、二脚の椅子とテーブルのセットが現れた。
「コールウォーター、コールブレッド」
更に指を鳴らせば、皮袋に入った水とパンが出てくる。
MoDに空腹度があるのは幸いなことだった。おかげでこうして水や食料を召喚する魔法が存在し、少なくとも飢えて死ぬことはない。
「これだけー?」
しかし何の味も付いてないパンと水に、幼女は不満そうに言った。
「ぜいたく言うなよ」
うー、と可愛らしく眉をしかめながらも、まりはもそもそとパンを口にする。
「……仕方ないな。一個だけだぞ」
その余りにも悲しそうな様子に、ついついリュートは杖を振った。
「ハッピー・バースデー」
どさりと音を立てて、皮の袋がテーブルの上に落ちる。
「まりちゃん、きょう、おたんじょうびじゃないよ?」
「わかってる。今のは呪文だ」
リュートは袋の中を漁って、苺のついたショートケーキを取り出す。
それを目にした瞬間、まりは瞳を輝かせた。
「いいか、それ一個だけだからな」
「うん!」
それは六つのケーキと六本の酒、そして打ち上げ花火とクラッカーが入った袋を召喚するジョーク・スペルだ。そして同時に、召喚師がパンと水以外に唯一召喚できる飲食物でもある。
「おいしー、あまーい」
「そりゃ良かった」
両手でケーキを掲げるようにして、大きく口を開いてかぶりつくまりの表情は本当に幸せそうだ。
「ほら……お前口元べったべたじゃないか」
拭いてやろうにも、ハンカチもティッシュもない。
「サモン・スノウホワイトローブ」
仕方なく、リュートは魔法のローブを召喚した。
基本的に何かを呼び出す魔法しか使えない召喚師が万能と呼ばれるのは、こういった様々な魔法の籠った道具をも呼び出せるからだ。
レベル500魔法で召喚された、熱・冷気・毒・魔法のダメージを60%減少させ、MP回復速度を20%上昇させる純白のローブは、その裾の部分を短剣で切り取られてハンカチ代わりになり、生クリームでべとべとになって打ち捨てられた。
「おいしかった!」
「そりゃよかったな」
すっかり機嫌の直ったまりと、リュートは再び森の道を行く。
森の中でまりは完全に迷子になってしまったらしく、彼女に聞いても出口の方向は全く分からないらしいので、当てのない探索行だ。
「ねぇ、りゅーと、まいごになってない?」
ずんずん進んでいくリュートに不安になったのか、まりは彼の袖をぎゅっと握る。
「なってない。地図を描きながら歩いてるから大丈夫だ」
そういうリュートの手には杖しか握られていなくて、まりはきょろきょろと彼を見つめた。
「ちず? どこ?」
「ここだ」
トントン、とリュートは自分の頭を指で叩く。
「頭の中で地図をかけなきゃ冒険者にはなれない」
「へー」
常に怪物達が襲い掛かってくる迷宮の中、パーティを組んでいればまだしも、ソロ冒険者に地図を描いている余裕などない。歩数を数え、正確な地図を思い描く技術は必須といえた。
ぐねぐねと曲がる森の小道は複雑だったが、ダークゾーンや回転床で距離感や方向感覚を乱されるダンジョンに比べれば大して難しくもない。
だが頭の中で地図を描きながら、リュートは奇妙な既視感を覚えていた。
既視感に誘われるままに彼は歩を進め、そしてそれを発見する。
「なるほどなあ……」
眼前にそびえる建物を見て、リュートは思わず頷いた。
全体をツタに覆われもはや見る影もないが、原型は殆ど保っている。
「何年ぶりだ? MoD歴が確か160年くらいで、現実ではその1/12だから……13年くらいか。難儀なもんだ。そりゃ忘れるのも無理はないな」
それはかつて、まだリュートが現実世界で生きていた頃通っていた、小学校だった。