23 エピローグ 変わらない日々
「御遺体の年代に関しては、明治期位のものから発見される可能性があると神尾さんから伺っています」
関の言葉に滝岡が眸を軽く閉じ、額に指先をあてて暫し沈黙する。
「つまり、ある時期から、――正式に弔うのではなく、御遺体を隠す場所として使用されていた形跡があるのか」
「推測になりますけどね。腐敗物を好む細菌も種類があって、経時的な変化、つまり、腐敗の度合いが進むにつれて、存在する菌が変わっていったりもするんです」
「…楽しそうだな、神尾」
目を閉じて額を押さえたまま息を吐いていう滝岡に不思議そうに神尾がみる。
「そうですか?でも、僕としてはそこで自然の変化に適応して、生存する細菌叢が変化していくさまは、素晴らしいことだと思いますね。腐敗物を分解した菌がまたさらに別の菌に分解されたりとして、土が形成されていく訳です。もし、微生物たちがいなかったら、この地球上にいま私達が知るような土は存在しなかったんですから」
「確かに、植物を育てることのできる富有な土は存在しなかったろうな…」
滝岡が僅かにあきれながらも神尾の言葉に眸を開けて同意すると、大きく神尾がうなずく。
「そうなんですよ。いま地上でみることのできる豊かな生物相は微生物の働きがあって初めて生まれているものですからね。本来、生物という中で、人は意識していませんが、微生物こそが生命体としての地球を生み出している大きな存在なのかもしれません」
「…本当にうれしそうだな、おまえ」
「微生物学者ですから」
「感染症専門医でもあるがな」
滝岡の言葉に即答する神尾に、あきれながらもそう滝岡が返す。
神尾が、にっこりと。
「微生物は、生命の基本ですからね」
「おまえさんの微生物愛に関しては、とってもよおーくわかった、から、つまりは、本当にその遺跡にあるかもしれないってことか、御遺体が、まだ」
ぞっとした顔でいう吉岡に、ぽつりと滝田が。
「もしかして、…――保護していただいていなかったら、僕もその、」
滝田の問いに関が応える。
「御遺体の一つとして、実際に埋められていたかもしれません。彼等は、御遺体の処理をあの遺跡を利用して行っていたようですから」
「…―――どうして僕を」
「文化人類学ですか?それをなさっているので、当該地域からの輸入がしやすいということがあるんでしょう。おれは、よく区分けがわからないんですが、民族的な資料を海外の地域から輸入されたりもなさるんでしょう?」
「僕の分野だと殆どないんですが、――ゼロではないですね、…。そうか、それが」
「利用する奴らにしてみれば、学問的に合ってるかどうかは関係なく、教授のお名前でテロ支援物資を輸入できればいいわけですから」
「その後、それを輸入したら、―――」
「用済みでしょうね」
あっさりという関に蒼い顔を滝田がする。
「ええと、その、…―――」
「よかったな、本当に首を掻かれて死体にならなくて」
冷たい目線でみる吉岡に滝田が眉を大きく寄せる。
「まあ、何にしても全容解明は難しいでしょう」
「金沢で発見された御遺体についてもか?」
「あちらの警察と公安とか他に色々な組織が絡んで動いてるけどな、…―――色々と難しい。御遺体に関しては、身元不明、それと、おおよその年齢とか位しかはっきりとしたことはまだいえないそうだ。後、ひとつか」
滝岡の疑問に関が応えて、そして神尾を振り向く。
いつのまにか、ひとりマイペースで手にしていたマグにココアを入れていた神尾が、振り向いて関達を見る。
「はい、なんでしょう?」
「いえ、あの、御遺体から見つかった微生物で、―――」
「ああ、あれですね?ひとつだけいえるのは、御遺体から採取できた微生物の中に、海外の、――地域はいまいえないんですが、日本国外で発見されているある微生物が存在していて、その変異幅をみても、どうやら、海外から日本に運ばれてきたということだけは確かなようなんです」
穏やかに明るくココアを手にした神尾がいうのに、がっくりと聞いていた吉岡が肩を落とす。
「おまえさんな、―――」
「はい?何でしょう?吉岡さん」
ココアを一口飲んでからのんびりとくちにする神尾に向き合って。
「いやな、おまえさんがそういう奴なのはよくわかってるんだが、―――…つまり、海外から来たってことか?御遺体は」
「生きている状態で菌が付着したまま国内に入国されたとは考えていますが、―――御遺体となってから輸入された可能性も確かにありますね」
「そーいう意味じゃない、…おまえ、いまのでどの位の距離から運ばれてきた可能性があるのか、細菌のバンドをみなくてもわかるぞ?」
いやそうにいう吉岡にしまった、と神尾がココアの表面をみて反省する。
「すみません、――確かに、御遺体をある程度、新鮮な内に輸入できる海外の範囲は限られますからね、――うっかりしました」
「しゃべっちゃまずいんだろ、神尾、―――という訳で、おれもう帰っていいか?泊まりが必要なら、今度は別のホテルがいい」
吉岡がどっと疲れた顔でためいきを吐いていうのに、何処かに消えていて戻ってきた秀一がにこやかに。
「そうですね」
「おまえ、何処にいっ、――出た」
「人を妖怪か何かのように、――失礼ですねえ」
秀一の後ろから長身の院長がぬっと姿を現わしたのに関が思わず唸る。
それに対して飄々といいながら。
「この度は、僕の部下達がお世話を掛けました。命の危険はできるだけないように配慮してもらったつもりなんですけど、おけがなどなさいませんでした?」
おっとりと独特の口調で長身白髪の紳士然とした装いの院長が訊ねるのに、思わず吉岡が無言で首を振る。
――何でか、…圧迫感をおぼえる人だな、…―――。
後で、この院長がぬらりひょんと呼ばれているということに妙に感心してしまった吉岡だが。
「それでは、もうお帰り頂いても結構ですよ。あらでも、交通費はどうなっているのかしら。うちの部署持ちなの?」
「そこは勘案して、後からになります。吉岡さん、滝田さん。お帰りは飛行機と新幹線、どちらがいいですか?」
「あー、…できればおれは、飛行機で頼むわ。大学だってそうそうは休めんしなー」
「僕は新幹線で。小松空港から金沢までの移動が面倒ですからね」
「わかりました。手配しますので、少しまってください」
また部屋を出る秀一の背を見送って、無言でそびえている―――何とも独特な雰囲気の院長に思わず小声になりながら吉岡がいう。
「滝田。おまえ、飛行機が苦手なだけだろ。あれ、小松空港から金沢まではバス一本で着くじゃねえか」
背を向けたままいう吉岡に滝田が眉を寄せる。
「いいだろ、新幹線の方が地に足が着いてるんだから」
「それで、よく海外いくよなあ、…」
「船で帰ってきたことはあるぞ?現地から運ぼうとした収集品がでかすぎてつきそって」
「船旅が平気でなんで空がダメだよ」
「いいじゃないか、船ならまだ泳げばいいだろ?」
「泳ぎねえ、…おまえさん、犬かきのちょっと上等なくらいのやつしかできないのによくいうな?」
「人間は鳥じゃないから飛べないんだ」
真顔でいう滝田を振り向いて、吉岡がじっとみて。
「―――気味悪いな、…どうした?」
に、と吉岡が笑み崩れて。
「おい?」
怯えて後ろに下がる滝田に、にやり、と笑う。
「おまえさんが、―――殺人鬼とかじゃなくて、本当によかったよ!」
ぽん!と肩を叩いて立ち上がり、腰に両手を当てて伸びをしている吉岡を、あきれたぽかんとくちをあけて滝田がみる。
「あのな?本気でそんなこと考えてたのか?」
「しるか!」
「おい!それは友達甲斐がないだろ!信じてなかったのかよ?」
立ち上がって後ろから肩に手を置いて抗議する滝田に、笑いながら吉岡が振り向かずに迎えにきた秀一に手を振る。
「さて、連れてってくれ!北海道に帰る!」
「あのな?ったく、―――誰が親友だ、信じてなかったのかよ?まったく、―――…金沢までの新幹線取れましたか?」
怒りながらきいてくる滝田に秀一がにっこりと。
「ええ、御二人とも大丈夫でした。はやく戻られたいでしょうから、一番早い便を御二人ともお取りしました。いま車をまわしましたので、こちらへどうぞ」
滝田がその言葉に怒りながら先に出て。その後を、肩を軽く回しながら、吉岡が楽しそうに鼻歌を歌いながら出ていく。
それを見送って。
「何だか、平和ですねえ」
「おまえ、感想がそれか?」
多少複雑な表情で二人を眺めていた滝岡が、神尾がココアを飲みながら漏らした感想に突っ込みを入れる。
関が何か手帳をみながら書込みをして。
「それじゃ、おれももう行くが、くれぐれも二人とも身辺には気をつけろよ。いまさらだが」
いいながら振り向かずに出ていく関を不思議そうに神尾が見る。
「身辺ですか?関さん」
返事はなく既に扉を潜って行ってしまった関に、首を傾げている神尾に。
「それはねえ、国際テロ組織みたいな何処かの誰かが、完全に構成員も判明していないのに、あなたたちはそのテロ防止に一部関わってしまっていますもの。一応は、身辺を気をつけてみるのが普通じゃないかしら?」
「まだいたんですか、院長、―――」
感情の見えない淡々とした声と表情でいう院長に、滝岡が嫌そうな顔をする。
「西野、院長に決済してもらう書類を出せるだけ出してくれ」
「あら、そんなものは、院長代理としてのあなたのお仕事でしょ?じゃ、ぼくはこれで」
「―――おいっ、―――逃げるな!」
いいながら追いかけようとして、滝岡が大きく息を吐いてすらりと扉から去る院長を見送る。
「いいんですか?行かせてしまって」
神尾の問いに、西野を振り向く。
「院長の決裁書類だが、――昨日な」
「溜まっていた分を丁度、昨日滝岡先生が片付けられた処なんです。新しい案件は勿論ありますが、決済までまだいっていなかったり」
「…運が良いですねえ、―――」
感心していう神尾に、思い切りいやそうな顔をして滝岡が視線を向ける。
「おまえな?」
「いえでも、事実でしょう?滝岡さん、院長代理として諦めてきちんと決済なさるしかないですね」
「おまえそれをな、――」
「はい?」
実にすがすがしい綺麗な微笑みで神尾が滝岡を見あげてにっこり返事をするのに。
「いや、――いい、…――業務に戻ろう。…西野、いまの休憩時間で押してしまった業務はないか?」
「大丈夫です。元々、時間内に収めてくれるよう依頼は掛けてましたからね。濱野さん、ありがとうございます。それで、セキュリティ関連のチェックは出来ましたか?」
すっかり周囲から忘れられていたタブレットに表示された画面の中で黙々と作業を続けていた濱野が返事をする。
「あーうーん?そうだな、―――…声紋、指紋、虹彩認証に問題なし、かね?いまのところ、―――引き続き、当たってみるが、―――…」
「何をしているんだ?」
訊ねる滝岡に作業しながら西野が応える。
「先程から、こちらにいらした方すべてに、虹彩認証他の偽造が出回っていないかどうか、調査しています。…―――機密施設に入室する際に、登録されている生体認証が偽造されていたら、大変なことになりますからね、――あとは、骨格とか動作とか、歩容認証に類した記録と、―――」
「院長か、関の依頼だな?」
「勿論です。それに、データ収集に関しては、秀一さんの発案によるときいてますが」
西野の言葉に、滝岡ががっくりと肩を落とす。
「大丈夫ですか?滝岡さん?」
訊ねる神尾にしばし沈黙して滝岡が応える。
「…仕事をしよう。…本当に根が暗いんだからな、あの三人は、…―――」
しみじみと慨嘆して、顔をあげて。
次にはもう切り替わって、カルテの表示されるタブレットを手に取り、振り向く滝岡に神尾が感心する。
「神尾、昨日手術した患者さんのデータなんだが」
「はい、創の処置をご自宅でなさって、かなり進行した状態で受診された患者さんですね?」
「そうだ、足の切断は免れたが、この洗浄後のデータは?」
「こちらでみています。継続してアラートがシグナルで上がってくるようにリアルタイムデータの処理をしているのがこちらです」
「ありがとう。―――診に行こう」
リアルタイムに患者さんの容体を記録して、変化した際に警告を送るシステムの表示をタブレットの中に示す神尾に、滝岡が歩き出しながら提案する。
「はい。丁度行きたいと思っていた処です。実際にみるのが一番ですからね」
「確かにな、―――データの蓄積も大事だが、実際に容体を確認してみるのが一番大事だ」
既に外科オフィスを出て、廊下を歩きながらいう滝岡に、神尾がうなずく。
西野が二人が出ていくのを見送ってから。
「で、濱野さん?」
「うーん?神尾先生は読めないねえ、…。正しい感情がみえない人だな。教師データ不足だ」
「滝岡先生は本当にわかりやすいんだけどな。先生の感情は素直でとてもいい」
「妙なことに感心してないでください.確かに滝岡先生は解りやすいですけどね?」
「秀一くんも読めないけどねえ。橿原さんはまったくダメだな。関さんも読めそうでデータとれないし」
「滝岡先生以外は全員ダメなんじゃないですか」
「人の感情を読み取る研究はがんばってすすめてるんだけどねえ。サンプルとしてはできがよくない人達ばっかかなあ、…あ、ゲストの二人は別ね。あの二人は、これまでの表情サンプルに非常に当てはまる。解析結果にも自信もっていいとおもうよ」
「つまり、この病院関係者は、滝岡先生以外、サンプルとしては不適格ですか」
「まあ、そういうのも読めるようにならないといけないけどね?」
じゃ、画像データサンプル採取に協力してくれてありがとーなー!と手を振って画面の向こうで濱野が消えるのに、西野がタブレットの電源を落とす。
「誰かわからない御遺体の方達も、こうした技術が進歩して、いつかは誰かわかるようになるといいんですけどね」
そういえば、サンプルデータの採取あのゲストの御二人に話すの忘れてましたね、と。
西野が淡々と思いながら処理したデータを格納して、分析に回してから、他の業務に戻る。
おそらくは、行旅死亡人として処理されるであろう三体の御遺体に少しばかり思いを馳せて、西野は病院でのデータ管理とシステムの開発を平行して処理している通常の業務へと戻っていった。
了




