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アレックス・マーベルと優しい世界  作者: はくまいキャベツ


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3/5

3

 


「エリン、行くぞ」

「うん」


 お兄ちゃんの背中を追いかけて家を出る。九歳になって、一昨年からやっと学校に行けるようになった。始めはすごくうれしかったのに、私はお兄ちゃんと違って勉強があんまり得意じゃなかった。だからテストがある今日みたいな日は最悪だ。どんどん足が重くなるのを感じながら集合場所に着いた。


「来たわねアレックス。今日こそ」

「おはよう、ナナ」

「…最後まで聞きなさいよ」

「負けないから、でしょ。もう何百回も聞いたよ」

「い、いいじゃない別に!最近随分と調子が良いみたいだけど、本当に今度という今度は」

「はいはい」


 今日もナナちゃんは闘争心むき出しでお兄ちゃんに向かってくる。お兄ちゃんは軽くあしらってるけど、本当はちょっと喜んでるのを私は知ってる。


「エリンちゃんおはよ!」

「…おはよ」

「何だか元気ないね。テストだから?」

「私ってそんなに分かりやすい?」

「うん!とっても!」


 にこにこしながらそう言った友達に“そうよ”と返す。確かにテストの事もあるけど、私が引っかかっているのはそれだけじゃない。


「エリンどうした。具合悪いのか?」


 さっきまでナナちゃんと会話していたはずのお兄ちゃんが私の顔を覗きながらそう言った。


「エリンちゃん、テストが憂鬱なのよ」

「ああ、成程。だから教えてやるって言ったのに」

「…お兄ちゃんには関係ないでしょ」

「またそれか。ま、せいぜい頑張れよ」


 そう言って私の頭をぽんぽんと叩くと、お兄ちゃんはハリソンくん達のところに行った。


 私たちは本当の兄妹じゃない、らしい。お母さんがそう言ってたけど、よく分かんない。だってお兄ちゃんは最初からずっとお兄ちゃんだったから。それにお父さんは笑いながらよく言う。


『アレックスは本当はうちに生まれるはずだったのに、神様がうっかり間違えたんだろうな』


 それをいつもお兄ちゃんは照れくさそうに、お母さんは嬉しそうに聞いている。私もそう思う。お兄ちゃんはずっと私達と家族だった。


 だけど最近引っかかっている事がある。お兄ちゃんが優しすぎることだ。ずっと優しかったけど、ここまでじゃなかった。


 さっきみたいに私がちょっと元気がないだけですぐに気付いて声を掛けてくれるし、お父さんとお母さんに「大丈夫?」「手伝おうか?」ってよく聞いている。それ以外はずっと部屋にこもって勉強をしていて、テストは毎回100点だ。


 ちょっと前までソファでだらだらして、お母さんに頼み事されても「あとでやるー」とか言って結局やらない、なんて事もあったのに。今はソファにすら座ってない気がする。


 そういう所もお兄ちゃんだったのに。今のお兄ちゃんは完璧で、いつも変ににこにこしてなんかやだ。しかもナナちゃんやハリソンくんの前ではいつも通りのお兄ちゃんなのがまたむかつく。


 なんでよ。私たちは家族なのに、家族じゃないみたい。お兄ちゃんが遠くに感じる。でもお父さんもお母さんも何も言わない。私がおかしいのかな。


 そんなことを考えていたからか、テストはぜんぜんダメだった。これはお兄ちゃんのせいだ。うん、きっとそう。


 …そうじゃないと、ちょっと困る。


 朝と同じくらい足が重たいまま、家まで歩いた。家の前で、お母さんとばったり会う。


「おかえり、エリン」


 お母さんは最近、診療所のお手伝いをしている。白い袋を下げていて、ちょっとだけ消毒のにおいがした。


「ただいま」

「どうだった?」

「…見れば分かるでしょ」

「あら。まあ、落ち込むだけ偉い偉い!」


 そう言ってお母さんは笑いながら私の頭を撫でる。家に入ると、お兄ちゃんも帰ってきた。


「ただいま」

「あら、アレックスも早いのね」

「俺もテストだったから」


 それだけ言って、お兄ちゃんはまっすぐ自分の部屋に入った。


「…お兄ちゃん、また勉強?」

「そうみたいね。何か息抜きが出来るものでも作ろうかしら」


 お母さんが袖を捲ってキッチンで何か作り始める。その背中を見ていたら、何だか胸がむずむずした。


 なんでそんなに頑張るんだろう。もうテストは終わったんだから、今日くらい休んでいいのに。お母さんはきっと心配してる。でもそれを言ったらお兄ちゃんはきっと「大丈夫」とか「何で?」って言うんだろう。


 …多分。多分だけど。お兄ちゃんが最近ちょっと変なのは、あの“推薦”の話のせいだ。


 大学の先生から声がかかったって聞いた日。お父さんもお母さんも、すごく嬉しそうだった。私はよく分からなかったけど、みんなが喜んでいたから嬉しかった。


 でもその日からお兄ちゃんはおかしくなった。なんだか無理にお兄ちゃんをしようとしてるみたい。だから私は嫌なんだ。私は優しいお兄ちゃんが好きだけど、ソファでぐうたらしてるお兄ちゃんも好きなのに。


 それから何日か経った頃だった。やっぱりねっていう点数がつけられたテストが返された。さすがに教えてもらった方がいいかもと思いながら帰っていたら、お兄ちゃんの背中が見えた。


「お兄ちゃん」

「……」

「お兄ちゃんってば!」

「…あ、エリンか」


 びっくりするくらいぼうっとした声だった。


「お兄ちゃんどうしたの?」

「…何が?」

「なんか元気ない」

「……」


 私がそう言った途端、お兄ちゃんは立ち止まった。


「俺寄る所あるから先に帰ってて」


 それだけ言って、家とは反対方向に歩いて行ってしまった。結局お兄ちゃんが帰ってきたのは夕飯の頃だった。


「おかえり、遅かったわね。夕飯出来てるわよ」

「うん」


 さっきはちょっと変だったくせに、もういつものにこにこ顔に戻っている。


ーー気のせいだったのかな。


そう思っていたら荷物を部屋に置いて出てきたお兄ちゃんが言った。


「食欲ないから部屋で休む」

「あら、体調悪いの?」

「そんな事ないよ」

「本当に?」


 そう言いながら、お母さんはお兄ちゃんのおでこに手を当てた。


「熱はなさそうね」

「…大丈夫だって。ちょっと食欲ないだけだから」

「そう?それならいいけど…あ、そうだ。疲れに効くっていうスープの作り方を教えてもらったのよ。すぐに出来るから部屋で待ってなさい」

「いい」

「でも少しくらいは何か食べないと」

「いいって言ってるだろ!」


 お兄ちゃんの大きな声で一瞬で部屋がしん、とした。


 私もお母さんもびっくりしたけど、なぜかお兄ちゃんが一番びっくりした顔をしていた。


「…ごめん」


 そう言うとお兄ちゃんは家から飛び出した。


「お兄ちゃん!」


 私はすぐに追いかけた。夜になると、村の門は閉まる。大きな木の柵もあるし、外には出られない。だからお兄ちゃんが行く場所なんて決まってる。私たちの溜まり場だ。


 やっぱりお兄ちゃんはそこで足を止めた。今日は満月なおかげでお兄ちゃんの背中がはっきり見えて助かった。私も止まる。でもなんて言ったら良いか分からなくて、「ねえ」と声かけたらお兄ちゃんがこちらを向いて言った。


「何で追いかけてくんだよ」

「心配なんだもん」

「一人にして」

「やだ」


 私が即答すると、お兄ちゃんが大きく息を吐いた。


「頭が冷えたら帰るから。いいからお前は家に戻れ」

「やだ」

「やだじゃねえよ、戻れって言ってんだろ」

「最近のお兄ちゃん、変」

「はあ?」


 今まで喧嘩をしたことはあったけど、あれは喧嘩じゃなかったんだなと思った。こんなに怖いお兄ちゃんは初めてだった。怖くて、悲しくて、でも私の言葉を聞いてほしくて、涙が出そうになるのを頑張ってがまんする。


「変だよ!家にいるのにかっこつけてさ!馬鹿みたい!」

「なっ…!」

「どうしてあんな顔するの?」

「あんな顔って何だよ!」

「作ったみたいな笑い方だよ!私たち家族なのに!」

「なんだよ!俺はちゃんとしようとしてるだけで」

「大学の“推薦”とかいうやつでしょ!?あれからお兄ちゃんはおかしくなっちゃったんだ!こんなお兄ちゃんになるくらいなら、そんな所行かなくていいよ!私は完璧なお兄ちゃんなんていらない!前のお兄ちゃんに戻ってよ!!」


 やっぱり我慢できなくて、私は思いきり声を上げて泣いた。お兄ちゃんは何も言わなかった。さっきまであんなに怒ってたのに、俯きながらつぶやいた。


「…完璧じゃなきゃだめなんだよ」

「なんで!」

「俺はお前と違って家族に入れてもらったんだ!知らない俺を愛してくれて…ずっと何か恩返しがしたかった!推薦の話が来た時あんなに喜んでくれて、頑張るしかないって思ったんだ!!…なのに」


 今度はお兄ちゃんが泣きそうな顔になる。今日、お兄ちゃんの様子がおかしかった理由が分かる予感がした。


「絶対自信があったんだ…これだけやってるから間違える訳ないって」

「…なんの話?」

「こないだのテスト…一問間違えてた」

「い、一問!?」


 まさかの理由に一気に涙が引っ込んだ。


「お前には分かんねえよ!正しいと思ってた事が全部ひっくり返ったような気分になったんだ!また一から積み上げないといけないのかって絶望した…俺にはこれしかないのに」


 そう言ってお兄ちゃんは乱暴に頭をかいた。これがお兄ちゃんの苦しみなんだ、と思った。私には分からない。分からないけど、分かる事が一つだけある。


「やっぱりお兄ちゃんは馬鹿だ」

「はあ!?」

「こっちがはあ!?だよ!そんな事で話がなくなる訳ないし、大学に行けないからってお父さんとお母さんがお兄ちゃんを嫌いになる訳ないじゃん!」

「お前は俺と立場が違うからそう言えるんだ!」

「だってこないだのテスト全然ダメだったって言ったら、お母さんに落ち込んでるだけ偉いって言われたんだよ!?」

「…ぶっ!」


 私の言葉に突然吹き出すお兄ちゃん。ん?なんか様子がおかしい。


「え、なにお前そんな事言われたの?」

「そ、そうだよ!ちょっと!何急に笑ってんのよ」

「こっちのセリフだわ…お前こんな時に笑かすなよ…クク…」

「はあ!?わ、笑わないでよ!!」


 私が思いきりにらむと、お兄ちゃんはとうとう声を出して笑った。さっきまで泣きそうだったくせに!ほんっと失礼!


「…なんだよ落ち込んでるだけ偉いとか…母さんも母さんだわ」


 お兄ちゃんは思いっきり笑った後、みんなで作った丸太のベンチに座って自分の隣を叩いた。座れって事かなと思った私は、お兄ちゃんの横に座る。


 お兄ちゃんは何も言わずに空を見ていた。私も一緒になって空を見る。


「…今日満月だね」

「だな」


 あ、いつものお兄ちゃんだ。そう思った私は話を続けた。


「ていうかさ、お父さんとお母さんが、私達の勉強について何か言ってきたことなんて今までなかったじゃん。推薦?とかよく分かんないけど、えらい人がお兄ちゃんを選んだって事でしょ?よく分かってない私だってお兄ちゃんってすごいんだなって嬉しかったし、お父さんもお母さんもただそれだけだと思うけど」

「だな。腹立つけどほんとその通りだわ」


 そう言って「あーあ、俺って馬鹿だなー」とお兄ちゃんは腕を伸ばした。私の話を聞いてくれた事に嬉しくなって、指を一本立てながら言った。


「ほんとだよ。だって一問だよ? 一問。私なんて空欄いっぱいあったんだから」

「威張んな」

「ふふ!でもね、お兄ちゃんが頑張ってる事は嫌じゃないよ。すっごく応援してる。ただ頑張りすぎなんだよ。一問間違えたのだって、神様が“いい加減休め”って言いたかったんだよ」

「どんな神様だよ」

「お兄ちゃんを私達まで届けてくれた神様」


 ずっと空を見ていたお兄ちゃんがこっちを見た。


「…そうだな」


 そう一言言うと、お兄ちゃんは「帰るか」と立ち上がった。


 家に向かうと、お母さんと、仕事から帰ってきたらしいお父さんが扉の前に立っていた。怒っていない。泣いてもいない。ただ、ほっとした顔で「おかえり」と言った。


 お兄ちゃんが、小さく息を吐く。


「…ただいま」


 私も言う。


「ただいま」


 その夜、お兄ちゃんはちゃんとスープを飲んだ。



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