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「つまり、おまえは民俗学――文化人類学に関わる滝田教授の偽物が現れたのも、その秋田での炭疽菌の件と関わっていると判断したわけだな?」
「逐次的にですけどね、――疑いはうたがいだから、判断しなくちゃいけないけど、情報が一度に全部集まる訳でもないから、―――」
「それで滝田先生にも協力して頂いたのか」
「御本人も偽物がいるらしいことに気付いてたそうだったから、危ないとおもって」
「だからといって、周りの方にご心配をかけてどうするんだ」
「だって、―――すみません。ごめんなさい、滝田先生」
「え、と、…あの?僕って、――何か危険があったんですか?」
驚いて見あげている滝田に、吉岡が向かいで冷たい視線を送って突っ込む。
「あのな?テロ組織につまりおまえさんの偽物は利用されてたわけだろ?最終的におまえさんの命が狙われててもおかしくなかったんじゃないのか?」
「―――流石獣医学者さんのいうことはグローバルでっ、…て、まじですか?」
「おまえな、マジとかいうなよ、良い年こいて、――――」
滝田の発言に吉岡があきれているが。
秀一が天井をしばし眺めて。
「すみません、…―――。滝田先生が緊張するといけないと思って、――――あ、でも、もう滝田先生を利用したテロは潰しましたから、―――」
「…――その、」
蒼褪めている滝田に、同情する視線を吉岡が送る。
「どうだ?趣は違うが、おれの心配してた気持ちがわかったか?」
「…――趣は全然違うけど、理解できなくはない、――すまん、…いのち?」
「テロリストがおまえさんに成りすましていたんだろ?どこか本気で重要な施設にでも入り込むときには、おまえさん邪魔なら殺してたんじゃないのか」
「…―――吉岡、…」
茫然と向き合う滝田に、面倒くさそうに吉岡が向き直る。
「なんだ?いまさら」
「―――すまんっ、…!いまさらこわくなったっ、―――!」
「おまえな?いまさら何いってんだよ!」
吉岡と滝田の前で、滝岡が秀一を睨む。
「つまりは、周囲の人に告げずに滝田先生を行方不明にしたのは、生命の危険から護る為だったと?」
「そういう理由なら許してくれる?」
「――――…」
難しい顔で無言で睨んでいる滝岡を秀一が期待する顔で見あげる。
「…――おまえな、…」
「いまさらこいつにいっても仕方が無いだろう」
「それですませてはいかん。いけないことは叱らないと」
「―――おまえな、…」
子供の頃に秀一を叱っていたときと変わらないスタンスでいう滝岡に関があきれるが。
対して滝岡が。
「おまえこそ、その秀一とつるんでおいて何をいう」
「つるむってな、―――こっちは、テロ事案なんていう訳の解らんことに貸し出されて仕事してたんだぞ?しかも、管轄内で殺人事件が起きたというのに、テロ絡みのせいで前に出られないしな」
「おまえが殺人事件が起きたというのに、あの課長さんがおまえを現場に呼び出さなくて不思議だったが、そういう理由か。おまえ、神尾に張り付く為にというのは、嘘だったんだな?神尾がおかしな行動をするのを見張るなんて理由ではなくて、テロ事案に関して神尾と連携を取る為に派遣されてきていたわけか」
「―――滝岡。おまえの解りがはやくていつも助かる」
「真顔でいうな。怒るぞ」
「もう怒ってるだろ、――すまん。だがな、そもそも警察が素人の何もしない人間に人を付ける訳がないだろ。予算は限られているんだぞ?」
渋い顔でいう関に滝岡が嘆息を。
「いや、それに関しては神尾の前科がありすぎてな、…――非常に尤もらしかった」
思い返す滝岡に関が謝る。
「ま、おまえまで騙してたのは悪かったが」
「思ってもいないことをいうな。―――で、炭疽菌を使用したテロだったのか」
「――――――て、ことは、おれがホテルで会ったやつは、…」
いまさらながらに青くなっている吉岡に、滝田がうなずく。
「大変だったな」
「おまえ、わかってないだろ?」
「正直、炭そ菌というのがよくわからん」
首を傾げる滝田に、疲れた顔で吉岡が肩を落とす。
「正直にありがとな、…―――神尾」
「そうだな、神尾、説明してくれ」
「はい。炭疽菌ですね?」
吉岡と滝岡、二人にうながされて、神尾がにっこりと。
「炭疽はいまでも一部の地域では土着している炭疽菌という細菌によって引き起こされる感染症のことです。本来、牛などの家畜に起こり、その家畜の革を加工する職人等に職業病として発生することが知られていました」
穏やかに説明を始めた神尾が、あっさりと続ける。
「人に発症した場合、特に肺炭疽と呼ばれる呼吸により肺に取り込まれた炭疽菌が発症した場合の致死率は、90~100%殆どの方が治療をしても亡くなられます」
「…―――」
本気で蒼褪めている滝田に吉岡が同情の視線を送る。
「それで、滝田先生はその炭疽菌を付着させた文化人類学の資料か何かを輸入する際に隠れ蓑として使われる処だったというわけか」
「おまえ、仕事医者じゃなくて、こいつの手伝いでもするか?」
「何でだ。誰がするか。―――」
機嫌悪く滝岡が関と秀一をみて、次に。
「はい?どうされました?」
「つまり、―――あの落下された御遺体の皮膚についていたのは皮膚炭疽だったと」
「はい、すみません、――感染症ではないなんていって」
「――――…患者さんにも関わることだぞ?おまえがその調査をするのはいいが、――感染がおまえから広まる可能性も、そして、あの音楽堂を通して、――――そうか、おかしいと思ったが、追跡ではなくて、おまえがやりたいと思っていたのは、炭疽菌があの御遺体が触れた箇所他から広まって、感染の閾値まで接触してしまった人がいないか割り出したかったんだな?神尾」
聞きかけて途中で思いついて質問する滝岡に、にこやかに神尾が肯く。
「流石、滝岡さんです。その通りなんです。音楽堂にあの御遺体があった以上、遺体に付着していた皮膚炭疽の痕から、炭疽菌が広まってしまう可能性がありました。ですから、周辺の封鎖をその危険性が判明するまで続けていただきたくて現地に行ったんです」
「それで、あの御遺体が生前触れた箇所等を厳重に調べていた訳か」
「症状からして、そう危険性はないと判断はしていました。ですが、空調装置等から広まる可能性も含めて調査をしなくてはいけませんでしたので」
「テロと解るとパニックが起きる可能性があるから、殺人事件の現場として封鎖して、調査を行った訳か」
何ともいえない表情で見る滝岡に、神尾がにっこりと。
「ええ。でも、追跡を行いたいといったのも本当ですよ?炭疽菌も検出対象にはしていましたが、立ち寄り先を知る為に、追跡調査を御遺体独自の表皮細菌叢により判定しようとしたのは、有意義だったと思います」
「…―――確かに、テロ対策という点でもより大きな意味があっただろうな、――――神尾」
「はい?」
明るく黒瞳で見返してくる神尾に、滝岡が溜息を吐く。
「いや、―――わかった」
「はい?それで、説明はこれでいいですか?」
吉岡が、滝岡先生も苦労してるなあ、これが神尾だもんな、としみじみしている前で。
滝田が、うなずいて続きを促す。
「纏めると、滝田先生の偽物を通じて炭疽菌を輸入してテロを行おうとした関係者の中に横浜音楽堂の御遺体もあったということか」
「まあ、関係者というか、ね。それに金沢で見つかった御遺体御二人分もね」
「とすると、横浜でわざわざ神尾が行く前に御遺体の創に注意を向けようとした方は何者だったんだ?指摘していた病名は異なっていたらしいが」
「まさか、いきなり炭疽菌とはいえないから、感染症だとして注意を向けたかったんでしょうね。おじさんに出会ったのは運が悪かったけど。――冷や汗掻いたろうね、気の毒に」
「…院長に対峙して肝が冷えない人はそうそういないから、病名を間違っていたくらいは関係ないだろうがな」
「法医学者と知って対話することになったそうだから、より肝は冷えてたと思うぞ?課長に聞いた話だがな。――何にしても、そういう訳で、今回その横浜の事件で最初に現れた医者を詐称した男を捕まえたくてな。今回、吉岡さんを囮にさせてもらって、やっと捕まえられたわけだ。ご協力、感謝します」
関の言葉に吉岡がどんよりとした顔になる。
「――事前にいわれてないけどな、―――って、あの箱には炭疽菌が入ってたかもしれないのか、…」
「それって致死率100%近いのか」
「…いうな。肺から感染するとな、―――」
しみじみ暗くなっている吉岡に同情する視線を滝田が送る。
そして、滝岡が。
「吉岡さんにはどれほどの危険があったんだ?」
「…聞かないでやってくれ、――」
吉岡が小声でいっている前で。
「怒るなよ。今回捕まえた関係者はな、先に炭疽を報せようとしてたからな。―――」
「何者だったんだ?テロの関係者だったのか」
「ある意味な、―――」
滝岡が関の言葉に訝しむ視線を送る。
それに、関がからかうような視線をみせて。
「ある意味、滝田先生と同じような立場の人だったから、確保しておきたくてね」
滝岡が無言で視線を向けて問う。それに、関がうなずいて。
「つまり、生命の危険がある関係者だったから、確保して保護したかったわけか」
「おまえ、やっぱりテロ対策担当しないか?」
「イヤだ。おまえこそ、普段秀一にいわれているときは拒否しているくせに人にうれしそうにいうな」
嫌そうにいう滝岡に、実に楽しげに関がいう。
「勿論、普段人にいわれて嫌だから楽しいんだろう。普段は、こいつにいわれ続けてるからな。おれは刑事だっていうのに、殺人事件の担当をやめてテロ対策担当になれとか、警備に行けとか。おれは刑事だっていうんだ」
「―――あのな」
「いいだろ、面白い。おまえの発想は以前から使えるなとは思ってたが、テロ対策するのはどうだ?」
「おれの仕事は患者さんに手を貸すことだ。患者さん達が生きることに手を貸すのが仕事で、他は知らん」
「狭いな、視野が」
「うるさい」
楽しげに滝岡をからかう関と、からかわれている滝岡を交互に吉岡がみて。
「何か楽しそうだな」
「――おい」
思わずくちにした吉岡に、滝田が止める。
「――――吉岡さん、…――」
それに、思わず視線を向ける滝岡に吉岡が訊ねる。
「で、その、あのホテルでドアを開けたらいた人は、何者だったんだ?」
訊ねる吉岡に滝岡が視線を関に向ける。
その関は、肩を軽く竦めて秀一を見る。
「あのね?僕に振らないでくれる?」
「――そういえば、おまえが本来は席に座るはずだったといっておれに音楽会の席を回してきたが、――」
「あ、気付いた?」
滝岡の胡乱な視線にうれしそうにいう秀一に眉を寄せてみて。
「秀一。つまり、―――おまえはあの場に神尾を同席させたくて、おれを囮にして券を寄越したんだな?」
「まあ、そういうこと?」
視線を逸らして、にっこり笑む秀一に疲れた表情で滝岡がいう。
「おまえな、…―――おかしいと思ったんだ。おまえの忙しさで、そもそも何故、音楽会の席を取ったんだとな。それも二席」
「二人分にしないと、神尾さん誘えないからね。にいさんが一緒ならいいけど、流石に神尾さん一人行かせるのはだめでしょ?」
「気遣いありがとう、…」
難しい顔で視線を横に流していう滝岡に秀一がにっこりと。
「だって、にいさんがいなくて神尾さんが暴走したら、止められる人がいないからね!」
にっこり笑顔でいう秀一に、複雑な表情を滝岡が返し、不思議そうに神尾がみている。




