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切り離された未来  作者: 篠井七紗
第二章 失くした未来
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仮初めの幸せ(4)

 買い物を終わらせた後、アリシアと手を繋いで、家への道のりを歩く。私はさりげない風を装って、アリシアの向こうを歩いているアストを見上げた。アストはアリシアの拙い話を、うんうんと聞いてくれている。その手には一昨日と同じように、買い物袋が提げられていた。ご馳走になるのだからこれくらいは、と強く言われて、結局今日も持ってもらっている。

「しあねぇ、きのう、にじ買ってもらったんだよ」

「にじ?」

 不思議そうに聞き返すアストに、アリシアはどこか自慢げに頷く。

「うん、にじ!ばんごはんのあとで、たべるの」

「おやつか何かか?」

「虹色チョコレートのこと」

 私が口を挟むと、アストがああ、と納得したような声を出した。

「にじって、虹のことですか。懐かしいな」

「にじ、おいしいんだよ」

 アリシアはにこにこと、とても機嫌の良さそうな笑みを浮かべている。私は二人から視線を逸らして、ぼんやりと考えた。

 私はアリシアに、出来るだけアストに会わせてあげたいと思った。私自身も、本音ではアストの傍にいたいと思っている。――後の別れを思えば、今こんな風に親しくなんてしない方がいいことは分かっている。後で辛くなるのは、分かりきっていることだから。でも、それでも。今この瞬間だけでもいいから、アストとアリシアと、三人で一緒にいたいと思う。たとえこれが、すぐに消えてなくなってしまう仮染めの幸せだとしても…。

 私の家に着いて、玄関の鍵を開ける。アリシアがただいま―と叫んで、たたたっと家の中へ駆け込んで行った。

「どうぞ。散らかってるけど…」

 掃除はちゃんとしているつもりだから大丈夫だと思うけれど、一応そう言っておく。振り返った私に、アストは躊躇いがちに言った。

「あの、本当にお邪魔していいんですか?」

 流石に気が引ける、と思ったのかもしれない。だけど、私だってここまで来て断ることなんて出来ない。

「うん、アストが良かったらだけど、上がっていって」

 私がアストの名前を知っていることももう知られてしまった訳だし、別にいいか、と思って名前で呼び掛ける。アストは「じゃあ、お邪魔します」とうちの中へ入っていった。

 私がキッチンで晩御飯の準備をしている間、アストとアリシアにはリビングで待っていてもらうことにした。仕事で疲れているだろうアストにアリシアの相手をさせるのは悪いとも思ったのだけれど、俺がアリシアと遊びたいんです、と笑顔で言われてしまった。

「まちがおそわれてる!へんしんよ!」

 キッチンまで、アリシアの大きな声が聞こえてくる。お気に入りのおもちゃのステッキを振りかざしているのだろう。

「ぐははは、食べてやるぞ〜」

 アストはどうやら悪役をやらされているらしい。

「きゃー!でたな!かいじゅうめ!ひっしゃつわざをくらえーー!」

「うぉっ、なにをするー!」

 鍋をかき混ぜながら、私はくすっと笑った。笑ったはずなのに、なぜか鼻の奥がツンと痛くなる。そうだ、シチューだけじゃ寂しいから、サラダも作ろう。冷蔵庫にレタスがあったはず。食器は、あの可愛いのを使おうかな。二人の大好きなシチュー、おいしく作れているといいな。

 とりとめもなく、色んなことを考えて、必死に自分の意識を逸らした。いつまでも、アストに会うたびに泣いてなんていられない。全部私が決めたことなんだから、しっかりしなきゃ。


 久し振りにアストにご飯を食べてもらえると思うと張り切ってしまって、気付いたら、我が家で一番大きい鍋にいっぱいのシチューが出来上がっていた。晩御飯が出来たことを伝えようと、布巾を持ってリビングを覗く。あぐらをかいたアストの膝の上に、アリシアが座っていた。アストは嫌がる素振りを見せずに、甘えるアリシアの頭を撫でている。その口元には、微かな笑みさえ浮かんでいた。何も知らないはずなのに、まるで血の繋がった我が子だと知っているかのように、アストは優しい瞳でアリシアを見つめている。

 ――どうして?どうしてそんなに、愛しい者を見るような目でアリシアを見るの?

 胸がぎゅっと痛くなる。その痛みに気付かない振りをして、私は笑顔で二人に近寄った。

「ごはんできたよ―」

 はっとしたような顔でアストが振り返る。

「あっ、すみません。結局何のお手伝いもせず……」

「ううん、アリシアと遊んでくれてありがとう」

 アリシアはぴょこんと立ち上がると、私の方に近寄ってきた。

「おかあさん、ふきん―」

 アリシアは、三歳になった頃からお手伝いをする、と言ってくれるようになった。とはいえ、危ないことはさせられないので、晩御飯の前にテーブルを拭くのがアリシアの仕事になっている。私はアリシアに布巾を手渡した。

「はーい。じゃあアリシア、お願いしま―す」

「はい!」

 アリシアは元気良く返事をすると、テーブルに向かっていった。アストは、びっくりした様子でアリシアを凝視している。

「アリシア、お手伝いするんだ。えらいな」

「えへへへ」

 褒められたアリシアが、振り返って嬉しそうに笑う。アストはアリシアに笑顔を向けた後、キッチンに戻ろうとしていた私を振り返った。

「俺にも、何かお手伝いさせてもらえませんか」

 今更ですけど、と遠慮がちに言うアストに、私は慌てて顔の前で手を振った。

「アストはお客様なんだから、気にしないで座ってて。ほら」

 テーブルの方に手のひらを向け、席に着いていて欲しいと促す。アストは不服そうだったけれど、渋々といった様子で座ってくれた。テーブルを吹き終わって席に着いたアリシアが、楽しそうにアストに話し掛けている。

 私は、皿に装った熱々のシチューと、サラダとロールパンをテーブルに運んだ。

「うわ、おいしそう…」

 ほかほかと湯気を立てているシチューを見て、アストが子どものように瞳を輝かせる。そうだ…。アストは私がシチューを作ると、いつもこんな風にきらきらとした笑顔を浮かべてくれた。私も、そうやって喜んで貰えるのが嬉しくて、休みの日には従業員用のキッチンを借りて、何度もシチューを作ったっけ…。

「口に合うといいんだけど」

 以前のアストは、私のシチューが一番おいしいと言ってくれていた。でもそれは、アストが私のことを好きでいてくれたからこそ、そう思えただけかもしれない。それに今のアストは、私の知っていたアストとは違う四年間を過ごしている。味の好みだって、全く同じとは限らない。例えば、今の彼女の味付けが好き…とか。

 そんな風に考えて、つきんと胸が痛くなった。そうだ。アストは、もう17歳なのだ。以前のアストが、私と付き合いだした年齢と同じ。だから、今のアストにも好きな人や彼女がいたっておかしくない。アストは顔立ちも整っているし、魔術師としても優秀だ。さぞかしモテていることだろう…。

 以前のアストに告白されたときだって、恋が実って凄く嬉しかったけれど、まさか私みたいな平凡な女が選ばれると思っていなくて、随分びっくりしたのだから。

「おかーさん、食べていい?」

 スプーンを手に構えたアリシアが、うずうずしている様子で小首を傾げた。その様子がとても愛らしくて、また、瞳の輝きようがアストとそっくりで、私はくすりと笑みを溢した。それから、アリシアの隣の席に腰掛けた。

「うん。じゃあご挨拶をしようか」

 アリシアはスプーンを握り締めたままで、手のひらを合わせる。アリシアの向かいに座っているアストも、慌てて手を合わせた。私もそっと手を合わせる。

「自然の恵みと、生命(いのち)に感謝します」

 三人の声が重なった。スプーンでシチューをすくおうとしているアリシアに、横から声を掛ける。

「ふーふーしてあげる」

「うん」

 アリシアはにっこり笑って頷くと、スプーンを私に差し出した。私はスプーンにシチューをすくって、ふーふーと息を吹き掛ける。毎回火傷しないようにと口を酸っぱくして言っているけれど、それでもアリシアは冷ますのを忘れて食べようとしてしまうから、食べる前に冷ましてあげるようにしている。平たい容器を使っているから、すぐに冷めるとは思うのだけれど。

「まだ熱いから、気を付けてね」

「うん!」

 私が差し出したスプーンに、アリシアがはむっと食らいつく。それから、へにゃりと笑った。

「おいしい〜」

 その幸せそうな笑顔が嬉しくて、私もにっこりと笑い掛ける。もう一度スプーンにすくってふーふーしながら、こっそりアストの方を見ると、アストは何故か眩しそうな瞳でじっとこちらを見ていて、ばっちりと目があってしまった。心臓が大きく跳ね上がる。

「ん?」

 小首を傾げると、アストはいえ、と首を振った。そして私から目を逸らすと、シチューをすくって口に運んだ。ああ、まだ冷ましてない!

「熱いよ!ふーふーしなきゃ!」

 咄嗟に、アリシアに掛けるような口調でアストを窘めると、アストはびっくりしたように私を見た。私ははっとして固まる。な、何言ってるんだろ、私。アストは子どもじゃないし、そんなこと分かっているはず。

「ご、ごめ…」

 私の言葉を遮るように、アストはふっと柔らかい笑みを浮かべた。

「はい、気を付けます」

 その優しい笑顔は、さっきアリシアに対して見せていたものとそっくりで、胸がきゅう、と締め付けられる。私は、この瞳を知っている。四年前には、ずっと私に向けられていた視線。

 ――どうして私やアリシアのことを、そんな瞳で見るの…?一瞬だけ浮かんだ淡い期待を、すぐに打ち消した。今のアストが私を好きになってくれることなんか、あるわけない。以前のアストが私と付き合っていたことや、アリシアとの血の繋がりになんか、気付いているわけもない。

 自惚れちゃ駄目だ。私はスプーンにすくって冷ましたシチューを、アリシアの口に運ぶ。サラダも食べようね、と声を掛けて、フォークを手渡した。

「おいしい…」

 アストがぽつりと呟いた。私ははっとして、アストを見る。

「本当?」

「はい。すごくおいしい…!」

 屈託ないアストの笑顔に、ほっとして私も笑い掛けた。

「いっぱいあるから、良かったらおかわりもたくさんしてね」

 作りすぎちゃって、と台所の鍋を指差すと、アストは驚いたように瞳を瞬き、それから嬉しそうに笑った。

「やった」

 小さく呟かれた言葉に私も嬉しくなって、微笑を浮かべた。


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