戸惑いの夜(1)
星空のアトラクションは、どうやら何かトラブルが起きていたらしく、降りる際に、中で待たせたことについての謝罪を受けた。私達が待たされた空間が真っ暗だったのは、いきなり照明が切れてしまったかららしい。その調査で一時的に船を停止させたため、私たちは待たされたようだった。私たちは謝罪とともに、遊園地の入場証を三枚貰った。これに懲りず、また遊びに来て欲しいということらしい。
「ただで入場証もらえて、得しましたね」
降りた後、アストは笑顔でそう言った。よく意味は分かっていないだろうけれど、アリシアはにこにこと頷いている。
アリシアの手のひらにあった光は、明るいところに出ると同時に消えてしまったけれど、アリシアは相変わらず機嫌良さそうにしていた。
――楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、帰る時間が近付いてきていた。
「最後に、観覧車に乗りませんか」
「のるー!」
アストの提案に、アリシアが即座に同意した。私も微笑んで頷く。丁度日が傾いて来たところだし、観覧車からは綺麗な夕日が見られそうだ。誰もが同じことを考えていたのか、観覧車の列は少し混んでいたけれど、私たちもその最後尾に並んだ。
「…かんらんしゃ、まだ?」
アリシアが繋いだ手を引っ張る。
「もう少しで乗れるよ。楽しみだねぇ」
私がそう返事を返すと、アリシアは緩慢な動作で頷いた。今日は散々はしゃぎまわっていたから、少し眠たくなって来たのかもしれない。
暫くして、漸く順番が回ってきた。私はアリシアと並んで座り、アストは向かいの席に腰掛けた。
「結構、揺れますね」
アストの呟きに、そうかなあ、と疑問を抱く。
「観覧車ってこんな感じじゃない?」
「そうなんですか?あんまり乗ったことがなくて」
アストは小さく笑った。以前アストと付き合っていたときには、何回か一緒に遊園地にも行って、観覧車にも乗った記憶がある。だけどいまのアストは、あんまり観覧車に乗ったことがないんだ…。遊園地デートはしていないのかな。そんな風に考えて、僅かにほっとした自分に苦笑した。仮に、今のアストに彼女がいなかったとしても、いずれは誰か私以外の人と結婚してしまうのは分かりきったことなのに。
「…アリシア、寝ちゃいましたね」
アストの言葉にはっとして、隣に目をやる。私にもたれ掛かったまま、アリシアは小さく寝息を立てていた。
「疲れちゃったのかな」
「そうでしょうね」
アストが、アリシアの瞼にかかった前髪を指でそっと払い除ける。
「こうして見ると、アリシアは…あなたにそっくりですね」
「そうかな?」
似ている、だろうか。私とアリシアがそっくりだとは、あまり言われたことがない。髪の毛の色以外で似ていると感じる部分なんてあるかなあと思いながら、なんとなく嬉しくなって私は微笑んだ。
「親子だもん」
「そっか…。そうですよね」
そう言って小さく笑ったアストは、まるで何かに思いを馳せるかのように、窓の外に視線を移した。アストも私と同じで、幼い頃に両親を亡くしているから、家族への憧憬があるのかもしれない…。
すっかり疲れてしまったのか、帰りの列車でも馬車でも、アリシアはずっと眠っていた。私は窓の外の景色を眺める振りをしながら、ちらちらとアストを見つめていた。
凄く、凄く楽しくて、夢のような一日だった。だけどアストは、どうだったんだろう。
「・・・今日は、楽しかったです」
まるで私の心の疑問に答えるかのように、アストはふいにそう言った。
「え?」
「今日は本当に…すごく、楽しかったです。付き合ってもらって、ありがとうございました」
私は慌てて首を横に振った。そして、唐突に思い出す。そうだ、まだ払っていない。
「アスト、今日の入場証の・・・」
最後まで言う前に、アストはかぶりを振った。
「もらいません」
「だけど・・・」
さっきと話が違うと思いながら、私が食い下がると、アストは困ったように笑った。
「俺が行きたいと言ったんですから」
「私とアリシアも行きたいって言ったよ?」
私の返答に、アストはきっぱりと首を横に振る。
「・・・リディ。お願いです」
お願いって・・・。そんなお願い、変だよ。そんなに頑なに払わせてくれないのは、どうしてなんだろう。アストってそんなに頑固だったかな。確かに頑固なところはあったけど、以前のアストなら、私が払いたいと強く言えば払わせてくれたように思う。――やっぱり違う四年間を経験してきているから、性格もちょっと変わっているのかな。
「…どうせ、入場証を三枚貰ったんだから、払って無いようなものですし」
アストは困ったように笑った。私は、じゃあその入場証をアストが貰ってくれるのなら、と提案した。
「俺が貰ってもいいんですか?」
勿論、と頷くと、アストは顔を綻ばせた。誰か、行く宛があるのかな。一枚は子ども用だけど、大人用も二枚貰っているから、誰か女の子と二人で行くのかもしれない。誰を誘うのかな…王都に、気になる子でも、いるのだろうか。ずき、と胸が痛んだ。そんなこと、気にしても仕方がないのに…。
「じゃあ、頂きます。誰を誘ってもいいんですよね」
「うん、アストのものだもん、好きな人と行って?」
私がそう返すと、アストは悪戯が成功したみたいに笑った。
「じゃあリディ、今日みたいに三人で行きましょう」
「えっ」
私は吃驚して声を上げた。
「駄目だよ、それじゃあアストにあげたことにならないじゃない」
本当は嬉しかったけれど、咄嗟にそう答える。
「好きな人と行って、って言ったのはリディですよ」
「確かに言ったけど…、その人に拒否権は無いの?」
まさか、また一緒に行こうなんて言ってくれるとは思っていなくて…。可愛げのない返答をしてしまう。だけどアストは、くすっと笑った。
「リディって案外、意地っ張りですよね」
「えっ…そう、かな」
「違いますか?だったら、恥ずかしいんですけど。…俺はどうしても三人で行きたいので、また、一緒に行ってくれませんか」
アストはふわりと、花が咲くように笑った。すぐ傍にアストがいて、優しく笑い掛けてくれる。それだけで、胸がきゅんとなる…。――いまのアストが私の知っているアストと少しくらい違っていたって、私のこの気持ちは変わらないんだな…ということを、痛いほどに感じていた。
「うん…、ありがとう」
私がそう言うと、アストは不思議そうな表情を浮かべた。
「どうしてあなたが、お礼を言うんですか?誘ったのは俺なんだから…言うなら、俺の方です」
アストは優しく笑って、私を見つめている。――多少変わったところもあるけれど、やっぱりアストはアストのままで、本質は何も変わっていない。優しいところも、子どもが好きなところも、シチューが好きなところも、ふとしたときに浮かべる困ったような笑顔も、…私を見つめる優しい眼差しですら、何も変わってはいない。
「…リディ?」
――どうしてそんな風に、親しげに呼ぶの。優しい瞳で、私を見るの。
もうアストは私のことなんか好きじゃないって、期待しちゃいけないって分かってるのに、アストのその瞳を見ていると、すべてが悪夢だったんじゃないかって気がしてくる。本当はアストは全部覚えているんじゃないかって・・・そんな希望を持ちたくなる。
でも、目の前にいるアストはまだ17歳の少年で、私の愛した、私を愛してくれたアストではない。そんなことは分かりきっているはずなのに。
――実習の間だけでもいいから、傍にいたいと思ったのは私だ。全部私が決めたこと。なのに、どうしてこんなに辛いのだろう。アストは手を伸ばしたら届く距離にいるのに、まるでずっと遠くにいるようだ。私は、目頭が熱くなるのを感じて、慌てて顔を伏せた。ぽたり、と落ちた涙に、気づかれたかもしれない。そう思ったけれど、視界がどんどんと滲んできて、もう顔を上げられなかった。
「・・・リディ」
アストが、そっと私の頭を撫でた。まるでアリシアにするのと同じように、いい子、いい子と頭を撫でられる。
「リディは、初めて会ったときも泣いていましたよね」
「・・・え?」
「リディは・・・、俺といると、時々凄く悲しそうな顔をする」
気づかれて、たんだ。そうっと顔を上げると、アストは儚げな笑みを浮かべて、私を見つめていた。
「俺は、・・・そんなに、アリシアの父親と似てるんですか?」
「っ、」
似ている、なんてものじゃない。だって、同一人物なのだから。だけど、どうして・・・。
「あなたはいつも、俺を見て、恋しそうな顔をする。だから、俺は・・・」
俺は…、なんだろう。アストは私からふっと目を逸らすと、まるで自嘲するように笑った。
「ごめんなさい。・・・なんでもありません」
なんでもない訳がない、と思った。アストは何かを言おうと躊躇って、けれど言わなかったのだ。私は、言葉の続きが気になったけれど、それを聞くと自分の心が傷つきそうな気がして、結局・・・怖くて聞くことが出来なかった。
馬車を降りても、アリシアは目を覚まさなかった。よっぽど遊び疲れたのだろう、と思って、私はアリシアを抱え直す。眠っていると、起きているときよりも重たくなるから、家まで連れて帰るのは大変だ。だけど、今までだって私は一人で何とかしてきた。今日だって、家までの距離くらい抱えていられる。そう思っていたのに、アストが「代わります」と言って、私の腕からアリシアを抱き上げてくれた。もう三歳になるアリシアの体を軽々と抱く姿を見て、また胸が詰まる。
「アリシア、疲れちゃったんでしょうね」
アストは優しく笑った。
「大分、はしゃいでたもんね。ごめんね、重たいでしょ」
私が声を潜めて言うと、アストはかぶりを振った。
もうそろそろ家に着く、と思った頃、アリシアが微かに身動ぎした。
「あれ、起こしちゃったかな」
アストが心配そうに呟く。瞳を開いたアリシアは、アストを見上げた。
「んー、もう、おうち?」
「もうすぐ着くよ」
アストの答えに、安心したように笑う。
「しあ、たのしかった」
「良かった。俺も、楽しかったよ」
アリシアは、小さな手でアストにしがみついた。
「おにーさん、もうかえっちゃうの?」
「うん。…アリシアのおうちについたら、帰るよ」
アリシアは、小さな顔を歪ませる。今にも泣き出しそうな顔だ・・・。家までは、もうすぐそこまで来ていた。
「かえっちゃうの?」
「また遊ぼうな」
アストがアリシアの頭を撫でると、アリシアはいやいやをするように首を振った。
「かえっちゃやだ!やだあ・・・」
いきなり泣き出したアリシアを、アストは戸惑ったように見つめている。私も驚いて、ただ呆然とアリシアを見つめた。
「うぅ・・・いっしょに、おうちかえろうよぅ」
「・・・アリシア、」
アストを困らせちゃいけない。そう思って、私が宥めるように名前を呼ぶと、アリシアはアストの肩口に顔を埋めた。
「しあ、おにーさんといっしょがいい・・・。おかあさんとおに−さんと、さんにんがいい・・・」
アリシアの言葉に、ずしりと胸が重くなった。
アリシアが、アストに懐いているのは分かっていた。だからこそ、出来るだけアストに会わせてあげたいと思ったのだから。モーデンで再会したときはびっくりしたけれど、アストと思いの外親しくなれて、おうちに遊びに来てもらって、遊園地に行くことも出来て・・・、沢山の思い出が作れて良かったな、なんて思っていた。だけどアリシアは、ただアストに懐いているだけじゃなかったんだ。こんな風に泣いて引き留める程に、慕っていたんだ・・・。アリシアの中でのアストという存在は、私が思っていたよりもずっと、大きな存在になってしまったようだった。
「ごめんな、でももう帰らないと」
「やだやだっ、やだあ!」
アリシアは小さい手をめいっぱい伸ばして、アストにしがみつく。アストはアリシアの頭を優しく撫でた。
「ううぅ…」
アリシアは大粒の涙を溢しながら、アストを見つめている。私はたまりかねて声を掛けた。
「アリシア、お兄さんを困らせちゃ駄目だよ。今日は、ばいばいしよ?」
「ふぇっ…。どうしてぇ…っ?おに―さんもしあのおうちに住もうよぉ…」
瞳を真っ赤にしながら、アリシアが問い掛けた。そんなアリシアの様子に胸が詰まる。三ヶ月経ったら、お別れしなきゃいけないのに。こんな風に仲良くしていて、いいのだろうか。実習期間が終わって、お別れしなきゃいけないときに、傷つくのは私だけじゃなくて、アリシアもなんじゃないだろうか。…そんな当たり前のことに、今更気付いて愕然とする。アリシアのためにアストとの思い出を作ってあげたいとか、そんなの全部私の勝手な考えだ。アリシアのためを思うなら、やっぱり会わせるべきじゃ無かったのかもしれない…。
「お兄さんにはお兄さんのおうちがあるんだから…、わがまま言っちゃ駄目」
アリシアは滅多に我儘なんて言わないのに…、それだけアストといたいんだ、と思うと胸が苦しくなる。
「かえっちゃやだよおぉ」
アリシアはぼろぼろと泣いている。アストは、どこか辛そうな表情でアリシアを撫でていた。
「また、遊びに行こう?」
「…ほんと?またおうちにもきてくれる?」
アストは何か躊躇うように、ちらりと私を見た。
「…うん、リディが良いって言ってくれたら、いつでも来るよ」
アリシアは、真っ赤な瞳を私に向けた。
「おかあさん…、おにーさんがあそびにきても、いいよね…っ?」
これ以上親しくしない方がいいんじゃないだろうか。もう遅いかもしれないけれど、これ以上アストに会わせない方が、アリシアの傷も浅く済むんじゃないだろうか。でも、今それを伝えたら、余計にアリシアが悲しむ。どうしたら、いいの。どうしたらいいの…。
「…そうだね、また、遊びに来てもらおう?」
私は震える声でそう言った。アリシアが、ぱっと目を輝かせる。
「ぜったいだよ!」
「うん、絶対。…じゃあ、アリシア、またね」
アストがアリシアをそっと下ろした。アリシアは、アストの足にぎゅっとしがみつく。
「もうかえっちゃうの?」
「うん、」
「かえるまえに、しあにえほん、よんで?」
アストの肯定を遮るように、アリシアはそう言った。アストはきょとんとしたようにアリシアを見つめていたけれど、やがて優しく笑った。
「…わかった。アリシアが眠るまでは、いるよ」
アリシアはほっとしたように、顔を綻ばせた。




