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泥棒の選択肢 -適性スコア0.3の男が、世界のバグを使い切るまでの話-  作者: セムラ


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第三章「仲間か、道具か」

一次試験まで、あと三週間。


 レンは毎日十四時間勉強していた。学校の授業六時間を除いた残りのほぼすべて。睡眠は四時間半。食事は十五分以内。風呂は五分。


 こんな生活は長く続けられないが、三週間なら持つ。身体がそうできている。レンは自分の限界値を中学二年のときに一度テストしている。そのときは期末試験の範囲を三日で丸暗記する必要があったが、結果的に学年二位を取った。一位ではなかったのは、暗記と理解は別の作業だからだ。


 だが今回は暗記で足りる部分と、理解が必要な部分を明確に区別してある。過去問分析の成果だ。


 問題は—— 一次試験ではなかった。


 二次試験だ。


 二次試験で「法術的手法の応用的活用」という穴を使うとしても、具体的にどうやるかの計画が必要だ。過去の課題パターンから想定される問題は限られているが、それでも当日まで課題の詳細はわからない。


 つまり——準備できるのは「考え方の枠組み」だけだ。


 それを独りで完成させるのは効率が悪い。


 レンは初めて、「人の力を借りる」ことを考え始めた。


***

 きっかけは偶然だった。


 あるいは、偶然に見せかけた必然だった。


 体育の授業。グラウンドのトラックを走らされる時間。レンは中の上くらいのペースで走っていた。目立たず、手を抜きすぎず。


 集団の後方に、ひとりだけ大きく遅れている生徒がいた。


 名前は知っている。二年A組の財前晶ざいぜんあきら。適性スコアBだが、入試の成績は学年トップだった男。身体が極端に細く、運動が壊滅的に苦手で、教室でもほとんど口を開かない。


 だが——レンが財前に注目したのは、別の理由だった。


 先月の物理の授業参観日。A組の教室の前を通りかかったとき、財前が黒板に書いた法術理論の補足説明が目に入った。教師の説明の誤りを訂正する内容で、教師本人が気づいていなかった間違いだった。


 適性スコアB。一般的には「優秀だが上位ではない」扱い。


 だが財前の頭脳は、Bの範囲に収まるものではない——とレンは判断していた。


 グラウンドの隅で座り込んでいる財前に近づいた。


「——大丈夫?」


 財前は顔を上げた。汗だくで、眼鏡がずれている。


「……ああ。脚が攣って」

「水飲んだ?」

「飲んだ」


 レンは隣に座った。ここからなら教師の死角になる。サボっているように見えない程度の距離。


「財前、お前さ、法術理論得意だよな」

「……なんで知ってるの」

「A組の前を通ったとき、黒板を見た。第二種適性場の反転条件の説明、あれ教師より正確だった」


 財前が少し驚いた顔をした。誰かに気づかれるとは思っていなかったのだろう。


「……あれは、教科書の方が間違ってるんだよ。厳密には。近似値として正しいけど、純粋な理論値としては——」

「近似と厳密の差が試験に出る可能性は?」

「出ない。実用上は近似で十分だから」


 レンは数秒考えた。


「——国家試験の二次試験で、法術を使わずに課題を解く方法を知りたい」


 財前の動きが止まった。


「……何を言ってるの?」

「そのまま。法術を一切発動せずに、法術的手法を用いたと認められる解答を作りたい」


 長い沈黙。


 財前が眼鏡を直した。


「理論的にはありえる」

「——やっぱりそう思うか」

「施行規則の十二条を読めばわかる。法術的手法の定義には理論応用が含まれる。ただ——」

「ただ?」

「実際にそれで合格した例がない。前例がない解答を試験官が受け入れるかどうかは、理論の問題じゃない。政治の問題だ」


 レンは黙った。


 政治。


 それが七番目の穴——いや、壁だった。


 制度上は可能。理論上も成立する。だが試験官が「認めない」と言えば、そこで終わる。


「——試験官を説得する方法があるとしたら?」

「あるとしたら、圧倒的な解答精度しかない」


 財前はグラウンドの土を見つめながら言った。


「法術で物体を動かすより、理論応用の方がはるかに精度が高い——と証明できれば、試験官は落とせない。落としたら試験制度そのものの信頼性に関わるから」


 レンは立ち上がった。


「財前。お前に頼みがある」

「……まだ何か?」

「俺の試験対策を手伝ってくれ。報酬は——お前が国家試験を受けるとき、一次試験の過去問分析データを全部渡す。十年分」


 財前がレンを見た。


「……お前、何者なんだ? 0.3の——」

「0.3だ。嘘はつかない」

「嘘をつかないやつが一番怖いって、知ってるか」


 だが、財前は手を差し出した。


***

 もう一人。


 レンが次に声をかけたのは、三年B組の水無瀬遥みなせはるかだった。


 元Sランク。十五歳のとき、法術師養成学校の入学試験に合格し、法術師への最短ルートを歩いていた。


 だが一年前、スキャンダルで除籍された。原因は「同級生への法術の不正使用」。相手の生徒の適性場を外部から乱し、試験中に法術を失敗させたという容疑。


 水無瀬本人は否認している。しかし除籍は覆らなかった。


 今は普通科の高校に編入し、卒業だけを目指している。


 レンが彼女を見つけたのは、学校の裏手にある自動販売機の前だった。放課後の時間。水無瀬は缶コーヒーを飲みながら、誰もいない校舎の壁にもたれていた。


 長い黒髪。目の下にうっすらと隈。制服のネクタイは緩めてある。かつてSランクだった人間特有の——「力を持っていた者の残り香」のようなものが、姿勢のどこかに滲んでいた。


「水無瀬先輩」


 水無瀬がレンを見た。表情は変わらなかった。


「……誰?」

「二年C組の霧島です」

「知らない」

「知らなくていいです。話を聞いてほしいんですが」


 水無瀬は缶コーヒーを一口飲んだ。許可とも拒否ともつかない沈黙。


「——先輩の除籍理由、俺は信じていません」


 缶コーヒーが止まった。


「……何を根拠に?」

「根拠じゃなくて構造です。先輩が不正を行ったとされた日時、養成学校の適性場モニタリングシステムはメンテナンス中でした。モニタリングが停止していた時間帯に、適性場を外部から乱した証拠をどうやって取ったのか。——調査報告書には記載がありません」


 水無瀬の目が変わった。


 怒りではない。驚きでもない。


 ——「初めて理解された」という目だった。


「……それ、どこで調べたの」

「養成学校のメンテナンスログは年次報告書に含まれています。公開情報です。調査報告書は先輩の保護者に開示されたものの概要がネットの掲示板に流出してました」

「ストーカー?」

「調査です」


 水無瀬が缶コーヒーを握り潰した。


「——で? 私に何をさせたいの」


「法術の実演を教えてほしい。正確には、法術の制御理論と、試験で何が評価されるかの実体験を聞きたい」


「あんた、スコアいくつ?」


「0.3」


 水無瀬が笑った。乾いた笑いだった。


「0.3が法術師になろうとしてるわけ。面白い冗談」

「冗談じゃないです。報酬もあります」


「報酬?」


「先輩の除籍処分を不当だと証明する証拠の収集を手伝います。先輩が自分でやるより、俺のほうが早い」


 水無瀬がレンの顔を見つめた。探るような目。


「……あんた、何がしたいの? 法術師になりたいだけじゃないでしょ」

「法術師になりたいだけです」

「嘘つき」

「嘘はついてません。法術師になりたい理由が他にもあるだけです」


 水無瀬は新しい缶コーヒーを買った。レンにも一本投げてよこした。


「——話だけ聞く。信用はしない」

「十分です」


***

 三人が初めて同じ場所に集まったのは、その週末の土曜日だった。


 場所はレンの自宅のリビング。母親は夜勤で不在。六畳のリビングにローテーブルひとつ。その上にレンのノートパソコンと、プリントアウトした資料の山。


 財前は緊張した顔で正座していた。水無瀬はソファの端で脚を組んでいた。


「——状況を共有する」


 レンはホワイトボード代わりにノートパソコンの画面を向けた。


「穴の一覧」


01. 測定精度の欠陥(仕様書 p.141)

02. 特例推薦枠の未使用(教育基本法附則7-2) ★使用済み

03. 一次審査でのスコア非照会(未確認→確認済み)

04. 二次試験「法術的手法」の定義の曖昧さ(施行規則12条)

05. 二次試験の課題は「法術行使」ではなく「解決力」の測定

06. 再測定は任意(申込フォーム記載)

07. (調査中)

08. (調査中)


「これが今まで見つけた穴の一覧。一次試験は筆記だから勉強すれば通る。問題は二次試験で——」


「法術を使わずに、法術的手法による課題解決をやる」


 財前が引き取った。


「理論的には可能だと思う。法術の本質は適性場を利用した物理法則の局所変更だから、同じ効果を理論応用で再現できるなら、施行規則の定義には抵触しない」


「でも」


 水無瀬が口を開いた。


「試験官は法術の専門家よ。理論応用で解答したやつなんて見たことないはず。新しいものを『正しい』と認めさせるには圧倒しないといけない。中途半端な解答だと『ルールの悪用』って判断される」


「だからこそ、先輩の経験が必要です」


 レンが水無瀬を見た。


「養成学校の実技試験を受けたことがある人間にしか分からないことがある。試験官が何を見ているか。何秒で判断するか。どこで減点するか。——それは教科書には書いてない」


 水無瀬が腕を組んだ。


「……試験官は最初の三秒で『こいつはアリかナシか』を判断する」

「三秒?」

「三秒。受験者が課題に向かう姿勢、最初の動作、呼吸のリズム。法術師はそれだけで相手の力量がわかる。だから——」


 水無瀬はレンを指差した。


「あんたが会場に立った瞬間、試験官は『こいつは法術を使えない』って見抜く。適性場の反応で。そこからどう巻き返すかが勝負」


 沈黙。


 財前が眼鏡を拭きながら言った。


「最初の三秒で『法術を使えない』と伝わるなら——いっそ最初から宣言するのはどうだ?」


 レンと水無瀬が同時に財前を見た。


「つまり、隠すんじゃなくて、最初に『法術は使いません』と言ってから課題に取り組む。不意打ちじゃなくて、正面突破。試験官に判断を委ねるんじゃなくて、自分からフレーミングする」


 水無瀬がゆっくりと口角を上げた。


「——なるほどね。先に枠を設定するわけか」


「宣言した上で、圧倒的な精度で課題を解けば——試験官は法術と理論応用のどちらが優秀かを公正に評価する立場に置かれる。法術の方が劣っていた場合、理論応用を落としたら試験制度の正当性に関わる」


 レンは財前を見た。


 この男は——使える。


 だがその瞬間、レンは自分の思考回路に気づいた。


 「使える」。


 人を「使う道具」として評価している。


 それは——自分が「0.3」と評価されたのと、同じ構造ではないか?


 レンは一瞬だけ目を閉じた。


 開けたとき、表情は変わっていなかった。


「——ありがとう、財前。その案で行こう」


 声のトーンは変わらなかった。だが、「使える」ではなく「ありがとう」を選んだのは——自分でも説明できない、小さな変化だった。


***

 その夜。


 水無瀬と財前が帰ったあと、レンはひとりでリビングの床に座っていた。


 ノートパソコンの画面は閉じている。部屋は暗い。


 胸の奥に、あの振動がまた来ていた。


 送信ボタンを押したときと同じ振動。骨の裏側の、名前のない振動。


 今度は少しだけ——ほんの少しだけ、はっきり感じた。


 まるで、身体の中の何かが「応答している」ような。


 レンは右手を見た。


 暗い部屋の中で、指先が——


 一瞬だけ、微かに光ったように見えた。


 気のせいだ、とレンは思った。


 三か月間、法術理論を読み続けたせいで、自己暗示にかかっているだけだ。0.3の適性スコアが「光る」わけがない。


 だが——


 風呂場に立って水を出そうとしたとき、蛇口のハンドルに触れた指先から、水が一瞬だけ上向きに跳ねた。


 重力に逆らうように。


 ほんの一滴。ほんの一瞬。


 誰にも見せなかった。記録もしなかった。


 ただ——ノートの「穴の一覧」の下に、新しい項目を書き加えた。


 (備考)身体の変化あり。原因不明。無視して進行。

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