第六章「穴の裏側」
本日投稿の2話目です。時間をずらしてみたのですがどうでしょうか。
第一機関の直轄プログラムが始まって、三週間が経った。
レンに与えられたのは、地下五階の小さなオフィスと、研究員の名札だった。名札には「特別研究員(暫定)」と印字されている。暫定。すべてが暫定だ。
プログラムの内容は、表向きには「法術を行使しない法術師の運用可能性の検証」だった。五条院が組んだカリキュラムに基づき、法術理論の応用実験を日々行う。
だが実態は違った。
五条院がレンに求めていたのは——制度の欠陥の体系的な記録だった。
「これまで私が一人で集めてきた証拠は、内部告発に使えるレベルにない。データが断片的すぎる。——でもあなたは三か月で八つの穴を見つけた。外部の人間の目で、もう一度制度全体を精査してほしい」
五条院は淡々と言った。
「穴を使って入ってきた人間にしか見えない穴がある。制度の内側にいると、欠陥が"仕様"に見えてしまうから」
レンは引き受けた。
***
調査は順調に進んでいた。
第一機関のデータベースにアクセスできるようになったことで、レンが外部からは推測するしかなかった情報が確定データに変わった。
適性スコア0.2〜0.5の被験者——通称「境界域」の人数は、一万二千人ではなく一万九千人だった。公開統計では一部が別のカテゴリに分類されていたためだ。
一万九千人。
そのうち、再測定を受けた人間はゼロ。
そのうち、法術師資格試験に挑戦した人間は——レンただ一人。
レンは報告書を書き進めた。毎晩、自宅のリビングで。母が寝たあとの時間。
報告書のタイトルは「適性スコア制度における構造的欠陥の分析」。五条院と二人で練った文書だ。これを法術審議会に提出すれば、制度改革の議論が始まる——はずだった。
***
変化が起きたのは、プログラム開始から一か月後だった。
朝、オフィスに入ると——机の上に封筒が置かれていた。
差出人はない。封筒は白い。中には一枚の紙。
「特別研究員 霧島レン殿
貴殿の研究活動について、法術師管理委員会より
調査を開始する旨、通知いたします。
調査対象:
・国家資格試験における不正受験の疑い
・第一機関機密データへの不正アクセスの疑い
・法術師法第三十一条に基づく資格停止の可能性
調査期間中、第一機関の施設およびデータベースへの
アクセスを一時停止いたします。」
レンは紙を三回読んだ。
不正受験。不正アクセス。資格停止。
——来た。
水無瀬が言っていた言葉が蘇った。「合格してからが本番」「味方は少ない」。
レンはスマートフォンを取り出して五条院に連絡した。出ない。二回かけ直した。出ない。
三回目で、短いメッセージが返ってきた。
「私にも同様の通知が来ました。
しばらく連絡が取れなくなります。
報告書のデータは安全な場所に。」
レンは深呼吸をした。
パニックにはならない。パニックは時間の無駄だ。
現状を整理する。
第一に、自分の受験は不正ではない。すべて既存のルールの範囲内で行った。法的に問題はない。
第二に、データベースへのアクセスは五条院の承認の下で行った。不正アクセスには該当しない。
第三に——これが「調査」の名を借りた妨害であることは明らかだ。報告書の存在を誰かが嗅ぎつけた。
問題は、誰が。
***
その答えは、翌日わかった。
「調査担当官」として現れたのは、法術師管理委員会の副委員長、鷹司圭介だった。
五十代。適性スコアS。第一世代の法術師——適性スコア制度が導入された直後に資格を取得した最初期のメンバーだ。
鷹司はレンのオフィスに現れた。大柄な体格。灰色のスーツ。笑顔はない。
「霧島レンくんだね。——座ったままでいい」
レンは座ったままだった。立つ気もなかった。
「調査というのは——」
「形式的なものだよ」
鷹司が遮った。
「率直に言おう。君が何をしようとしているか、私たちは知っている。五条院と組んで、適性スコア制度の問題を告発する報告書を書いている。——違うかね?」
レンは否定しなかった。否定する意味がない。
「報告書の内容は正確です。制度に欠陥がある以上——」
「欠陥?」
鷹司が薄く笑った。
「君の言う『欠陥』は、私たちにとっては『設計』だ」
レンの体が冷えた。
「一万九千人の境界域の被験者が正確に測定されていないことは、制度設計時から承知している。議事録を読んだんだろう? ——あの会議に私もいた」
「……知っていて、放置した?」
「放置じゃない。管理した。法術師の数は、多すぎても少なすぎても社会が不安定になる。適切な数を維持するには、ある程度のフィルタリングが必要だ。閾値処理は、そのフィルタリングの一部だよ」
鷹司がオフィスの椅子に腰を下ろした。
「考えてみたまえ。一万九千人の中からAランク以上の適性を持つ人間が仮に五百人見つかったとしよう。五百人の新規法術師が一度に登録されたら、既存の法術師の配属枠が圧迫される。給与体系が崩れる。異形対処の指揮系統に混乱が生じる。——社会秩序の問題だ」
「五百人の人生が——」
「五百人の可能性と、八万人の法術師の安定。どちらを取るべきかは自明だろう」
レンは拳を握った。
怒りが込み上げてくる。だが——彼は鷹司の言葉の構造を聞いていた。
鷹司は「正しいこと」を言っている。少なくとも、論理としては破綻していない。社会全体の安定を優先する——それ自体は合理的な判断だ。
だが——
「それは、一万九千人に選択肢がないことを前提にした話です」
鷹司の表情が変わった。
「彼らは自分のスコアが間違っている可能性を知らない。知らされていない。知った上で現状を受け入れるのと、知らされずに諦めるのは、まったく違う」
「知らせることで社会が混乱するなら——」
「混乱するかどうかは、人間が選ぶことです。管理者が決めることじゃない」
沈黙。
鷹司が立ち上がった。
「……君の資格は、近く停止される予定だ。法的な根拠は用意してある。不正受験の嫌疑——事実かどうかは関係ない。嫌疑がかかった時点で、調査完了まで資格は凍結される。調査がいつ完了するかは——こちらの裁量だ」
鷹司はオフィスを出ていった。
レンは一人残された。
***
その夜。
レンは財前と水無瀬を自宅に呼んだ。
リビングのローテーブルに三人が座った。一か月前と同じ配置。だが空気がまるで違う。
「——状況を共有する」
レンが言った。
・報告書の存在が発覚
・五条院が連絡不能(同様の圧力を受けている可能性)
・鷹司が直接介入。資格停止が近い
・制度の欠陥は「設計」であり、意図的に維持されている
財前が絶句した。
「意図的……? 一万九千人の人生を、わかっていて……?」
水無瀬は黙っていた。目を閉じている。
「——予想通りね」
水無瀬が目を開けた。
「私が除籍されたのも、同じ構造よ。養成学校の内部で適性スコアの不備に気づいた生徒がいた——私じゃない、別の子。その子が声を上げようとしたとき、私が巻き込まれた。不正使用のスキャンダルを捏造されて、私が除籍されることでその子の訴えが"信用できない環境から出た主張"に格下げされた」
レンが水無瀬を見た。
「……先輩。それ、初めて聞きました」
「言う必要がなかったから。でも——今は必要でしょ。私たちが相手にしてるのは、穴じゃない。穴を塞ぐ側の人間よ」
レンはノートを開いた。
「穴の一覧」のページ。八つの穴がすべてチェック済みになっている。
その下に、新しい項目を書き加えた。
09. 制度の欠陥は「設計」。維持することが既得権者の利益になっている
10. 報告書の公開を阻止するために、法的手段が使われる
11. ▒▒▒▒▒▒▒(調査中)
レンはペンを止めた。
「穴を使って中に入った。中に入ったら、穴が塞がれた。——ここからは、穴じゃなくて、別の道を作る必要がある」
「別の道?」
「報告書を法術審議会に出すルートは潰された。——だったら、審議会の外に出す」
財前の顔が蒼白になった。
「外って——マスコミ? それとも——」
「一万九千人に、直接」




