手のひらの光(1)
それから週末までの間、アストには会わなかった。アリシアは寂しそうだったけれど、私が"週末の遊園地"の話をすると途端に笑顔になるくらい、週末を心待ちにしているようだった。私も、ここ最近は毎日のように会っていたから、アストに会えないことを寂しく思いながらも、週末を楽しみに日々を過ごしていた。
───アストと約束した日の前日の晩、私はクローゼットを開けて思案していた。アリシアには、小花柄の可愛いワンピースを着せよう、と既に決めている。そのワンピースはパフスリーブで、背中にリボンがついていて、とても愛らしいのだ。アリシアの服はこれだ、とすぐに決まったのに、私は自分の服で悩んでいた。久しぶりにアストとお出掛けが出来るのだから、出来るだけ可愛い服を着たい、と思う。だけど、クローゼットの中には、流行遅れの安物の服しか入っていない。イーシャの言う通り、ほんの少しくらいはおしゃれに気を使った方がいいのかもしれない…なんて思ってから、私ははっとした。
何を浮かれてるんだろう。アストはただ遊園地に行こう、って誘ってくれただけだ。それも、きっとアリシアが喜ぶと思って誘ってくれただけで・・・私はおまけみたいなものだ。そんな私の服装なんか、きっと気にもしていない。年甲斐もなくはしゃいで、馬鹿みたいだ。私は一番近くにあった、イーシャに駄目出しされたばかりのリボンタイ付きブラウスを取り出して、クローゼットの扉を閉めた。
冷静にならなきゃ。
今のアストは私のことなんて、なんとも思っていないんだから・・・。
翌朝、私は早起きして作ったお弁当の入ったトートバッグを持って、アリシアを連れて家を出た。アストがうちまで迎えに来てくれると言っていた時間まで、もうすぐだ。家の前でアリシアに帽子を被せていると、アリシアがぱっと顔を輝かせた。アストが来たのかと思い振り返ると、案の定アストが歩いてくるのが見えた。
「おにーさん!」
アリシアが両手をめいっぱいに振る。アストは笑って手を振り返した。
「おはよう」
「おはようございます!」
アリシアは近寄ってきたアストに体当たりする勢いで飛び付いた。
「へー、花柄なんだ。可愛い」
アストがアリシアを抱き留めると、アリシアは嬉しそうに破顔する。
「えへへへー」
アストは、しがみつくアリシアの頭を優しく撫でながら、私に向かって声を掛けた。
「すみません、外で待っててくれたんですね。家の中で待っててもらって良かったのに」
少し申し訳なさそうな顔をしたアストに、私は首を横に振る。
「ううん、外で待ってる方がなんかわくわくするから、いいの」
アストは不思議そうな顔をした後、ふわりと笑った。私も笑みを返そうとして、アストの襟元から覗いた銀色に、動きを止めた。
「アスト、それ……」
アストは私の様子を怪訝そうに見て、自分の襟元を見やる。
「え?これですか?」
アストが引っ張り出したシルバーのネックレスを見て、私は息が止まりそうだった。やっぱり、見間違いじゃない。以前のアストが18歳になるときに、私があげたネックレスだ。――思い入れが強すぎて、捨てられずに置いてきたネックレス。アストは、今も使ってくれていたんだ…。
「変ですか?…いい加減、馴染んで来たかと思ってたんですけど」
「なじんできた?」
どういう意味だろう、と思って私が問い掛けると、アストはふっと笑った。
「リディは…、切り落としのことはご存じなんですよね?」
問い掛けというよりは、確認のような口調だった。少し迷ったけれど小さく頷くと、アストは寂しそうに笑った。
「このネックレスは、かつての俺が持っていた物なんです。…13歳の俺にはあんまり似合ってなくて、つけない方がいいって周りからは言われたんですけど、なんか気に入っちゃって」
きっと以前の俺も今の俺も、趣味は同じなんでしょうね、とアストは言った。
「似合わないの分かってても半ば意地になって、時々つけてたんですけど、やっぱり似合わなくて。…でももう4年も経って、俺も17になったから、馴染んでんじゃないかって勝手に思ってたんです」
でもまだ早いですか?と聞かれて、私は首を横に振った。
「ううん…、凄く、似合ってるよ」
まさか、あのネックレスをまだ持っていてくれているなんて思いもしなかった。嬉しさで胸がいっぱいになり、言葉に詰まる。そんな私の様子に気づいた風もなく、アストは嬉しそうに笑った。
「良かった。…あなたにそう言って貰えて、ほっとしました」
どういう意味だろうって思いながら、私もアストに心からの笑みを向けた。今もネックレスを大事にしてくれていてありがとう、という気持ちを込めて…。
一番近い遊園地まで、馬車と列車を乗り継いで、二時間ほど掛かる。モーデンは田舎なので、列車は走っていないし、車の往来も禁止されている。隣町のベクマまでは、馬車に乗って行かなければならなかった。
「おうまさん、おひさしぶりだねぇ!」
馬車に乗るのも久しぶりなアリシアは、馬車に乗る前に、そう馬に声を掛けていた。前回乗ったときと、同じ馬だと思い込んでいるんだ。アリシアの愛らしい様子に、くすっと笑みが溢れた。
「おかあさん、ゆうえんち、たのしみだね」
馬車の窓から外を見ながら、アリシアは幸せそうに笑っている。窓の外に珍しいものを見る度に指を指してはしゃいでいたけれど、やがて、幾許もしないうちに眠ってしまった。朝が早かったから、眠たかったのだろう。馬車はガタガタと揺れるから、起きているとアリシアは酔ってしまうかもしれない。眠ってくれて良かったと思いながら、私はアリシアの柔らかい髪を撫でた。
ベクマで馬車を降り、列車に乗り換えた。思っていたよりも車内は空いていて、座席に座ることができた。まだ少しうとうとしているアリシアを、膝の上に抱く。直ぐ隣にはアストが座っていて…はたから見れば私たちは家族に見えるのだろうかと、そんな詮無いことを考えた。
───いや、でも、アストはまだ17歳だ。3歳の娘がいる年齢じゃない。もし私達が家族に見えていたとしても、子連れの姉と、その弟にしか見えていないだろう・・・。
私は胸の痛みを押し隠して、窓の外に目をやった。ぼんやりと外の景色を眺めていると、アストが小さく嘆息した。
「・・・転移魔法が使えたら二秒で送れるのにな」
その言葉にびっくりして、私はアストを振り返った。
「そんなことしたら捕まっちゃうよ」
魔術師は、魔術師見習いとして城に上がるときに、誓約書にサインをしなければならない。その時、必ず肩に刻印を刻まれている。仕事上必要なとき以外は、外で不用意に魔法を使ってはいけないことになっているのだ。…と言うよりも、防御魔法以外は全て、刻印の制約によって使えないはずだ。
「捕まりはしませんけどね。でもまあこうやってゆっくり行くのも、俺は楽しいです」
アストはそう言って、はにかむような笑みを浮かべた。
「馬車も久しぶりで楽しかったです」
凄い揺れでしたけどね…という苦々しい表情を見て、馬車に酔ったのはアリシアではなくアストだったのかと笑う。
「あれ?そういえば、モーデンまでは馬車で来たんじゃないの?」
私の問い掛けに、アストはかぶりを振った。
「王宮から一発ですよ」
アストの言う一発が転移魔法のことだと気付いて、私は瞳を瞬く。魔法が使えない私が王都からモーデンに来るまでには、途中で宿に泊まったりしながら五日も掛かったというのに。
「…ずるい」
私が恨めしげな目を向けると、何故だかアストは楽しげに笑った。
遊園地のゲートに着いて、私たちも並んだ。週末だから混んでいるかと思ったけれど、列車同様、思っていた程には並んでいなかった。
アストは遊園地に行くことを、晩御飯のお礼にと誘ってくれたし、もしかしたら奢ってくれるつもりかもしれない。でも今は私の方が歳上なんだし、私はもう社会人だ。魔術師は見習いでも給金は貰えるけれど、そんなに多くはなかったはずだ。私は、せめて私とアリシアの分くらいは払おうと考えていた。・・・のだけれど、アストはさっさと私たちの分まで買ってしまい、あまりの手際の良さに私は手を出せなかった。ゲートを通って園内に入ったところで、私は前を歩くアストを呼び止めた。
「アスト、払わせて?」
立ち止まったアストは、振り返って首を横に振る。
「俺が誘ったんですから。最初からその約束だったじゃないですか」
「そんな約束してないよ。ねえ、せめて私とアリシアの分だけでも…」
私が食い下がると、アストは困ったように笑った。
「じゃあ後で貰えますか?今はとりあえず、遊びませんか」
折角遊園地に来たんですから、と言われて、何も言い返せなくなる。後で絶対に返そう、と思いながら、私は小さく頷いた。アストは安堵したように笑みを浮かべると、アリシアに向かって手を差し出した。アリシアがぱっと顔を輝かせて、私と繋いでいない方の手を重ねる。
「えへへへへ。おにいさんもおててつなぐの、すきなの?」
アリシアはにこにこしながら問い掛ける。アリシアが喜ぶから手を繋いでくれたんだろうけれど、アストはアリシアに微笑み返した。
「うん、好きだよ」
「しあといっしょだねぇ」
無邪気に笑うアリシアを、アストはやっぱり優しい目で見つめていた。