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第三話 第3話 弟です

 姉はボクが引くほど、


「え! もう家行っていいの! いいの!」


 とはしゃいできた。うっとうしい。


 ボクは案外、すぐに人を自宅に招くほうだ。家にいる方が落ち着くし、父が亡くなって一人の一軒家は少しだけ寂しい。

 UberEATSの配達人を寝室まで連れていったことがある。


 つまりボクはそういう人間、その気になれば家にすぐ人を連れ込む。


 姉は例外。姉はもうちょっと酔ってて頬が赤くなっているが、それが決して可愛いとは思わないけど、姉を見る男はけっこう多いな、と居酒屋で気づいた。

 別にどうでもいいけど。


 ボクが母親に似たのは顔だけではないらしい。性まで似たってこと。


 母親が前の夫と離婚した理由、そして母親の複雑な生い立ちを知ってショックを受けたが、うまく隠した。


 勝手に会いにきて、知りたくなかったなんて言える立場じゃないから。父が母親について話さなかったのもよくわかった。


 姉はその事実を背負って生きてきた。知ったばかりのボクがショックとか言えないし、やはり産みの母親を否定するようなことは口にしたくない。


「まぁ、そのへん座ってください」


 ボクが言うより早く姉はソファーの真ん中にどっかりと腰をおろし、きょろきょろとリビングを見渡した。


「でかい家」


 なんのひねりもない。ボクが姉にミネラルウォーターを与えてやると、それを大事そうに両手で包むように持ち、ゆっくりとキャップを空けた。


「写真、探してきます」


 ボクが2階に行こうとすると、姉がついてきた。上目遣いで見てくる姉に、ボクはなんなん? という目を向ける。


「浩くん、お父さん亡くなってからずっとこの家に一人なん?」


「そうですけど」


「寂しいやろ?」


「別に」


「沢尻エリカ気取りせんでええって。立派なお家やけど、一人で住むには大きすぎる。お母さんいなくて寂しくないって言ってたけど……嘘やろ?」


 ほんまに一気に喋るな。ボクはそっぽを向いて階段を上がる。

 何の関係もない奴に知ったかぶったこと言われたら、ボクは二度と振り向かない。


 ボクと姉は、同じ女から産まれてきて、そして同じ被害に遭ってる。子育てが下手なのに子供を産んだ女から、幼少期に空けられた「寂しい」という穴。


 姉は無言でボクの後をついてきた。


「あなたより、ボクの方が恵まれてる。経済的にね。あなたの方が寂しいでしょ。お父さんは再婚して別々で暮らしてる。あなたは祖父母に育てられた。でも、ボクはお父さんがいましたから」


 振り返ると、姉は切なそうな顔をしていた。

 少し喋りすぎたな。

 ボクは書斎のドアを開ける。前は父の書斎で、ボクがそのまま仕事部屋として受け継いだ。


 壁の両側にある天井まである本棚を見て、「うわぁ」と姉が感嘆している。


「恵まれてるとか、恵まれてないとか。そんなん簡単に言えることじゃないよ。浩くんの家の方が裕福みたいやけど……うちは中学時代に学校もいかんとグレて、好き勝手生きてるし。浩くんはお父さん早くに亡くして大変やったやろ」


「再婚相手とその連れ子と暮らしてるのに、実の娘は親に預けられっぱなしって、ボクはネグレクトやと思います。実子も一緒に暮らさないとかおかしいでしょ。ボクはお父さん好きやったし、全部理解してもらえてました」


 ボクは言いながら、書棚の奥の方からアルバムを引き出す。小さな糸綴じのフィルムアルバム。ピンク地の花模様の表紙はかすれた色をしている。


 姉にアルバムを渡す。彼女は開くと、目を見開いた。そして急き立てるようにページをめくり続け、震え出した。


 開かれたままのアルバムが床に落ちる。


 ボクによく似た若い母親が、今とそう変わらない顔をしている幼い姉を抱っこして笑っている写真だ。


 姉は床にへたりこんで、泣き出した。


「これ……ずっと、ずっと見たかった。うちを抱っこしてくれてるお母さんの写真……ずっと……これが、見たかった。誰でも持ってるのに自分だけ持ってない、見たこともない、お母さんに抱っこされてる子供時代の写真」


 姉は嗚咽した。


 母親に愛されていたという証拠である写真が、姉は欲しかったのだろう。

 ボクは持ってる。

 アル中になる前の母親がボクを笑顔で抱っこしてる写真。父さんが写真が好きで、アホみたいにたくさんある。


 それを、持ってないか持ってるかで、変わってしまうことがある。


 ボクは気がついたらしゃがんで、泣き崩れた姉の背中をなでていた。姉の背中は熱い。

 手のひらに慟哭の振動が伝わってくる。


 もう、アカンな。

 まさかこんな、情が移ってしまうなんてな。


「あなた、収入なくなるんでしょ? この広い家、寂しいから、住みます?」


 この家には母さんの痕跡があって、姉は体感すべきだと思って、うっかり言ってしまってボクは後悔した。


 ベショベショに濡れた顔で、姉が抱きついてきた。どうどう、落ち着けとボクはその背中を叩く。思ったより肉厚の体で、もう高カロリーなミックスジュースを一生飲むな、とボクは思った。

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