暴力
その翌日、僕はタカオちゃんと二人で代田橋にあるミスタードーナツの店舗を訪れた。
オザワさんが店長を務めている店だ。
事務所は店舗の二階にあった。ドアを押し開けると、そこにはスチール製の無機質な事務デスクがあり、その前にオザワさんが座っていた。部屋の中には、彼一人しかいなかった。
予告もなく現れた僕の姿を認めると、彼はいぶかしげな、不透明な表情を浮かべた。僕は彼の目の前まで歩み寄った。彼はただならぬ気配を察したのか、椅子からゆっくりと立ち上がった。
怒りを噛み殺し、「今、ヤスエさんと付き合っている。お前の話を聞いてムカついてる」
僕は彼の顔を真っ直ぐに睨みつけ、言葉を叩きつけた。
彼はすぐに心当たりがあるような、狼狽した表情を浮かべた。今の状況がどういう意味を持っているのか、彼も瞬時に理解したようだった。
僕は右の拳を強く握りしめていた。
その瞬間、僕は彼の顔に向かって右拳を突き出した。
彼はバランスを崩しながらも、それをすんでのところでかわした。
僕は間髪入れずに、次は左拳で彼の顔面を捉えにいった。
拳は彼の口元をかすめただけだったけれど、その衝撃で彼は後ろの椅子まで飛ばされ、そのまま壁に背中を打ち付けた。
彼は壁に寄りかかったまま、低い視線で僕を睨み返した。
一呼吸置いてから、彼はゆっくりと立ち上がった。
彼の歯ぐきからは、赤い血がじわりと滲み出していた。
「これ以上ここで騒ぐなら、警察を呼ぶことになるぞ」
彼は冷静さを取り戻してハッキリそう言った。
その声には、殴られた痛みよりも、どこか事務的で冷ややかな響きが混じっていた。
隣にいたタカオちゃんの顔を見ると、彼は「もうよせ」という無言の合図を送っていた。
僕は握りしめていた拳をゆっくりと解いた。
そして、何かが違っていると感じた。
中学生の頃なら、暴力は物事を解決するためのシンプルな手段だった。でも、今の僕たちが立っている場所は、もうそこではない。僕たちはいつの間にか、暴力では何も動かせない、複雑かつ現実的な社会に足を踏み入れていることに気付いた。
翌日、ヤスエさんから電話がかかってきた。
彼女はどこからかオザワさんとの一件を聞きつけたらしく、ひどく怒っていた。
「もう二度と、そんなことはしないで」と、彼女は強い口調で言った。
その声を聞きながら、僕は自分の振るった暴力の虚しさを噛みしめていた。それは誰を守ることでも、誰かを救い出すことでもなかった。それはただ、僕の中にある行き場のないエゴイズムを無様にさらけ出しただけに過ぎなかった。
僕もタカオちゃんも、東京の北東の端に位置する葛飾区という街で育った。
一九八〇年代、僕たちが多感な中学生時代を過ごしたそのエリアには、独特の荒んだ空気が流れていた。
世間では「ツッパリ」や「ヤンキー」といったスタイルが流行しており、僕が通っていた中学校はその界隈でもとりわけ評判の良くない学校だった。
学区内にある四つの小学校から、互いの素性も知らない少年たちが一箇所に放り込まれるのだ。
思春期特有の過剰な自意識と未知の他者への警戒心がぶつかり合い、そこかしこで火花が散るのは、ある意味では避けがたい自然現象のようなものだった。
僕は一見すると、どこにでもいるような大人しくて静かな生徒だった。
絵を描くのが上手と言われるくらいの普通の少年だ。
しかし、僕の内面には暴力的な一面があった。
いつからか分からないけれど、僕はそんな暴力性を隠すために静かさを装っていた。
中学生になって間もない頃、体育の授業のため体操着に着替えている時、隣にいた生徒がぶつかったと言いがかりを付けてきた。
僕に「邪魔だ、どけよ」と凄んできた。
僕の内面にある暴力性のスイッチが入ってしまった。
体育館から校舎に向かう外廊下で彼の肩を掴み、「放課後待ってろ」と静かに怒りを込めて僕は言った。
放課後、彼が逃げないように捕まえて、校舎の近くにあった空き地へと連れて行った。
途中で彼は謝り始めた。僕は許さなかった。
空地に到着して「ナメてんじゃねーぞ」と僕は凄んで言葉を放った。
彼は戦意喪失していた。
「とりあえずブッ飛ばす」と言って彼の顔面を狙って僕は右拳を上げた。
運悪く彼が除けた時に上げた左肘を思い切り殴ってしまった。
僕は拳が砕けたかのような激痛に見舞われた。
彼はまだ謝ってきたので、拳の痛みを隠しながら「今日は許してやる。調子に乗んじゃねーぞ」そう言い放って僕はその場を離れた。
次の日から彼の僕に対する態度は変わった。
そんな事が中学生の時には何度かあった。
中学二年生の時に、話をしたこともない他のクラスの生徒が僕の前にやってきて笑いながらこう言った。
「アキバってデビルマンなんだろ」
僕らしいあだ名だと思った。
僕が知らないところでそんな風に言われている事を知り、僕は小さく笑ってみせた。




