繋ぎのパン粉
前日譚以外の全ては蛇足である可能性があります。
気づくと、穏やかな温もりに包まれていた。思わず息を吐きたくなるような心地良さに、全身から力が抜けていく。
口から泡の粒が漏れた。目を開けば、その泡たちは、ゆらゆらと立ち上っていく。気泡。どうやら僕は水の中にいるのだ。
吐き出した息を取り戻そうと吸い込めば、忽ち拒絶が襲うだろう。息は、そう長く続かない。伸し掛かる水圧で身体が重い。ここにも僕の居場所はないのだ。
水は薄っすらと発光している。微生物なのか、もっと他の何かなのかは判別できないが……。
その光景に見惚れていると、僕の身体から黒いモヤが染み出ていることにも気づいた。
服の染料が水に溶け出ているのだろうか? あるいは、痛みもないまま全身が溶け崩れようとしているのだろうか?
記憶を辿る限り、僕は『灼熱沼』に身を投げたはずだ。ここは本当に、その『灼熱沼』の中だろうか? それとも、全く別の場所? 僕は夢でも見ているのか?
入水。候補の一つとして考えなくもなかった。しかし、苦しむ時間が長そうだから、選ぶ余裕があるなら避けたいと考えていた方法だ。
楽に気絶するには、どうするのが良いだろうか。
息苦しさに悶える最期を聞き届けて、それがトラウマを植え付けなければいいが……。
そっと手を握って、名を呼びかける。例え、時間がかかったとしても、心の余裕さえあれば、それだけで良かったはずだ。焦って横着をした。
横着のせいで、名を聞きそびれた。
……もうじき息が続かなくなる。
大きな手に抱え上げられ、温かい水の外へ引き上げられた。
咳き込むようにして、鼻や口から入った水を残らず吐き出す。そうしてから息を吸い込む。まるで全身に染み渡るようだった。
この太い腕の感触には覚えがある。頼んだ覚えもないのだけど、また君か。
瞼を上げ、僕はそれを確認する。赤髪が濡れて、顔や肩へ貼り付くように絡みついていた。こんな状況でさえなければ、その急変貌ぶりを笑ったかも知れない。
君が『灼熱沼』に何か細工をしたのか?
今すぐにでも問い詰めてやりたいが、呼吸を繰り返すのに手一杯で、そんな余裕はない。
喋り無精な唇が動いている。せっかく語りかけられているのに、こんな時に限って、僕の耳の穴には水が詰まっていたようだ。そのせいで何も聞き取れない。
もどかしさを堪らえ切れずに、喉の振動と唇の動きから言葉を読み取ろうと手を差し向ける。その途端、透き通るように真っ白な腕が視界に飛び込んできた。
誰の腕だ?
発光する湖の水に下から照らし出され、その細腕は青白く光っているかのようだ。指や爪の形は僕の手と似ている。しかし、よくよく観察すれば、幼い頃の些細な不注意で作られた小さな火傷跡が見当たらない。
それを遮るように突き出された額が、そっと僕の額に触れた。
(今は眠るが良い。深く、……深く)
語りかける声が脳内に響いた。
この声は……?
瞼が重さを増していく。思い返せば、一睡もしないまま一晩を過ごしていた。どれだけ歩いたか知れない脚には疲労がまとわり付き、眠気に抗う気力も残されていない。
微睡みの中へ僕の意識は落ちて行った。
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