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「先生のいう通りでしたよ、…」
がっくりと肩を落とすだけでなく。息が切れて膝をつかむようにして立ち止まって苦しそうにいう権堂に、解剖室から出て来た橿原が振り向いて不思議そうにみていた。
「あなた、何を慌てているんです?そんな息を切らして」
「…あわてもしますよっ、…!先生のいう通り、控え室に人を見にやったら、…これが!」
ばっ、と取り出してみせるのが、大きなタブレットの画面だということに、感心しているのか解らない平板な声で橿原が返す。
「あなたのような方も、こうした文明の利器を使うようになっているということは、進化したといっていいものなのかしらねえ、…」
「わかりませんけどっ!こいつは、うちの若いのに、このまま見せてこいって渡されたんですよ、―――本当にあいつ、偉そうな処は本気で進化してるんだからなあ、…」
うちの小さいのに渡されましてね、といいながらテーブルの上に置くタブレット画面に映る写真を、感情のみえない眸で橿原がみる。
解剖用の手袋を部屋を出る前に外して捨て、ドアを二枚隔てたここでは、乾いた手にポケットから取り出したクリームを塗りながら写真をみて。
「そういえば、関くんはあいていませんの?かれなら、こういうの見たら一発でわかるでしょうに」
「空き次第やらせます、…。けど、なんだか、容疑者になった神尾とかいう先生を拾いにいく、とかいって出ていったきりだそうで、…―――」
「…――――」
無言で、橿原が権堂に視線を振り向ける。
いきなりな橿原の動きに、権堂が驚いて飛び退き、顔をしかめる。
「な、なんですか!いきなり!無言でこっち向かないでください!こわいでしょうが!」
「ひどいいいぐさですねえ、…。そうですか、神尾くんをね、…」
「はい?お知り合いですか?」
「説明すると面倒なのではしょります。このチラシですけど、では控え室にあったのですね?」
「―――はしょらないでくださいよ、…後でまた聞きますよ?ええと、はい、――若いのが向かった処、控え室の中に、テーブルの上に置かれてたそうです。控え室全体の写真がこれです」
タブレット画面をさわって、指を横に動かして次の画面を表示してみせた権堂の悲痛な表情に。
「よくできましたねえ。小さい方にならったんですね?」
「よくおわかりで。…こういうのはだから、おれには向いていないんですよ、―――もっとわかいのがですね?…ああ、とにかく、こういう風に置かれてたそうですよ」
画面には、畳敷きの控え室と、その中央に白い座卓。畳の間は途中で切れていて、壁に作り付けられた鏡を前にした箇所には椅子が置かれている。その白い座卓の上に。
「――おまえのいのちはもうおわりだ――ですか。古典的ですねえ」
――おまえのいのちはもうおわりだ、と白い紙に大きな黒い文字で印刷された一枚。
「まあ、古典的ってんですかね?控え室には誰もいませんでした。おっしゃる通り、千枚氏は既にホテルに移られていて、お付きの人とかも全員一緒で」
あ、でも、と権堂が頭を掻く。
「ホールの人は何でか、まだ千枚氏達が控え室にいると思ってたみたいですけどね。きいていなかったみたいで」
ちら、と橿原をみる権堂に視線を向けずに淡々と答える。
「それは、僕がいいませんでしたからね、ホールの人達に」
「―――どーしてそう根の暗いことをなさるんですか」
「根が暗いからです。…――権堂さん、根が暗いことが理解できるようでしたら、解説がいります?」
「…微妙にほしいんですけどね?上司とかに報告しなくちゃなりませんし」
「あら、権堂さん。一課長に上司はいましたの?」
「います。上には刑事部長っていう方がいらっしゃるんです。…最近人手不足でねえ、…。関の野郎がこれまた貸し出しよくされちまいましてね?あいつがいれば、それこそ千人力で事件解決できるんですが」
「あら、はやく貸し出しから返してもらえるといいですねえ」
おっとりという橿原を権堂が睨む。
「…いえね、まあその、―――ともあれ、関が使えないんですから、先生が代わりに手を貸してくださいよ。別に事件なんて解決できればなんでもいいんです」
「…―――あなた、その方針は昔からかわりませんねえ、…」
「そりゃあ、立ってるものは、カッパでも使えっていうでしょ?」
「いいます?カッパ」
「いいますよ、カッパ。でしょ?」
無言の橿原と権堂がしばし顔を見合わせて。
「というわけでね、神尾さん。あなたが何故、事件に巻き込まれたのかは知りませんけど、協力していただきたいの」
滝岡総合病院院長室。滅多に主がいないとされるその院長室。しかもその椅子にはいま座る主がいた。
白髪に長身痩せ形の紳士――橿原がおっとりと院長の椅子に座り、滝岡と神尾を当分に眺めてくちにするのに。
「…院長、――」
額に手をおいて、肩を落とす滝岡に、橿原がおっとりと感情のみえない視線を送って。
「あら、どうしましたの?そんなに落ち込んで」
「いえ、落ち込むというわけではありませんがね、…おじさん。…いえ、院長。――…処で、神尾はまたどうしておじさんまでが関わっている事件に、…関わることになったんです?どういった事情をご存じなんですか?」
「動揺してますねえ、…。いいじゃありませんか、神尾くんが事件の容疑者になるのは初めてではないのですし」
「院長、…――。」
言葉を選ぼうとして繰り返して失敗し、院長が知る事情を聞き出そうとする滝岡に、あっさりという橿原に。
がっくりと肩を落とす滝岡に、隣で神尾が不思議そうに訊ねる。
「滝岡さん、どうしたんです?」
それに振り向いて。
「…おまえな、――普通は、容疑者になって、だからその時点で少しは落ち込んだりするものだろう?」
「そうですか?でも、僕は犯人ではありませんからね。大丈夫でしょう」
滝岡の問いに首を傾げていっている神尾に滝岡が大きく肩を落として院長のデスクに両手をついて目を思わず閉じる。
そこへ、大きく音を立てて院長室のドアを開ける音がして。
「…そこまで、日本の司法警察を信じてくれてるのはうれしいんだがな、…――」
院長室の扉が開き、現れた関が溜息を吐きながら神尾をみていう。
驚いて神尾が見返して。
「関さん?」
「…今回も、正直おれが迎えにいかなかったら、まだ泊まりだったんですからね?神尾先生?」
「…ええと、泊まりというのは?」
強面の関が脅すようにいうのに、まったく感じていない表情で神尾が質問する。それを関が困ったようにして見返して。
「勿論、以前そうされたように留置場でしばらくお泊まりになるってことです。―――と、院長?なんでここにいるんですか!」
驚愕して見返す関の表情に、心外ですねえ、とのんびり橿原が感情の見えない眸を向ける。
普段院長室にいない院長――橿原の姿に心底驚いている関に対して。
「あら、心外ですねえ、…。僕は院長なんですよ?この滝岡総合病院の。ですのに、院長室にいるのに、それほど驚かれるなんて」
「――驚きますよ、…伯父さん。あなたが、此処にいることが多ければ、おれも楽ができるんですがね?」
いうと睨む滝岡に、まったく視線を向けずに。
「そもそも、僕が事情を聞きたくて院長室にお呼びしましたのに、僕がいないと何故思われましたの?」
「普通、この病院で院長室に呼ばれたからって院長――あなたがいらっしゃるとは思わないでしょう。それがここでの常識だよな?滝岡」
「その通りだな」
関の疑問に淡々と同意する滝岡に、院長、橿原が少し天井に視線を逸らして。
「それで、僕が事情を知りたくてお呼びしたんですけど、神尾さんは今回は何故この横浜音楽堂殺人事件の容疑者になりましたの?」
橿原の質問に関がしみじみという。
「そういう事件名になりましたか、…。捜査本部には行けてなくてですね。あなたからいってもらえませんか?おれを、この二人のお守りにつけておくなんてやめて、現場にいかせてくれと」
関の問い掛けに橿原が首をかしげる。
「そうですねえ、…。確かにあなたが現場に行けば、事件解決ははかどるでしょうけど。でも、僕は唯の法医学者ですからね?あなたを現場に戻す権限なんてありませんよ?」
「…うちの課長とも知り合いでしょう。昔から課長はあなたに頭が上がらないっていってますよ?ですから、おれを現場に」
「そうですよね。僕達のお守りに此処に関さんがおられるなんて、確かにもったいないとおもいます、…――――?」
言い掛けた神尾が、周囲から集中する視線に不思議そうにみる。
瞬いて黒瞳で滝岡、関、そして橿原院長を見返す神尾に。
しみじみとその神尾を観察していた滝岡がその沈黙を破る。
「…一応、ここで気付いて無言になる神経はもってるんだな」
「滝岡、―――。まあ、そうだな」
滝岡のいいように、思わず関が何かいいかけて納得してやめる。そこへ、院長が。
「あら、戦場とかで働かれることが多いのでしたら、場の空気や、危険な感じとかは、敏感に察知できませんでしたら、生き残れないというものではありませんの?」
院長の言葉に滝岡が深くうなずく。
「ああ、…そういうことですか。確かに」
「それは納得だな、滝岡。院長のいうことに一理ある。それでか、…―――」
関も同意して。
「あのう、…――滝岡さん、関さんも、…。一体?」
神尾がくちを挟むのに、滝岡が無言で視線を向け、関がひとつうなずいて見返す。
「いえ、あなたの、神尾先生の行動について多少理解が進んだだけですから、お気になさらずに」
関の言葉に滝岡が疑問符を顔に刷いておどろいたように見返す。
「進んだか?」
「おまえ、同居してもう随分になるだろうに、理解してないのか?まだ?」
その滝岡にあきれて関が見返す。対して極大真面目に滝岡が見返して。
「一人の人間を理解するというのは、それほど簡単なことじゃないと思うぞ?」
「…滝岡、…。おまえ、それを真面目な顔でいうか」
「真面目な顔でいわないでどうする」
関と滝岡が顔を見合わせて漫才のような会話を重ねている処に、橿原がくちを挟む。
「御二人とも、楽しそうなのはいいですけど、問題は神尾さんが何故、捕まったかです。解説お願いしますよ」
「…院長、すみません」
「脱線しすぎたな、――まあな、…。おれが、神尾先生を迎えに行くことになった理由はですね?」
説明を始めた関に漂う僅かな疲労感を、神尾が不思議そうに見つめる。
そうしていると、実に無害そうな神尾なのだが。
ちら、と滝岡がその神尾の表情をみて。
―――とても優秀な感染症専門医なんだが、…。
しみじみと思うのは、一応神尾からも聞いているその理由だ。容疑者になった行動理由。
――それは、怪しまれるとは少しは思わなかったのか。…
しかも、現場からは、医者を装った男が逃亡したばかりだったということで。
色々と、重なったのは確かなようだが。…
滝岡が天を仰ぐ。
改めて関の説明を聞くまでもなく、もうすでに目に浮かぶような光景に。
神尾らしすぎる、…。
滝岡はしみじみとイレギュラーとアウトローが集合したような、滝岡総合病院にリクルートしたスタッフ達を思い浮かべていた。
そして、その中でもとびきりイレギュラーな神尾という感染症専門医を、ほぼあきらめた視線で見つめる。




