大人で、子供で、おねーさんで
ガンガンと鳴り響く金属音。
「なんだ……?」
煩い音に寝ぼけ眼を擦りつつ、目を開いたリュートの視界に飛び込んできたのは、青ざめた顔の怪物の顔だった。
「ブラスト」
驚きに身を竦ませるよりも、恐怖に悲鳴をあげるよりも自然に、リュートは杖を向けて呪文を唱える。今まで何千、何万と繰り返して身についた反射的な行動だ。召喚された烈風が、怪物を一瞬にして吹き飛ばした。
「んー……?」
気付けばリュートの身体は、真っ暗闇の中にあった。どこか小さな穴にでも落ちてしまったのか、目の前に亀裂があってそこから光が差し込んでいる。どうやら先ほどの怪物は、その亀裂から入り込んできたらしかった。
「よっ、と」
亀裂の縁に手をかけて這い出せば、さんさんと照らす日の光にリュートは目を細める。眩しさに慣れて辺りを見回すと、どうやらそこは遺跡か何かの様だった。
無残に崩れ、そこらじゅうにツタや植物が生い茂っているが、明らかに人工的な建物の中だ。崩れかかった壁にぶつかって絶命したらしく、先ほど吹き飛ばした怪物が地面に転がっていた。
「何だこいつ」
ごろりと死体を蹴り転がして、リュートは眉をひそめる。
それは人型の小さな生き物だった。ゴブリンに似ているが、肌の色は緑ではなく紫に近い青。MoDでは見た事のないモンスターだ。
「バグで変な空間に飛ばされた……にしちゃあ様子がおかしいな」
呟きながら、リュートは崩れた壁から外に出る。外には木々がまばらに生えていて、葉の隙間から青い空と太陽が覗いていた。
マスター・オブ・ダンジョンはその名の通りダンジョンを舞台としたVRMMOだ。一応、拠点となる街は地上にあるが、それ以外は全て地下迷宮。こんな森の中のような地上エリアは見た事も聞いた事もなかった。
「新しいアップデートかねぇ」
呑気に呟きつつも、リュートは森の中を無造作に歩いていく。
「アーチライトニング。敵も見たことない奴ばっかだけど、弱いな」
先ほどの青い鬼や巨大なネズミ、鳥の化け物などなど。
散発的に襲い掛かってくる怪物達に向かって杖を振れば、あっさりと死んでいく。
「バースト……これでも死ぬのか。初心者向けのチュートリアルか何かか?」
どれほど弱いか試す為に最弱の魔法を放ってみれば、召喚された炎の塊に大蝙蝠はあっさりと絶命した。
「って事はまたあのあなぐらに潜り直しかよ……」
歩きながらも、リュートは頭痛を堪える様に額を指で押さえた。
地下777階は余りにも深い。途中ショートカットする道はあるものの、それでも最下層まで潜るのは数日掛かりの大仕事だ。
「あいつらもまた呼び直さなきゃなあ」
彼がもっとも信を置く五体の召喚獣。移動の影響で消えてしまったので、もう一度召喚するには再使用時間を待たなければならない。あそこまで高位になると、90%カットしても丸一日はかかってしまうのだ。
「アイテムも買い直さなきゃいかんし、あああ、炎の杖なんか使い切っちまったからまた取りに行かなきゃ……」
リュートが両手で頭を抱え始めたその時、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
「ん? 誰かいるのか?」
声の聞こえた方へと足早に向かうと、ばさばさと鳥の羽ばたく音がした。
「このっ、来ないで、よっ! くるなぁっ!」
何匹もの鳥の化け物に囲まれて、金の髪の少女が剣を振っていた。
「ファイター……いや、レンジャー辺りか?」
腰まで伸びたポニーテールを振り乱して戦う少女は、戦士にしては軽装だ。
何せ鎧に類する防具を全く身に着けていない。
可愛らしいドレスのような服はリュートの知らない装備だったが、あの弱い鳥の怪物からダメージを受けている以上、さほど防御力があるとも思えなかった。
「ファンタズム・アーマー」
その苦戦ぶりに流石に見かねて魔法をかけてやると、少女はリュートの存在に気付いたようだった。
「助けて!」
「ん。助けていいのか? 今防護魔法かけたから、頑張れば倒せるぞ」
リュートが召喚したのは霊的な鎧だ。重さはなく身体の動きも阻害しないが、全身を包み込んで守る。怪物達は必死に羽ばたき爪を立てるが、もはや少女には届かなくなっていた。ダメージは受けないのだから、後は根気よく攻撃すれば倒せる。
「もう、時間がないの!」
「わかったわかった」
しかし悲痛な声で叫ぶ少女に、リュートは両手をあげた。
MoDでは、経験値は止めを刺したものにすべて入る。故に他人が戦っている敵を攻撃する事は『ハイエナ』と呼ばれ、忌み嫌われていた。
「ソードレイン」
0.25秒で詠唱が終わり、無数の剣が空から降ってきて正確に敵だけを突き刺していく。顔のすぐ横を落ちる刃に少女は目を大きく見開き、絶命した怪物達を見てリュートの方に視線を向けた。
「ハイエナとか言わないでくれよ。ところでここは……」
「あのっ!」
リュートがここはどこかと聞くより早く、少女は彼に駆け寄って、その手を両手で握りしめる。
青い瞳が、必死の形相でリュートの顔を見つめた。
「私の名前はマリーベル。初対面でこんなことを頼むのは申し訳ないんだけど、お願いがあるの」
「お願いって?」
その表情に気圧されて、リュートは思わずそう問い返した。
彼女の様子はどう見てもただ事ではない。
「お願い、私を守ってあげて。そして出来れば、ママを探してあげて」
「ママ? どういう事だ?」
まるで他人事のような物言いにリュートが首を捻ると、マリーベルと名乗った少女の身体が光を放ち始めた。
「ごめんなさい、説明する時間はないの。お願い、あなたしか、頼れない――」
燐光が彼女の周囲を飛び交い、その輪郭が徐々に光に埋もれていく。
「後は、『わたし』に聞いて……」
そう言葉を残し、遂にはマリーベルは人型の光の塊になった。
眩い光に目を細めるリュートの前で、光は形を変えていく。
――そして。
「おにいちゃん、だあれ?」
光が消え去った後そこにいたのは、五歳くらいの幼い女の子だった。