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切り離された未来  作者: 篠井七紗
最終章 あなたを護るから
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もう一度あなたと(2)

 アストから、聞きたかったことについて一通りの話を聞いた後で、イーシャに連絡を取ることにした。アリシアにくれたお守りと同じような石をアスト自身も持っていて、それを使ってイーシャに呼び掛ける。遠くにいる人と連絡を取るためには、魔力を自由に扱えるアストでも、この石が必要不可欠なのだそうだ。魔力の無い私には石だけを借りても連絡を取ることは不可能なので、傍でアストがずっと握ってくれていた。

 私もアリシアも無事だということを伝えると、イーシャはとても喜んでくれた。明日からは仕事に出ると言ったけれど、もう社長には流行り病で数日休むと伝えてあるから、明日も来なくて良い、と一蹴される。イーシャは丁度休憩中だったので、黒魔術師についての話を少しだけしたけれど、流石は情報収集のプロというべきなのか、彼女は私の知っているレベルの話なんてもう全て知っているようだった。

「他にも色々聞きたい話があるんだけど、そろそろ休憩も終わりなのよ」

 イーシャはがっかりした様子でそう言った。色々聞きたい話って何だろうと思いながらも、私が仕事に復帰する日のランチの時間に話をしようと約束してから、通信を切って貰った。

「ありがとう、アスト」

 光を失った石をポケットに仕舞い込むアストにそう声を掛けると、アストは頭を振った。だけど、本当に便利な石だなと思う。魔術師たちは、あの石を使って好きなときに連絡を取り合っているのかと思うと、少し羨ましい。

「あ、そうだ、リディ。……さっきから気になってたんだけど、その指輪」

 アストが指差したのは、私の右手の小指にはまっている、石の無くなった指輪だった。

「何か石を嵌めておく?」

 石が砕け散ってしまって、石のはまっていた場所は今は空洞になっている。だけど、見た目はそんなに不自然ではない。もともとそういう指輪だったと言われれば、そうなんだと納得できそうな風貌だ。私はううん、と頭を振った。この指輪に石が無いのは、アストの魔力が私を守ってくれた証だ。この空洞を埋めてしまうのは、何だか勿体無いような気がした。

「ううん、このままでいいの」

「そう? ──わかった」

 アストは不思議そうにそう言ったけれど、私は小さく笑って、ありがとうと頷いた。脚の上に下ろした手に視線を落として、私は左手の薬指に嵌められた、二つの石のついた指輪をじっと見下ろしていた。

 ティアナ王女は、アストがさっきくれたこの指輪にも、護りの魔法が込められていると言っていた。アストは古い時代のプロポーズで、私に結婚を申し込んでくれたのだ。

 そう、結婚、だ。

 さっきは勢いで頷いてしまったけれど、本当にこのままでいいのかな。私の中に、そんな考えが沸き起こってくる。

 勿論今になってまだ、やっぱりアストを喪うのは怖いだとか、そんなことを言うつもりは無い。もはや今となっては、離れることの方が怖いとさえ思える。

 だけど──。アストはまだ、17歳なのだ。結婚を決めるには、些か早すぎるように思う。何より、今のアストには、私と付き合っていた二年間の記憶はない。パートナーとしての私がどんな風かだなんて、まだ知りもしないのに、本当にこのまま結婚してしまっていいのだろうか。

 悩めば悩むほど、このままではいけないような気がしてきて、私は思い切って口を開いた。

「あの……アスト」

「何?」

 不思議そうに私を見下ろすアストに、私は言った。

「別に今すぐに結婚しなくても、いいんじゃないかな?」

 思い切ってそう口にした瞬間、アストは何だか戸惑うような瞳を向けた。

「……え?」

「あ、あの。勿論、嫌だとかそういうことじゃないの」

 誤解させたかもしれない。私は慌てて捲くし立てた。

「アストはまだ若いし、何も、今すぐ結婚しなくてもいいんじゃないかな、って思うの。ちょっと、お付き合いの期間とかあってもいいかなって」

 結婚というのは一生を左右する出来事だ。アストはまだ若いのだし、もう少し慎重になった方が良いかもしれない。そんな思いを込めた言葉を、アストは遮るように否定した。

「俺は、出来るだけ早く結婚したいな」

 それから、翠の瞳をふっと細めて、少し寂しそうな表情を浮かべた。

「……リディは、まだ俺のこと信用できない?」

 その表情を見て、私は失言に気が付いた。

 そうだ。アストは、そんないい加減な人じゃない。きっと色んなことを考えに考えて、その結果としてプロポーズをしてくれたんだ。彼の真剣な思いに対して、私だって真剣な気持ちで、はい、と答えたはずだ。

 今更になって、急いで結婚しなくても、なんて言うのは、アストに対して失礼だ。

 確かにこれでは、アストの気持ちを疑っているみたいに聞こえるかもしれない。

「まさか。ごめんなさい。……余計なことを言ったわ」

 私が頭を振ると、アストは小さく笑った。

「リディが俺に気を遣って言ってくれてるのは分かるし、嬉しいけど、早く結婚したいのは寧ろ俺の方なんだ。……アリシアだって、スクールに上がってからファミリーネームが変わると、ややこしいだろうし」

 悪戯っぽい笑顔にどきっとする。そうだ、結婚するってことは、ファミリーネームも変わるんだ。私もアリシアも、アストと同じ姓になるんだ。そう考えて、また胸が甘く脈打つ。結婚したら、色々なことが変わる。望んではいけないと思っていた未来が、いきなり目の前に転がってきたようで、戸惑うことばかりだ。

 だけどその戸惑いは、私に甘い幸せをもたらすものだった。

「俺のことが嫌になった訳じゃないなら、そんなことは言わないで」

 アストは小さく笑って言った。

「俺は少しでも早く、あなたと生きる権利が欲しい。こんな風にあなたに触れていいのは俺だけだって、安心したい」

 アストの右手が、私の頬に添えられる。それだけで、頬が急に熱を持つのを感じた。

「今も──、これまでだって、アストだけだよ」

 恥ずかしい気持ちを堪えるように、そっと目を閉じた。ふわり、と風を感じるとともに、唇を温かい何かが掠めて行く。

「あっ」

 吃驚して瞳を開いたら、直ぐ傍に、アストの翠色の瞳があった。アストははにかむように笑っている。その頬が、心なしか赤い。どこか可愛らしさのある表情に、思わず頬が緩む。

「どうして笑ってるの?」

 アストの言葉に、なんでもないの、と頭を振った。可愛いなんて言ったら、きっとアストは不快に思うだろう。気にしていない素振りをしているようだけれど、年下だということを結構気にしているようだから。


 それから暫く、アストと私はぽつぽつと会話を続けた。話題は段々と他愛も無いものに変わっていき、時間が経つにつれて、二人きりだという緊張感も薄れてくる。

 そのうち、アリシアの様子が気になり始めた。アリシアが眠り始めて、どれくらいの時間が経ったのかはよく分からないけれど、そろそろ目覚めてもおかしくない頃だと思う。目の前で私が消えるのを見ていたアリシアは、とても心細い思いをしただろうから、目が覚める頃には傍にいてあげたい。

「アリシアの様子、気になる?」

 アストはふいにそう言った。驚いてアストを見上げると、アストはふっと笑った。

「俺も気になる。そろそろ起きると思うし、隣の部屋にいこうか?」

 どうやら、私がそわそわしている理由を見抜かれてしまったようだった。私は何も言っていないのに、相変わらず、そういうところは鋭いなあと思う。

 私とアストは直ぐに隣の部屋に移動した。ハノンは一瞬驚いていたけれど、すぐに笑顔を浮かべると、「隣の部屋にいるから、用があったらこのベルを鳴らして」と言ってハンドベルを指した。私は驚いて

とんでもない、と頭を振ったけれど、ハノンはにこにこしながら部屋を出て行った。

 私とアストは、天蓋つきベッドで眠っているアリシアの傍へ行った。アリシアはまだ夢の中にいるようで、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 私はベッドの端にそっと座ると、アリシアの桃色の髪をゆっくりと撫でた。起こさないようにそっと撫でながら、アストを振り返る。ベッドのすぐ傍に立ったままのアストは、アリシアの顔をまじまじと見つめていた。まるで、何かを探しているかのように。

「アスト?」

 小さな声で名前を呼ぶと、アストははっとしたように私を見下ろした。

「どうしたの?」

 そう問い掛けると、なんでもない、というように頭を振る。それから、微苦笑を浮かべた。

「……俺の血をひいてるのかと思うと、似ている部分が無いかって探してしまうな」

「それで、似ている部分は見つかった?」

 私が問い掛けると、アストはわからない、と頭を振る。

「瞳の色もそうだけど、目の形や鼻の形もアストにそっくりだと思うよ。ガザックも、アリシアはアスト似だって言ってた」

 私が小さく笑いながらそう言うと、アストは驚いたように目を丸くして、それからまた、アリシアに目線を戻した。

「本当に?」

「うん。起きたらじっくり見てあげて」

「……そっか。なんか、不思議だな。でも、嬉しい」

「嬉しい?」

 まさか嬉しいなんて言って貰えるとは思わなかった。その言葉に、何だか胸がほわんと温かくなる。

「似てる、って言われてたのかって思うと嬉しいよ。……だけど、やっぱりガザックも知ってたんだ、アリシアの父親が……切り落とされる前の、俺だってこと」

「うん……。だけど、ガザックには、アストには言わないでってお願いしていたの」

 どうして本当のことを教えてくれなかったんだろう、と思っているかもしれない、と思ってそう告げると、アストは微かに苦笑を浮かべた。

「リディが皆に緘口令を敷いていたって、ルークが言ってたな」

 緘口令というか、お願いしていただけなのだけれど、私は頷いた。

「ごめんなさい、ずっと黙っていて」

 アストは小さく頭を振った。

「リディは俺のために黙っていてくれたんだって、分かってる」

 私の隣にそっと腰を下ろしたアストは、私の左手に自らの右手を重ねた。

「アスト?」

 アリシアを撫でていた右手を止めて、アストに顔を向ける。アストは私の方は見ずに、扉の方を見つめていた。

「もしまた俺が切り落としを受けたとしても、今度は隠さずに、全部教えて欲しいって……そう言おうかと思ったけど、それじゃ駄目だよな」

 アストが溜め息を吐く。

「もう絶対、あんなヘマはしない」

 掴まれた左手に、ぎゅっと力が込められた。アストは私の方を見て、微かに笑みを浮かべた。

「もう二度とあなたの傍を離れたりしないって、本当に、誓うよ」

 アストは持ち上げた私の左手に、そっとキスを落とした。びっくりして咄嗟に左手を引こうとしたけれど、ぎゅっと握られているからそれも叶わない。薬指に嵌められた指輪の翠の石が、ぽう、と淡く光りを放った。

「──”шёi ωрдяεδ”」

 アストが不思議な響きの言葉を呟くと、光は収束して、その石の中に吸い込まれていく。

 不思議な響きの、言葉。だけどもう何度も聞いた言葉だから、何度も見た文字だから、その音を聞いただけで、不思議な文字の羅列が頭の中に浮かんだ。

 指輪の内側に刻まれていた、古い魔術。

 光を失った左手をただぼうっと見つめていると、アストが小さく笑った。

「これから、毎日こうやって魔力を注ぎ込ませて」

 その言葉で、私は漸く気がついた。もしかして、今のって魔力を注いでいたの? 私ははっとなって、アストの右手を両手で包み込んだ。

 アストは吃驚したように、私を見下ろしている。

「まだ、魔法とか、使っちゃ駄目なんじゃないの?」

 アストはついさっきまで、魔力が尽きて倒れていたのだと、ティアナ王女は言っていた。本人は、ガザックに魔力を分けて貰ったと言っていたけれど、きっとまだ本調子では無いはずだ。見上げる私の瞳に咎めるような色が現れてしまっていたのか、アストは困ったように笑った。

「大丈夫だよ、少しくらい」



 暫くそのまま、私たちは二人でベッドの端に腰掛けて、アリシアが目覚めるのを待っていた。アリシアを起こさないようにと小さい声で交わしていた会話は自然と途切れ、私たちの間には穏やかな沈黙が流れていた。座ったまま、少しうとうとし始めていた時、ごそごそという衣擦れの音で覚醒する。はっとアリシアの方を見ると、アリシアは小さな手で目をぐりぐりと擦っていた。

「おかあしゃん……?」

 不安げな声が、私を呼ぶ。私は直ぐにアリシアの方へと近づいた。ベッドからアリシアを抱き上げて、ぎゅっと抱き締める。その瞬間、アリシアの翠の瞳にはみるみる内に涙が溜まっていった。

「お、おがぁしゃああん! おがあしゃぁぁん!!」

 アリシアは大声で泣きながら、私にしがみ付いてくる。私はアリシアの背中をぽんぽん、と優しく叩く。

「怖かったね、アリシア、ごめんね。もう大丈夫、大丈夫だからね」

 大泣きするアリシアをあやし続け、アリシアが漸く落ち着いた頃には、アリシアの翠の目はすっかり真っ赤になっていた。

 落ち着いたアリシアが、ぐしぐしと目を擦りながら、私の肩越しにアストを見つめ、あ、と呟く。どうやら、今のいままで、アストの存在に気付いていなかったみたいだ。

「あっ……、おにーさんだ!」

 アリシアが小さく身動ぎしたので、私はアリシアをベッドの上に下ろした。アリシアはそのまま、ベッドの端に腰掛けているアストに駆け寄った。

「おにーさん!!」

 アストが腕を伸ばして、アリシアを抱き上げる。アリシアは真っ赤になった瞳を、眩しそうに細めた。

「おにーさん、あーくまんたおしてくれたの?」

「え?」

 不思議そうに瞳を瞬いたアストに、アリシアは何故だか得意げに続けた。

「ティアナおねえちゃんがいってたよ。おにーさんが、あーくまんから、おかあさんたすけてくれるって」

 本当だったね、と言ってアリシアは、嬉しそうに笑う。

「あーくまん?」

 アストにはアークマンが何なのか分からなかったようで、疑問符を浮かべている。

「アークマンは、アリシアの好きなアニメに出てくる悪役の名前なの」

 私が横から解説を入れると、アストは一瞬目を丸くして、それからふっと笑った。

「……なるほど」

 アークマンの出てくるそのアニメは子ども向けの勧善懲悪モノだから、身近に子どもなんていなかっただろうアストが知らなくても不思議は無い。むしろ、ティアナ王女がアークマンを知っていたことに驚かされる。ティアナ王女は、アリシアの好きなアニメに例えて、アリシアを安心させてくれたのだろう。アークマンは、毎回最後には必ず主人公に倒されるキャラクターだ。

「あーくまん、もうこない?」

 アリシアは不安げな表情で、アストの服をぎゅっと掴んだ。

「こないよね?」

「うん、ちゃんと倒したから、もう来ないよ」

 アストがアリシアの頭を撫でると、アリシアは安堵したように頬を緩めた。

「よかったぁ」

 にっこりと笑ったアリシアは、それでもうアークマンのことなんて忘れた様子で、別の話題へと移る。

「あのねー、ティアナおねえちゃんに、おまもりきれいねーってほめられたの」

 この間会った時にはハノンお姉ちゃん、と呼んでいたはずなのに、いつの間にかティアナお姉ちゃん、になっている。ティアナ王女が自分の本名を教えたのかな。

「そっか、良かったな」

「うん、あのね、ハノンちゃんも欲しいなっていってたよ」

 アリシアはにこにこと言葉を紡ぐ。ハノンちゃん、というのは、ハノンのことだろうか。

 ……ああ、そっか。今まではティアナ王女のことをハノンと呼んでいたけれど、ここには本物のハノンがいたから、混乱しないように、ティアナ王女は自分の本名を教えたのかもしれない。

「しあ、いいこでまってたよ。えらい?」

 まだ真っ赤な瞳で得意げに見上げてくるアリシアを、アストは優しい眼差しで見下ろしている。

「うん、偉い、偉い」

 アストの手に頭を撫でられて、アリシアはくすぐったそうに笑った。アストは暫くの間、黙ってアリシアの頭を撫でていたけれど、やがて意を決したように口を開いた。

「あのな、アリシア」

 アストは、膝に乗せているアリシアの体の向きを変えて、向かい合うような姿勢を作った。

 まさか……。今、今言うつもりなの? もう少し時間を置くと思っていたから、私は吃驚して身を強張らせた。アストは私の緊張に気付く様子はなく、アリシアの顔をじっと見下ろしている。

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