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切り離された未来  作者: 篠井七紗
プロローグ
1/44

切り落とされた6年(1)

「デイラートに選ばれたんだ」

 アストはそう言って、嬉しそうに笑った。

 デイラートは、国王陛下の身辺警護をする魔術師のことだ。魔術師ならば誰もが目指す花形職に、アストはたったの十九歳で抜擢された。優れた魔力と、それを使いこなせるだけの技術を持っていたからだ。

「さっそく、明朝から陛下に付いて、国境周辺まで行くことになった。二週間したら帰ってくるから」

 アストはそう言って、私の額に優しくキスを落とした。

「うん、待ってる。気をつけて行ってきてね。帰ってきたら、話があるの」

 甘えるようにアストの胸に寄りかかると、アストは不思議そうに私を見つめる。

「話って何だよ? 別れるとか、そんな話はお断りだけど?」

「まさか。そんな訳ないよ。もっと幸せな話だよ」

「幸せな話?」

 ますます不思議そうな顔を浮かべたアストの頬に、私は背伸びをしてキスをした。

「帰ってきたらちゃんと話すから、デイラートとしての最初のおつとめ、しっかり果たしてきてね」

「ああ、頑張るよ。だからリディも、二週間後、何の話だったか忘れたー、なんて言うなよ」

「そんなこと言うわけないじゃない」

 アストは柔らかく微笑んで、むっと膨れた私の頬を指先で撫でた。

「……愛してるよ、リディ」

「私も。……アスト、愛してる」


 羽のように軽く唇に触れた、優しい優しいキス。これが最後のキスになるなんて思ってもいなくて、私はただただ、幸せの真っ只中にいた。アストに気付かれないように、そっと自分のお腹を撫でる。――ここに、まだ小さな命が宿っている。それを伝えたら、アストはなんて言うだろう? アストは……喜んでくれるかな?



 ――だけど、私がアストにお腹の中の赤ちゃんの話をすることは、無かった。帰ってくるはずだった二週間後のあの日、私の愛するアストは、永遠に失われてしまったのだ。

 アストと、お腹の赤ちゃんと、幸せな家庭を築きたい。そんな私の夢は、叶うことはなかった……。



[ 切り離された未来 ]




「国境の町クト―ルで、黒魔術師の暗殺者が突然現れた。陛下を狙った即死系の黒魔術を、無効化するだけの時間がなくて、……あいつ、自分の身を犠牲にしたんだ」

「どういう、こと……?」

 声が震えた。すぐに理解するのは難しい。いま、この人は、なんて言った?

「ごめん、ごめんな、リディ。アストを守れなくて……っ」

 アストと同じデイラートで、アストよりも五つ年上のガザックが、私に向かって頭を下げている。いつもの自信たっぷりの様子が嘘のように、ガザックの纏う空気は重い。

「誰も間に合わなかった……。黒魔術師の存在にいち早く気づいたアストだけが、中途半端な防御壁だけを展開して、陛下の前に立ったんだ」

「アストは……アスト、が……死んじゃったっていうの……?」

 実感の湧かないまま、ぽつりと漏らした疑問に、ガザックは首を横に振った。だけどその憔悴しきった表情からは、アストの無事を信じることは出来なかった。

「魔術っていうのは、黒魔術に限らず、中途半端に防御してしまうと、歪んだ魔術(リフクト)となって降りかかってくることがあるんだ。幸い、アストの判断は正確で、死だけは免れることができた。アストは手に火傷を負った以外は、ぴんぴんしてる。黒魔術師も、アストのおかげで全員捕まえられたよ」

「だったら……」

 だったら、あなたはどうしてそんな顔をしているの?

「ただ……、アストは命の代償に、この六年間をすべて失った。これも、"切り落とし"と呼ばれる……リフクトの一種だ」

 ガザックは搾り出すような声で言った。

「アストが記憶喪失……ってこと…?」

 私がアストと知り合って、愛し合うようになって、まだ二年だ。六年分の記憶をなくしたというのなら、私のことも覚えてはいないということになる。

 だけど、もしかしたらまた思い出してもらえるかもしれない。そんな私の希望を打ち砕くかのように、ガザックは首を横に振った。

「記憶喪失なんてもんじゃない。あいつの生きた六年間は、無くなっちまったんだ。あいつがこの六年間で身につけた魔術も、増えた知識も、伸びた身長も、……すべてが切り落とされたんだ。いまのあいつは六年前のアストそのものなんだよ」

「どういう……意味?」

 理解できない。いまのアストは、六年前のアストそのもの? アストの生きた六年間は、消えてなくなってしまった…?

「そんな馬鹿なこと、あるわけ……ないじゃない……っ!」

 アストに会いたい。アストに会って、ガザックのふざけた冗談だよって笑い飛ばしてもらいたい。だって、こんなの、おかしいじゃない。切り落としって、なに。そんな魔法、聞いたこともないのに!

 医務室に向けて駆け出した私の背中に、ガザックの大声が飛んでくる。

「リディ! 駄目だ! 行くな! あいつは……、お前のアストは、もういないんだ!」

 私はその声を無視して駆け続け、やがて医務室の前まで辿り着くと、その扉を勢いよく開いた。

「……っ、アスト? アスト! いるんでしょう?!」

 ベッドに座り、窓の外を見ていた人物がびっくりしたように振り返る。

「誰、ですか?」

 私は声が出なかった。ただ両手で口を覆い、その場に崩れ落ちた。ベッドの上の少年は、いくらか怪訝そうな表情で私を見ている。目の奥が熱い。ぽたぽたと涙がこぼれ落ちるのを、止められなかった。

 この二年、いつも一緒だった。毎日見ていたから、すぐに分かる。色素の薄い栗色の髪も、少し可愛らしく見える、釣り目気味の大きな瞳も、すっと通った鼻筋も、その薄めの唇も、すべて彼のもの。

 ――未だ外貌に幼さを残したその少年は、まごうことなく、アスト=ノーディスその人だった。

「ごめんなさい、俺の……知り合いだった方……ですか?」

 声変わり前の少年特有の、少し高めの声が耳に届く。

 いやだ。信じたくない。

 切り落としって、なに? アストは……、私の愛するアストは、どこに行ったの?

 嘘でしょう? 誰か嘘だって言ってよ! 返してよ、私のアストを返してよ…!

 言葉もなく泣き続ける私に、アストは困ったような目を向けている。本当に何も覚えてないの……? 私のこと、なんにも……?

 ついニ週間前、話があるって言ったのに。待ってたのに。私たちの二年間は……あなたの六年間は、どこへ行ってしまったの?

 いやだ、信じたくない。こんなことある訳が無いのに……。アストが私を忘れてしまうなんてこと、あるはずがないのに……っ。


 お願いだから、誰か嘘だと言って……。

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