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失恋

十二月下旬、ヤスエさんは長野県の白馬へと旅立つことになっていた。

スキーのインストラクターになるという彼女の明確な目標は、何ひとつ目標を持っていない当時の僕にとって、どこか別の世界の出来事のように遠く感じられた。

去年の冬も同じように、彼女は白馬の民宿に泊まり込み、雪の中で一冬を過ごしたのだという。

彼女がまだ大学生だった頃、スキーバスの添乗員のアルバイトをしていて、その時の運転手と恋に落ちたという話も聞いていた。

そんな過去の断片を耳にするたび、僕の胸の奥には、出口のない鈍い嫉妬のようなものが静かに沈殿していった。

僕は、冬の間ずっと彼女がそばにいないという事実を、得体の知れない不安とともに抱え続けなければならなかった。

クリスマスが目前に迫ったある日、彼女は新宿駅から特急「あずさ」に乗って出発した。

僕は一九八七年の冬の冷たい空気が停滞するホームまで、彼女を見送りに行った。

発車のベルが鳴り、列車のドアが閉まる瞬間に見せた彼女の笑顔は、僕たちが初めて出会った頃のそれとは、何かが確実に違っていた。

僕は感じていた。

彼女の渇いた瞳が、今の僕をどのような距離感で見つめているのかを。

それはある種の予感を僕に抱かせた。

そしてその予感が、決して僕の思い過ごしではなかったことが証明されるまでには、それからわずか三週間の時間があれば十分だった。


白馬へ向かった彼女からの連絡は、待てど暮らせどなかった。

年が明けた一月の上旬、僕はたまらず彼女が働いているという民宿へ電話を入れた。

僕は深い喪失感の中に閉じ込められ、どこへも行けずに漂っていた。

民宿の宿主と思われる男性が電話に出て、ほどなくして彼女に繋いでくれた。

受話器から聞こえてくる彼女の声は、驚くほど渇いてるように感じた。

彼女はもう、僕の知らない新しいステップへと足を踏み出していた。

実際のところ、スキー場での彼女の一日は、感傷に浸る隙もないほどハードなものだった。

早朝から民宿の手伝いをこなし、日中はインストラクターになるための練習に明け暮れ、夕方になれば再び民宿の仕事に戻る。

そんな日々の繰り返しの中で、僕との退屈な恋愛は忘れ去られ、ただの重荷でしかなくなっていたのだろう。

彼女は、まるで書き損じた原稿用紙を無造作に丸めてゴミ箱に捨てるような、あっさりとした口調でこう言った。

「もう、電話してこないで」

その言葉が僕の耳を通り過ぎたとき、冷たい沈黙が、受話器の向こうから僕の心へと流れ込んできた。


翌日、僕は新宿駅から特急「あずさ」に乗り込み、白馬へと向かった。

電話一本で、あれほど簡単にすべてが終わってしまうことを、当時の僕は受け入れることができなかった。

もう一度会って、言葉を交わしたかった。

夕刻、僕は白馬駅に降り立った。

目の前には、夕焼けを背負った北アルプス・白馬岳の巨大な山容が、圧倒的な威圧感を持って立ちはだかっていた。

その雄大すぎる雪山の景色を見上げ、僕は「勝てないな」と小さく独り言を漏らした。

駅からバスに揺られること二十分、彼女が働いている民宿に辿り着いた。

突然の訪問にもかかわらず、彼女はそこにいた。僕の顔を見るなり、彼女は呆れたような表情を浮かべ、「来るんじゃないかと思っていた」と呟いた。

その瞬間、僕の中で何かが静かに変化していた。

その言葉を聞いても、不思議と悲しみは湧き上がってこなかった。

ただ、さっき見た白馬岳の夕景が、網膜に焼き付いて離れなかった。

僕はまだ、世界の広さについて何も知らない。

そして自分自身が何者であるのかさえ分かっていない。

その剥き出しの事実に、僕はただ打ちのめされていた。

その夜、僕は彼女が働いている民宿の二段ベッドの一段目を借りて、横になった。

夕食を共に摂ったけれど、交わすべき言葉は見つからなかった。

彼女に「私、忙しいの」と、事務的な口調で言われたことだけは、僕は今でも覚えている。

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