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アレックス・マーベルと優しい世界  作者: はくまいキャベツ


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4

 



 ー神様、どうかアレックスをお守り下さい

 どうかこの子が優しい世界で生きていけますようにー




 その声だけは、今でも覚えている。あれが母の最後の言葉だった。


 暗い部屋だった。窓は高い所にあって、外は見えない。一日に一度硬いパンが投げ込まれる。


 母はどこかで働いていると聞いた。「すぐ迎えに来る」とも。子どもの俺は、ただそれだけを信じていた。


 ある日、廊下が騒がしかった。


『次はあのガキだ』


 低い声がした。意味は分からなかったけど、なんとなく自分の事のような気がした。


 その夜。音もなく静かに扉が開いた。母がいた。やつれた顔で、でも笑っていた。


『アレックス…会いたかった』


 抱きしめられた感触はまだ覚えている。骨ばっていて、でもあたたかかった。


 母と隠れる様に外に出て、母に小さな荷馬車の中に押し込まれた。干し草の匂いがした。母はまた俺を抱きしめた後、俺の両手を握りながら言った。


『神様、どうかアレックスをお守り下さい。私の命を差し上げますから…どうか、どうか、この子が優しい世界で生きていけますように』


 母の手が離れかけ、俺は最後の力を振り絞ってその手を握った。


『…お母さんは、行かないの?』


 母は何も言わなかった。ただ、俺の手をぎゅっと握り返して言った。


『アレックス…愛してるわ』


 母が強い力で俺の手を離した時、誰かの声がした。母が慌てたようにその場から離れる。


『お母さん!』


 母が俺の声に振り向いて、口元に人差し指を置いた。


 ーー静かに


 声はなかった。でも分かった。俺は血が出るくらい唇を噛んだ。月夜が母の金色の髪と、瞳からこぼれるものを照らした。そして母は暗闇の中へ消えていった。


 やがて馬車が動き出す。荷馬車の隙間から、大きな時計台が見えた。俺はいつしか眠っていた。


 そして目が覚めたとき、荷馬車は止まっていた。やっぱり母はいなかった。何も分からないまま荷馬車から降りて、歩いた。どれくらい歩いたのか分からない。


 そして、気付いた時には病院だった。


「アレックス?」

「…え?」

「どうしたの?珍しくぼうっとしてるじゃない」


 ナナが覗き込む。


「ああ、ごめん」

「ちょっとしっかりなさいよ。今から大事な試験なんだから」


 そう言って、ナナは俺の背中を軽く叩いた。


 ――そうだ。今日は教員試験の日だ。


 推薦をもらい、大学に進学し、四年間教育学を学んだ。ナナも成績優秀者として同じ大学に進んだ。そして今日、俺たちは教員になるための最後の試験を受けに来ている。


「それにしても人が多いわね。やっと大学の人混みに慣れたと思ったのに、まだその上があるなんて…ねえ、アレックス聞いてる?」

「あ、ああ。聞いてるよ」


 嘘だった。俺の視線はずっとある物を捉えていた。あの時、荷馬車の隙間から見えた大きな時計台だ。


 この街の事はもちろん知っていた。なのにどうして気付かなかったのだろう。今こうして目の前にした事で、俺はやっとこの街が母と別れた場所なのだと気付いた。


「…ねえ、どうしたの?やっぱり変よ?」

「…ごめん、先行ってて」

「ちょ!アレックス!?」

「ごめん!絶対間に合わせるから!」


 俺はナナを置いて、薄い記憶を頼りに街中を走った。


 正直あの時の記憶はあまりにも苦しくて、だんだんと思い返す事をやめていた。だから気付かなかったのかもしれない。


 俺は走り続けた。でも殆どの生活をあの暗い部屋で過ごしていたからか、街の景色を見ても何も思い出せない。


「…あと3時間か」


 慎重派のナナのおかげで街には早めに着いていた。だからと言ってこんな短時間で母の手がかりなんて掴めるわけがない。


 俺は一か八かで役所を訪れた。自分でも何を言うつもりなのか分からなかった。母の名前も知らない。顔写真もない。本当にわずかな記憶で浮かび上がる予測で、質問を投げる。


「…昔、この街で、人身売買に関する事件などありませんでしたか」


 窓口の男は一瞬だけ表情を曇らせた。


 俺はその窓口の人に聞いて、その街の図書館に向かった。時間は限られていたが、古い資料を何冊かめくっただけで十分だった。この街には色街があり、そこで働く女性の子どもが売られていたこと。そして…粛清という名の一斉摘発があったこと。


 ページをめくる指が震えていた。やっぱりここは、母と別れた街だ。


 そして母はきっと――


「アレックス!!もう!何やってたのよ!」


 何とか時間内に会場に到着して、なぜか泣きそうになっているナナを見たらほっとしたのがわかった。


「ごめん」

「ごめんって…あんた落ちたらどうすんのよ!」

「大丈夫、絶対に受からなきゃいけない理由がもう一つ出来たから」


俺の言葉に「何意味分かんない事言ってんのよ!」と怒られながら、何とか会場入りした。


 試験終了後、俺はナナとこの街を一望出来るという展望台に訪れていた。陽が傾き始め、あの大きな時計台がオレンジに染まっている。


「全く…どうなるかと思ったわ!」

「本っ当にごめん!!」

「何度謝られても許せない!」


 終了直後からご立腹のナナを宥めながらやっとの思いでここまで来たが、これはしばらく言われそうだ。


 それくらいの事をした自覚はあるし、ナナの怒りは自分じゃなくて俺が落ちたらどうしようと思っての怒りだから、ちょっとだけ嬉しくもある。そんな事を言ったらもっと怒られそうだけど。


「もういいわ!あとでぜっったい美味しいもの食べさせてよね」

「勿論です!」


 一応区切りをつけてくれたナナに感謝し、俺達は並んで展望台からの景色を眺めた。


「ていうかどうしてここに来たのよ」

「この街を一望したくて」


 俺の答えにナナは「ふーん…」と言った後、「もしかして」と言った。


「ここって…あなたが生まれた街?」


 やっぱりナナはすごい。


「よく分かったね。ここで生まれたのかは分からないけど、俺を産んでくれた母と最後に別れた街だよ」


 それから俺は自分の記憶と、先程調べたこの街の過去についてナナに話した。ナナはただ黙って聞いていた。


「…実は、その色街で亡くなった女性達を弔う石碑があるらしいんだ。良かったら…一緒に行ってくれないかな」

「もちろんよ」


 ナナは即答すると、俺を置いて歩き始めた。展望台から降りて、その石碑があるらしい場所へと案内しようとするも、そのままスタスタとどこか行ってしまう。


「ナナ!そっちじゃなくて…」


 声をかけようとした俺は、ナナが向かった先を見て動きが止まった。


「すみません、この花と…あの花も下さい」

「かしこまりました」


 店員さんにお金を払い、ナナは小さな花束を持って俺の所に戻ってきた。


「どれが好きか分かんないから無難な物にしたわ。さあ、行きましょう」

「…ありがとう、ナナ。行こうか」


 俺達は石碑へと向かった。


 賑わっている街中とは少し離れた場所にそれはあった。夕陽に照らされたその石は思っていたよりも小さかった。名前は刻まれておらず、ただ、“弔いの碑”とだけ書かれている。


 ナナがそっと花束をそえる。二人で静かに手を合わせた。


「…すごく恥ずかしい事を言っていい?」

「え?」


 らしくない言葉の入りに思わずナナを見る。ナナは石碑を見つめながら言った。


「今私、あなたが生きててくれて良かったって心から思ってる。そしてあなたがあの村に来てくれた事も…改めてすごい奇跡なんだなって」


 少し間を空けた後、ナナは続ける。


「私、最初あなたの事を避けてたの。何か違うものを感じてたからなんだけど…なんか、納得した。きっとあなたのお母様の気持ちを感じとったのね」


 そう言い終わると、今度は俺を見ながらナナは言った。


「アレックス、生きててくれて、私と出会ってくれてありがとう。何回もイライラさせられたけど…結構感謝してるのよ、私」


 そしてふふ、と笑った。俺は衝動的にナナの手を握った。


「ねえ、ナナ」

「な、なに」

「村に帰ったら結婚しようか」

「え!?け、結婚!?」

「嫌?」

「い、嫌というか…私たち恋人でもないのに!」

「じゃあ恋人になろう。まあ、すぐに結婚するけど」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

「ナナが好き。嫌?」


 ナナの顔が真っ赤に染まる。ナナはその顔を隠す様に両手で覆い、小さな声で言った。


「…嫌、じゃない…」

「やった!!」


 俺は強くナナを抱きしめた。





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