第一章「0.3の男」
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朝の光が教室に差し込んで、三十二人の人生を照らしていた。
ただし照らされ方には差がある。陽の当たる窓際の席に座っている連中は、今日という日を待ちわびていた顔をしている。影になった廊下側の席では、何人かが机に伏せていた。
霧島レンは、どちらでもなかった。
一番後ろの角の席で、スマートフォンの画面を眺めていた。画面には「適性スコア測定 全国同時配信:残り00:04:23」というカウントダウンが表示されている。
あと四分で、全国の十六歳が一斉に「適性スコア」を知ることになる。
「ねえ、緊張しない?」
前の席から声がかかった。振り向いたのは桐谷美咲。学年で三番目に成績がいい、真面目で、レンとは何の接点もない女。なぜか今日に限って話しかけてくる。
「しない」
「嘘。絶対してるでしょ」
「嘘じゃない。結果は変わらないから」
美咲は少し引いた顔をして前を向いた。
——正確に言えば、結果がどうであれ関係ない、という意味だったが、訂正する気はなかった。
五年前、世界に「適性場」が観測された。
地球上のすべての人間が微弱な「適性場」を持っており、それを計測することで「法術」——物理法則を局所的に書き換える技術——への親和性が数値化できることが判明した。
適性スコアA以上の人間は国家登録され、「法術師」として特権的な地位を得る。
S以上はさらに別格。政府直轄の「第一機関」に配属され、年収は二十歳で一般企業の管理職の三倍を超える。
だからこの日——適性スコアの一斉開示は、事実上、人生の仕分け作業だった。
カウントダウンがゼロになった。
教室の全員が同時にスマートフォンを見た。
一拍の沈黙。そのあとに、歓声と、溜息と、すすり泣きが入り混じった。
「Bランク! やった!」
「俺Cだ……でもギリ登録圏内?」
「A……Aだって。ねえ聞いて、Aだって!」
レンは自分のスマートフォンを見た。
画面の中央に表示されているのは、ひとつの数字。
```
適性スコア:0.3
判定:測定下限未満
```
——予想通りだった。
だが「予想通り」で済む話ではないことは、三秒後に証明された。
「え、ちょっと待って。0.3って何?」
声を上げたのは、クラスの中心人物である笹倉悠斗だった。適性スコアB+。将来の法術師候補として塾にも通っている男。人の成績を覗くことに関しては、法術より適性がある。
「おい霧島、お前のそれ、バグ?」
「…………」
「0.3って、ないだろ普通。Eランクですらないじゃん。測定誤差の範囲って書いてあるし」
笑いが広がった。小さな笑い。でも教室中に伝染するのに十分な大きさ。
レンは表情を変えなかった。
正確には、変える必要がなかった。0.3という数字に感情が動かなかったのではない。0.3という数字が持つ意味を、この教室の誰よりも深く理解していたから、感情を使うべき場所はここではないと知っていただけだ。
「霧島くん、大丈夫?」
担任の柴田教諭が気まずそうに声をかけてきた。
「大丈夫です」
「あの、スコアが低くても進路相談は受けられるから。一般企業への推薦枠も——」
「大丈夫です」
二回目の「大丈夫です」には、もう感情が乗っていなかった。
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昼休み。
レンは屋上へ続く階段の踊り場に座っていた。弁当は食べ終わっている。卵焼きと白飯だけの弁当だったが、味は覚えていない。
代わりに、スマートフォンの画面を見つめていた。
ただし表示されているのは適性スコアではない。
画面には、PDFファイルが開かれている。タイトルは——
```
「適性場測定装置 TSM-04型 技術仕様書(暫定版)」
```
百七十二ページ。政府の調達仕様書のサーバーから、三か月前にダウンロードしたものだ。
「暫定版」とあるが、最終版との差分はフッターの日付だけだった。それは別のファイルとの照合でわかっている。
レンはPDFの八十七ページを開いた。
TSM-04型の測定原理の項。適性場を検出するセンサーアレイの配置図と、測定アルゴリズムのフローチャート。
彼が注目していたのは、フローチャートの分岐条件のひとつだった。
```
「閾値以下の入力信号が連続3サイクル検出された場合 → 測定無効(ノイズ処理)」
```
これは設計上の正しい処理だ。微弱すぎる信号をノイズとして除外することで、測定精度を保つ。
だが、レンが見つけたのは、その「逆」だった。
仕様書の百四十一ページ。校正手順の注意書き。
```
「注:閾値境界付近(0.2〜0.5)の信号については、
センサー感度の校正誤差により、実測値が最大±40%変動する場合がある。
本装置は閾値処理後の値を最終スコアとして出力するため、
閾値境界付近の被験者については測定値が本来の適性場強度を反映しない
可能性がある。本件は次期改修で対応予定。」
```
「次期改修で対応予定」。
この仕様書は四年前に書かれたものだ。改修はまだされていない。
つまり——
適性スコア0.2〜0.5の人間は、本当のスコアがいくつなのか、**誰にも分からない**。
0.3かもしれないし、0.5かもしれない。あるいは——
あるいは、別の可能性もある。
レンは仕様書を閉じて、別のファイルを開いた。こちらは自分で作った表計算シート。全国の適性スコア分布の公開統計データを集め、閾値境界付近のデータだけを抽出したものだ。
0.2〜0.5のスコアを持つ人間は、全国で約一万二千人。
そのうち、再測定を申請した人間は——ゼロ。
一万二千人のうち、誰一人として「自分のスコアは間違っているかもしれない」と言い出していない。
理由は簡単だ。
仕様書は公開情報だが、百七十二ページの技術文書を読む十六歳はいない。
そして0.3と表示された人間は、その数字を信じて諦める。それが「システム」の設計通りの動作だ。
レンは表計算シートを閉じた。
——これが最初の「穴」だ。
適性スコアのシステムには、この「穴」以外にも複数の設計上の盲点がある。それを彼は三か月前から調べ続けていた。
理由は単純。
適性スコアが低いからではない。
適性スコアが低い人間に**与えられる選択肢が少なすぎる**からだ。
レンの母親は看護師をしている。父親はいない。
「法術師」になれば母親を楽にできる——そんな素朴な動機すら、0.3という数字によって消される。
それが「正しい測定」の結果なら受け入れる。
だが「設計上の不備」で人生が決まるなら——
それは『バグ』だ。
バグは、直すものだ。あるいは——使うものだ。
---
放課後。
レンは職員室の前に立っていた。
扉のガラス越しに、柴田教諭のデスクが見える。柴田教諭自身は不在。五時限目が終わってすぐに会議室に向かったことを確認済みだ。会議は最短でも四十分、いつもは一時間以上かかる。
レンが職員室に入ったのは、教師がゼロになる一瞬——六時限目の開始チャイムと同時だった。全教員が教室に向かうタイミング。職員室は無人になる。
柴田教諭のデスクに向かった。引き出しではない。デスクの上に置かれたファイルボックス。三段目。
「進路関連資料」と書かれたタブの裏に、もう一枚、別のタブがある。
「国家法術師資格試験——学校推薦枠一覧」
レンが探していたのはこれだった。
全国の高校に割り当てられた資格試験の推薦枠。通常、Aランク以上の生徒にのみ適用される。
だが資料を読み進めると、末尾に小さな文字で付記があった。
```
「補足:適性スコアにかかわらず、各校長が特例推薦を行うことが
可能(教育基本法附則第七条の二に基づく)。
ただし過去五年間の適用実績なし。」
```
過去五年間、ゼロ。
誰も使っていない枠。存在は知られているが、使い方を誰も知らないルール。
レンはスマートフォンでその一ページだけ撮影した。
ファイルをもとの位置に戻す。ボックスのタブを揃え直す。指紋は——ファイルの表面が布製だから残らない。
職員室を出るまで、七十秒。
廊下に出た瞬間、六時限目の授業に遅刻した生徒とすれ違った。目が合った。
「あ、霧島。お前もサボり?」
「トイレ」
短い返答だけ残して、レンは階段を降りた。
---
帰り道。
夕暮れの住宅街を歩きながら、レンは頭の中で組み立てていた。
~穴の一覧~
第一の穴:適性スコア0.2〜0.5の測定精度が保証されていない。
第二の穴:特例推薦枠は存在するが、五年間使用されていない。
第三の穴:——これはまだ確認中だが、資格試験の一次審査に「適性スコアの直接照会」が含まれていない可能性がある。つまり、試験会場に到着した時点で、エントリーした人間のスコアを再測定するプロセスが存在しないかもしれない。
まだ「可能性」だ。確定ではない。
だが、三つの穴が同時に存在する場合——
適性スコア0.3の人間が国家資格試験の会場に立つことは、不可能ではなくなる。
もちろん、会場に立つだけでは意味がない。
試験に受かる力が必要だ。
法術の適性が低い人間に、法術師の試験を突破する手段があるのか?
——ある。
レンの頭には、すでに四つ目の穴が見えていた。
だがそれは今夜考えることだ。今はまず、母親の夕食を作らなければならない。
---
深夜二時。
母親が寝たあとの、暗いリビング。
レンはノートパソコンの前に座っていた。画面には法術師国家資格試験の過去問データベースが表示されている。
過去十年分の試験問題。合格率。出題傾向。
彼が追っていたのは問題の内容ではなく、試験の構造だった。
一次試験は筆記。合格率は約40%。知識があれば通る。
二次試験は実技。合格率は約25%。ここで法術の実演が求められる。
三次試験は面接。合格率は約60%。
——問題は二次試験だ。
法術の実演。適性スコアが低い人間には物理的に不可能なはずの試験。
だが、試験要項を精読すると、「実技試験」のルールが曖昧であることに気づく。
要項にはこう書かれている。
```
「二次試験において、受験者は指定された課題に対し、
法術的手法を用いて解決策を提示すること。
評価基準:課題達成度(60%)、手法の独自性(20%)、安全性(20%)」
```
「法術的手法を用いて」。
だが「法術的手法」の定義は、同じ試験要項の中に存在しない。
別の文書——法術師法施行規則の第十二条にはこう定義されている。
```
「法術的手法:適性場を利用した物理法則の局所的変更、
または適性場に関連する理論的知見の応用的活用をいう。」
```
「または適性場に**関連する理論的知見の応用的活用**」。
後半部分。
法術を「使う」のではなく、法術に「関連する知識を応用する」——それも「法術的手法」に含まれる。
つまり、法術を一切発動しなくても、法術理論を応用した解決策を提示すれば、試験要件を満たす。
過去十年間、この解釈で受験した人間は——おそらくゼロだ。
適性スコアの高い人間にとって、法術を実演する方がはるかに簡単だからだ。わざわざ理論応用の道を選ぶ理由がない。
だが、法術を使えない人間にとっては——
『この解釈だけが、唯一の道だ。』
レンはノートパソコンのキーボードに手を置いた。
胸の奥に、小さな火が灯っていた。
怒りではない。
悲しみでもない。
「バグを見つけたときの、静かな確信」——それが一番近い表現だった。
世界のシステムには穴がある。
その穴は、見つけた者だけが使える。
そして見つけるためには、**誰よりも注意深くルールを読む必要がある。**
霧島レンは、ルールを読む側の人間だった。
画面の光に照らされた彼の顔は、0.3という数字を突きつけられた少年のものではなかった。
それは——穴を見つけた泥棒の顔だった。
---
翌朝。
教室に入ると、笹倉がまた声をかけてきた。
「お、0.3くん。昨日は落ち込んだ?」
周囲の何人かが笑った。
レンは笹倉の目を見て、少しだけ笑った。
「——うん。けっこう落ち込んだ」
嘘だった。
だが嘘をつくのは得意だ。弱者のふりをするのはもっと得意だ。
席に着く前に、桐谷美咲と目が合った。美咲は何か言いたそうな顔をしていたが、レンが目を逸らしたので諦めたようだった。
レンは鞄からノートを出した。
ノートの表紙には「数学Ⅱ」と書かれている。だが中身は違う。
最初のページに、彼の字でこう書かれていたが——それを見た人間はまだ誰もいない。
```
「穴の一覧」
01. 測定精度の欠陥(仕様書 p.141)
02. 特例推薦枠の未使用(教育基本法附則7-2)
03. 一次審査でのスコア非照会(未確認)
04. 二次試験「法術的手法」の定義の曖昧さ(施行規則12条)
05. ▒▒▒▒▒▒▒▒▒▒(調査中)
06. ▒▒▒▒▒▒▒▒▒▒(調査中)
必要な穴の数:最低8個(推定)
現在の進捗:4/8
```
レンはノートを閉じた。
チャイムが鳴る。教師が入ってくる。授業が始まる。
退屈な数学の時間。
だがレンの頭の中にあったのは公式ではなく、世界という名の巨大なシステムの、まだ見えていない設計図だった。
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——これは、適性スコア0.3の男が、世界のバグを使い切るまでの話だ。
数日に分けて連続で更新します。よろしくお願いいたします。




