運命のいたずら(2)
アリシアの手を引いて、スーパーを出た。アストとの会話をいきなり打ち切られて、アリシアは不満そうだ。
「おにーさんね、こんどおうちに遊びに行ってもいいって言ってたよ」
「そっか、良かったね」
知らない人のおうちに行っちゃいけません、って言いたいところだけど、アストなら安心だ。でも、アストは自分の子どもだということは知らない訳だから、遊びに来ていいよって言ってくれたのも社交辞令だろう。それに、私自身の気持ちも良く分からない。アリシアには、アストと仲良くして欲しいのか、そうでないのか……。いきなり、まさか近所のスーパーでアストに会うだなんて思っていなかったから、気持ちが全然追いついていない。とりあえず、ゆっくり考える時間が欲しい。
「……おかーさん?」
私が考え込んでいたからだろうか、不思議そうな顔を向けたアリシアに、なんでもないよと笑う。アリシアは安心したようで、にっこりと笑顔を見せた。
「またスーパーで会えるといいね!しあ、またおにーさんに会いたい」
無邪気な笑顔に、私は言葉を詰まらせた。スーパーで一度会っただけの他人に、また会いたいと思うものだろうか?アリシアがアストに会いたいと思うのは、血の繋がりを感じ取っているからなのだろうか?
「……そうだね、また会えるといいね」
私がぎこちなく笑いかけると、アリシアは満面の笑みで頷いた。
「うん、だから明日もスーパーに行こうね!」
家に帰って、グラタンを食べてからアリシアをお風呂に入れ、一緒に布団に入った。時間はまだ九時過ぎで、私が眠るには少し早い。眠っているアリシアの頭を撫でながら、ぼんやりと考えた。
──アスト。
どうして、この村にいたのだろう。以前のアストが17歳のときは、まだ見習い魔術師だった。見習いは基本的に城から出ることはない。まさか、魔術師になるのをやめたのだろうか。一瞬そう考えて、でもすぐに心の中で首を横に振った。アストが、魔術師を辞めるなんて、そんなことあるわけない。あんなに魔術が大好きな人なんだから。でも、だったら、なんでこんな田舎の村に……。
ううん、そんなことは、私には関係ないことだ。私が考えなきゃならないのは、三ヶ月間、どうやって彼と会わないように過ごすか、だ。やっぱり、彼とは関わらない方がいい。辛くなるだけだから。
明日、もしスーパーで会ったらどうしよう?そんなにタイミングよく遭遇することもなかなかないだろう、と思いながらも、不安が拭えないのだった。
──翌朝。プレーンオムレツを頬張りながら、アリシアはにこにこしていた。
「ねえねえおかーさん、ほんとに公園いく?」
「うん、行くよ。サンドイッチ作ったから持って行こうね」
「うん!」
ケチャップを口の周りにたっぷりとつけて、アリシアが嬉しそうに笑っている。今日は、目覚めたのが少し遅かったから、遊園地をやめて公園に行くことにしたのだ。近くの公園はとても広くて、遊具も多いし、花壇の花も綺麗だ。サンドイッチとレジャーシートを持って遊びに行くことにした。
「帰りにスーパーでおにーさんに会おうね」
「うーん、そうだね、会えたらいいねえ」
一夜経ったら、気持ちも少し落ち着いた。流石に、昨日みたいにタイミングよくスーパーで会うということもないだろう。毎日同じ時間に買い物に来ているとは限らないけど、今日は昨日よりも早めにスーパーに行こう。アストに会いたがっているアリシアには申し訳ないが、そうするのがいいと思う。出来れば、もう関わりたくは無い。同じ道を歩けない以上、会ったところで辛くなるだけだ。
まだ春だとはいえ、紫外線は侮れない。私はつばの広い帽子を被り、アリシアにもピンクの帽子を被せて家を出た。アリシアがお気に入りの、うさぎのキャラクターが刺繍されている可愛らしい帽子だ。
「ちゃんとゴムかけとかなきゃ駄目よ」
アリシアは、耳の後ろにかけたゴム紐が気になるのか、すぐに外してしまう癖がある。
「うん」
サンドイッチの入ったバスケットを持っていない方の手を繋いで、私とアリシアは公園へ向かった。お休みの日に公園に行けることなんてあまりないから、アリシアは凄く嬉しそうだ。調子っぱずれに適当な歌を歌っているアリシアを見て、なかなか遊びに連れていってあげられないことを申し訳なく思う。
「あ。おかーさん、ちょうちょとんでる!」
「あ、本当だ。モンシロチョウかな?真っ白で綺麗だね」
「うん!ねえねえ、公園まだ?」
「もうちょっとで着くからね」
「うん」
アリシアはあまりわがままを言わない良い子だ。凄く良い子に育ってくれていることを嬉しく思うけれど、それ以上に不安になる。私は、三歳の子に我慢をさせているのではないだろうか。一生懸命愛情を注いでいるつもりだけれど、時々不安になる。子育てのアドバイスをくれる様な人は身近にはいない。侍女をしていた時の友人の何人かは母親になったようだけれど、忙しくて連絡を取る時間はあまりなかった。
「あ!」
柔らかい風が吹いたと同時に、急にアリシアが手を離して駆け出した。びっくりしてアリシアを見ると、帽子を追いかけている。ああ、またゴムを外して飛んでいってしまったようだ。外しちゃ駄目だって、何度も言っているのに……。
「アリシア、こけるから、走っちゃ駄目!」
「でも、でもおぼうしが!」
気に入っていたウサギ柄の帽子だから、どうしても失いたくはないのだろう。
「お母さんが取ってきてあげるから、ここにいて」
アリシアにそう声を掛けて、バスケットを置くと、帽子を追って歩き出す。帽子は、少し先の橋の上に留まっていた。
「おいしょ───あっ!」
拾い上げようとした瞬間、風が吹いて帽子が飛び上がる。ああっ、駄目!アリシアのお気に入りの帽子が川に落ちちゃう!咄嗟に手すりに足をかけ、帽子を掴んだ。ほっ、と息をつく間も無く、重心がぐらついた。あ、しまった・・・!後ろに倒れる!頭を思いっきり打つのを覚悟してぎゅっと目を瞑った。けれど、覚悟した痛みは来ない。代わりに、ふわり、と柔らかい羽根に包まれるような感覚を覚えた。まるで風魔法を掛けられたときのようだ。はっとして目を開けると、私は知らない男の人に背後から抱え込まれていた。
「っ、大丈夫ですか?」
……ううん、知らない人じゃ、ない……。
「あす、と……」
声だけでも、すぐに分かってしまった。
「え?どうして俺の名前・・・」
アストが怪訝そうな声を出した。あ、しまった!うっかり名前を呼んでしまった。
「ごめん、なさい。助けてくださって、ありがとう」
ぶつかる直前の衝撃を、アストが魔法で受け止めてくれたようだった。
「……いえ。本当は、こういう風に魔法使っちゃいけないんで。俺が体で受け止めたってことにしといて下さいね」
背中を抱え込まれたまま、困ったように笑われた。どうやら、魔法を使ったことをカモフラージュするために、私のことを抱き締めてくれたみたいだった。
「……はい。ごめんなさい、迷惑をかけて」
アストがそっと私のことを離した。と、同時に、アリシアが駆け寄って来た。
「おかーさん!!!」
私が手すりから落ちそうになったせいでびっくりしたのか、アリシアの大きな瞳に涙が溜まっている。
「ごめんね、アリシア。びっくりしたね。大丈夫だよ、大丈夫だからね」
慌ててアリシアを抱き上げて、背中をぽんぽんと叩いた。アリシアが、私の首にぎゅっとしがみつく。私はアリシアから目線を離し、目の前に立っているアストを見上げた。そしてふと気づいた。アストの服装は、魔術師のものだ。
「あ、の。……魔術師さんなんですか?」
「え? ……ああ、いえ。まだです。今、丁度実習期間なんです」
二つも年上だったアストが、私に向かって丁寧に喋っているのを聞くのは、なんだか不思議な気分だ。
だけどそれよりも、ここで実習期間を過ごしているってどういうことだろう。実習をこんな田舎の村でするなんて、聞いたことが無い。
「実習って、ここで、ですか?王都じゃなくて?」
「……魔術師についてお詳しいんですね。今年から、実習生は王都だけでなく様々な地域に配属されることになったんです。王都では、学べることも限られますから」
この村に配属になって良かったです、とアストは笑った。私も笑い返したけれど、うまく笑えているのかは微妙だった。私にとっては、アストがこの村に配属になったことは全然良いことじゃない。会いたくなんて無かったのだから。なんでよりによって今年からそんな制度が出来たんだろう。それに、他にも色んな地域がある中で、どうしてアストはここに来てしまったんだろう。
だけれど、それよりも驚くことがあった。魔術師になるには、見習い期間を終えたと認められた後に、更に三ヶ月間の実習が必要になる。実習は、基本的に王都の警備を担当する。三ヶ月間の働きぶりで、その後に配属される場所が決まるから、つまり魔術師たちにとっては運命の分かれ道になる三ヶ月間だ。アストはまだ17歳なのに、もう実習を迎えている。……つまり、凄いと言われていた前のときより、更に二年も早い。
「優秀な方なんですね、まだお若そうなのにもう実習期間だなんて」
ああ、なんで喋り続けているんだろうか、私は。早く話を切り上げて、立ち去るべきなのに……。
「いえ、そんな。俺なんてまだまだです。そんなことより、本当に魔術師にお詳しいんですね。……亡くなられた旦那さんは、魔術師だったんですか?」
「え……」
予想していなかった質問に、言葉を詰まらせた。アストが、しまった、というような表情を浮かべる。
「ごめんなさい、余計なことを」
「いえ。……そうです、彼も魔術師でした」
結婚していた訳ではないから、アストは私の旦那ではなかったけれど。そんなこと、いちいち言わなくていいよね。
「……そう、なんですか」
アストは、何故か少し傷ついた顔をしたように見えた。アリシアが、腕の中でもぞもぞと動いた。
「ん? 降りる?」
うん、と頷いたので、アリシアをそっと地面に下ろす。お気に入りの帽子を被せてあげた。
「もうゴム取っちゃ駄目よ?」
「うん」
とはいえ、アリシアはやはり帽子のゴム紐が気になるようで、指先でいじっている。それから、おもむろに目線を上げて、アストを見るなり、大きい瞳をめいっぱいに見開いた。
「ああっ! 昨日の、おにーさん!?」
気づいていなかったのか。アリシアは口を大きく開けて、ぽかんとしたようにアストを見ている。
「おにーさんいつからここにいたの!?」
「んー、アリシアと同じくらいからいたよ」
アストはかがみこみ、アリシアの目線に合わせて笑いかける。ちゃんと、アリシアの相手をしてくれる。それがどうしようもなく嬉しかったけれど、どうしようもなく切なかった。四年前に失われた未来の存在を、強く痛感してしまうから。
「アリシア、こんにちは」
「こんにちは! ねえねえ、あのね。おにーさんもこーえんにいこ!」
「うーん、俺も行きたいんだけど、まだ仕事中なんだ。ごめんな」
「えーっ……」
アリシアは不満そうに唇を尖らせる。
「アリシア、わがまま言っちゃ駄目よ。お兄さんは忙しいんだから」
「……はあい」
アリシアは不服そうに頷く。アストは困ったように笑いながら、アリシアの頭を撫でた。
「アリシア、いいね、お母さんと公園。楽しんできなよ」
「うん。あのね、おにーさん今日もスーパーで会うでしょ?」
アリシアはまるで会うのが当然というように問い掛けた。その問い方が面白かったのか、アストがぷっ、と噴き出す。
「うん、会うかな? 会えるといいけど」
「会うの。しあね、スーパーでずっと待ってるよ」
「こら、アリシア。スーパーでずっと待ってるなんて無理でしょ」
「えーっ!」
私がたしなめると、アリシアが不満そうに頬を膨らませる。
「あの、何時頃行かれますか?」
ふいに、アストが私に向かってそう尋ねた。
「え?」
「いや、あの。俺、今日は五時にはあがりなんで、良かったらアリシアのお母さんがスーパーに行く時間に合わせようかと思って。……あ、迷惑だったらごめんなさい」
アリシアのお母さん……。他人だから仕方ないんだけど、本当に他人行儀だ。アストにそんな風に呼ばれることが、凄く辛かった。アリシアのお父さんはあなたなのに。だけど、アリシアに優しくしてくれることは、素直に嬉しい。
「そんな、とんでもない。こちらこそ、いいんですか?」
「はい、どうせ暇なので」
アストは小さく笑った。さすがにここまで言ってもらって、スーパーに行く時間をずらすのも忍びない。
「六時頃に行こうかと思っています」
「そうですか。じゃあ、俺もそのくらいの時間に行きます。……ね、アリシア。六時にまたスーパーで会おう」
「ほんとう? おにーさんスーパーに来る?」
「うん、行くよ」
「やったー!!!」
アリシアは飛び跳ねて喜んでいる。すごく嬉しそうなアリシアを見ていると、私が辛いからという理由でアリシアをアストから遠ざけるのは、可哀相だし、私の身勝手なのだと気づいた。
アストは子どもが好きだし、情の深い人だから、いきなりアリシアを邪険にしたりすることはないだろう。だったらアストが許す限り、この三ヶ月間はアリシアの好きなようにさせてあげた方がいいのかもしれない。勿論、実習期間を迎えているアストの迷惑にはならないようにしないといけないけれど、時々スーパーで会うくらいなら邪魔にはならないだろう。
アストに頭を撫でられて幸せそうなアリシアを見ていたら、たとえこの人がお父さんだよって教えてあげることはできなくても、少しでも多くアストとの思い出を作ってあげたいと思った。それこそ、私の身勝手なエゴであり、感傷なのかもしれないけれど。