第二章「試験という名の戦場」
本日投稿の2話目です。よろしくお願いします!
特例推薦の申請は、思ったよりもずっと地味な作業だった。
レンが校長室の前に立ったのは、スコア開示から九日後の放課後だった。
ノックを三回。応答を待つ。
「——どうぞ」
校長の宮内つとむは六十二歳。白髪を七三に分け、黒縁の眼鏡をかけている。校長室の机の上には書類が整然と積まれ、壁には歴代校長の写真が並んでいる。レンが入室したとき、宮内はPCの画面から目を上げた。
「霧島……くん? 二年C組の?」
「はい」
「何か用かな」
レンは鞄から一枚の書類を取り出した。
「国家法術師資格試験 特例推薦申請書」——正式な書式だった。文部科学省のウェブサイトの、リンクを三階層辿らないとたどり着けないページにPDFが置いてある。レンが自分で見つけて印刷したものだ。
宮内校長の表情が変わった。戸惑いではなく、困惑。
「これは……特例推薦?」
「はい。教育基本法附則第七条の二に基づき、校長の裁量で推薦が可能です」
「いや、それは知っているが——」
宮内は眼鏡を持ち上げた。
「霧島くん、君の適性スコアは——」
「0.3です」
「……それは、率直に言って、推薦の対象としては——」
「条文には適性スコアの下限が定められていません」
沈黙。
レンは続けた。声のトーンを意識的に一段落とす。攻撃的に聞こえないように。冷静に。論理だけを並べるように。
「附則第七条の二の原文を確認しました。『各学校の長は、教育的見地から特に必要と認める場合、適性スコアの如何にかかわらず推薦を行うことができる』。下限の規定はありません。前例もありませんが、禁止する規定も存在しません」
宮内は書類をゆっくりと手に取った。読んでいる。
「……仮にこの推薦を出したとして」
「はい」
「試験を突破できるのかね? 適性スコア0.3で」
「突破できるかどうかは別の問題です。推薦の要件は『教育的見地から特に必要と認める場合』であって、合格の見込みではありません」
宮内がレンの顔を見た。しばらく無言で。
「……君は普段、こういうことを考えている生徒には見えなかったが」
「はい。普段は考えていません」
嘘だった。だが校長がそれを確かめる方法はない。
宮内は書類を机の上に置いた。ペンを探すような仕草をしたが、止まった。
「一週間、考えさせてくれ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げて、校長室を出た。
——一週間。その間に、五番目の穴を見つけなければならない。
***
三日後の夜、レンは自室のデスクに向かっていた。
モニターには、法術師国家資格試験の受験者データベースが表示されている。公式のものではない。受験者有志が作った「体験談共有サイト」で、試験内容の詳細な記述が匿名で投稿されている。
レンが読んでいたのは、二次試験——実技試験の体験談だ。
過去三年分、百七十二件の投稿。そのすべてに目を通した中で、レンが注目した投稿はひとつだけだった。
***
投稿者:匿名K
受験年:2年前
二次試験の実技は、事前通知なしで課題が発表される。
自分の年は「閉鎖された空間内で、指定された物体を所定の位置に移動させよ」という課題だった。
ほとんどの受験者は法術(念動系)を使って物体を動かした。
ただ、一つ気になったことがある。
試験官が課題を読み上げたとき、「法術を使用すること」とは言わなかった。
「法術的手法を用い」と言ったように聞こえた。
採点基準も「課題達成度60%」が最大配分で、
「手法の独自性」が20%もある。
独自性に配点がある試験で、全員が同じ方法を使うのは不自然ではないか?
結局自分も念動系で課題をクリアしたが、
あとから考えると、別の方法もあったのかもしれない。
***
レンは画面を閉じた。
五番目の穴。
二次試験の実技課題は、法術の「力」を測定する試験ではなく、課題の「解決力」を測定する試験だ。
だが受験者のほぼ全員が適性スコアA以上の法術使いだから、全員が力で解決する。誰も別の方法を試さない。試す必要がないから。
レンのノートの「穴の一覧」に、五番目が加わった。
05. 二次試験の課題は「法術の使用」ではなく「法術的手法による解決」を
要求している。直接的な法術行使は必須条件ではない(匿名証言+施行規則12条)
残り三つ。
***
校長からの返答は、六日目に来た。
「承認する」。
ただし条件がつけられた。
「——校長が言うには、一次試験の筆記を上位30%以内で通過できなければ推薦を取り消す、と」
柴田教諭がそれを伝えてきたとき、表情は複雑だった。善意と不安が混じっている。
「霧島、本当にやるのか? 一次試験の筆記だけでも合格率40%だぞ。法術理論の専門知識が——」
「大丈夫です」
「またそれか。大丈夫って、根拠は?」
「勉強しますから」
柴田教諭は溜息をついた。でも、それ以上は止めなかった。
***
翌週から、レンの生活が変わった。
学校から帰宅すると、母が出勤するまでの間に夕食を作り、母を見送ったあとで国家試験の勉強を始める。
法術理論。適性場物理学。法術倫理学。法術応用工学。
一次試験の出題範囲は広い。法術師の養成学校で二年間かけて学ぶ内容が試験範囲に含まれている。
だがレンには二つの有利な点があった。
第一に、彼は「読むこと」に関して異常な集中力を持っている。一冊の教科書を読み終えるのに、平均的な高校生の半分の時間しかかからない。理解度は別として、まず全体の構造を把握することに長けている。
第二に、過去問のパターン分析をすでに完了していた。十年分の出題傾向から、「確実に出る」テーマと「絶対に出ない」テーマを仕分けしてあった。全範囲を勉強する必要はない。出題確率の高い六割のテーマだけを、完璧に仕上げればいい。
試験まで、二か月。
***
一か月が過ぎた頃。
放課後の図書室で、レンは法術理論の教科書を広げていた。
図書室は静かだった。そもそもこの学校の図書室を使う生徒は少ない。今日は レンのほかに二人だけ——一年生のカップルが入口近くで小声で話している。
教科書の内容は「適性場の基礎理論」。適性場がどのように人体と共鳴し、法術発動のトリガーとなるかの理論的説明。
レンは自分が法術を使えないことを知っている。適性スコア0.3は測定誤差の可能性があるとはいえ、感覚的には何も感じない。「適性場との共鳴」が起きる気配すらない。
だが理論は理解できる。
むしろ——法術を使える人間よりも、理論の構造が「見える」気がしていた。法術を使える人間は感覚で理解する。理論を読まなくても、体が覚えている。自転車に乗るのに物理学は要らない。
でもレンは自転車に乗れない側の人間だ。だからこそ、自転車の構造を隅々まで知ることができる。
「——何を読んでるの?」
声がした。
顔を上げると、桐谷美咲が立っていた。手には別の本を持っている。彼女もここで勉強するタイプだったのか、と初めて知った。
「法術理論」
「……なんで?」
その疑問は当然だった。適性スコア0.3の人間が法術理論を勉強する理由は、常識的にはない。
「趣味」
嘘だった。だが本当のことを言う理由もない。
美咲は少し逡巡してから、向かいの席に座った。
「私、法術工学を勉強してるんだけど、一箇所わからないところがあって」
レンは顔を上げた。
「適性場の第三種共鳴について。教科書の説明だと、共鳴条件が三つあるって書いてあるんだけど、二つまでしか理解できなくて」
レンは手を止めた。
第三種共鳴。三つの条件。
「——三つ目の条件は、正確には条件じゃない」
美咲が首を傾げた。
「教科書のp.287の脚注を見て。第三の条件は『環境依存的であり、普遍的な閾値が定められていない』と書いてある。つまり、三つ目は毎回変わる。環境によって共鳴するかどうかが変わるから、固定の条件として覚えても意味がない」
美咲がページをめくった。脚注を読んだ。
「……本当だ。脚注にちゃんと書いてある」
彼女はレンを見た。目が少し変わっていた。「0.3の男」を見る目ではなかった。
「——ありがとう。すごく助かった」
「別に」
美咲は何か言いかけて、やめた。しばらく黙って自分の本を読んでいたが、やがてまた口を開いた。
「霧島くんって、適性スコア低いのに法術理論詳しいよね」
「読めばわかる」
「読んでもわからない人のほうが多いんだけど」
「ルールを読むのが好きなだけ」
***
その日の帰り道。
レンのスマートフォンに通知が入った。
法術師国家資格試験の一次試験——申込受付開始の通知。
レンは歩きながら、申込フォームにアクセスした。
校長推薦のコード。受験者情報。生年月日。学校名。
そして——適性スコアの入力欄。
レンの指が止まった。
入力欄の上の注記を読む。
「適性スコアは自己申告となります。
虚偽の申告が判明した場合、受験資格を取り消す場合があります。
なお、二次試験時に適性スコアの再測定を行う場合があります。」
「行う場合があります」。
「行います」ではない。
六番目の穴。
再測定は任意。全員に行われるわけではない。
レンは「0.3」と入力した。嘘はつかない。嘘をつく必要がない。
嘘をつかずに、ルールの中を歩く。
それがこのゲームの唯一のルールだ。
***
送信ボタンを押した瞬間、レンの胸の中で何かが鳴った。
心臓——ではない。
それよりもっと深い場所。骨の裏側。肺の隙間。自分の中の、名前のない空間。
初めて感じる振動だった。
だがレンはそれを無視した。
適性場の理論を読みすぎて、感覚が過敏になっているだけだ。
そう結論づけた。
——彼はまだ知らない。
それが「適性場との共鳴」の、最初の兆候だったことを。
評価・感想お待ちしています。
つづきは明日3/11に投稿予定です。




